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国際革命文庫  8

日本革命的共産主義者同盟
(JRCL)中央政治局編
国際革命文庫編集委員会訳

2

電子化:TAMO2

「来たるべき対決」
ミシェル・パブロ


2 植民地革命

 資本主義体制は、植民地半植民地地帯における拡大と搾取の能力のおかげで有機的に発展してきた。その均衡ばかりでなく、その存在自体がこの能力、労働の国際的分業のこの形態に依存してきたのである。
 これらの植民地・半植民地諸国が、社会主義的にではないにせよ真実の資本主義的発展の道をたどり、工業化し、真にその生産力を発展させると仮定したとき、世界体制としての資本主義の存在はまったく不可能となるだろう。資本主義は資本家的生産の諸形態と両立できない過剰生産力の圧力のもとに爆発するだろう。一八九五年、エンゲルスが中国問題に言及し「資本主義による中国征服は、ヨーロッパとアメリカにおける資本主義の顛覆のためのはげしい衝撃を与えるだろう」とのべたとき、彼が言いたかったことはまさにそのことである。
 当面、資本主義体制の植民地的基礎は、植民地、半植民地大衆の奔流のような解放運動が加えているおそるべき打撃の力で解体されつつある。
 この現実は、ずっと以前から、第二次世界大戦がひき起したすべての結果のなかでもっとも重要なものになっており、一九一七年のロシア革命とともに、今世紀のもっとも重要な出来事である。
 この解放運動はまた、それが資本主義体制の経済的基礎を破壊し、さらに宗主国におけるプロレタリア大衆の革命的活動に刺激を与えている事実によっても、進行中の世界社会主義革命の発展にとって重要な貢献をなしている。中国の解放という一つの例に限ってみても、植民地革命はかつてマルクスが次のように規定した重要性をやはりもっているのである。「中国革命は現在の産業制度(資本主義)の火薬樽に火花を投げこむであろうことを、それが準備されている一般的危機の爆発をひき起すであろうことを、確信をもって予言することができる。そして資本主義制度がヨーロッパ大陸をこえて世界の他の国々に拡大して以来、この一般的危機はヨーロッパ大陸の政治革命に連続して発生するものになっている。」
 当面の植民地革命は、もちろん中国人民が帝国主義にたいしておさめた歴史的な勝利のおかげで激しい飛躍をおこなった(1)。しかしそれは中国にかぎられていない。
 戦争の結果としての帝国主義の弱体化と土着所有階級の解体によって、同時にもはや耐えしのぶわけにいかない信じられないほどの搾取と抑圧の体制のなかから立ちあがった強力な大衆運動によって根本的につちかわれて、植民地革命は植民地、半植民地的構造をもつ地上のすべての国とすべての地方――極東から中東諸国へ、アフリカ植民地からラテン、アメリカの半植民地まで――一つの環から一つの環へひろがっている。
 「ブルジョア的組織の心臓部」よりもある意味で「その機能の規制がより容易な末端部」において、崩壊がより急速であることはたしかに論理的である(K・マルクス「フランスの内乱」)。
 これらの諸国の売弁的支配階級と結んでいる帝国主義がその経済的発展にブレーキをかけるため、そしてその時代遅れの社会構造と破簾恥な搾取条件を維持するためにくわえた一切の圧迫は、帝国主義とその土着同盟者にたいして百倍もの力ではねかえっている(2)。
 警察的傭兵的勢力によって武装解除され、粉砕され、挫折させられた植民地大衆の消極性に、前次大戦まで慣れていた帝国主義支配者を呆然自失におとしいれたのは「世界をゆるがした」中国だけではなかった。植民地革命の嵐がペルシア湾や東地中海沿岸に達し、今日まで帝国主義者と土着の封建支配階級の共同の搾取をうけてきた土地であれ狂ったとき、西側のジャーナリストや政治家の口に自然にのぼった唯一つの言葉は「革命」であった。
 事態のひろがりは、その理由を「クレムリンの陰謀」や孤立した「アジテーター」の陰謀に帰そうとする一切の言いのがれの企図を封じた。
 突然に、「革命によって」ゆすぶられているこの地方の社会的現実の探求はブルジョア出版物において思いがけなく開花した。当時まで無視されていたという植民地主義の美点についてのすばらしい発見がおこなわれた。たとえば、農村人口のほぼ〇・三%を占めるにすぎない土地所有者がイランの土地の七〇%を所有している。アングロ・イラニアン会社がイランの国家に支払っている配当金は絶対に馬鹿馬鹿しい額であった。この国では、一で人の男の一日分の賃金は一人のヨーロッパ労働者の二時間の労働の賃金に、一人の女の賃金はほぼ一時間の賃金に等しく、一人の児童の賃金は日に三〇フランから五〇フランである。テヘランの有名な第十区では、一二才の少女が生きるために大衆的に売春しており、男女のおとなは阿片におぼれている等々(3)。エジプトについても、チュニジア、アルジェリア、モロッコの農民や農業労働者についても似たようなイメージを描くことができる。
 しかしこれらの条件は、アジア・アフリカ、ラテンアメリカにおける資本主義体制の植民地、半植民地的保留地に囲いこまれた人類の圧倒的多数にとっても、ほとんど同じであるという事実について、人は誠実に反省しなければならない。宗主国のプロレタリア大衆の比較的に特権的な水準は、とりわけ人類の大多数の巨大な窮乏に依拠してきたのである。
 もっとも搾取されてきた大衆の革命的覚醒は、人間以下の水準に彼らを押し込めてきたこの制度の弔鐘をならしている。彼らの反逆の運動はその当初において多少とも明確な政治的意識のあれこれの形態をとる。だがいっそう問題なのはこの運動の結果と力学である。
 これら植民地、半植民地諸国の経済的社会的諸条件は、宗主国の場合のようなプロレタリア的、社会主義的水準とはちがって、大衆運動が民族的、民主主義的水準から出発することを必然にする。その大多数が農村や都市の小ブルジョア大衆(商人、職人、役人、知識人)である後進国の大衆は、その最初の自然発生的運動においてまず民族的、民主主義的任務――民族の独立と統一農民革命――を解決しようとする。この事実から、これらの任務の性格から、植民地革命は社会主義革命としてではなく、ブルジョア民主主義革命としてはじまるのである。しかしこの段階においてさえ、そしてそれがプロレタリアートと貧農を代表する革命的政党によってではなく、ブルジョア政党や小ブルジョア政党によって指導されているにしても、この革命は、現在イラン、エジプト、ボリビアで起っているように、帝国主義の立場を攻撃するかぎりで歴史的に進歩的な要因である。
 革命がその国にたいする帝国主義の直接的支配を、土着ブルジョアジーを権力につける形式的な独立でおきかえるだけに終った場合でも(インド、セイロン、インドネシア)、歴史的に進歩的である。なぜならそれは、いかに遠慮がちにではあれ、宗主国帝国主義の経済的土台を制限し、いかにひかえ目なものであれ帝国主義の直接的支配によってブレーキをかけられていた生産力の発展を許すからである。独立以後のインドの発展、あるいはペロン体制のもとでのアルゼンチンの発展はこの点で意義深い。
 他方、ブルジョア的民族的水準からひとたび開始された植民地革命は、社会主義革命に発展する不可抗力的傾向をもつ。これらの諸国の民族ブルジョアジーは、一方では帝国主義と、他方では土着封建領主とあまりにも深い結合をもっているので、それぞれにたいして断固たる一貫した闘争をおこなうことができない。したがってまた大衆の先頭に立って革命のブルジョア民主主義的局面を完遂することはできない(4)。だが、革命のなかでのプロレタリアート、貧農、都市の貧しい小ブルジョアジーのますます積極的な役割に直面させられることによって、ブルジョアジーの階級的本能は、彼らの未来の主要な敵をこれらの大衆のなかに見出す。彼らは大衆の歴史的要求が、革命の民族的、民主主義的局面の枠を大きく破ることを知り、共同ではじめた革命闘争のなかでの大衆の政治的成熟と戦闘化をおそれる。
 一般的にどこでも、インド、中国、ベトナム、イラン、エジプト、ボリビアといったさまざまなケースにおいて、闘争は民主主義的、民族的水準、つまりその国の独立と統一を求めてまず帝国主義に反対する水準からはじまる。この第一の局面では、民族ブルジョアジー、都市の小ブルジョアジー、プロレタリアート、農民の間の一種の統一戦線が結成される。政治的指導権は、ブルジョア政党か小ブルジョア政党の手中にはいる。しかしたちまち、階級闘争と民族闘争とが錯綜して、革命はもう一つの動力学を獲得し、局面を変化させる。革命はそのとき、ブルジョア的、あるいは小ブルジョア的指導部と衝突し、貧農と同盟したプロレタリア的指導部による事実上のおきかえにむかう。
 民主主義的、民族的局面自体をもふくめて、革命全体の成否を決定するものは、この後者の局面である。ロシア革命に際してすでにひき出され、つづいて起った、また現在も起っている一切の革命によって、否定的にも肯定的にも確認されたこの偉大な歴史的教訓、それは革命の民主主義的、民族的局面の勝利さえも、ブルジョア的、小ブルジョア的指導部にとってかわるプロレタリア的指導部なしには不可能であることである。このプロレタリア的指導部のもとにみちびかれるのでなければ、革命は、帝国主義の統制からの真実の解放や、農民革命の発展が中途で、未完のままに押しとどめられるのである。この思想を、現在のいくつかの具体的な実例によって説明してみよう。
 まず、イラン、エジプト、ボリビアの例をとりあげてみよう。これら半植民地国は三つとも形式的独立を享受しているが、帝国主義はその統制下にこれらの諸国を維持しようとしている。この事実から、これらの諸国の大衆運動は民主主義的、民族的運動として、すなわち反帝国主義運動としてはじまった。その指導部は民族ブルジョアジーの代表者(エジプト)の手中か、イランや、とりわけボリビア(MNR)におけるように急進的小ブルジョアジーの代表者の手中かにうつった。しかしこれら三つの場合の反帝闘争は、たちまちこの最初の段階を超え出てしまい、大衆はこの闘争に、彼らのもっとも代表的でもっとも憎まれている指導者、シャー、王とその直接の側近にはじまる土着所有階級にたいする独自の階級的要求の闘争を結びつけた。
 ボリビアではCOBに組織された武装労働者は、実質的にはこの国の真実の労働者権力の樹立に等しい綱領を提出している。大衆とそのブルジョア的、小ブルジョア的指導部との衝突はすでに潜在しており、深化しようとしている。その指導権が意識的な左翼分子の手にうつる危険だけが、これらの諸国のもっとも目先の利いたブルジョア分子が大衆を統制しつづけるための犠牲や若干の譲歩をおこない、大衆の要求の防衛者としてふるまうことを余議なくさせるのである。同時に彼ら――モサデグ、ナギブ、そしてバス・エステンソロ――は、事実上のボナパルティストの立場にたって、大衆、土着反動勢力、帝国主義の間の均衡を維持しようとする。彼らはみな、一九一七年一〇月以前のケレンスキーを思い起させる。彼らが道を譲るもう一つの可能性は、大衆を粉砕する新しい独裁の樹立である。
 インド、セイロン、インドネシアの場合はすこしちがっている。
 民族ブルジョアジーが一国においてすでにしばらく前から相対的に安定した体制で直接的に支配し、革命の民主主義的、民族的局面を未完成のまま維持している理由は、その国の民族ブルジョアジーと他の諸階級との異なった力関係によって説明される(5)。
 とりわけインドやセイロンでは、ブルジョアジーは相対的により強力で組織されており、帝国主義に反対して大衆の先頭でたたかったために得た威信を一定程度保持している。
 だが、彼らにたいする大衆の不満はいまやこれらの国のどこでも大きく前進しており、インド、セイロン、インドネシアのそれぞれの革命の次の局面は、農民と同盟したプロレタリア指導部のもとでの革命の完遂の局面であって、そこでは民族ブルジョアジーにたいする政治的、経済的収奪が行なわれるであろう。
 中国(そしてある程度まではベトナム)の場合は、民族ブルジョアジーの政治的、経済的権力に反対するプロレタリア的指導部の確立が、民主主義的、民族的次元でも、革命を遂行するために最初から必要な条件であったことが特徴である。偉大な中国革命が今日までに勝ちとった成果――独立、統一、農地改革は、大衆運動にたいする共産党の現実の指導権と、民族ブルジョアジーの政治的、経済的権力に反対する農民的、平民的基盤によってつき動かされてきたこの党の現実の闘争を勝利させた諸条件のもとで実現された。それは第二次中国革命の時期、一九二五〜二七年に、中国共産党が民族ブルジョアジーに従属して、国民党に指導的役割をゆだねた路線とは対照的な、一九四六,四八年から今日までの中国共産党の戦略(それ自身大衆の革命的運動の力学が強制し、事実において実現させたものなのであるが)のめざましい展開である。かつての路線は、革命の粉砕と二〇年間の残忍な独裁体制を中国にもたらした。そしていま勝利した第三次中国革命は、プロレタリアートと貧農に依拠する共産党の事実上の権力のもとで民主主義的、民族的局面を完遂し、すでに社会主義革命へ発展している。
 こうして、現在の植民地革命の異常な爆発のすべてのあらわれは、それが、現代の社会主義的、プロレタリア革命の過程の有機的一環として評価されるべきことを要求している。
 それは、二重の意味でそうである。民主主義的、民族的な最初の局面においてさえ、宗主国プロレタリア大衆の社会主義のための闘争を援助し、容易にする。だがそればかりではなく、その内的力関係の展開によって植民地革命は社会主義革命に発展する必然性をはらみ、プロレタリア革命、すなわち民族ブルジョアジーの政治的、経済的権力に反対する貧農と同盟したプロレタリアートの指導のもとでのみ勝利することができるのである。

 (1) 中国革命については、次章でよりくわしく検討される。
 (2) 資本主義国は、いまのところ、軍事目的のために年1000億ドルを消費しているが、有名な「後進国援助のポイント・フォア」は、ようやく約二億ドルを吸収しているにすぎない。
 (3) 「イランでは、富者は趣味で阿片を吸い、貧者は忘却のために吸う。」
 「スウェーデン医療ミッションは、数年前、テヘランにおける阿片消費量は一日に300キロ=三人で1グラム、年間で108トンと推計した。それはまた中毒患者数を、人口の75%と推定した。」(「イランはどこへゆく?」ジャン・マリー・ドー・モルーユのアンケート「ル・モンド」 1952年7月25、29日号)
 (4) ブルジョアジーと封建領主はこれらの諸国ではほとんどつねにかさなっており、異なった二つの段階ではなく、「領主資本家」という唯一の社会的カテゴリーを形成している。他方中国の場合のように、高利貸資本家が農主の主要な搾取者である。
 (5) 帝国主義の権益はこれらの諸国から完全に排除されないばかりでなく、ぼう大な農民大衆の利害がかけられている農地問題もまた依然として解決されずに放置されている。


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