反論7 主観主義な目には客観的事実も全て「悪意」に映る まっぺん |
●井上氏が「どちらがわ」に立っているかは明瞭である 戸田さんに言わせると、井上氏には次のような「意図」があるそうである。 >「若竹さんがネットマナーに反する事をした事に憤った人々」 井上氏は事実を客観的に書いている。それのどこが間違っているのか? 書いている事は事実ではないか。しかも、彼は「若竹議員の陣営」側に立ってそれを書いているのである。その場所を引用しておこう。(「CA」補章より) 井上氏は、その失敗の原因を分析し、よりよい反撃の方法を具体的に提言しているではないか。こんな単純な事実も、戸田さんの主観主義にくもった目には映らなくなっているようだ。井上氏を「個人のミスや不十分性につけ込んで多数の匿名多人数による個人攻撃を容認する」と、イラク人質事件でのバッシングになぞらえて非難している。井上氏が「個人のミスにつけ込んで」「攻撃している」のか、それとも事実を指摘し、よりよい方法を提言しているのか、その区別も戸田さんには分からないのか? いったいどこを読んでいるのだ! その提言が優れている事は、我が「四トロ同窓会」掲示板での7年間の実践経験からも実証ずみである。 >まさにもぐら叩き的に、それもキチンと反論しながら撃つことしかない 失敗の分析と提言に真摯に耳を傾けてこそ、明日の勝利はある。自分の失敗を指摘する者を片っ端から罵倒し退けるのは、内ゲバ主義の感性である。 ところが戸田さんはいまだに、自分のサイトでの抗議者たち「すべて」に対し、「おたく蝿」だの「卑怯者」と罵倒し排除した事に何の反省もないのである。自分を批判するのは赦せない、そんなヤツは敵だ、というわけだ。なんと謙虚さと学習能力に欠けた人だろうか。ひとの言葉には一切耳を傾けず、諫言はみな「敵対者」と見なし、あろうことか井上氏には「ドス黒い悪意」とまで罵倒するありさま。何たる愚劣さ! 何たる自己中心主義! こんなことだから7年たってもまだ自分の自爆に気づかないのである。かつて森首相が、自分の言動の見苦しさを自覚できず「恥を知らねば恥かかず」と評されたが、どうやら戸田さんも同じ感性の持ち主であるようだ。 ●印象操作をしているのは戸田さんの方である 井上氏が若竹さんと戸田さんの失敗について冷静に分析し、その失敗の原因と、それに対する対処方について的確に提言してきたことがおわかりいただけたと思う。にもかかわらず、戸田さんは、それを素直に受け止めず、井上氏の提言を「悪意」ととり、そこには「印象操作」があるとして、次のように言うのである。 >※単なる「意見」かい?その執拗性は? >※なるほど、こうやって「若竹攻撃は親石原・反石原の闘いじゃない」と印象操作 >井上の言動の背景に、「宮崎学とその支持者はみんなけしからん!」 「もはや親石原・反石原の闘いじゃない」と言ったのは井上氏ではなく、若竹さんの態度に怒った一投稿者の言葉である。戸田さんは、井上氏の指摘する「事実」に正面から答えられず、それを井上氏の「悪意」へとすり替え、それに対しておぞましい悪罵を投げつけているのである。何の証拠も証明も無く相手の「悪意」をでっち上げる。これが「戸田式論争術」のようである。まさにこれこそ「印象操作」ではないか! これほど汚らしい、憎悪むき出しの文章は内ゲバ党派の政治機関紙でもなければめったにお目にかかるものではない。それを「人権派市議」が書きなぐっているのである。愚劣さもここに極まったといっていいだろう。 ここには「宮崎学問題」などまったく書かれていない。にもかかわらず、同じ井上はるお氏が社会批評社刊『きつね目のスパイ宮崎学』の著者のひとりであるという、ただそれだけで、「井上の言動の背景に……という意識が働いているような気がする。」などといういじましい勘ぐりまでひけらかすのである。 |