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【投稿】 ダラットへの道
かつて「ゆめ」を共有した人々に捧げるちいさなベトナム報告 武峪 真樹 2002.8.5

タンソニャット空港へ向かって降下してゆく

空港の端には掩体壕が並び、中には軍用武装ヘリが格納されていた

●ベトナムへ!

 今ベトナム旅行はブームなのだろうか。旅行会社がさかんにあおっている。また、ベトナム行きの飛行機は増発され、だいぶ便利になったようだ。台北に一泊してから往く便が格安だが、私は、できるだけベトナムに長く滞在したかったので、関西空港からのベトナム直行便にした。これなら5時間でホーチミンに行ける。
 二十三年前はまだベトナム解放四年後で、日本からの空路は開けていなかった。そのため訪問団はいったんバンコクで一泊し、そこからラオス・ビエンチャン空港を経由してハノイに入った。また帰りもバンコクに一泊している。しかし、今では新幹線などを使いながら東京から長崎あたりまで行くのと変わらない時間で行けてしまう。ベトナムは近くなった。
 深紅のアオザイを着たスチュワーデスを見た時には、とうとう行けるのだという実感が湧いてきて胸が熱くなった。有名なベトナムビール「バーバーバー」を飲みながら窓の外を眺める。しばらくの雲上航行の後、飛行機は雲海の下へ降りてゆく。やがて雲間にかすみながら地上が見えてくる。田園地帯と、森林と、その間を流れる幾筋もの河。河は空と雲を映しておおきく蛇行している。ところどころに見えるおもちゃのような家々。その間をまっすぐに進む道路と車。夢に見たベトナムの風景。やがて人家が多くなり、工場も見えてくる。道路は数を増し、市内に近づいているのがわかる。飛行機はいよいよ高度を下げ、タンソニャット空港の滑走路へ降下、着陸した。午後二時三十八分、ついにベトナムの地を踏んだ!
 その途端にどしゃぶりの雨。


バイクの騒音が鳴り響くホーチミン市の夜

●ベトナムの交通事情

 ホーチミン市に降り立つと、まず誰でも最初に驚くのがオートバイの数の多さである。どこもかしこもバイクだらけ。そのバイクの群れが車といっしょになって市中の道路をところせましと走り回っている。ベトナムでは車は右側通行であるが、どの車も中央線を大きくはみ出して追い越しをする。だから対向車が追い越しをかけながら正面に迫って来てこわい。いつ正面衝突しても不思議ではない。右折も左折も、日本では考えられないような曲がり方をする。そしてやたらに警笛を鳴らす。日本では暴走族が鳴らすような警笛を装着している車が多く、あちこちで「パラリラパラリラ」と喧ましい。横断歩道は所々あるが、無いのと同じ。車は止まってくれない。歩行者の間を通ってゆく。
 二十三年前に訪問団が来たときには、いくらなんでもこれほどではなかっただろう。交通ルールもマナーもあったもんじゃない。友人の話によればバイクの免許取得は簡単で、実技と筆記試験はあるが、自動車の筆記試験は一〇問の選択式である。そのうえバイク運転者の半分以上は無免許だとのこと。これでは事故がおきないわけがない。メコンデルタツアーでお世話になった日本人ガイドの話によれば、ホーチミン市だけで一日二十人以上が亡くなっており、死者など何度も見ているそうだ。私もバスの中から、気の毒な犠牲者を見てしまった。ホトケさまは道路の端でコモをかぶせられ、仰向けにひらいた足先が見えた。胸のうえにバナナと長いお線香が供えてあった。ベトナム交通当局は交通の安全のために昨年六月、バイク搭乗者にヘルメット着用を義務づけたが、守る人はほとんどいない。
 しかし、それでもバイクは重要な交通手段である。まだまだ裕福とはいえない一般庶民にとってバイクは便利で手軽な「マイカー」なのである。たまに家族で帰省するときにはお父さんが運転し、お母さんと子どもを乗せて四〜五人乗りで出かける。多少の危険があっても、これがいちばん安上がりな方法なのである。
 市内主要道路と、国道など幹線道路は舗装されている。しかし道路の端は土けむりが舞い上がるしバイクの排ガス規制などもなく、空気は汚れている。それにベトナムの強い日差しはバイク搭乗者の肌をさす。そのためバイク搭乗者の多くは帽子をかぶりタオルでマスクをする。とくに「肌の白さ」はベトナム人にとって大事なことらしく、そのために日焼けから肌を防いでいるのだという。

 車種をみると、市中ではバイクは日本車が多い。ベトナムでは、九八年にハノイ近郊でホンダの現地生産が開始されたが、数年前から中国製の安いコピーバイクがベトナム市場に大量に流入し、バイクの絶対量が急増。交通渋滞をさらに悪化させる結果となった。またこれはホンダのシェアにとって脅威となった。これに反撃してホンダは、中国製部品を多用した自社ブランドバイク「ウェーブ・アルファ」をベトナムで組み立て、従来の約半値での販売を開始した。すると安いので予約殺到。中国製コピーバイクは一転して在庫過剰の投売りとなった。ホンダは更にこのバイクをフィリピンにも輸出。その後、中国でコピーバイク工場とホンダの提携が報じられた。ベトナムでの現地生産は他にスズキとヤマハ。カワサキはタイからの輸入と思われる。
 郊外に行くと、旧ソ連製のミンスク、旧東ドイツ製のシムソンなどを見かける。しかし都市部では以前から見向きもされないそうである。「ミンスク」というバイクは形はホンダによく似ている。2ストローク単気筒を採用している。たぶん2ストの馬力、登坂力が山岳地帯では実用的なのだろう。ダラットへ向かう道で時々見かけた。バリバリと騒音を立てながら煤煙をまき散らして国道二〇号線を走ってゆく。
 アジアの多くの国々と同じく、ベトナムでもバイクを「ホンダ」と呼んでいた。インドなどでは「俺のホンダはヤマハ製だぞ」などという会話が成立しているが、ベトナムでもそうであった。八〇年代まではアジア全域で「ホンダ帝国」が成立していた。このホンダ「神話」はベトナム戦争の過程で形成されたものらしい。しかし特に都市部では九〇年以降この言葉はだんだん使われなくなってきた。それは中国の影響によるところが大きい。中国のコピーバイクは、「技術立国」日本をおびやかし、「ホンダ帝国」を崖っぷちに追い込むものだった。ホンダはこの中国の「ライバル」と提携する事によって自らの内に取り込む戦略を取るに至った、ということなのだろう。

 車は、乗用車もトラックもバスも、少し前までは日本車が多かったそうだが今では韓国車が圧倒している。訪問団が見たというソ連製トラックなどはほとんど見かけない。通り過ぎる車はどれもデウ(大宇)、ヒュンダイ(現代)が多い。さらには、韓国から直接払い下げになったらしい中古の路線バスが国道を走っており、そのバスには韓国の市内循環経路がそのまま掲示されていた。同じく日本製のバスにもそうしたものがあり、ダラットからの帰り道で「湊川公園」と大きく書いてあるバスを見かけた時には思わずのけぞった。このほかにも「神戸三宮神社行き」バスなども以前たくさん走っていたそうだ。こういう不思議な風景はいまアジア各地に見られる。
 中古車、特に大型車は韓国製が圧倒的に多いが、乗用車の新車事情はやや異なる。金持ちは皆日本製RV車かベンツを買いたがる。もしくは両方持っている。そういえばダラットの師範学校が送迎してくれた公用車も濃紺色のトヨタカローラだった。


国道を走るバス。これに乗っても日本には帰れません

●経済発展と都市の景観

 訪問団が訪れた七九年にはまだ「ドイモイ」(市場開放)政策ははじまっていなかった。また対中国戦争の最中に訪れたこともあって、彼らが撮ってきた写真には戦闘的で勇ましい看板がたくさん映っていた。そこには「北京の侵略に対して闘おう!」とか「祖国防衛」「社会主義共和国万歳」「共産党とともに全人民は団結せよ」といった文字が並んでいた。
 しかし現在、ホーチミン市内ではそういう政治的スローガンの看板は多くない。「ソニー」「東芝」「パナソニック」「フィリップス」「サムスン」などの家電メーカーをはじめとして「ロート製薬」「メンソレータム」「コカコーラ」「ロッテ」「タイガービール」などの看板がベトナム独特の屋根のうえに大きく立てられている。
 ただ、政府の看板が無くなったわけではない。その宣伝内容が変わってきた。家族計画のキャンペーンや、エイズや麻薬の撲滅を呼びかける看板を所々で見かけた。
 サイゴンはかつて美しい都市として知られ、「東洋の真珠」「東洋のパリ」と呼ばれていた。その面影は街の景観にまだたくさん残っている。クリーム色のモルタル壁に明るいレンガ色の屋根をのせ、窓や玄関を濃い原色(大抵の場合濃緑色)に縁どられた建物がここかしこにあり、おちついたたたずまいを見せている。ベンタィン市場、統一会堂、国立劇場、市庁舎などの歴史的建造物はそのような美しい景観を形作る代表的存在である。
 しかし、ドイモイとともに押し寄せた海外資本によって、街の景観は変わりつつある。建物の壁という壁、そして屋根のうえにも購買意欲をそそるように商品宣伝の看板が取り付けられている。そればかりではない。郊外に出れば、畑のよこに巨大な鉄塔がそびえ立ち、そこに一キロ先からでも見えそうなほどとてつもなく大きな商業看板がのっけられている。そうした街の景観の変化は道路交通事情の変化とともに、この国の経済的活況を印象づける。事実、ベトナム政府の統計によれば経済の発展は近年著しいという。

 経済的活況が都市の外観にもたらしたもう一つの影響は「高層ビル」である。ホーチミン市ではクリーム色のモルタルと菩提樹の美しい並木道の後ろに高層ビルが建ちはじめている。世界貿易センタービルはこの国も資本主義経済に組み入れられつつある事を象徴している。それからドイツの保険会社のビル。その他に外国資本の高級ホテルが建ち並びはじめている。
 これらの巨大なビル群をささえるために、以前よりもはるかに大量の電力の生産が必要となる。訪問団の報告によれば二十三年前には電気のない村がたくさんあった。また、ビールに氷を入れて飲むのは電気が少ないせいだと聞かされていた。しかし、現在では国道沿いに立派な送電鉄塔と電柱の列が山の向こうへと続き、電化政策が進んでいることを思わせる。また、どんな田舎の村にも、テレビのアンテナが立ち並び、カラーテレビがかなり普及している。
 ベトナム北部にはホアビンダムをはじめ水力発電事業は多く、南部へも送電している。東京電力、東北電力等日本企業も発電施設建設の取り組みをしている。またロシアとの間では原発開発に関する技術援助も話し合われている。
 余談ながら、氷入りビールはベトナムの風習として定着したようで、ホーチミン市でもダラット市でも、ビールは氷入りだった。


景観が変わりつつあるホーチミン市。左に有名なベンタィン市場が見える

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