(7) 最後に、関生支部の現状を 麻生英人 - 07/3/14(水) 5:58

 ところで、05年12月の戸田さんへの政治資金規制法違反事件なる国策捜査は、大阪では大々的に報じられ、労働組合と政治家の癒着、ダーティーな金銭の授受等々悪徳政治家としてのイメージ作りに沿うメディア報道が執拗になされました。多くのテレビカメラが集められ、市役所の議会の打合せの場で戸田さんは逮捕されたのです。この時、片方の主役であったのが、生コン経営者に対する威力業務妨害・強要未遂容疑で長期拘留されていた関生支部の武建一執行委員長です。11ヵ月ぶりに保釈される目前に、この事件で再逮捕・長期拘留されたのです。戸田さんと武委員長が保釈されたのは、06年3月です。
 もちろん、戸田さんは全国区ではなく、一地方の一市議会議員なので、大阪の様が全国的に知られているとは思えません。だから、戸田さんの選挙の厳しさは伝わりにくい様な気がします。そして、4月22日の地方選で当選したとしても、4月25日高裁判決です(判決まで、1回の審理しかありませんでした)。一審で、戸田さんは罰金刑と共に、2年間の公民権停止を受けています。議席を失うことも充分あり得ます。こうした状況下にあるというのが戸田さんの現実です。

 この政治資金規制法違反事件の有罪根拠は、一つは戸田さんの記載ミス(報告漏れ)です。裁判官は戸田さんが「忘れていたのではないか(故意ではない)」と言いながら、正確に記載する意思がなかったと認定するのです。「疑わしきは罰する」のです。また、労働組合とは別のカンパを労組の寄付行為、戸田さんへの地本役員の報酬を労組の寄付行為としました。

 ここで、階級的警戒心の問題も出るような気がします。国家権力との攻防をしている以上、細心の対策が問われます。政治弾圧を受けることは栄誉ではありません。誇るものでもなく、なるべく隙を作らないのが原則です。

 しかし、現在の刑法体制の中で、何らかの違法性はつきものです。この間の国策捜査の問題は、可罰的違法性のハードルを大幅に下げてきていることです。この捜査体制では、いかようにも「事実」に基づいて事件を作れます。その上、「人質司法」で、長期拘留が当たり前のように既成事実化されています。違反行為とされている瑕疵に比して、異常に重い公民権停止なのです。

 この問題は、関生支部の武委員長にも当てはまります。
 関生支部は産別労組であり、企業別労働組合とその構成・運動方針が大きく異なります。産業政策という産業構造の民主化をはかる運動を全力で取り組んでいます。独占資本の産業支配に対し、中小企業の協同組合化を通して、中小企業・労働者が抗しうる体制を作っています。生コン業界では、セメントメーカーやゼネコンにイニシアティブを取られるのではなく、中小企業・労働者が生コン価格を決定し、品質管理を担い、賃金・労働条件を決めるのです。中小企業と労働組合は一面闘争・一面共闘による緊張関係を有しますが、独占資本に対する共通の課題があるとします。もちろん、独占資本はその資本の専制支配力によって中小企業を引っ張りますから、まさに独占資本との攻防です。一般的に言われる労使協調とは次元を異にします。産業政策とは、労働者の賃金・労働条件ばかりでなく、労働者の職場環境、産業構造は自らが決める労働者の自己決定権の実現でもあります。

 さて、いずれにしても、今回関生支部弾圧は、こうした産業政策上の運動展開であることは明らかなのに、あたかも、労働組合が生コン業界を不正な意図で牛耳るために仕組んだ暴力行為であるしています。そして、労働運動への刑事事件としては異例な実刑判決を武委員長に課したのです。今年1月の1審判決で、6人の被告の中で、武委員長だけが、懲役1年10ヵ月の実刑判決です。

 さらに、武委員長にはもう一件事件があります。これは、私や関生支部の組合員にとっては理解可能な事件であるのですが、それは仲間内の理解であって、普遍化しにくい内容ではないかと危惧するものです。その件とは、大阪拘置所で発生したとされる贈賄事件です。武委員長が大阪拘置所の刑務官に、便宜供与(規則外の差し入れ)の見返りに、100万円を賄賂として贈ったとされた事件です。06年9月に4度目の逮捕、11月に保釈となりました。武委員長の主張は、当該刑務官が自分の母親の借金返済のために無心したことに対し、同情心で、金を貸したというものです。金銭の授受に争点はないのです。便宜供与はない、金銭の授受は同情による貸し借りであるという主張です。

 この贈収賄事件では、金を無心し違法な便宜供与をしたとされる収賄容疑の刑務官(公務員であり、発端の人物)は執行猶予がつき、同じく彼の関わった別件の贈賄容疑のやくざの幹部も執行猶予でした。そして、武委員長は懲役10ヵ月の実刑だったのです。

 この事件で、武委員長のマスメディアでの叩かれ方は、拘置所内で知り合いのやくざとの交信に便宜をはからってもらったというものです。生コン業界の暴力支配、政治家への不正献金、そして、拘置所での賄賂と至れり尽くせりの豪華版です。まるで、アメリカのマフィアと繋がった労働組合であるかの様な公安権力とメディアの気配りです。

 関生支部の闘争の歴史は、やくざとの闘いの歴史でもあります。関生支部では2名の組合員が、やくざに刺殺されています。そして、いま現在でも、武委員長には身辺の警護がつきます。彼も数度命を狙われ、あわやの場面もあったからです。現在進行形です。

 やくざは、「暴力団」と銘打って「市民社会」に居てはならないものとして、簡単に排除されるものではありません。やくざは、ここで生計を営まざるをえない者がひしめき合って生きる場であり、市民秩序から排斥されてきた者の「犯罪」グループなのです。やくざは両義性を持ちます。被差別者であり、人の生活や生命を傷つけます。その経済活動は、資本制生産様式の矛盾を糧として旺盛に活動します。しかし、主は資本であり、従がやくざです。ゼネコン支配の建設産業では、徹底して労働組合を排除してきた歴史を持ちます。そして、その反映として、必要人員の手配から管理を担ってきたのが、部分的にせよやくざではなかったのでしょうか。利益誘導の政治支配と官僚とゼネコンの談合構造がやくざを呼び込み、ゼネコンを頂点とした差別的な重層的下請構造がやくざの暗躍を許すのです。建設産業では、やくざや企業舎弟が、当たり前の様にいます。中小企業経営者で使い分けるものもいます。関生支部の産業政策は、こうした攻防抜きに語れません。

 こうした歴史と現在を持つ関生支部の委員長が、やくざの同伴者として断罪される国家権力の策謀に大きな怒りを感じます。
 そして、関生支部は治安管理強化の先駆けである暴対法制定に反対しデモした数少ない労組です。これは歴史のアイロニーというべきなのでしょうか。

 さて、しかし、こうした労組の委員長ともあろう者が、国家権力の一員である刑務官に金を貸すなんてことがあり得るのか。政治的な警戒心が皆無ではないか。むしろ、やくざと通底する特殊な労働組合と理解した方が判りやすい云々との声もあろうかと思います。関生支部ではどうか。武委員長は産業政策闘争の産みの親であり、不当労働行為には電撃的反撃を展開し、「他人の痛みは己の痛み」とする関生魂を培ってきた人物です。論理的でありながら、原点は情なのです。彼なら情にほだされて、金を貸すことはありうる、と言うのです。その脇の甘さを指摘されるが、そこがまた武委員長らしいと言うのです。私も含めて、理解が出来てしまう。

 労働運動である抗議行動・説得活動としての威力業務妨害や強要未遂容疑はありうる、労働組合の政治家支援が瑕疵ではめられるのも判る、しかし、拘置所内での贈賄容疑は理解を越えるとの声に、今の私は、仲間内の論理を越えているのか。普遍的言葉足りえているのか。私は、単に信じています、という以上のことを言いえているのかと思います。この間の論争は、私自身の問題でもあったのです。

 こうしたことに言及することが賢明であるかどうか。しかし、関生支部の産業政策の普遍性を多くの労働者や労働組合員に伝えたい。この闘いを展開する関生支部そのものを伝えたいと思っています。そして、今現在、この関生支部の執行委員長が実刑判決を集中されているという状況も知ってほしい。先端的な労働運動の狙い撃ちではないのか、一人関生支部だけの問題ではなく、日本の労働運動総体にかけられた弾圧ではないのかと思っています。関西のローカルな一事象だとは思えないのですが。公安権力は、つい最近も兵庫県警公安1課主導で、関生支部の友好労組書記長を不当逮捕しています。新たな事件捏造も含め、まだまだ予断を許さない状況だと思います。そして、弾圧は弾圧される者がダーティーであるかの装いを必ず伴います。

 最後に、私は、この間の論争とそれに関する様々な議論を見るにつけ、私を例外として、ネットの軽快なフットワークを感じてきました。ネットも両義性があるのでしょうが、その可能性を最大限延ばしていこうとする多くの方々の思いと試みを感じました。

 この投稿がプロパガンダと理解されないことを願うものです。