糾弾8:「公権力への抗議メール呼びかけに文句付けする」側に優しい井上 戸田 - 07/1/5(金) 13:41

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の言葉があるが、それにしても井上の若竹貶め攻撃(=そ
れを通じての戸田貶め攻撃)の手口は下劣で「恥も外聞もない」やり方だ。
 その好例が、石原都知事に対する抗議メール発信呼びかけの件。

 共謀罪阻止闘争や教基法改悪阻止闘争では、国会議員や政党、内閣に対する賛否の電話・
FAX・メール攻勢が盛んに呼びかけられて実行された。
 もしもそれに対して「同一内容の組織的大規模メールは、スパム(いやがらせ、迷惑メー
ル)として非難されることが多いから、メール攻勢は止めろ」とか言い募る奴らがネット世
界に大量に現れたら、「運動圏」の人達はどうするだろうか?

 「議員のくせにそんなメール攻勢を呼びかけるなんておかしい」などという事をその議員
のHP掲示板に書き連ねて回答を求める事を大量・執拗にやる奴らがネット世界に現れたら、
「運動圏」の人達はどうするだろうか?

 共謀罪新設や教基法改悪に反対する人達の圧倒的多数は、「そんな文句付けはおかしい。
敵の回し者でしかない!」という判断に立って怒りに燃えてそういう奴らと闘うだろう。
 違うかい? 
 それは昨年06年段階はもちろんの事、2001年段階でも2000年段階でも同じはずだ。
 課題が反石原でも同じはずだ
 違うかい?

 ところが!
 我が「運動圏」の井上はるおは、「ネット世界の良識の代表者」を自認しているらしき井上
はるおは、全然違うのだった!
 
 井上が「サイバーアクション」補章でどう書いているかというと、
   もちろん運動圏では抗議電話、FAXなど当たり前のことである。首長・行政権力に
  怒りをぶつけるのはなんらおかしなことではない。しかしインターネットとなると少し
  違う。
   確かに石原発言後「石原は自分でメールを読んでいるから送った方がいい」という声
  も聞いた。
   しかしネット上では、同一内容の組織的大規模メールは、スパム(いやがらせ、迷惑
  メール)として非難されることが多いのである。
   旧来の運動と新しい文化の衝突であった。
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 まあなんとNHK的「客観中立報道」的記述であることか!

 これは、都知事という公権力者・公権力機関の極右暴言に対して抗議メール発信を呼びか
けることを「スパム(いやがらせ、迷惑メール)として非難」する連中が出現し、そしてこ
の連中がそれを盾にとって若竹攻撃を現実に始めている状況の中で、それへの怒りが皆無の
まま、「そういう人は多い」、という「一見中立的な言い方」のみをする事で、この連中の反
石原行動バッシングを容認しているものに他ならない!

 これでは「運動圏」の中に潜んだ悪質な「裏切り投降主義分子」でしかないではないか!

 こんな井上を支持容認してきた「運動圏」の皆様方は、公権力機関に民衆が共謀罪反対や
反石原言動など様々な課題で意志表示メールを大量に送る運動は、「スパムメールになるか
らやめましょう」という立場を取りますか?
 まさかそんな事はないでしょう。違いますか?

 この項目の最後にもひとつ。
 井上による(抗議メールの是非問題は)「旧来の運動と新しい文化の衝突であった。」
という記述。
 これって、普通に読解すれば、
  旧来の運動=抗議電話・FAXは当たり前のことだが、メールは不適切(との判断)
  新しい文化=抗議電話・FAXだけじゃなくメールも当たり前のこと (との判断)

ということのはずだ。井上の文章の出来は良くないが「衝突」というからにはこう考えるし
かない。

 すると、若竹さんは「抗議電話・FAXだけじゃなくメールも当たり前」と思う「新しい文
化」の人になるのだが、「メールは不適切」との判断に「中立的な」理解を示す(だけじゃな
くそれを口実にして若竹攻撃をする人に怒りを持たない)我が井上クンは、どっちに属して
るんだろうか?
 補章全体に渡って「私は先進的ネット文化の先進人士」という自意識プンプンの井上クン
(そうだからこそ若竹さんを「マナー違反」として咎める)なのに、抗議メール送信問題だ
けは、「中間主義」なの?

 しかしその井上流「中間主義」は、抗議メール送信問題を口実にして若竹攻撃をする人に
怒りを持たないのだから、エセ「中間主義」で、実際は「裏切り投降主義分子」でしかない。