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組織内女性差別問題の克服のために
STRUGGLS OF OLD TROTSKISTS


わたしたちの再出発にあたって
何よりもまず女たちのものである革命をたぐりよせるために
1987年9月 第四インター女性解放グループ

はじめに

 わたしたちは、去る五月、「第四インター・女性解放グループ」を出発させ、新たな歩みをはじめることになりました。わたしたちがこのような結論を選択するに至るのは、一九八二年八月の三里塚労農合宿所での強姦犯罪の告発を受けてからの五年間にわたる「組織内女性差別問題」をめぐる経過がありました。わたしたちは、五年間にわたる経過の中でぶつかった同盟組織の性差別の現実に負けないで、“女たちの団結と運動”を前進させていくためのギリギリの選択として、グループの結成にふみ切りました。
 五年間の経過の中で、多くの女性たちが同盟を去ることを余儀なくされていきました。そして、現在同盟にいる女性たちの中でも「組織内女性差別問題」へのこだわり方やそれを追求していくときの方法論、同盟との関係などについて、みんなが同じような考え方に立っているわけではありません。わたしたち、第四インター・女性解放グループは、五年間の経過をふまえた同盟の現状評価や「組織内女性差別問題」とりくみの総括などについて、現段階で一定の考え方を共有しあえる女性メンバーによって発足したものです。また、わたしたちは、五年間の経過の中で同盟を離れていった女性たちと共に歩んでいきたいと考えています。
 この五年間、第四インターの組織と運動につながってきた女たちの一人ひとりは、それぞれの契機において打撃を受け、自分と組織に絶望し、「回復の道」を必死にさぐってきました。それはおそらく誰にとっても孤独な闘いであったと思います。女たち相互の関係はそれほどに分断されていました。その分断を本当に越えることができると思えるお互いの関係を実現しているとはいまだ言えない現段階にあって、わたしたちがグループとして共有している立場と選択をここに明らかにすることに、あるいは違和感を持つ女性たちがいるかもしれません。「こういうことを書いてほしくない」 「女性差別問題の経過について読むことさえつらい」と思う女性たちもいるかもしれません。
 しかし、わたしたちは わたしたちの選択を率直に明らかにし、思うことを語り、闘いはじめる中で、どんなに困難であろうとも女たちが強制された相互の分断をこえて“出会える道”“つながりあえる関係”をつくりだしていきたいと思います。
 「世界革命」の読者のみなさん、とりわけ女性のみなさんに忌憚ない意見、批判を寄せていただき、女性解放の確かなうねりをつくりだすために手をつなぎあえたら、と思います。

女と男―分裂していた組織の現実

 三里塚労農合宿所での強姦犯罪にたいするAさんの告発、それは無視したり、誰かにまかせておけばいい問題ではなく、現に第四インターナショナル日本支部のメンバーである一人ひとりに、それこそ男も女もなく「あなたは何者なのか、あなたのめざす革命とは何なのか」を問いかけたはずである。にもかかわらず「同盟は、そのAさんの問いかけ(告発)にむかいあうことかできなかった。
 八三年九月、同盟は「世界革命」紙八〇二号に「三里塚現闘団員四名の除名処分とわれわれの自己批判」と題する、労農合宿所とインター三里塚現闘団でおきた強姦犯罪への自己批判文を中央委員会の名において公表した。自己批判文には、強姦犯罪の被害を受けた女性たちとすべての女性に謝罪し自己批判するという立場が述べられている。しかし、その後の過程は(それ以前もそうであったように)この自己批判文の内実が「痛い!」と叫んだ女性にたいしてではなく「世間」にたいしてなされた弁明と謝罪でしかなかったということをいやというほどわたしたちにおもい知らせる過程だった。
 Aさんの決別の言葉―「女を切り捨てた形で闘っていきたいのなら勝手にやればいいと思う。ただ、その場合には、もう『人間の解放』などとは言わないでほしい」という問いかけにむきあおうとした女たちは、日本共産青年同盟、社会主義婦人会議、日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)の各組織を貫いて、性差別を告発し糾弾していった。
 そこでぶつかった組織の現実―男たちは男たちこそが問われているのだとは考えなかった。告発された男よりも告発した女が問われた。告発者の防衛よりも組織・機関の防衛がもちだされた。告発された男は告発した女性にではなく、組織に自己批判しようとした…。告発・糾弾はその出発点において「うけとめようとしない」「むきあうことのできない」男たちと組織・機関のところで女たちを疲弊させ、絶望させた。
 「組織内女性差別問題」のたどった経過のひとつの現実は、告発した女、その女とともにあろうとした女たちと、組織。機関の不一致、対立であった。ともに革命をめざす者同士として対等であらんとした組織が、強姦の加害者と被害者に、差別する者とされる者に分裂していたという現実、そしてそのことが明らかにされてもなお、つき出された差別の現実を変えたいと思うのか、思わないのかという前提のところで分裂している組織の現実、この実態にわたしたちは気づかされてきた。「組織内女性差別問題」は、Aさんの問いかけにむきあうための男も女もない「組織」としての闘いであったはずなのに、Aさんにむきあい前提としての組織自身のあり方のところで、「同じ組織といっても一体何が一致しているのか」をを問い直されることとなったのだった。

告発・糾弾に敵対した男たちの現実

 女たちの告発・糾弾がまず直面したのは、「それだけでは差別かどうかわからない」「何が差別かわかるように言ってくれ」という男たちの声であった。それは多く、「それは差別ではない、強姦ではない、告発は不当だ」という認識から発せられたものであった。
 告発された事実の認定にあたって、組織・機関は何かしら「客観的」と見える組織の判断基準を設けようとした。ブルジョア社会の強姦裁判に端的なように、事実がどうであったのかの認定は「第三者」が行うのが最も公平だと考えられている。しかしそうだろうか。事実は多くは当事者にしかわからない。とりわけ強姦犯罪のような場合、「加害者の事実」と「被害者の事実」は多くは対立する。事実の認定にあたっては問題にたいする立場と評価が問われる。事実の認定を被害を受けた側、差別された側から行おうとするのかどうかが問われる。本質問題は、何が事実であったのかを決める「権利」は差別された側にある、ということである。しかも、強姦裁判にみられるように事実確認のためだとして女性が思い出したくもないことをこと細かに再現させるようなことを絶対に詳してはならない。必要な事実の認定とは、現に女性が打撃を受けているという事実だけでいいのである。女たちはこのことをさまさまな問題にぶつかりながら経験的に主張していった。
 しかし、組織・機関は、強姦かどうかの判断基準を「告発した女性の側の事実」によって定めようとはしなかった。組織・機関が事実の認定にあたった立場は、女性の受けた打撃の側からではなく、両者を等分に調査し、告発された男の側の行為の「程度」で強姦か否かの判断をしようとしたのである。これは女性差別行為と「問題ある男女関係」という区別の仕方としても表わされた。したがって、調査のほこ先は告発した女性にもむけられた。「イヤならイヤとなぜ言わなかったのか」「なぜ拒否しなかったのか」と。拒否できない力関係のなかに追いこまれた女の側の事実―拒否しなければならないような行為としかけられていること自身の不当性は無視された。いや無視されるだけではなく、「おまえにも責任があるんじゃないのか」として責められたのである。
 告発・糾弾に敵対した男たちの意識と論理はまさに強姦犯罪にたいするブルジョア・イデオロギーそのものであった。
 しかし、それだけではなかった。ブルジョア・イデオロギーそのものによってのみならず、男たちの敵対は、男たちが認識するところの「革命をめざす組織のあり方・原則」論によっても「武装」されていた。そこから発する告発・糾弾への敵対は、「受動的」にみえながら、実は差別と闘おうとする主体をおしつぶそうとする攻撃性を持っていたと言える。
 告発した女の多くが直面したのは、「活動家の女ならなぜ拒否できなかったのか」「活動家の女としての主体性の弱さだ」という男たちの反応であった。告発にたいしては、差別の事実に目をむけるよりもます「なぜ今になって」「何のために」告発したのか、が問われある場合には「何か別な政治的意図があるのではないか」と疑われ、また「組織建設」にとっての意義づけが求められた。
 そして、次には告発・糾弾をめぐる「闘い方」が問題とされる。差別にたいする糾弾という方法は、組織内においては黙認するという以上の承認を受けたことはなく、差別と闘い差別を克服する組織としての積極的方針として位置づけられたことはなかった。なぜなら、「組織の一員としての権利と義務は男も女もなく同等であり、同志関係に問題があれば、相互批判―自己批判をつうじて克服すべきである」という考え方が「あたり前」とされてきたからであり、それが「民主集中制という組織活動の原則」に基づくあり方であるとされてきたからである。「同志関係に問題があれば、問題をおこしたメンバーは男も女もなく自己批判するように、機関として指導する」という対処の仕方―これは、「組織内女性差別問題」を「差別問題」としててはなく「組織規律違反問題」としてとらえるという認識を基底に生み出されたものであった
 しかし、相互批判―自己批判は、真に対等な関係の上ではじめて成立するものであり、まったく一方的な差別者と被差別者との関係では差別の克服は糾弾を通じてしかありえない。自分を強姦した者をどうして対等な対話の相手とすることができようか。「組織規律達反問題」としてではなく「差別問題」としてとらえることは、糾弾闘争の承認なしにはありえなかった。
 わたしたちは「告発者の無条件防衛」を主張した。女性たちが「無条件」と主張したことは、告発者の側が,このような政治的・組織的立場や契機で告発しようとも、告発された差別の事実こそが問題であり、そこから出発すること、差別との闘いにおいて、告発者への打撃を倍加するような一切の行為から告発者を防衛しようとするということであった。男たちは告発・糾弾にむきあうことを回避するために、さまざまな条件づけを行った。
―「男たちにわかるように糾弾せよ」「組織建設に役立つように糾弾せよ」、あるいは、告発した女性のそれまでの組織活動上の評価の度合いに応じて「信用」できるか否かの線引き。告発・糾弾にとう対応するかは女の側の組織にたいする「立場」と「姿勢」しだい。そして、差別者を自己批判させることができず、糾弾闘争が行きづまるとき、それもまた、糾弾する側のやり方の問題とする見解。
 男たちの機関にとって、「組織内女性差別問題」とは、結局のところ「女の問題」であった。差別問題の発端から差別に気づき闘いはじめる闘い方に至るまで、「女から始まった問題」「女が考える問題」「女が解決すべき問題」であり、一貫して「女責任論」であった。差別問題とは、「差別される側」にではなく「差別する側」にこそ問題があるという差別問題の根本に、男たちは立てなかった。「組織内女性差別問題」の克服のために明らかにされるべきは、差別する側の問題であり、自己対象化である。男たちと男たちによって主導されてきた組織活動のあり方がどのように性差別に結びつき、性差別に依拠してあったのかが、何よりも解明されなければならなかった。しかし、男たちは「差別される側」に問題を見出し、「差別する側」の問題を解明しようとはしなかった。
 女たちが男たちにわからせようとすればするほど、女たちに事態の推移の責任がおしつけられ、男たちは自己総括のための何の努力もしないという結果にしかならない現実にわたしたちは気づかされていった。告発・糾弾すればするほど、よりいっそう傷つき痛めつけられ、「黙っていた方がよかった」とまで女たちに思わせた、男たちのあの「戦闘性と団結」は一体何だったのか!何を守ろうとしていたのか!なお男たちからの答えはない。
わたしたちは思う。男たちは「組織」の名をもって、「組織」を武器として差別を合理化してきたし、「組織防衛」のたてまえをもって自己保身を図り、差別と闘おうとする女たちをおしつぶす「攻撃性」「戦闘性」を発揮してきたのだと。

性差別が強制した女たちの分断

 第四インターの組織と運動につながってきた女たちは、組織に入らないで組織を支えてきた女たちをも含めて、さまざまな分断の構造の中におかれてきた。
 “第四インターの女”としてわたしたちは、Aさんの告発を受けるまで、女として横につながる場をもってこなかったし、その必要をさほど感じていなかった。わたしたちは、それぞれの機関や単位組織の下にあってそれぞれの任務を担ってきた。その中でわたしたちが差別を実感しなかったわけでは決してないし、組織における「性別役割分担」といえる壁は、常にわたしたちの前にあった。その中でわたしたちは、多く「男並みにガンバること」「政治的に自立すること」が差別を「自力」で突破する道だと自分に言いきかせてきたし、そのような自分にたいする「納得」のさせ方をつうじて、性差別構造の下に組み込まれていたのだと思う。
 組織活動における「性別役割分担」の厳然たる存在の一方で、「第四インターの女」としてのわたしたちは「女を超越した活動家」であることをも求められてきた。わたしたちは組織内では、「性別役割分担」の枠を決してこえない構造の中で男たちと機関が必要と考えるそれそれの役割の中に位置づけられていたが、共青同の女性たちや社会主義婦人会議の女性たち、そして組織に入らないで組織を支えてきた女性たちとの関係では「組織」の側にたっている存在、その意味で「抑圧」的な存在としてあっただろうと思う。
 それを一番体現したのが「機関活動の中にいる女」だった。「組織内女性差別問題」のとりくみの過程で、当初「機関活動の中にいる女」はさまざまの度合いで「組織防衛」の要素を体現した。しかし、「告発者防衛」と「組織・機関防衛」がこの組織の現状の中では両立しないという動かしがたい現実をつきつけられるなかで、「自分のこれまでの生き方」が差別され抑圧された性である自らの解放に本当につながっているのか……と、問いなおされざるをえなかった。
 第四インターの組織と運動の中で、一人の女が選択した生き方が、別な生き方を選択した女との関係で、男たちと組織によって抑圧と分断の手段に使われてきたことに、わたしたちは気づかされてきた。自分の生き方が他の女の生き方やありようの否定のための道具にされていたこと、そして、どちらの立場に立たされたとしても、性差別構造が強制する女の役割の中に位置づけられ、決してそこから「解放」されていたわけではないわたしたちの現実に気づかされてきた、その中で、わたしの(女たちの)生き方が本当にわたしの〈女たちの)解放につながっていくためには、性差別が強制する分断をはねかえす女たち相互の関係をつくっていく以外にない、そこにしかよりどころはないということにも気づいたのだった。
 それぞれがどの役割を担わされようとも、女たちはそれぞれに受けた痛みを自己の「弱さ」や忍従に転嫁することによって、性差別構造の下でそれを受容し、あるいは屈服し、あるいは加担して組織の一員でありつづけてきた。そのわたしたち自身のありよう、女同士の相互関係のありようをつきあわせ、分断のしくみを対象化し、本当に信頼しあえる関係としての「女の団結」をめざすこと、女たち相互の複雑で重層的な分断を、性差別が強制した分断としてとらえかえすこと、それが、わたしたち女にとっての「組織内女性差別問題」の総括と克服のための闘いであると、わたしたちは考えている。

同盟の今日の現実とわたしたちの決断

 今年二月、同盟は第十三回全国大会を開催した。「世界革命」九八六号に掲載された「第十三回全国大会コミュニケ」は、同盟内部で「この二年間を通していくつかの重大な対立が明らかとな」り、「第十三回全国大会は、分派闘争、路線論争を通してわが同盟の再建―前衛党への挑戦をおしすすめていくことを確認した」と述べている。コミュニケが言うこの二年間の男たちの分派闘争の過程は、女たちがぶつかり苦闘してきた組織の現実を凝縮して再現するものであったと、わたしたちは認識している。男たちの路線論争が「組織内女性差別問題」の深刻な総括をめぐって始められたものでないことは、組織の誰もが否定しえない事実である。男たちの分派闘争は、その契機においても内容においても、組織の性差別構造のうえに、それに依拠して展開されているものとしか思えない。わたしたちはこの二年間の男たちの分派闘争を通して、「組織内女性差別問題」のとりくみの過程が一貫して“女の苦闘のカラ回り”でしかなかったことを政めて思い知らされたのであった。
 その中で、男たちは同盟十三回大会にむかって「組織内女性差別問題」の総括を彼らの論争の一つの柱にした。「組織内女性差別問題」の総括が深刻な分派闘争を必然化させたのではなく、分派闘争のために「組織内女性差別問題」の総括が論争材料とされたのである。それぞれの分派が論じはじめた「組織内女性差別問題」をめぐる論争は、「誰が」「何のために」「誰にむかって」総括し、議論しようとしているのかという前提のところで、わたしたちの立場とはまったくちがったものであった。
 五年間の「組織内女性差別問題」のとりくみの経過から導き出されるのは“女も男もない”組織として一つの総括を持つことができないという組織の現状についての結論であった。わたしたちは、主語が男なのか、女なのか、対象が男なのか、女なのかによって、語る内容が違うし、違うところからしか始まらないというのが、この五年間の経過が示した現実であると認識するし、その認識から出発する。女は女の、男は男の立場から総括しきってみようとする以外にリアルな総括を導き出すことはできないし、そのうえで再びスクラムを組むことができるかどうかを確かめあう以外にない、とわたしたちは考える。男たちの分派が提起する総括が、“男が男にむかって”「差別する側」の自己対象化をかけて提起する総括であるならば、それはそれで検証しあってみればいいと思うし、それが彼らの分派闘争の重要な一部であろうとなかろうと、わたしたちの関知するところではない。しかし、彼らの総括が“女も男もない”「同盟」を主語として展開され、“これがおまえたちも共有すべき総括である”といわれることに、わたしたちはがまんできないし、この五年を経てもなおそう言える感覚こそ「組織内女性差別問題」を構造的に生み出した組織のあり方の下での感覚なのだと言わざるをえない。
 わたしたちは、今日展開されている男たちの分派闘争に関与し、それを積極的におしすすめていけば、そこから「組織内女性差別関題」克服の土台がかちとれるとは考えることができない。むしろその枠組みからとどう独立できるのかこそ問題であると思う。
 わたしたちはそれぞれの契機において第四インターを選択し、社会主義革命の実現をめざして自らの生を生きることを選択した。わたしたちはその思いを放棄しないでこれからも生き続けたいと思う。分派主導型の現状の同盟の中で、わたしたちがどう革命=人間の解放をめざそうとした自分の思いを放棄しないで生き続けることができるのだろうか。その条件を考え、つくりだそうとしなければならないのは、まずもって男の側であり、機関の側であり、分派を名乗る人々の側で本当はあるはずだと思う。ただわたしたちは、それを待ち望みジッと耐えているうちにジワジワとエネルキーを摩滅させられていくことをこれ以上くり返したくない。わたしたちは「何よりもまず女たちのものである」社会主義のために、“女たちの団結と運動”を一歩一歩前進させていく道を採っていきたいと思う。現状の同盟の女たちのすべてが、そのような方向を歩むことで一致するわけではないことを承知の上で、わたしたちはいま共に共通の認識を確認できる女たちから、すべての女たちに呼びかける立場を堅持しつつ、わたしたちの歩みをソロソロと開始していきたいと思う。
 わたしたちは、第十三回全国大会にむかう組織の現実を通して、「第四インター・女性解放グループ」としてわたしたちの歩みを開始することを決断した。

“女たちの団結と運動”の前進をめざして

 差別は階級支配の手段として支配階級によって活かされ、強化されているが、差別を機能させる意識や回路は“社会的にわけもたれてきた共同規範”の中にある。つまりそれは、差別される側にもわかちもたれていることを意味する。それゆえ、差別との闘いの困難さは、差別された側が自らもまたわかちもたされてきた共同規範を否定し、それに立ちむかわなければならないところから生み出される。差別の告発をつうじて、受けた打撃からの「自己回復」をはかろうとする女たちの闘いは、自らもまたわかちもたされてきた社会的共同規範から身をひきはがそうとする苦闘を伴ってしか実現されえない。その苦闘は、自分のアイデンティティーを改めてどこに求めるのかという模索をも要求するものになる。
 わたしたち、第四インターの女たちが“わかちもたされてきた共同規範”とは、第四インター日本支部という集団を形成してきた思想と論理―性差別主義につらぬかれた「男たちのマルクス主義」と「男たちの組織の論理」―であった。わたしたちは、“わかちもたされてきた共同規範”から身をひきはがし、第四インターを選択してきた一人ひとりの思いを放棄せずに、わたしたちのアイデンティティーを新たにつくりだそうとする模索を「わたしたちの組織活動」=第四インター・女性解放グループの闘いとして踏み出そうとする。
 わたしたちは、わたしたち自身がかかえている「性差別が強制する女の分断」の深刻さをこえることのできる立場と方法論をわたしたちのものにしたいと思う。性差別主義・男主義の思想と方法から独立したわたしたちの思想的基軸、人と人との関係のつくり方や集団形成の方法論を獲得する闘いに挑戦しようと思う。
自分たちの世界観、価値観であったものを「組織内女性差別問題」の中で気づいてきたことにこだわって再構成してみようとするわたしたちが、いま持っている共通のテーマは「社会主義とフェミニズム」である。一九六〇年代後半から始まった世界的な女性解放闘争が追求してきた、女性への差別・抑圧からの解放をめざす運動と思想、今日フェミニズムと総称されているその蓄積を追体験し、対象化しながら、わたしたちの体系をつくっていきたいと考えている。
 目標のために手段を従属させることは、男の手による革命と運動が女にたいして行ったことである。わたしたちにとって今や解放の手段が目標と同じように重要である。いかにしてそこに到るかという手段は、わたしたちがつくろうとする新しい社会の基礎となる。わたしたちは手段としての組織を否定しないし、「社会主義とフェミニズム」の思想を体現する組織と運動をつくっていこうとする。
 組織は思想のめざすものの現在的な自己表現であるだろうし、思想の内実を体現するものであるだろう。わたしたちはあらかじめのモデルを持っていない。運動体としてのリブがぶつかった問題、リブ以降の女性たちが模索し続けている問題を共有化しなから。試行錯誤をおそれずすすんでいきたいと思う。
 わたしたちは「組織内女性差別問題」の過程をとおして男の男主義を見ぬく力を少しずつ身につけてきた。だが、自分自身も含めて、女が強制されてきた「男主義」の方法論は見えにくい。その点を払拭する闘いに意識的であらんと心に決めて、わたしたちの闘いをすすめていこうと思う。
 全民労協体制の本格的確立という今の時代の中でそこに対抗する運動とエネルギーを多くの女性たちとのつながりの中からつかみとっていきたいこと思う。
 組織を去った多くの女たち!
 わたしたちは、ともに歩みたい女たちの多くが今はこの組織を去っている事実を口惜しく、そして申し訳なく思う。わたしたちはあなたたちと再び出会える日をつくっていきたいと思う。
 そして、ともに五年間苦闘してきた社会主義婦人会議の女たち、共青同の女たち!
 わたしは、男たちによって分断されたお互いの関係をこえて、真に対等に結びあえる関係を、あなたたちとともにつくりだしていきたいと思う。
わたしたちはこの五年間、多くの女たちから本当に暖かい励ましを受けてきた。彼女たちは他人ごとではなく、自分たちの問題としてともに考え、同じ痛みを持つ女として、わたしたちを対等に受け入れてくれた。時として、組織=権威の側からの対応の粋を抜けきれないわたしたちの未熟さを引き受け、対等につきあおうとしてくれた。彼女たちへの“お返し”をするためにも、わたしたちは、わたしたちの一歩を踏みだしていこうと思う。

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