つぎの章へすすむ「国際革命文庫」総目次にもどる


ベトナム人民の不退転の決意に応えよう

       ――「ニャンザン」論説によせて

完全勝利への闘争宣言

 『ニャンザン』紙八月一七日号の論説「革命的潮流の勝利」には、三月三〇日以来の総攻勢をもって決定的に開始したアメリカ帝国主義にたいするベトナム人民の決戦決勝の闘い、――すなわちアメリカ帝国主義の完全なる敗北とベトナム人民の最終的勝利をめざす闘いを、その一切の困難と中・ソ両政府からする妥協と屈服にむけた圧力にもかかわらず、絶対にひるむことなく最終まで貫徹せんとする決意の宣言であり、この完全勝利を直接にめざす最後の闘いに中・ソ両労働者国家をもふくめて全世界を獲得せんとする闘争宣言である。『ニャンザン』紙の論説「革命的潮流の勝利」は、ベトナム人民の武装解放闘争の最終的勝利の闘いにとって今日最大の障害となっている中・ソ両労働者国家のアメリカ帝国主義にたいする裏切り的平和共存外交を激しく弾劾し、中・ソ両政府の裏切り的圧力に屈服することなく、ニクソン政府のベトナム・インドシナ反革命戦争と非妥協的に闘いぬくことを宣言している。
 一切の障害と妥協への圧力をはねのけ、ベトナム人民の完全勝利をめざす最後の闘いの断固たる継続を全世界にむかって宣言するこの論説「革命的潮流の勝利」が意味するところについて、ベトナム民主共和国の政府ならびに党機関は、さらに以下のようにあきらかにしている。
 この論説が『ニャンザン』紙に発表された八月一七日のベトナム民主共和国外務省声明は、つぎのようにのべている。――
 「……ニクソン政権がことし四月初め以来、北ベトナムの多くの町、省都、県都にたいする絶滅的性格をおびた反復的攻撃のため米機と米艦の数を増強したことは周知のことである。北ベトナム第二の大都市ハイフォンの多くの大きな地区は荒廃させられ、第三の大都市ナムディンは半分以上が荒廃させられた。
 堤防と水利施設にたいする攻撃とともに北ベトナムの種々の人口密集地区、とくに都市と首都にたいする絶滅的攻撃は以前のジョンソン政権さえあえて犯さなかった極悪非道の犯罪行為である。ニクソン政権は自らその極度に残忍な侵略的性格を暴露し、その偽善をさらけだしたのである。
 ヒトラー・ファシスト一味よりも残酷な米国の戦争屋どもは爆弾と砲弾、野蛮な行為によってベトナム人民の決戦決勝の決意をゆるがし、“戦争のベトナム化”政策をすくいだし、サイゴンのカイライ政権を崩壊から救うことができると考えた。しかし、いかに残虐な勢力、いかにごう慢な威かく、いかに背信的な陰謀もベトナム人民の鉄のような決意をゆるがすことはできない。ベトナム人民は百万が一人のように団結し、南ベトナムにおける“ベトナム化”政策を打破する決意である。
 ベトナム人民と北ベトナム政府は米国と世界の良識あるすべての人々にたいし、平和と正義のため、人類の各誉のため、機を失せず米侵略者の血まみれた手を阻止し、ゲルニカ、コベントリー、ドレスデン、ハンブルグ、エッセンの虐殺(第二次大戦中の大惨禍)の再発を防ぐよう呼びかける。」(朝日新聞、八月一八日号)(傍点編集委員会)
 つづいて、八月一九日の『ニャンザン』紙論説は、完全勝利をめざして闘いぬく決意をつぎのように表明している。――
 「一、日和見主義は革命的ダイナミズムの欠如にともなう後退の時期や転換期にあらわれる。外部からのあらゆる形の不吉な日和見主義的傾向もわが国に危害を加えることはできなかったが、これはわが人民およびその試練ずみの前衛部隊の革命的攻撃精神のためである。
 一、この革命的攻撃精神の高まりは転換期にもあらわれる。今日、革命的攻撃精神はふたたび輝しい光を放ち、巨天な米空海軍の恐るべき圧力、機雷封鎖さらには外部からの妥協的傾向によっていろいろの形で加えられているあらゆる種類の否定的行動をはね返している。
 一、米侵略者と戦い、これを打破るためのかれわれの力と決意の源泉となっているのは南を解放し、国の再統一をはたすという国民の意志である。われわれの立場は極めて断固たるもので、だれもこれを覆すことはできない。われわれはいかなる試練にも耐える用意ができておりただ前進あるのみである。われわれは決して後退しないだろう」(朝日新聞、八月二〇日号)
 さらに九月一日、八月革命とベトナム民主共和国建国二七周年記念集会において、ベトナム民主共和国のファン・バン・ドン首相は中・ソ両労働者国家の政府が南北ベトナム人民の完全勝利の闘いを無条件に支持支援することを公然と要求して、つぎのようにのべた。
 「一、北ベトナムは米空軍による破壊戦争と港湾封鎖を打ち破りさらにこれを完全に打ち破る決意をかためている。“ベトナム化”戦略に致命的な打撃をあたえ完全な勝利の日までさらに大きな勝利をかちとる決意をかためて前進している。
 一、われわれは社会主義兄弟諸国の人民にたいし、プロレタリア国際主義の旗を高くかかげインドシナの戦場で現在くりひろげられている米帝国主義に反対する闘いにたいする自らの国際的義務を果すよう要求する権利をもっている。」(朝日新聞、九月二日号)
 他方、南ベトナムの戦場において、ベトナム人民の武装解放闘争勢力は、三月末以来の大軍事攻勢につづきサイゴン・カイライ軍にたいする軍事的圧力をつよめ、ふたたび攻勢にではじめている。八月一九日、中部海岸のダナン市南方約四〇キロの要衝ケソンは武装解放闘争勢力によって奪取された。武装解放闘争勢力は、北部のクアンチ市においてふたたび大量の砲撃を開始しており、サイゴン周辺にたいして継続的な攻撃を強化している。また、人口の密集地帯であるメコン・デルタにおいて、解放戦線はその活動をますます強化している。この南部ベトナムの戦線の状況について、南ベトナム臨時革命政府外相兼パリ会談首席代表のグェン・チ・ビン女史は、八月二一日、つぎのようにのべている。――「皆さんは、キッシンジャー米大統領補佐官が北側の攻勢は六月までつづいて終るだろうと声明したことを記憶しておられるだろう。だが、今日は八月二一日。ベトナム人民の攻勢はいまだに強くつづいている二〇日には、解放軍は中部ベトナムの戦略要点ケソンの郡都を解放した。こうした前線での戦闘とは別に、ここ数ヶ月間の努力で、たとえばメコン・デルタなどの人口密集地域で米、サイゴン政府側の平定計画組織をつぎつぎと破壊している事実もよく見てほしい」(朝日新聞、八月二二日号)

「ベトナム化」計画の破産とニクソンのベトナム絶滅作戦

 ラオス、カンボジアの解放闘争勢力と深く結合したベトナム武装解放闘争勢力の三月三○日以来の大攻勢は、サイゴン・カイライ政府とその土着反革命軍の無力さを完全に暴露した。今日サイゴン・カイライ政府体制とその土着反革命軍をかろうじて支えているのはアメリカ帝国主義の空・海からする大量かつ無差別の殲滅的な爆撃以外のなにものでもないし、ベトナム北部の経済と補給の体制にたいする大量的破壊と絶滅的性格をおびた反復的攻撃以外のなにものでもない。ニクソン政府の「ベトナム化」計画、すなわちアメリカ帝国主義に支持され装備された土着反革命軍をベトナム武装解放闘争に対抗させ、自らは直接的な反革命戦争から戦術的に後退しようという虫のいい「計画」は完全に破産してしまった。かくして、四月以降、ニクソン政府は「以前のジョンソン政府さえあえて」おこなわなかった海上封鎖と大規模かつ徹底的な破壊を目的とする爆撃をベトナム民主共和国にたいしておこない、ベトナム南部における武装解放闘争の諸部隊にたいする殲滅的な爆撃にうったえたのである。南北ベトナム人民は、中・ソ両労働者国家から有効な軍事的支援をうけることができないがゆえに、ベトナムとインドシナ半島における制空権と制海権は全面的にアメリカ帝国主義の手中に握られており、アメリカ帝国主義は、あたかも巨人が幼児にたいするがごとくに、空海から絶滅的攻勢をもって南北ベトナム人民におそいかかっている。
 ブレジネフ・コスイギンと毛沢東、周恩来の裏切り的な中・ソ両政府ゆえに、南北ベトナム人民が中・ソ両労働者国家の空・海の軍事的手段をアメリカ帝国主義の空・海軍に対抗して利用し、動員することができないからである。ベトナム北部の運輸、工業、農業にたいする系統的な破壊、さらには防水・灌漑の堤防の破壊、海上運輸にたいする機雷封鎖、他方ベトナム南部における武装解放闘争勢力の諸部隊にたいする絶滅的な爆撃、――南北ベトナム人民にたいするアメリカ帝国主義のこれらすべての系統的な破壊と絶滅的な軍事的攻撃と圧迫は、中・ソ両国政府の対米平和共存政策によって可能となっているのである。

中・ソ両政府はニクソンを支えている

 アメリカ国民の広範な大衆は、アメリカのベトナム戦争に世界にむかって主張しうるいかなる道義性もないということ、またベトナムとインドシナ半島において人民の武装解放勢力をうちまかすことはもはや不可能であるということを今日すでに深く思いしらされている。そして、一九六五年から六八年にかけたジョンソン政府の直接的な地上軍による反革命軍事介入は、たんにその反革命的勝利を達成しえなかっただけでなく逆にアメリカ帝国主義の社会、政治、経済的な内部危機を決定的に進行させたのであった。そして、アメリカ国民のいまだ保守的で反動的な意識にとらわれている層すらもが、自己の保守的で改良主義的な社会経済生活上の均衡を維持防衛せんがために、アジアとインドシナ半島の「泥沼」からはやく「足を洗う」ことをもとめているのである。インドシナ半島から敗北することなく撤退する路線をかかげるニクソン政府の大衆的基盤は、いまだ保守的で反動的な意識にとらわれているこの層のアメリカ国民のあいだにある。そして、まさにこの点において、中・ソ両国政府の裏切り的な対米平和共存外交は、アメリカ帝国主義のニクソン政府にたいする決定的な政治的支柱の一つとなっているのであり、アメリカ帝国主義の全軍隊のベトナム・インドシナ半島からの即時無条件の撤退をめざす南北ベトナム人民の完全勝利のための闘いと決定的に対立しているのである。なぜなら、南北ベトナム人民は、ニクソン政府の大衆的政治基盤そのものの決定的な分化と政治的解体をめざして最後の闘いに突入しているのに、中・ソ両国政府はニクソン政府のベトナム政策にたいして保守的大衆の幻想をつなぎとめるような対米、融和の外交政策を展開しているからである。
 南北ベトナム人民は、ジョンソン政府の北爆に抗して、六〇万の米地上反革命軍にたいする武装抵抗闘争を貫徹し、一九六八年のテト攻勢によって自らを不敗の解放闘争勢力たることを決定的に証明した。かくして、アメリカ政府は北爆停止とバリ会談に応じることを余儀なくされたし、ニクソン政府は「ベトナム化」平定計画なる新らたな反革命路線のもとで米地上軍の戦術的撤退をおこなわなければならなかった。ニクソンの「ベトナム化」平定計画は、サイゴン・カイライ政府の土着反革命軍を育成することによって、ベトナム反革命の目的を維持しつつアメリカ帝国主義とその国民の直接的反革命負担の軽減をアメリカ国民にたいして約束するものであった。そして、この「ベトナム化」計画は中・ソの二大労働者国家にたいする「超大国」平和共存外交をつうじて南北ベトナム人民の武装解放闘争を統制し拘束するという「計画」によって補足されていた。三月三〇日以来の大軍事攻勢は、サイゴン・カイライ軍の決定的な無力を劇的に暴露し、ニクソンの「ベトナム化」計画の決定的破産をあきらかにした。同時に、ベトナム武装解放闘争は、中・ソ両国政府にたいする政治的独立性を決定的にあきらかにした。すなわち、三月三〇日以来の大軍事攻勢は、アメリカ国民の保守的で反動的な意識にいまだとらわれている層にたいする、その「ベトナム化」計画にたいする幻想を徹底的に解体し、アメリカ帝国主義軍隊のベトナム・インドシナ半島からの無条件かつ即時の撤退以外にないことを決定的につきつけようとするものであった。だが、まさにこの瞬間において、米中・米ソの首脳会談をつうじて、アメリカ帝国主義に全面北爆再開と北部ベトナムの海上封鎖が保障されていたのであった。このとき、中ソも両国政府がニクソン政府を完全にはねつけ、ベトナム民主共和国とトンキン湾を軍事的に防衛することを明らかにしたならば、ニクソン政府をささえるアメリカ大衆は決定的な政治的分解にむかっただろうし、アメリカ国内の政治的危機ははるかに急速にふかまっただろう。だが、中・ソは南北ベトナム人民を見捨てニクソンを政治的にたすけたのである。
 『ニャンザン』紙の論説「革命的潮流の勝利」がつぎのようにのべて、中・ソ両労働者国家の政府を激しく非難しているのは、まさしくこの点においてなのである。
 「アメリカ帝国主義のおそるべき力、ほとんどだれも比肩できない力というつくり話はとっくの昔に煙となって消えた。……帝国主義の本塁であり、最後の支柱であるアメリカに全般的で尖鋭な危機がおこっている。アメリカは、ベトナムでこうむった手痛い敗北をふくめ、いたるところでくりかえしこうむっている敗北によって“粘土の足の巨人”となった。当のアメリカで人民大衆、とくに青年がアメリカの政策転換を要求している
 ……アメリカ帝国主義者にとって、緩和は、侵略、奴隷化、破壊工作、平和的進化を新しい手段で実現するための、いいかえれば“ニクソン・ドクトリン”を実行するための権謀術数の政策にすぎない。帝国主義者は新しい世界戦争を準備する計画を放棄することなしに自分の勢力を強め、世界の革命運動に反対し、国内の革命をおさえこみ諸小国を圧迫し、民族解放運動をうちくだく行動の自由をえることを期待して、一連の大国にたいして緩和の政策をとっているのである。
 ……もしも一国のせまい目先の利益だけをもとめてそれ(平和と平和共存)をはかるならばそれは各国の革命運動に損害をあたえるだけではなく、ひいては当のそれらの国々にはかり知れない損失をもたらし、その崇高な国際主義的義務を放棄させることになるだろう。……もしも自国のせまい利益から出発して、もっとも反動的な勢力が危険な打撃を受けるのをまぬがれるのに手をかすならば、それはおぼれる強盗に浮き袋を投げあたえるようなものであり、敵に有利で、革命に不利な悪質な妥協である。」

南北ベトナム人民の決戦決勝の闘い

 ベトナム武装解放闘争勢力の三月三〇日以来の大攻勢は三クソン政府の「ベトナム化」計画の「地上の足」たるサイゴン反革命政府軍にたいして破壊的な打撃をあたえ、そのいかんともしがたい無力さを完全に暴露した。サイゴン反革命カイライ軍は、ベトナム武装解放闘争の大攻勢に絶対にたちうちできなかった。かくしてニクソン政府は、その「ベトナム化」計画の破局的危機の深さゆえに、四月はじめ以来ジョンソン政権をはるかに上まわる規模でベトナム北部にたいする徹底的な破壊を意図する北爆再開と海上機雷封鎖にうったえた。ニクソン政府は大々的な北爆再開と海上封鎖によってベトナム民主共和国にたいして決定的に軍事重圧をかけ、かくすることによって中・ソ労働者国家を動員し、南北ベトナム人民の武装解放闘争にたいする政治的屈服を強制しようとする以外になかった。そのために、キッシンジャーは北京とモスクワとパリ、サイゴン等々とかけずりまわったのであった。
 だが、多くの風説がとびかうなかでひらかれた七月から八月にかけたパリ会談があきらかにしたことは、中・ソ両労働者国家をも動員するベトナム人民孤立化のニクソンの最大限の努力にもかかわらず、南北ベトナム人民の断固たる武装解放闘争とその完全勝利をめざす決意をかえることはできなかったということであった。
 ニクソン政府のベトナム反革命計画のあと一つの足であった中・ソ両労働者国家を南北ベトナム人民の解放闘争にたいする抑制と統制にむけて動員するという「計画」は、中・ソ両政府を南北ベトナム人民にたいする重大きわまりない政治的裏切りにむけて具体的に動員するという点まではたしかに一定の成功をおさめることができた。だがこのことによって、南北ベトナム人民の解放闘争とその完全勝利にむけた闘いの決意をくじくという点において、それは完全に失敗であった。
 七月から八月にいたるパリ会談は、中・ソ両政府の裏切り的な対米平和共存外交にもかかわらず、南北ベトナム人民がニクソンの「ベトナム化」計画全体の完全粉砕にむけて闘いぬく決意をかためているということを明らかにしただけであった。『ニャンザン』紙の論説「革命的潮流の勝利」をはじめとするベトナム民主共和国の党ならびに政府、そして南ベトナム臨時革命政府の声明と主張は、重大な困難を明白に理解しつつ、まさにこの完全勝利にむけた断固たる決意を全世界にあきらかにするものであった。ベトナム南部においては、すでに秋にむけた積極的な軍事行動が開始されているのである。
 そして南北ベトナム人民の武装解放闘争勢力は、まさしくこの闘いをその最後の勝利まで闘いぬくことを全世界に宣言したのである。全アジアと全世界の解放のための闘いは、このベトナムの地において歴史をわける闘いを開始している。
 世界はいまやベトナム、ラオス、カンボジア三国人民の決戦決勝の闘いに総結集しなければならない。
 ベトナム人民は、日本の労農人民にたいしてもまた闘いを呼びかけている。朝日新聞の記者は南ベトナム臨時革命政府外相グェン・チ・ビン女史にたいして、つぎの質問をおこなった、「田中首相は日中正常化に積極的な姿勢をみせわれわれもアジアの緊張緩和という観点から、日中国交回復を支持する立場にたつ。しかし、不幸にして、こうした新展開も目下のところベトナム和平に直接貢献するにいたっていない。革命政府の考えを聞きたい」と。この反動的で寝ぼけた「質問」にたいするグェン・チ・ビン女史の回答はつぎのとおりである。――
 「われわれの方から聞きたい質問だ。田中内閣になって、日本のベトナム政策に何らかの変化がありうるのかどうか。ベトナム人民は、ベトナム爆撃の米軍機が日本の一部の島から発進していること、軍需物資が日本の港から積みだされていることを知っている。世界の多くの国々がベトナムにおける米国の侵略を非難し、侵略の停止を主張しているときに、日本政府は、政権が変っても、依然としてそうした、建設的なことを行っていない。したがってこの事実から、ベトナム人民は、日本政府は米国との共犯関係を相変らず引継いでいるのだと考えざるをえない。」(朝日新聞、八月二二日号)
          一九七二年九月四日


つぎの章へすすむ「国際革命文庫」総目次にもどる