補2) 一致点を拡大し、違いは時間をかけて 麻生英人 - 07/2/24(土) 17:48

 時間に追いかけられるような気持ちで余裕が無く、様々な見解表明や提起に即応できないことをお詫びします。

 さて、今回事態の発端であった1月2日以降の戸田さんの膨大な書き込みについて、戸田さん自らが、別の提起の仕方があったかもしれないと述べられている点は、画期的だと思います。私は、サイバーアクション補章についての内容のあれこれについての批判は自由だと思いますし、意見表明したいと思えばして当然と思います。ただ、方法は考えなければならない。草加さんのご指摘以上に付け加えることはありません。

 また、出版の自由妨害の危険性を考慮して、社会批評社への申し入れを撤回される旨の表明も歓迎するものです。元来、「出版の自由」も含めた「表現の自由」という概念は、国家権力から守られるべき人民の権利であると規定されるものです。しかし、人民内部においても守られなければならない大切な原則と思います。但し、例外として、差別する自由は抑制されると考えます(この兼ね合いと、何を差別とするのかという問題は一様ではないとも考えますが)。

 さらに、サイバーアクション補章及びそれに関するやりとり批判や管理者としての方法論固守については変更無いとの見解でしたが、そのことに対しても、それなりの自己の方法的政治的意図を説明していたと思います。論争過程で、自分の土俵で、従来主張を修正していくことは、なかなか難しいものです。戸田さん批判者には勿論不十分でしょうが、私には勇気ある決断と感じます。但し、始まりの第1歩であるともいえますが。

 そして、それ以外は譲れない、管理者としての管理方法は貫くという点に関しては、私は、すでに言及している様に、原則は管理者の創意工夫の範疇であると考えます。しかしながら、同時に、この論争は、この掲示板だけで展開されていません。ネットというものの優位性だと思いますが、平行して、それぞれの場所で意見が展開されている。そこで、この論争に触発されて、色々な見解が現れたことは評価されるべきでしょう。そこでは、戸田さんが評価を下げる場合もあるでしょうし、反感が組織される場合もある。しかし、見直されることもあります。ネットの可能性・優位性や限界性も議論されたと思いますし、実際としても現れていると思います。多くの場で、戸田さんやまっぺんさんの見解が相対化されることはいいことだと思います。

 現在、戸田さんもまっぺんさんも見解の違いが大きくあります。しかし、双方が相手を重く大切に受け止めざるを得ないと評価しています。譲歩の一歩もあります。その上での批判・反批判であってみれば、後はネット全体で論争すればいいし、両者の距離がもっと縮まれば、同じ土俵で詰めればいいと思います。公開のネット上で、なんだそれだけかとの評価もあれば、そこまで前進したのかとの評価もありえます。

 私は、「事件」が発生すれば、同じ陣営と思われている人々が、反感を募らせ、袂を分かつかもしれない光景に遭遇しました。仕掛けてきた戸田さんが悪いという言い方は成り立ちます。私も当初、何の意図かと訝しく思いました。何故急に宮崎学擁護なのかと、その政治的意図を心配しました(宮崎問題については、後日言及します)。しかし、しばらく論争過程を見て、戸田さんの直球勝負を見て安心しました。他意はないんだと(だからといって、他意が無いことだけですべてが許容されるとは思いませんが)。ここらの機微はなかなか表現しにくいものです。
 戸田さんを悪し様に評したい気持ちは判るような気がします。批判にも理由があります。しかし、同時に、戸田さんの芸風を愛し、大様に見る支持者もいる、あるいは、それなりのネット活用者が掲示板に現れてくるという事実にも目を向けてください。戸田さん支持者=「とんでもない人々」でもないと思いますが。そこから戸田さんを理解する論理の足が伸びる可能性もあるような気がします。
 
 私は、論争の厳しさや論理の力を信じますし、曖昧な解決を拒否しなければならないときは拒否します。ところで、小異を捨て大同につくことは本当に難しい。当事者にとって、小異などないからです。当事者間では大異しかない。私は小さな声で自分自身に言っています。切れないようにしよう、繋いでいこう、今までも、これからも。

 あらためて、戸田さんとまっぺんさんへエールを送ります。