反論16 「目次をみれば…」について/結局「CA」の中身を何も理解していない まっぺん

●個人か団体かの区別に何の意味があるのか?

 「疑心暗鬼」と言うが、猜疑心にまみれた目には、何でも「謀略」に見えてくる。戸田さんは「目次を見ればすぐわかる」として、「CA」目次をページ数付きで紹介する。そしてそこから5つの「目次と内容分析の驚くべき結果」を引き出す。戸田さんの表面的な問題やページ数などを「分析」して、そこからトンチンカンな結論が生み出される。これらがいかに陳腐な妄想であるかをひとつひとつ分析していこう。といっても「1:」から「3:」まではあまり違っていないので、本来は3つにまとめられるはずなのだが。

>1:目次の中で個人実名が上げられているのは補章だけ!(第3章「河上イチロー」はペン
> ネーム)しかも戸田は補章目次で明示3本ほか「トンデモ議員」とも挙げられる異様さ
> それも「トンデモ議員」「理不尽な削除(主体の戸田)」「戸田さんの偏見」、戸田
> がネットの匿名性を否としているかのように誘導する見出しで。

 「1:」も「2:」もあまり違った批判のようには思えない。「1:」に追加して「目次だけでなく本文にまで個人名をあげている」と書けば済むのではないか? そして「3:」もほぼ同じ批判とともにページ数が多いと文句を言っているのである。怒りでのぼせ上がった頭で書きなぐったせいだろうか。それとも、もともと章構成の能力が欠けているのか。
 戸田さんは、他の章では組織や団体の事が言及されているのに、補章だけに戸田と若竹の個人名があるではないか、これはおかしい、とおっしゃる。これを見ても、戸田さんが「CA」本の真の目的と価値を理解していない事がわかる。「CA」は読めばわかるように様々なレベルのネットワーカーに向けて、インターネットの現状と、その運用や影響を紹介し、今後の闘いにとっての可能性も探る内容を持つものである。したがって、それを紹介していくにあたって、注目に値するサイトは個人であろうと組織であろうと紹介して当たり前ではないか。戸田さんのサイトが紹介されたのは、その運用内容とその影響度において「教訓」とすべき事実を著者が認めたからであるに他ならない。確かに戸田さんのトンデモ体験は「反面教師」として活用するべき教訓を多いに含んでいる。なお、戸田さんが「自分は匿名を尊重している」といくら叫んでも、事実はそうではない事は「糾弾1」への反論で証明済みである。

●戸田さんは単なる「個人」ではなく「公人」である。

>2:本文内容で個人実名で非難されているのは補章だけでそれもほぼ戸田と若竹さんだけ
> あとは補章の中で石原慎太郎と砂川クンが少しだけ。
> 補章以外では個人実名での非難は皆無、団体非難にしても極く僅かなのと比べて戸田
> 非難分量のなんと異様な多さよ!

 戸田さんは「なぜ戸田と若竹だけ個人の実名で非難するのか」といぶかる。「実名」とは必ずしも戸籍名ではなく「周知の変名」も実名として登録できる。井上氏は両氏を「戸籍名」ではなく「ひさよし」「りょうこ」とひらがなで書いている。なぜだろうか? それは両氏を「議員として」紹介しているからである。「個人」とは、例えば「サチコの子育て日記」とか「みーくんのお部屋へようこそ」といった、全くの個人が運営する私的サイトに他ならない。そんなサイトを「CA」で取り上げても何の意味もない。戸田さんは議員としてとりあげられたのである。戸田さんや若竹さんは「市民によって選ばれた代表」として公的立場にある。だからあなた方の名前は、例えば「安倍」や「小泉」のように普遍的な「社会的集団的意味」をもっているのだ。それを忘れてもらっちゃ困る。またそのネット活動も個人のものとは言い難い。そもそも戸田さんは通信費の他に月々10数万の金と頭脳をHPにつぎ込んでいると書いているではないか。それでも「個人のサイト」と言い張るのか? それに「CA」に紹介された騒動の推移が多くの人々に教訓として残すべき、極めて公的に意味のあることなのは明らかではないか。「断然日本一」と戸田さん自身がうぬぼれる「議員のHP」を紹介することのどこがおかしいのか?

 ところで戸田さん。もしもこの本が戸田さんのサイトを批判的ではなく好意的に取り上げていたら、それでも戸田さんは「個人をとりあげるのはおかしい」などと言っただろうか? 決して言わなかっただろう。むしろ喜んで他の人々にも紹介して回っただろう。つまり本当の理由は「CA」が「自分を否定的に描いている」事へのヒガミなのである。

●ページ数を数えて「CA」の何がわかるのか?

>3:目次に載って本文でも非難されているのは戸田・若竹のほかは革マル派とBUND
> だけ!後ろ2団体は個人名無しで、本文は革マル派2ページ、BUND3ページのみ。
> それに対して戸田・若竹個人非難の本文は全15ページ! 戸田だけでも10ページ!

 他の党派や団体への言及に比して自分への批判だけのために多くのページをさいている事にご不満のようである。だが、戸田さん。考えてもみてほしい。補章がとりあげているのは「どこそこのサイトはこんな事をするおかしな連中である」程度の内容ではない。革マル派やBUNDについてはそれで充分であろう。しかし、若竹事件とそれに関わる戸田さんの対応は、およそ2ヶ月にわたる一連の流れの考察の中で初めて把握されるのであって、もし戸田さんの「トンデモ」ぶりだけを、断片的に切り離して2〜3ページにまとめただけでは、そこから真の教訓化はできないのではなかろうか。
 なかでも2ちゃんねるという、独特の、そしてある意味「ネットの特徴」を最もよく表現しているコミュニティについては簡単に語る事はできないだろう。またそうであったから、若竹さんも、戸田さんも、「2ちゃんねらー」への対応を誤ったのである。したがってそこから教訓を得るためには、それらを時系列に沿って再現しなければならないだろう。ページ数が増えるのも道理である。それはこの章をちゃんと読めばだれでも分かるはずである。「自分への批判だけページ数が多い」などとヒガミ根性丸出しの批判をしているかぎり、戸田さんは「CA」が提供するものを汲み取ることができない。

●戸田さんの妄想を覆す証言「補章は当初から予定されていた」

>4:補章の全15ページという分量は4章の全16ページ、5章の全16ページに匹敵する
> なぜ「第8章」とはせずに「補章」としたのか? 予定外のものだったからだろう。

「予定外のものだったからだろう」という戸田さんの想像には、いずみさんが答えている。彼女の書いた部分を6割引き継いで、井口秀介氏が完成させたそうで、したがって「CA」の事情はよく知っているわけである。彼女は「四トロ同窓会二次会」掲示板で次のように証言している。
http://6305.teacup.com/mappen/bbs
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昔話を一つ よねざわいずみ 投稿日: 1月 8日(月)14時33分57秒

そもそも「サイバーアクション」って、あれは私がロフトプラスワンに小西誠さんをミーハーキブンで観に行って、にもかかわらずその場で小西さんや三上を面と向かってケチョンケチョンにこき下ろした、というひどすぎる故事が発端です。
で、小西さんが私に「じゃーネットと運動について本書いてみませんか?」と声かけてくださったわけですが、しかしこんなの1人で書けるわけがない。でも私は当時は運動関係に知り合いがいなかったため、共産趣味者のみなさんの協力を仰いだわけです。その中には、2ちゃんねるを実によく読んでいて詳しく、一方で現実の運動圏にも詳しい井上さんがいたのでした。(その他、国際関係に詳しい人も、ということで、ゴリゴリの左派人として当時唯一懇意にしていた国際主義編集グループの津村さんも誘った)
というわけで、井上さんはそのときからこの補章の内容をすべて含み、もう少し幅広い内容の原稿を当初から書いてきたのですよね。彼自身の問題意識がもともと「2ちゃんねらーの中に見られる『何らかの群集的盛り上がり』とそれを否定する古い体質の左派」みたいなところにあったと思うので(これはよねざわいずみの私見ですが「よくわかんないけど騒いでる学生運動vsそれを弾圧する「民主的」教官」、という図式の印象に近いかも)、それを批判するために。そして内容があまりに過激だということで「この本専用のペンネーム」になった、と記憶しています。
で、その後執筆者の交代とかそういうこともあって章立て自体が大きく変わり、ポジティブな話が1・3章に移ることになって、残りは若竹戸田問題だけになってしまいました。これを独立した章にするのはあまりにあんまりだ、ということで、これは補章となった、と私は記憶しています。
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これでまた戸田さんの勝手な想像は大ハズレであったことが証明された。

●トンデモぶりをあまねく振りまきながら「勝った」と思い込む

>5:補章のタイトルは「若い世代と『2ちゃんねる』でのコミュニケーシ」だが実は戸田・
> 若竹と掲示板で対立したのが「若い世代」だったという論証は本文で皆無。そもそもその
> 対立は「世代対立」では全然ない。このタイトルは「頭の古い戸田が若い世代と対立した」
> という印象に誘導するための歪曲。本文の内容にタイトルが沿っていない。

 戸田さんは、「自分の対戦相手が若い世代であると証明されていない」と言う。それこそ、この本をきちんと読んでいない何よりの証拠である。この章のポイントは、まさに戸田さんのあたまの古さが若い世代に打倒されてしまった経緯と、そこからの教訓を引き出す事だったのである。戸田さんは、まったくそれが分かっていない。
 掲示板上のそれぞれの意見には、それを発した人の思い入れがある。深く考えもせずに削除すれば、感情的反発を引き起こし、相手も対抗するものである。戸田さんもそうだが、異論に対して罵倒して追放してしまえば問題は解決すると思い込んでいるところに、ネットに対する認識の甘さがある。こうして認識の甘い両議員が、若竹さんの掲示板だけでなく、戸田さん板、2ちゃんねるまで巻き込んで、泥沼のような罵倒合戦を引き起こしてしまったのである。戸田さんはその「闘争」に「勝利した」と思い込んでいる。しかし戸田さんの主観とは全く正反対に、戸田さんの「トンデモ」ぶりは、インターネット世界にあまねく知れ渡ってしまったのである。これは戸田さんが関生に連帯して闘っている事実や権力に弾圧された事実によって帳消しにされるものではない。戦前の弾圧経験があるからと言って共産党の路線が正しいとは限らないのと同じである。

●若い世代についていけなかった自分を理解できない戸田さん

 我々「新左翼党派世代」は、集会演説、ビラ撒き、実力闘争の時代を経験してきた。その頃の情報伝達手段は、電話、手紙、ビラ、機関紙など、どれもアナログなものばかりである。ファックスはあとから登場したが、それとて、現在のインターネットに比較すべくもない。大量に配布する新聞やビラであっても、末端では配布する者が「1対1」で、互いに顔をつき合わせて手渡しながら「オルグする」のが基本である。電話や手紙では顔は見えないが、ほとんどの場合、予め知り合い同士のやりとりである。
 しかし、インターネットはちがう。掲示板では姿のまったく見えない不特定多数に一挙同時に情報が伝達される。こうした感覚は、われわれの世代には「新しい」ものであった。だからそれに「慣れる」必要があった。しかし、若い世代はそうではない。初めからそのような手段によって会話し情報を得ているのである。ネットを通じた互いの意志の疎通の仕方に、は古い世代にとって「訓練」の必要な「ネット特有」のスタイルがある。2ちゃんねるを始めとするネット空間では、そのようなスタイルが確立されているのである。そこに「自分の基準」を持ち込もうとしても通用しない。戸田さんが異論に対して罵倒と削除を繰り返したのは、まさに、この「文化の衝突」の直接体験であった。相手に個人情報を要求する事自体、ネット文化を理解できない時代遅れの単ゲバおやじの姿をさらすものであった。
 しかし戸田さんはこれを理解できず、自分の古い頭で考えたネット対策を実行し、罵倒の嵐の末、全ての「邪魔者」を自分の周囲から排除し、「勝った」と思い込んでいる。00年4月と5月の掲示板の記録を読み解けば、そのような事実が浮かび上がる。この事実を否定し続ける限り、戸田さんの感性は永久に70年代のアナクロニズムでしかない。まことに哀れと言うしかない。

●失敗例は成功例と好一対を成している

 戸田さんと2ちゃんねらーとの衝突はまさしくネットに象徴される若者文化とアナログオヤジとの衝突であった。それは補章を読めばだれでも理解できるのである。そして、戸田さんの失敗経験とは好対照に、「CA」には「成功例」もちゃんと紹介されている事を忘れてはならない。それは第3章における「グローカル掲示板」の例である。自由主義史観右翼が大挙してこの掲示板に押し寄せた時、ここの管理人は、言論には言論で、且つアラシには削除で、きちんと区別して対応した。私は戸田さんの掲示板での対応をリアルタイムでは観ていないが、グローカル掲示板には当時参加し、右翼撃退のために協力した憶えがある。
 ここの管理人はまことに毅然とした態度で、右翼のアラシを撃退した。それも戸田さんのように個人情報を要求するような対応ではない、言論には言論で、正攻法で闘うものであった。こうした方法はインターネットのスキルを持っている者にとっては今や常識であり、井上氏の提言もそこにあるのである。

●人に証明を要求するなら、自分も証明の義務があると知れ!

 戸田さんが「人に要求した」事は、自分も要求されると覚悟しておくべきである。戸田さんはここで「若い世代と衝突という論証はない」と豪語した。しかし、「そこに書いてある事」から戸田さんのアナクロニズムはくっきりと浮かび上がっているのである。それが理解できないのは戸田さんばかりである。こんな事も理解できない戸田さんは、一方では何の証明もなく、相手に次のように罵倒を浴びせる………

>「闘おうとも思っていない連中が能書きばかりを発達させている」
>「親のすねかじり」
>「根性なしサラリーマン」
>「上司のいいなりにヘコヘコして奴隷残業」
>「闘う勇気もないくせにパソコンに向かった時だけ夜郎自大」
>「自立した生活もせず」
>「生活現場においてコンジョなしのくせにパソコン世界でだけ戦士」
>「パソコン世界では戦士ぶるくせに現実生活に於いて闘わない」

 そしてこれに対する井上氏からの批判に対して「こんな連中を事実に即して批判する事のどこが悪いというのか」と居直っている。つまりこれらの言葉は「事実である」と断定しているわけである。それでは証明してもらおう。どうやって証明するのかね? 相手に「証明」を要求するなら、自分も「証明」するのは義務である。証明できるか? 絶対できないだろう。それは逆に、戸田さんが勝手な妄想と差別意識によって人を見くだすような破廉恥な人物であった事実を証明するのである。毎月、通信費の他に10数万もの金をHPにつぎ込む事のできるようなゼイタク議員に「自立生活」もままならない者の痛みは理解できない。自分の差別意識さえも自覚できないのでは話にならない。

●本の内容を理解せず、視野の狭い基準で「CA」にお説教する

>どうです? この「補章」が全体の中で如何に異様異質なものであるか、明白でしょ。
>正統な本づくりとしては、この補章を組み込んだ事は明らかに品を下げる失敗でしょう。

 そもそも戸田さんは、本全体をきちんと読んでいないから、こんな下らない結論しか導きだせないのである。戸田さんがやったのは、自分を非難するページが何ページあるかを数え、他者への非難と比較して「自分への非難が一番多い」と言っているだけである。全然「内容の分析」にはなっていない。自分に対して「何を批判した」のか、他者への批判はどうか、そこから何を学び取るべきなのか、といった、この本が「本当に言いたいこと」は何も学び取っていないのである。そうなってしまったのは「戸田批判は戸田の信用失墜が目的だからだ」といったヒガミ根性丸出しの被害妄想が原因である。殴られたゲンコツの数を比較しても「ケンカの原因」解明にはならない。