3)戸田さんの対応への疑義 草加耕助 - 07/1/27(土) 15:09

3)戸田さんの対応への疑義

さて、その上で戸田さんは井上さんから売られた喧嘩を買ったわけですが、それが6年ごしというのは、いかがなものでしょうか?

喧嘩を買うなら、売りに来たその場で買わないといけません。今さら6年前のことを持ち出してきても、この場合は戸田さんのほうからあらためて喧嘩を売ってきたということになってしまいます。たとえて言うなら、古参の党の幹部を、彼が学生時代に書いた論文を持ち出して糾弾するようなもんです。そこには「何か別の意図があるのか?」と勘ぐられても仕方がないでしょう。

まあ、四トロ掲示板でのいずみさんの書き込みを見て、6年前の「ネットワーカー」達のことを”思い出した”んだろうなと思っていますが。

しかしインターネットで6年前と言えば、すでに古文書に近いのです。この場合はこのような喧嘩腰ではなく、あくまでも井上さんの文章を「歴史的文書」として、つまり素材として扱い、自己のとった対処の比較で総括的に検討するという視点で扱うしかないのではありませんか?

たとえば「ネットワーカー」というくくりは6年前にはまだ有効であったと思うのです。この言葉の先にみんなが夢をみた時代だってあったのです。

その夢は、私たちのような泥臭い素人から見たら、鼻持ちならない「ネットエリート」の押し付けに見えることもあるでしょう。でも、そこには井上さんを含めた人々の「善意」が確かにあった。お互いお「善意」を認めつつも批判しあうところからしか、有意義な討論は生まれない。この善意の「存在」まで否定してしまったら、泥試合にしかなりません。

おそらく、井上さんから見れば、戸田さんはこの「ネットワーカーの夢」を崩壊させる方向に動いているように見えたのでしょう。それを、そんな夢が自然崩壊してしまった現代に、無前提に引き据えて批判しても仕方がないと思います。

「ネットワーカ」という言葉で表現される夢の何が実現して何が崩壊したのか。ネットがこれだけ大衆化して、かえって人々を分裂させ、それぞれの集団に引きこもらせて対立するための道具となった現代。私たちはどのようにネットにかかわっていくべきかという視点が大切だと思います。