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なお、この文章は書記長まっぺんがかつて活動にかかわっていた時代のやや古い感覚に基づいて書かれております。したがって文書内容には現在では通用しない概念も含まれるかもしれません。また、現在のトロツキズムの公式見解とは異なっているかもしれません。それは今後、まっぺんがお勉強によって克服してゆくべき課題です。文責は全面的にまっぺんにあります。


現代世界はどうなっているか

●資本主義が生み出した巨大な物質文明の功と罪
 いまから400年ほどに前に出発した資本主義経済は、労働の組織化、産業革命などによって、それまでには考えられなかったほど巨大で組織的で集中的な生産と流通のシステムを創り出しました。政治的分野においては、自由思想にもとづく市民意識の普及は、ブルジョア市民の革命運動を盛んにし、革命を通して身分制度の廃止を実現し、自由で平等な経済活動の権利を保証することによって経済発展を促進する力となりました。そして、かつては地域ごとに分散されていた経済活動は全国的に結びついて国家規模の経済活動へと発展し、さらに小国家同士の統合・吸収などによる強大な近代国家群の形成も又、生産力の発展に貢献しました。こうした発展の後に巨大な物質文明を創出した現代資本主義世界は、すでに全人類をやしなうのに充分なだけの豊かな生産諸力を保持しています。
 しかし、人類はこの資本主義世界によって充分に養なわれているのでしょうか。答えは「ノー」です。人々のあいだに重大な貧富の差が存在するばかりでなく国家間においても巨大な経済格差が存在し続けているからです。たとえば有名人ビル・ゲイツひとりの個人資産額でさえ低開発諸国の貧しい人々10億人分の年収に相当します。最早その差は「勤勉な者が多く収穫し、なまけ者の収穫は少ない」程度の差とはいえません。国家予算にも匹敵するほどの資産をもつ何百人かの富豪が存在する一方で、毎日何千人もの乳幼児が貧困と飢餓のために死んでいくのです。

●経済格差が資本主義社会を発展させてきた
 このような経済格差の理由はあきらかです。資本主義はその発展過程において新しい階級を創り出してゆきました。すなわち資本家階級=ブルジョアジーと労働者階級=プロレタリアートです。時代が進み経済が発展するにつれ、この階級分化も又ますます進展していったのです。資本家は資本を提供し労働を組織することによって労働者の労働の成果を搾取し続け、自分のものとしてこれを蓄積してゆきます。その搾取の形態が合理的であるほど、労働者の人数が多いほど、生産物が多いほど、搾取は効率よくおこなわれ、こうして富が一方的に資本家階級の側に集中してゆくことによって、貧富の差は広がってゆきます。また、国家間においても同じことがおこなわれています。持てる国家は持たざる国家を資本の投下という手段によって収奪し続けているのです。資本主義社会はこのように経済格差を不断に生み出してゆく社会なのです。

●国家間経済格差は解消するか
 このような恐るべき巨大な経済的不公平は、やがて文明の発展とともに解消していくのでしょうか。教育の普及と国民の勤勉さと外国資本の導入とによって、やがて世界の低開発国が次々と先進国の仲間入りをするのでしょうか。残念ながらそれは不可能です。なぜなら資本主義経済は経済格差をたくみに利用した競争によって発展してきたからです。競争に勝つためにはコストを下げなくてはなりません。先進国の資本家は低コストで従順な労働力を求めています。したがって低開発国が外国資本を導入するためには、なるべく低賃金で保険や年金も無く労働争議もない労働力を提供しなければなりません。つまり「国家」の発展のために「国民」を犠牲にしなければならないのです。しかも、少しばかり経済が上昇し、いよいよこれから本格的な発展をむかえようという時になると金融操作による為替相場の変動などによって国家経済が破綻に見舞われるケースが、ことにアジア諸国などで続いています。実は一方での経済破綻は他方で投資家の利益に結びついているのです。つまりこれは巧妙な「仕掛けられたワナ」と言えます。もはや現代資本主義社会にあっては後進諸国は「明治維新国家・日本」のような「奇跡の成長」を期待する事はできないのです(日本の発展については近隣諸国の侵略と収奪のうえに成り立ったことを忘れるべきではありません)。低開発諸国に資本を投下し、その国のわずかな経済発展を利用して先進諸国は莫大な利益をあげています。こうした形で先進諸国は今も低開発国の労働の成果を収奪し続けているのです。したがって経済格差は解消しません。それどころか日々その格差は拡がっているのです。これを「新植民地主義」と呼び、先進諸国を「帝国主義」とよびます。

●国際的バブル経済の行き着く先は世界経済の破滅
 莫大な金融資本が世界中を飛び交い、各国証券取引所を通じて株券や外国為替などの金融商品として流通しています。投資家たちはこれらの資金を集中的に運用する事で株価を高騰させたり下落させたりして、その差益の獲得に血まなこになっています。こうした「マネーゲーム」の結果、一夜にして個人を億万長者にしたり、一週間で国家経済を破綻させる事態が発生しています。しかし、実はこれらの資金のほとんどは実際の商品生産物の裏付けのない「バブルマネー」なのです。1990年頃、世界の年間金融取引額は生産物取引額のおよそ60倍でした。つまり本物のりんごが1個しかないのに60枚の「りんご商品券」が発行され売買されているようなものです。現在ではその格差は100倍を超えています。これらの膨大なバブルマネーが世界中の投資家達それぞれのばらばらな思惑にそった投機活動によって運用された結果、世界経済は不安定となり、各所で麻痺し、数々の混乱と悲劇を繰り返し、大量の経営破綻と失業とをきたしています。もはやケインズの経済理論も通用しません。IMFや世界銀行による解決案も、結局は労働者の犠牲を前提にした短期的なものであり、しかも有効であるとはいえません。あまりにも膨れ上がりすぎた世界経済を確実に制御する有効な手だてはないのです。1929年に起こったような世界恐慌がいつ突然にやって来るか、或いはそれを止めることができるのか、だれも予想する事はできません。この経済的無秩序状態を解決する手段を資本主義経済は持っていないのです。

●資本主義社会には地球環境の破壊をとめられない
 資本主義経済がおよぼす影響はもはや人類社会だけではありません。産業の発展に大きく寄与し続けてきた動力源である電気(発電)、内燃機関などが膨大な化石燃料(石油・天然ガスなど)の消費によって何億トンもの炭酸ガスを放出し続けた結果、地球温暖化をきたし、気候の異常を起こしている事が明らかとなっています。また、産業が生み出してきたさまざまな化学物質が液体・気体・固体の形で大量に焼却・放出あるいは投棄された結果、自然の中で環境ホルモンや劇毒物や酸性雨となって、あらゆる山野・都市・海・空を汚染しています。この汚染された世界で生態系そのものが変化しはじめ、砂漠化は一層すすみ、多くの動植物もまた滅亡の淵に追いやられています。地球の危機を訴える心ある科学者やエコロジスト達も利己的な産業界による利益優先の思惑に満ちた妨害やサボタージュの前に有効な手段を打てず、環境問題の解決は先送りになるばかりです。政府間国際会議においても、各国それぞれの思惑が根本的解決を妨げています。これまでの合意事項も汚染物質の除去に至ってはいません。ただ年間の放出量の増加割合を緩和するだけであって、放出量は年々増加しているのです。
 解決する方法は見えているのです。天然ガスやエタノール燃料の効率的運用や、長大で無駄な送電線の廃止とコジェネレーションシステム、太陽光や風力・潮力エネルギーの使用など、様々なエコロジカルな提案がされています。しかし、それは資本の論理とぶつかるのです。投下した資本を利益という形で回収できないかぎり、資本家はエコロジー問題に真剣に取り組もうとはしません。これでは環境破壊のスピードに追いつくことはできません。このまま資本主義社会にまかせておいたら地球環境はとりかえしのつかない状態に落ち込んで行くでしょう。

●社会主義的解決だけが人類と地球を救うことができる
 地域、地方、国家、そして世界、様々な領域のなかで資本主義が採用する論理はただひとつ「自己の利益」だけです。この、あからさまで利己的な論理は資本主義発達の初期段階においては経済発展に大きく貢献してきました。しかし、それが国境の壁を越えた時、帝国主義同士の戦争の時代へと突入していきました。多くの人民が「国家のため」という名目で何の恨みもない他国の人民と殺し合う時代になったのです。さらに時代はくだり、企業は国籍そのものを捨て始めました。グローバリゼーションの時代のはじまりです。もはやこの時代にあっては利己的な企業の論理は、ただこの世界を混乱させ、次々と悲惨で不幸な事態を招くばかりであり、社会の発展にとってはむしろ障害となっているのは明らかです。バブル的金融資本主義は人類全体をますます悲惨な末路に追い込んでゆく事でしょう。
 この経済的無秩序状態は資本家階級には解決できません。自己の企業・グループの利益のみからしか展望できない資本家達には経済全体に秩序を与える能力はないのです。これを解決できるのは全産業にわたって実際にかかわり、利害を共有することのできる労働者階級だけです。全産業の労働者が階級的に団結して経済活動全般を展望し、この不自然で投機的な「マネーゲーム」を廃止し、必要な産業に必要なだけの資本の投資をすることで膨大な金融資本のムダを除去するべきです。また、各地域の産業・工場から中央へ代表を派遣し、そこで経済計画を立てることで、もっとも効率の良い全国的生産活動を計画的に実施してゆくべきです。さらにそれらの生産計画はアジア各国からの産業の代表とともに対等な立場で生産計画を討議し、アジア規模での合同計画経済として遂行してゆくことで、現在よりもはるかに環境破壊が少なく、安全で公平な社会を築くことができるでしょう。社会主義的国際合同計画経済だけが地球と人類を救うことができるのです。

●階級史観はもう時代遅れなのだろうか
 「しかし社会主義はもう時代遅れなのではないだろうか」…そんな声が聞こえます。ソ連・東欧の社会主義政権がことごとく崩壊してしまった今日、社会主義についての展望がおおきく後退し、多くの人々が社会主義に失望しました。この新たな国際環境は日本国内の政治状況にも大きな影響をあたえています。戦闘的・階級的な労働者の多くが希望を失い、労働運動は沈静化し右からの再編が進んでいます。こうした現状は政界にも反映し、社会党は階級政党としての信念を捨て、名も「社民党」に変え、民主党の提灯もちとしてリベラル保守の道を歩もうとしています。もはや共産党とわずかな少数政党以外、日本のどこにも革新勢力はみあたりません。かれらが異口同音に語るのは「もはや階級史観は古い、社会主義は歴史的に過去のもの」という言葉です。
 本当にそうなのでしょうか?それではこれまで資本主義社会によって生み出され、またそれを発展させてきた2つの階級、資本家階級と労働者階級とが消滅してしまったというのでしょうか?それとも2つの階級が互いに和解したのでしょうか?そんな話は聞いたこともありません。首切り・失業は増大し労働者の生活不安はいっそうつのるばかりです。どこの企業でも労働者の犠牲の上に経済たてなおしを図ろうとしています。階級は和解したのでも消滅したのでもありません。ただ労働者階級の側が大きく敗北し、資本側の攻勢に屈したのです。

●社会主義は資本主義に負けたのだろうか
 また、次のような言葉も耳にします……「ソ連・東欧の崩壊は、競争原理による資本主義経済のほうが平等原理にもとづく社会主義経済より優れている事を証明したのである」と。それも事実とはいえません。なぜならば社会主義経済は資本主義経済の発展のうえに築かれる経済であり、いまだ世界のどこにも「社会主義経済」を建設した地域は存在しないからです。ただ部分的に計画経済と市場経済とを組み合わせながら社会主義へむかう「過渡期社会」の建設にチャレンジしている労働者国家が存在していたにすぎません。
 しかもそれらの国々の経済活動は、外部からは巨大な資本力を背景にしたアメリカを筆頭に、帝国主義諸国の敵意に満ちた意図的な経済妨害活動のなかにあり、内部ではスターリン主義官僚支配下の非能率的で非民主的な政治・経済体制のもとでおこなわれて来たため生産効率の停滞、国民の生産意欲の低下をきたし、結果として国家経済の破綻、国民生活水準の低下をきたしてしまったのです。スターリン提唱の一国社会主義建設、共産党一党独裁と民主主義の欠如、政治弾圧、急進的で極端な工業化計画や集団農場政策など、とても社会主義経済の優劣を評価できるようなものではありません。

●資本主義の改良では何も解決できない
 日本共産党は現在、日本に議席をもつ政党では唯一の共産主義政党ですが、その政府案は「よりましな政府」という表現にもあるように資本主義体制そのものには手をつけずにただ改良するだけで問題を解決しようというものです。しかし、資本主義経済は国家ごとに独立して成立しているわけではありません。現代ではそれは国境を超えた国際金融システムによって支配されているのです。アメリカの金融資本が膨大なファンド・マネーを使ってタイ・バーツ相場に介入した結果、タイの国家経済が破綻したのは記憶に新しいことです。もしも日本共産党首班による内閣が実現した場合、帝国主義諸国の金融資本は、直ちに一斉に日本経済に介入してくるでしょう。共産党内閣をつぶすために膨大な金融資本が円売りに投入され、日本経済を根底から叩きのめそうとするでしょう。資本主義を改良的に運用していては決してこれに対抗できません。金融も含めた社会総資本の再編成と労働者階級の団結にもとづいて新しい経済プランを立案し実行していくべきです。社会主義をめざす過渡的経済プランの実施だけが、金融資本の攻勢に立ち向かい、資本主義の危機を克服できるのです。

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