反論5 「仲間」の差別も自分の差別も直視できない無責任の極み まっぺん

●2ちゃんねらーへの自分の偏見に自分で気づかないとは

 戸田さんの文章を読むとインドの仏教説話を思い出す。昔ある男がある部屋の前を通ったら、中から自分の噂ばなしが聞こえてきた。「あいつは怒りっぽいから…」。それを聞いたおとこは部屋の戸を開けて、青スジを立てて怒鳴った。「オレのどこが怒りっぽいっていうんだ!」

 自分が言っている事がやっている事と違っているのに気づかない。まるで戸田さんのようだ。たしかに戸田さんは「2チャンネル全体が、などとは戸田はもともと思っていない」と書いている。だが実際にはそれを否定するような行動もしているのである。それは若竹さんの事である。「糾弾3」でも書いたが、人権派議員若竹さんを擁護する姿勢は立派である。しかし、若竹さんは自分の掲示板に現れた挑発者たちに憤慨し、彼らを罵倒し、ついには2ちゃんねるにまで乗り込んでいって「2ちゃんねらー」全体を敵視し対戦したのである。その結末はご存じのとおり、2ちゃんねる上での若竹さんのお詫び文の掲載である。
 さて戸田さんはこの時、若竹さんの防衛のために何をしたか? 思い出してみよ。若竹さんといっしょになって、いや、むしろそれ以上に2ちゃんねらーを罵倒してきたのではなかったのか?「いや、自分は2ちゃんねる全体とは思っていない」などという言い訳は通用しない。もしそう思っていなかったのなら、なぜその時、若竹さんをいさめなかったのか? 彼女と一緒になって罵倒しまくっていたではないか。それなら、彼女のお詫び文についても、戸田さんも共同責任を負うべきではないのか! 「擁護する」なら「責任も一緒に」かぶってこそ本物である。イミテーションだけが「あの時は擁護したけど、オレは謝罪にはかんけーないからね」と言い逃れる。威勢の良い罵倒だけは加勢し、旗色が悪くなったら若竹さんひとりに謝らせておいて、自分は関係ないふりをするのか? 若竹さんが2ちゃんねらーに対して謝罪したように、戸田さんも2ちゃんねるへの敵対行動に責任があるはずではないか。

 共同責任は、まだある。「みどりのくつした」氏の投稿である。(「一人では何も言えない馬鹿。」2000/04/24 20:17:08)
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 おいおい、2ちゃんねるが、自慢になる所かよ。勘違いするんじゃない!自分をなにか別の集団の中において、その集団の名前で、発言するとは、チンピラが山口組の名前を使うようなものだ。しかも、2ちゃんねるなんて、今では、オチコボレの集まる、ゴミタメだと、みんなわかってるよ。 雑魚め。
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http://www.hige-toda.com/bbs1/tmp/00/keijiban4.htm
これは「糾弾3」への反論でも挙げてある。本来、「言論の中身」については仲間だろうと敵だろうと、公平に扱うのが管理人の常識なのであるが、戸田さんはそうではない。戸田さんの掲示板ルールでは「仲間・身内は優遇」だそうである。この場合「仲間」に分類される「みどりのくつした」氏のこのような差別的な投稿も、戸田さんは批判もしない。
 誰の投稿も公平に扱う場合には、それぞれの投稿の責任は投稿者にある。しかし「仲間を優遇する」からには、「仲間の言動にも責任を負う」のが当たり前だろう。こういう差別的文章に「共同責任」を負うつもりがあるのかどうか。それとも、そういう「責任問題」になった時たけ「オレ、関係ないから」と逃げるのだろうか?
 それだけではない。戸田さんは直接にも「2ちゃんねらー」一般を侮辱する言葉を吐いているのをわすれたのか? では00年5月16日の「ピカチウ」さんに対する答を見てみるとよい。戸田さんはこう言っている。

>ハイハイ、いかにも2ちゃんねる「論客」らしい書き込みですね。
http://www.hige-toda.com/bbs1/tmp/00/keijiban5.htm

●ネットワーカーへの偏見を居直る戸田さん

井上氏は具体的に戸田さんの差別意識を挙げている。同じ批判はすでに私も「2000年段階で敵味方の状況をビシッと…」への批判の中で明らかにしてきた。ところがそれを全く無視し、次のように居直る。

>こんな連中を事実に即して批判する事のどこが悪いというのか、井上クンは?

 戸田さんは「差別」というもの、そして「差別語」というものの本質が分かっていない。いくら戸田さんが「自分は攻撃者だけを批判しているのだ」と強調してみても、差別語はそれによって苦しめられる全ての人々に対する攻撃の刃となるのだ。例えば戸田さんの敵対者に精神障害者がいたら、「こら、キチガイ」と言うのか? 「こんな連中を事実に即して批判する事のどこが悪い」と言ってみたらどうかね? それは対象者だけではなく同じ障害に苦しむ全ての人々に対する攻撃になるのだ。あなたがネットワーカーの一人に「親のすねかじり」と言えば、それはすべての「すねかじり」への侮蔑的なことばとなるのだ。なぜそれがわからないのか?

 また、これらの人々に「すねかじり」「根性なしサラリーマン」「上司の言いなりにヘコヘコして奴隷残業」などと罵倒するが、彼らが本当にそうであるか、どうやって確かめたのかを聞きたいものである。当然、何か調査機関を通じて批判者たちの身元を調べたわけではあるまい。統計資料を持っているわけでもあるまい。簡単である。「戸田さんの想像」である。では、なぜ、「すねかじり」「根性なしサラリーマン」「上司の言いなりにヘコヘコして奴隷残業」などという想像をしたのか? それは「オレに文句をたれてくるようなヤツらはどうせ、そんな連中だろう」という、戸田さん自身の思いこみからであろう。つまり「職業を持たない連中」「職業をもっていても上司にへこへこする連中」への侮蔑的意識が、自分への敵対者への侮蔑意識と結び付いただけなのである。

 もうおわかりだろう。戸田さんは「すねかじりや上司のいいなりへこへこ」に対する侮蔑意識を「はじめから持っている」のである。つまり、個別の人間にではなく、そうした境遇にある者一般に対する偏見が、戸田さんをしてこのように語らしめたのである。戸田さんはまだわからないのか。いや、分かってないのは戸田さん自身だけであろう。これを読んだ多くの人が戸田さんに差別意識がある事を理解するだろう。まことにインドのお話しのとおり、自分が現実にやっている事、自分の差別意識を客観視できない、どこまでも「主観主義」な人だ。