日本共産青年同盟機関誌「青年戦線」第7号より無断転載。情勢の変化により解説内容がかならずしもそのまま現在も通用するかどうかはわかりません。文章内容についての質問などは新時代社「かけはし」編集部の方へお願いします。
「空想から科学へ」という題で知られているエンゲルスの有名な小冊子は、もともと独立の著作として書かれたものではない。本書は、エンゲルスが一八七八年に書いた「反デューリング論」のなかから、フランスの社会主義者ポール・ラファルグの求めに応じて、三つの章を抜すいして作ったパンフレットであり、一八八〇年にフランス語訳ではじめて出版された。
ラファルグの意図は、フランスの労働者階級のなかにマルクス主義理論のわかりやすい啓蒙書を普及させることにあったのであり、その目的からみても本書はマルクス主義の核心の最も結論的な部分を簡明に叙述した入門書としての意義をもっている。「反デューリング論」それ自身については、マルクス主義理論を学習する上できわめて重要な書物であり、ぜひ一読されることを要望するが、ここではその背景等についてはとりあげない。ただそれが、結成間もないドイツ社会民主党に流入した、観念的小ブル空想社会主義の傾向への断固たる批判の書であり、ドイツ社民党を階級的に打ちきたえるうえで決定的な役割を果したことについてのみ付言しておきたい。
社会主義とは何か、というきわめて初歩的かつ原則的な問題について、ブルジョアイデオロギーと公認の左翼指導部が、労働者人民のあいだに様ざまの中傷と混乱を巻きおこしているなかで、資本主義社会の危機とその矛盾にたいして率直な闘いを開始しはじめている多くの若い仲間たちを革命の戦列に獲得しようとするとき、本書は格好の教科書になるだろう。
「近代社会主義はその内容からいえばまず第一には、一方では今日の社会にひろく存在している有産者と無産者、資本家と賃労働者との階級対立を、他方では生産のなかにひろく存在している無政府状態を監察したところからうまれたものである」
エンゲルスは、本パンフの冒頭をこのような文章ではじめている。中世において都市の商工業が栄え、ブルジョアジーと近代プロレタリアートの祖先たちが、貴族階級の支配に代表される封建的社会関係にたいする最初の闘いを開始したとき、すでに資本主義社会を二分する階級闘争の萌芽を内包しながらそれは展開されたのであった。いわゆる市民革命は、封建的貴族階級にたいするブルジョアジーの勝利を意味したが、この革命を最深部で支え、急進的に推進していったのは近代プロレタリアートの先駆ともいえる都市や農村の下層貧民たちであった。
彼らは自らの理想を、平等で自由で、搾取のない共産主義的ユートピアに託して表現した。一六世紀にあらわされた、トマス・モアの「ユートピア」、カンパネッラの「太陽の都」などがそれである。
資本主義的生産関係が全社会をとらえ、商品流通の網の目が地域的閉鎖性を破壊し、産業革命をとおした機会制大工業がそれまでの生産力水準からの天文学的飛躍を達成し、産業プロレタリアートの大軍がうみ出されたとき、資本の驚異的な集積の対極に、貧困と悲惨と無知を、発見した人びとは、この矛盾を克服するための様ざまの処方せんを書きはじめた。
サン・シモン、フーリエ、ロバート・オーウェンなどの空想的社会主義者といわれる人びとがそれであった。しかし、彼らは、自分たちの矛盾の解決策=社会主義の実現を、彼らの頭の中で考え出された理想、絶対的真理の達成としか考えられなかった。
「社会主義は、これらすべての人たちにとっては絶対的な真理と理性と正義との表現であって、それが発見されさえすれば、それ自身の力で世界を征服することのできるものなのである。絶対的な真理は時間や、空間や、人間の歴史的発展とはかかわりのないもであるから、それがいつどこで発見されるかはまったくの偶然でしかない」(本書)
社会主義を、科学として、歴史的必然としてとらえかえすためには、その理論を観念のなかで描かれた図式としてではなく、現実の社会的諸関係の基礎のうえに据えなおす必要があった。まさに社会主義を、資本主義の発展が生み出す生産力の増大と、その私的所有関係の枠との衝突、プロレタリアートの強大な階級形成と、資本家との階級闘争の激化という歴史的脈絡のなかに、現実的根拠を見出す必要があったのである。
「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意志から独立した諸関係をとりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構をかたちづくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。……社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。このとき社会革命の時期がはじまるのである。」(マルクス「経済学批判」序言)
マルクスによって約言された、この唯物史観の基本命題は、資本主義社会の運動法則の解明によって果たされたものであり、それは社会主義を観念の場から、科学へと移し、プロレタリアートの革命運動の歴史的必然性を立証する武器となっていったのである。
科学的社会主義のマルクスによる確立は、自然や社会を静態的にばらばらにとらえる形而上学的観念と訣別し、それらを運動と変化において、また相互の関連において全体的にとらえようとする弁証法的思考を前提としていた。
ドイツ観念論の最高峰たるヘーゲルは、自然、歴史、精神の全世界を、不断の変動と連関のうちにとらえようとしたが彼にとっては、その思想が現実の事物や過程の反映としてはとらえらず、逆に現実の事物の発展と変化が絶対的な「理念」の自己運動の模写として考えられてしまったのである。
弁証法的唯物論はこのヘーゲル的転倒を逆転させた。世界の本質はみずから運動し発展する物質であり、意識はその一つの発展段階としての特定の有機的物質(頭脳)の所産であって、認識とは人間の実践を介しての物質の多少とも忠実な模写の過程に他ならない。すなわち、意識がまずあって、自然や社会が二次的に存在するのではなく、自然や社会などの物質的運動に規定されて意識が形成されるのである。
この唯一の合理的認識論の確立は、近代における自然科学の発見と軌を一にして進んだ。とりわけ、ダーウィンの生物進化論は、世界を神の秩序によって定められた不変のものとする形而上学的観念論に鉄槌を下したのである。
弁証法的唯物論が、プロレタリアートの変革の武器であるゆえんは、資本主義社会の矛盾の解明とその解決の条件を、資本主義の発展そのもののなかに、プロレタリアートの主体的実践をとおした自己止揚として準備しつつあることを把握させたことにある。宗教は、現実社会の悩みや苦しみの解決を現実社会の変革によってなしとげようとするのではなく、現実に目をそむけさせ、人民大衆に来世での救済を信じこませようとする点で反動的なのである。宗教は社会的矛盾の変革を、個人の意識の変革にすりかえることによって支配階級の意向に沿うものとなってしまう。ところが、わが日本共産党の宮本委員長は、共産主義社会においても宗教は必要である、と述べたて、唯物論と宗教を密通させ、官僚的支配の絶好の相棒として宗教をおだてあげはじめた。もちろん、こんなことはプロレタリアートの宗教にたいする階級的立場とは一切無縁である。
また弁証法的唯物論――唯物史観は、人間の目的意識的な、社会的実践をぬきにした機械的必然論とも無縁である。
かつて、筆者は、大学に入って新左翼活動家になりたての当時、民青系の自治会委員長に、「民主化、民主化っていうけれど帝国主義を民主化すれば、社会主義になるのかい」と議論をふっかけたところ、彼に、「バカ、量が質に転化するっていう弁証法の基本を知らないのか」といわれ、何が何だか分からずに引きさがった経験があるが、これは「社会主義革命が労働者階級の意識的事業としてのみ可能である」ということを無視した、ムチャクチャ「弁証法」であることは言うまでもない。
生産を基底とする人類の歴史の発展は、原始共産制から、奴隷制、封建制を経て資本主義社会をうみ出した。ロシア革命の勝利以後、世界史は資本主義の危機、終末と、社会主義の勝利にむけた過渡期に突入している。マルクス・エンゲルスの時代には未だ現実化していなかった社会主義社会の全世界的達成が、今やそれなくしては人類の歴史を野蛮に逆行させかねないほどの重みをもってわれわれの前に課せられている。
「必然の王国から、自由の王国へ!」
「人間がついに自分自身の社会的結合の主人となり、同時に自然の主人、自分の自身の主人になること――つまり自由になること」にむけて、革命的実践を開始することを全ての青年に呼びかげようではないか。これが本書の結論である。
|