まっぺんさん。反論してよろしいでしょうか? 麻生英人 - 07/1/25(木) 3:05
 戸田さんの文章とまっぺんさんの文章双方を、飛び飛びですが、一通り読みました。私にとっては膨大な量なので、すべて記憶し理解している訳でもなく、また、肝心のサイバーアクションも宮崎学氏に関する指摘されている2冊の本も読んでいません。調査の無いところに発言権なしという観点に立てば、余計な口出しはするなと叱責されれば、引き下がらざるを得ません。そうした難点を抱えながらも、是非言いたいことがありますが、ご容赦願いますか。
 まず、まっぺんさんの論争スタイルと、その内容にはほぼ異論はありません。また、ネット上の左翼的世論形成において、日夜尽力されていることに対して敬意を表します。まっぺんさんの運営されているサイトなどもたまに見させていただいています。大変な努力です。私は主観的にはネットの大切さを理解しているつもりですが、まっぺんさんや草加さんのような展開ができなくて、忸怩たる思いをしています。
 ところで、私は戸田さんに対しては全幅の信頼を置いている者です。しかし、戸田さんのすべての言動を評価し理解しているわけではありません。この投稿も戸田さんと協議しているものでもなく、戸田さんが不愉快になるものになるかもしれません。
 さて、前置きが長くなりましたが、この論争は大切な内容を提起しているように思います。私には、戸田さんの「権力的なあり方」に対するまっぺんさんの憤りを感じます。今は、押しなべて左翼に対する評判は悪いのですが、60年代後半から70年代において(今日にも継続されていますが)、左翼の多くが、国家権力に対する闘いと同時に、自らの組織や自己の差別性・抑圧性を問う闘いも重ねられていました。在日韓国‐朝鮮人・中国人との共闘において日本人組織・活動家に対する告発や糾弾、これば、部落解放闘争や障害者解放闘争、女性解放闘争内でも、厳しく問われてきました。ここでは、自らの観念的・主観的な反権力意識の内実が問われました。私たちは何をめざすのかと。また、「内ゲバ」は活動する者によそ事ではない問いかけを発してきました。自らの闘いは、また組織は、自己の権力を抑制できるチェック機能があるのかと。新左翼は共産党に対するレーニン復古の意味が大きいと思いますが、前衛党・民主集中制・党の物神化などの問題をどう超え出ることができるのか。党派の活動家やノンセクトラジカルは組織内や自分自身の内部で煩悶してきたと思います。まっぺんさんの議論は、こうした経過を含んでいると感じます。そこで、幅広い統一戦線の認識で、戸田さんに対する敬意や協力を示してきたが、今回の戸田さんの一連の当該提起に、これは基本的に批判点を明確にしなければならない、また、宮崎学問題もあらためて提起し警戒を呼びかけなければならないと、敢えて、火中の栗を拾ったものと考えます。
 さて、私には、戸田さんがまっぺんさんの問題意識をまったく理解できないわからずやとは思っていません。一つは、政治家としての戸田さんが、どういうスタイルで社会的に登場しているのか、と関わってきていると思います。つまり、何を捨象して、何を主要な闘いの軸とするのかということです。絶えず、こうした時代状況だから、ファイティングポーズを示していくという意味です。あるいは、時代認識の差もあるような気もします。「気分はもう戦争」体制の中で、民間反革命(戸田さんの好きそうなことばだなあ)と旗色鮮明に対峙するという思いもあるのかもしれません。時代はすでに「暴力」的になっているのであるから、闘う陣形も、ある種「暴力的対峙も辞さない」強い意志を示すべきだという思いが前に出すぎているのかもしれません。そこで取りこぼすものに目を向けない「左翼」は、同じ轍を踏むと危惧されることでしょう。ただ、戸田さんの「マッチョ的」スタイルが、骨がらみの思想性の表れだと、総否定されないように望むものです。また、私には、こうしたスタイル選択の問題と戸田さんのここでの主観的錯誤が絡んでいるような気がします。今回の経過で、私が最も危惧するものは、戸田さんの社会批評社に対する1月20日付申し入れです。こういうセンスは危険です。私は、困難な政治的立場と資本主義競争の中で出版業を営む小西さんに、出版物に対する規制「要請」(これは、指図という)を絶対にするべきでないと思います。いや、誰であれ、自らを「誹謗中傷」しているからといって、出版規制するのは、自らの見識を問われます。これは、出版物に対する批評・批判の範疇を超えるものと思います。さらに、戸田さんの無自覚ぶりは、組織名を挨拶のつもりで出していることです。戸田さんは、連帯労組の近畿地本委員長であることに、自覚的であるべきです。戸田さんの背後に、連帯労組の組織力やある種の闘う労組の権威性・威力が、他者を威圧することに自覚的であらねばなりません。闘う仲間であり、共に「労働運動再生の地鳴りが聞こえる」を出版された小西さんにお詫びするものです。
 しかし、大きな矛盾を抱える戸田さんであっても、戸田さんの長所は、懲りずに闘うということ、話し合えば必ず分かり合えるということです。議員は、私たちの政治的意思を示す権力に対する橋頭堡の意味を持つように思います。ここに特権はありませんが、活用する意味は大きいと思います。私には、戸田さんとまっぺんさんの論争を止める意志も権限もありません。明らかにすべきはした方がよいとも思います。但し、闘う陣形の内部矛盾としての対し方をお願いします。お互い、激して、言う必要のないことまで言うことはないと思います。冷静なまっぺんさんが「頭が悪い」などと戸田さんを非難するのは、らしくない非難だと思います。頭の良し悪しの問題ではなく、一つの主観的認識が固定化される場合、往々にしてありうる状態のことではないのでしょうか。戸田さんはいわずもがなかな。闘う陣形の内部矛盾としての論争スタイルを作ってください。戸田さんは、誤解的表現かもしれませんが、左翼的倫理性や潔癖性を低く評価するつもりはないとは思いますが、左翼戦線に無頼的な活力こそ必要と感じており、ここもすれ違う論点だと思います。しかし、宮崎学問題は置きます。中途半端ですいません。
 随分長いものになってしましました。最後に蛇足ですが、まっぺんさんに一言。まっぺんさんの自己規定で、今は自分は活動の場にいないが云々とありました。こういうことは言う必要の無いことではないでしょうか。活動家が偉いわけは無く、主体的条件と客観的条件があうかあわないかの問題と理解します。まっぺんさんは、ネット上の世論形成に尽力されておられるわけですし、自分の持ち場でできることをやるでよいではありませんか。私も戸田さんも新左翼の活動家もまっぺんさんも等価値である。活動家が活動していない人々に向かって、だから文句言うなと言えば、その時点で、左翼は倫理的に崩壊しています。活動家を増長させてはなりません。ま、まっぺんさんは謙遜で言っておられるでしょうから、蛇足といえば蛇足になります。ただ、誤解する向きもありますので。
 最後に、まっぺんさんの健筆を期待します。また、戸田さんへは、1月以降の7年前の事態に対する分析「労力」は、果たして、戸田さんを取り巻く政治状況の中にあって、最優先すべき課題であったのでしょうか。限られた力の中で、時と所をわきまえた課題設定をお願いします。この論争が実りあることを祈念します。