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国際革命文庫  8

日本革命的共産主義者同盟
(JRCL)中央政治局編
国際革命文庫編集委員会訳

3

電子化:TAMO2

「来たるべき対決」
ミシェル・パブロ


3 非資本主義国家――ソ連邦、「人民民主主義国家」、中国

 二つの戦争の間、ソ連は、敵対的な資本主義世界に包囲されたままであった(1)。
 十月革命の勝利は、一切の生産手段の国有化と経済の計画化によって特徴づけられる新しい非資本主義的社会秩序の経済的、社会的基礎をきずいた。
 だが、過去のロシアのきわめて後進的な性格と、資本主義国による長期の敵対的な包囲とは、生産力の調和のとれた発展をさまたげ、新しい制度とその目的のために世界市場から得ることのできる貴重な援助を利用する可能性を奪いとった。ソ連は、きわめてゆたかな自国の資源と、勤労大衆の超人的な努力にだけ主として頼ることによって発展した。
 このハンディキャップにもかかわらず、この国が急速に進歩し、他のどの資本主義国も経験したことのないリズムで工業化し、第二次世界大戦を勝利のうちに耐えぬき、つづいてこの戦争が与えた巨大な損害をおどろくべき速度で回復し、いまや合衆国についで世界第二の工業国になり得たのは、まず資本主義制度をのりこえて十月革命がうちたてた新しい生産関係の圧倒的な優位、生命力と順応性によるものである。ロシアの後進性も帝国主義の包囲も、革命が実現した経済的、社会的成果を破壊することには成功しなかったのである。それらの不利な条件がもたらす害悪は、まず革命が生んだ政治権力の政治的性格にはたらいたのである。
 革命はレーニンの時代においては、貧農と同盟し、労働者・農民から民主主義的に選出された委員会、ソヴィエトに依拠した真実のプロレタリアート独裁の体制を建設した。レーニンの時代のプロレタリアートと貧農は、その党の民主主義的活動と、ソヴィエト・労働者国家の現実の機関で果した彼等自身の積極的役割とによって、政治権力を直接掌握することができた。しかし大衆のこの政治的役割は、官僚カースト制度の形式が確立され、それが隅々にまで拡大されていったことによって、排除された。この官僚制は、一切の政治権力を独占し、強制の機関としての国家を、経済的進歩とともにますます民主主義的にし、その死滅(2)にむかって除々に前進していくかわりに、歴史がかつて経験したことがないような、国の一切の生活とその経済的、芸術的、科学的、文化的な表現にタガをはめるおそるべき国家機構をきづきあげた。
 ソ連が、かつてなく強力な国内警察をもち、人口の広汎な層を物質的に窮乏(3)させながら、完成された社会主義から共産主義へ移行しつつあるという思想は、無邪気と無知を利用する官僚のシニズム(4)によってのみ擁護される思想である。ソ連は現実には社会主義を準備する体制であり、社会主義が実現されるのは、その世界的勝利のなかでのみであろう。そしてその勝利は、ロシア的後進国に基礎を置く障害(帝国主義の包囲と官僚制自体の寄生性)をも排除するであろう。
 敵対的帝国主義の包囲を突破し、世界市場が与える利益を自由に享受し、国際的な経済協力を得ることは、とりわけ後進国において権力を奪取したプロレタリア革命が均衡のとれた発展をとげるための、主要な条件である(5)。
 ソ連の包囲は、第二次世界大戦によって決定的に破壊され、いまやその反対の現象――ヨーロッパやアジアの非資本主義国による資本主義の包囲――に転化しつつある。しかし人々はまだ、戦前の状況と比較した場合の、国際情勢のこうした基本的変化の重要性を理解してはいない。
 革命的中国が存在するという一つの事実だけで、アジア大陸の運命は潜在的には決定されている。帝国主義が、一〇年間戦争を延期したとすれば、中国は、二つの世界大戦の間にソ連が達成したような、あるいはそれよりはやい速度で工業化し、大強国の水準に上昇するであろうが、その結果革命中国は、単なる滲透の効果によってインド、日本をふくめたアジア全体を分解させるであろう。アメリカブルジョアジー、とりわけそのマッカーシー派がおそれているものは、この中国革命のダイナミズムであり、おそかれ早かれアジア全体を沸騰させるにちがいないこの巨大な火薬庫を、卵のうちに窒息させて、一九一七年のロシア革命にたいしておかした「誤謬」をくりかえすまいという決意を、彼らはかためているのである(6)。
 東部、および中部ヨーロッパで引き起された変化もやはり旧大陸の運命にとって重大である。われわれはすでにヨーロッパ資本主義の戦前の均衡が、部分的には大陸のこの地方の市場との交換に依拠していた事実に言及した。これらの諸国はいまやソ連を中心とする他の経済圏に包含されている。しかもこれらの諸国は、他方では、今後数年のうちに、現在の構造とヨーロッパ内部の工業的力関係を完全にかえてしまうリズムで工業化しつつある(7)。一つの経済的、戦略的な統一体への、これらの諸国とソ連、中国の融合は、国際的力関係においても巨大な効果をもたらすであろう(8)。
 「人民民主主義」(9)の道を経済的、社会的に歩むことになった東ドイツの事例は、ドイツ全体とその未来の経済的、政治的、社会的均衡にとって特別な重要性をもっている。東ドイツは、新しい社会秩序の前進拠点、資本主義ヨーロッパの心臓への不敵な挑戦である。
 「人民民主主義国」や中国は、さまざまな形態のちがいはあるが、ソ連と同様に社会主義を準備する経済、社会体制を有している非資本主義国である。マルクスが指摘したように、政権の形態やその指導部の性格によってではなく、その経済社会的土台の性格、それを特徴づける生産関係によって、特定の体制と国家の階級性が判断される。ソ連、「人民民主主義国」、そして中国(10)は、程度の差はあれ非資本主義的生産関係、国有計画経済によって特徴づけられる。
 マルクス主義理論を無視したり充分に理解できないような人々は、これらの諸国の非資本主義的性格を決定づけているこの規準の重要性を過少評価し、軽卒にも、国有計画経済が資本主義の発展に固有のものであると主張している。われわれはルーズベルトの「ニュー・ディール」、ナチスのもとでのドイツ経済、前大戦中のアメリカ経済、戦後のさまざまな資本主義国の「国有化」と「計画」、イギリス労働党の経験を見てこなかっただろうか。そのように主張する人々は、こうしたさまざまの国有化と計画化のこころみは存在したが、それらは、収奪されるどころか、反対にかつてなく強力な大ブルジョアジーに統制された国家のもとにおいてだったのであり、ブルジョアジー自身を政治的・経済的に収奪することによって遂行される全般的な国有化と計画化はどこにもなかったということを忘れている。
 問題は単に理論的であるだけではなく、実践的で具体的である。
 歴史はどこでも、今日まで、ブルジョアジーの予備的な政治的・経済的収奪ぬきに、経済の全般的で持続的な固有化と計画化に到達できる可能性を示したことはなかった。国有計画経済とは単なる経済的概念ではなく、まず一つの社会的現実であり、特定の敵対的社会的勢力の間の現実的な階級闘争の産物なのである。ソ連や「人民民主主義国」、中国を支配している新しい生産関係は、資本主義のいわゆる「国家資本主義」への有機的発展の産物なのではなく、これらの諸国の階級闘争が、ブルジョアジーを暴力的・革命的に、政治的にも経済的にも収奪したことによって到達した産物なのである(11)。
 歴史的現実にこたえるこの方法はまた次のような疑問にたいする回答をも用意する。
 だが、これらの非資本主義国家群は、社会主義を準備する労働者国家と呼ばれて良いものだろうか。
 回答は、次の三つの理由から肯定的である。
 ――これらの国家は、ブルジョアジーと帝国主義の政治的経済的権力に反対するプロレタリア的、平民的な社会的勢力の闘争の歴史的産物である。
 ――マルクスとエンゲルスの理論によれば、経済の国有化と計画化は社会主義のために必要な準備段階である。
 ――国際情勢の力学は世界社会主義革命にむかって発展している。この最後の理由は、資本主義と社会主義とのあいだに中間的な世界的体制が存立しうるという仮説を不合理なものにする。この発展は、現在の労働者国家の官僚的歪曲を克服し、それぞれの国の社会主義の開花を容易にするだろう。
 これらの諸国の歴史的起源、その誕生を決定した具体的な条件を分析し、当面する歴史的展望の枠組みのなかに位置づけるという方法を採用しないならば、マルクス主義の社会学の強固な土台を放棄して、情緒的な反動の道、反科学的で反動的な主観主義の道を歩むことになるだろう。
 たしかに、プロレタリア民主主義のおそるべき官僚制的歪曲であるこれらの諸国の現在の政治権力形態は、これらの諸国の正しい社会学的性格づけにとって決定的なものではない。この形態は、ソ連官僚指導部がはたした反動的役割の、そして経済・社会構造の革命的転化が今日まで条件づけられてきたこれらの諸国の後進性の産物である。
 政治権力のこの形態がこのままかたまってしまうことはない。それは歴史的一時期にわたって安定することはないであろう。それは資本主義にたいする世界的勝利へと発展する国際情勢の影響を受けた過渡的形態である。それはこの勝利に抵抗できないであろう。それは、官僚指導部と大衆との間の力関係を不断に、後者に有利に変化させている世界的規模の革命的発展過程のなかで一掃されるであろう。
 政治権力のこの形態は、歴史的にはエピソード的であるが、確立された新しい生産関係は、巨大な、進歩的な決定的要素である。これらの諸国がおどろくべき加速度で工業化の諸段階を突破し、資本家体制のもとでは不可能な生産力の発展をすでに経験しているのは、この新しい生産関係のおかげである。
 こうした現実を大衆にたいする官僚の圧力に帰することは、ふたたび――第一原因を把握できず、さまざまな要因を秩序づけることのできない――反科学的主観主義の領分に逃げ込むことである。これらの諸国の大衆が、しばしばきわめて困難な諸条件のなかで、倍加された生産的努力にしばりつけられていることは、異論のないことである。しかし、過去と現在の他の体制は――単に生産の一般的条件が生産力の発展に適合しないという理由から――同じ生産的結果に到達することなく大衆の努力を浪費してきた。
 たとえば、フランコは、真実の窮乏という条件のなかで働いているスペイン人民の生産的努力を利用し、浪費している。スペインの生産力は停帯しているのみならず、後退しているのはなぜか。資本家的であり、封建遺制によっておしつぶされているスペインの生産条件は、大衆の労働力の生産的使用に適合していないだけでなく、毎日、それを下落させることによって、生産の一般的水準の低下を引き起している。
 経済の全般的な国有化と計画化は、資本主義的生産関係によってブレーキをかけられている生産力を開花させるための、巨人のあゆみである。しかもそれは、官僚全能体制の掠奪的役割にもかかわらず、労働者の自主的、意識的で、自由な、生産にたいする参加――経済の管理と、計画の立案と実施への――をさまたげている反民主主義的な体制がかたちづくっている桎梏にもかかわらず、そうなのである。
 生産力の飛躍は、資本主義国においては、大衆の生産的努力から独立して、資本主義的生産関係によって窒息させられている。資本主義的生産は、不断に拡大する支払能力をもった、そして資本主義的利潤を保証する市場の存在によってのみ発展する。国有計画経済の諸国における生産力の飛躍は、まずなんらかの方法で、一切の資本主義的利潤から独立した市場を創造する新しい生産関係によって生み出された。これが、ソ連ばかりか、「人民民主主義国」の経験の客観的評価から引き出されなければならない正しい結論である。
 もちろんこの経済は、まだまだ一切の困難から解放され、調和的に発展する段階からはほど遠い。これらの諸国の後進性、世界市場からの孤立、ソ連による統制、自国の政府の官僚制的性格は、このような発展にとっての多くの障害を形づくっている。
 永久的危機がこれらの諸国には存在する。それは次の三つのちがった面、国家と農民の関係、国家と労働者の関係、国家とソ連の指導との関係、であらわれている。
 明らかに、これら三つの面の間には、相関関係が存在する。
 農民の問題で生まれた一切の困難は、これら諸国の後進的性格と、その世界市場からの孤立によってよりも、政治権力の官僚制的性格に多く帰因する。中国をふくめ、これらの諸国の大部分では、人口の大多数が農民であり、解決すべき主要な課題として、農業の集団化がのこされている。革命の民主主義的民族的局面のあいだ、農民への土地の配分と資本主義的搾取が彼らにおしつけていた負担(税金、高い工業製品)の軽減が問題になっていたあいだは、ブルジョア権力に反対するプロレタリアートと貧農の同盟を固めることは比較的容易である。農地改革は、農民大衆の巨大な革命的エネルギーを噴出させる手段となり、彼らはある条件――ブロレタリア的指導が確保されているという――のもとでは、ブルジョアジーと帝国主義の権力にたいして勝利をおさめることも可能なのである。中国の実例は、このことの著じるしい証拠である。しかし権力奪取ののちひとたび実現された農地改革は、現実において保守的要素となり、非政治化して生産に熱中する小所有者の巨大な層の形成に到達する。
 これら幾百万の小土地所有者は、たとえば今日のポーランドにおけるように「圧倒的に個人的に、しばしば資本主義的に」生産しているのであって、新しい蓄積、土地の再集中、新しい社会的両極分解を通じて資本主義復活の温床をなしている。クラーク、すなわち農村ブルジョアジーの出現は、この発展の不可避的な結果である(12)。
 すべてのヨーロッパの「人民民主主義国」と中国は、今この問題にぶつかっている。階級闘争の新しい局面がこれらすべての国でふたたび開かれて、事実上、諸階級のブロックによる政治権力の共同指導と諸階級の平和共存という概念を特徴とする、資本主義と社会主義との間のいわゆる中間体制の理論を崩壊させている。現実において、革命が「永久的」であることが明らかになり、ブルジョアにたいする勝利から生れた新しい権力は、土地をふくめた一切の生産手段を集産化する真の社会主義革命に革命を転化させることなしには絶対に強化されえないのである。
 すべてのヨーロッパの「人民民主主義国」と中国において、土地改革を終了した今日、第一の問題は、農業における個人的私的維持がその国の経済、社会、政治的均衡を不断に脅やかすという理由によって、農業経済の集団化の問題である。プロレタリアートと土地改革によって形成された個人的小土地所有者としての農民、時には「愛国的」ブルジョアジーとの平和共存という「人民民主主義」を長期にわたって維持することができるという幻想によって、この不可避の闘争をごまかそうとして権力についている各国共産党が当初とったいくつかのこころみは、階級的利害の不可両立性と階級闘争の不可避的激化のまえに、むなしく挫折した。「人民民主主義」政権は、ブルジョアジーの「愛国的」部分のみならず、小中農民ににたいしても集団化にひきいれるという方法を通じて向けられるプロレタリア独裁政権以外のなにものでもありえないことを承認せざるを得なくなったのである。もちろん集団化を実現する可能性は、強制の問題ではなく、まず経済的手段の機能である。小土地所有農民は暴力によってではなく、農業経済の漸進的な機械化によって、工業製品価格と農産物価格とのあいだの格差の縮少によって、国有集団農場(ソフォーズ)の発展がもたらす実例によって、プロレタリアートとの同盟を維持する集団化にむかうのである。中間的局面は、協同組合運動によってのりこえることができるであろう。ヨーロッパの「人民民主主義国」と中国の権力の座にある共産党指導部は、今日理論的にはこれらの真理に到達した。しかし実践におけるギャップはなお大きい。
 その生成の官僚主義的性格によって促進され、またそれを統制するソ連指導部の要求によって強制され、しばしば都市の住民の圧力に押されて、これら諸国の「人民」政府は、農業政策における強制的集団化の促進と、強大な農民大衆の圧力のもとでのその後退との間を動揺している。そのため彼らは、自らの指導部の一角を、失敗と幻滅の「贖罪の主」としてささげなければならなくなった。政権についている共産党の指導者グループのあいだでつぎつぎに見世物的な粛清をおこなったルーマニアとブルガリアの例は顕著であり、その最近のもっとも有名なものは、アンナ・パウケルとルカの粛清で、彼らはクラーク反対闘争と、農業経済における強制集団化を推進したために批判されたのであった。
 労働者大衆との関係においても、困難はまた大きい。特にチェコ、ポーランド、ハンガリー、東ドイツという発展した諸国においてそうである。それは労働者が、労働強化、スピード・アップ、コンベア・システムの一般化、労働時間の延長、その他「人民」政府が労働者を「規律化」するために使用する強制的な経済的政治的措置にたいして示す抵抗に表現されている(13)。
 これらの諸困難の最も深い原因は、民主的、自発的、自覚的基礎の上に、労働者を、いっそう要求される生産的努力に結集する能力を欠如している、政府の官僚主義的性格にもとめられる。官僚主義体制は、抑圧的であるばかりか、不経済なのである。
 最後に、これら諸国の指導部とソ連指導部との関係の面では、困難は、ソ連による統制の支配者的・収奪者的性格がもたらす。それは、大衆の上にそびえ立ち、その政治権力を完全に収奪し、新しい特権と、いっそう多くの権力を渇望している官僚カーストの手中にあるソ連の現政権の官僚主義的性格の結果である。これらの諸国の解放と新しい権力樹立のために、赤軍と各国共産党指導部内のソ連の代理人が果した役割によって、ソ連が確立した支配権は、けっして無欲なものではなかった。ソ連はこれらの諸国の経済からおおいに利益を引き出し、またこれらの諸国の経済を次第に計画化していったのだが、その場合でも利益の最大の享受者はソ連官僚だったのである。
 自国の大衆を信頼せず、強制と機構によって権力を維持しているような政権は、平等と信頼の基礎の上に他国と結びつくことができないばかりか、他国をできるだけ直接的な支配によって自己の勢力圏内に維持したいというどうしようもない要求を感じるだろう。その結果としてこれらの諸国の「ロシア化」、つまりクレムリンの直接的代理人が、各国共産党や政府の指導部内で重要な地位を占取するという深刻な現象がおこってくる(14)。
 こういう条件のもとでは、自由を奪われた各国共産党の指導部とクレムリンとの間で衝突がおこるのは不可避的である。この衝突は時に各国共産党指導部のセンセイショナルな粛清、裁判、処刑にまで到達する。アルバニアのコーチ・ゾーゼ、ブルガリアのコストフ、ハンガリアのライク、ポーランドのゴムル力、チェコのスランスキー、そして最後にルーマニアのアンナ・パウケル、ルカらの例がそれである。これら諸国の党の主要な人士、旧いカードルの大部分はつぎつぎに粛清され、新しい分子と交代したといっても誇張ではない。もとより、これらの粛清された指導者の血祭は、単に経済、政治生活におけるソビエト官僚の堪えがたい介入にたいする直接、間接の、また公然、非公然の反対という理由だけから行なわれたのではない。彼らのうちある者はクレムリンのあまりに熱心な奉仕者として批判され、ある者は「いけにえの羊」として利用されて、大衆の不満を一身にせおうために、国内のライバルによって排除されたのであろう。この場合、クレムリンは同意を与えるか、あるいはユーゴ型の分裂が新たに発生することを恐れて是認し、新しい勝利者と友好関係を結ぶことを選んだ。以上の説明は、とくに、チェコにおけるクレムリンの主要な手先スランスキーと、ルーマニアのアンナ・パウケルの場合にあてはまるであろう。いずれにせよ、これらの国の後進性、世界市場からの孤立という条件は、ソビエト官僚の支配と自国政府の官僚制によって深刻化させられ、革命の世界的勝利だけが解決することができる慢性的危機をもたらしたのである。
 事実、世界革命の発展、その経済的先進地域への拡大は、同時に、官僚に反対する大衆の闘争を刺激し、力関係を大衆に有利に変え、これらの諸国の政治権力の現在の官僚的歪曲の経済的原因をとり除くことになるであろう。ユーゴは例外的である。基本的にユーゴ共産党によって指導された大衆による権力奪取と、戦争中に経験した、特殊な発展(クレムリンの直接的支配から切りはなされつつ革命的大衆の強い圧力のもとへ従属した)のおかげで、他のどの国でもひき起された危機がこの国ではクレムリンとの関係においてクレムリンを犠牲にすることによって解決された。全党がクレムリンに反対して指導部の周囲に結集し、大衆の支持を受けて、クレムリンの直接的支配からの離脱に成功したのである。
 朝鮮戦争以後の帝国主義の圧力にたいする指導部の屈服にもかかわらず、ユーゴの実例は一つの歴史的意味をもつ。それは事実によって、プロレタリア革命、およびすべての強力な革命運動と、クレムリンの官僚的支配とが両立できないことを証明した。それはまた、革命の限定された勝利ではなく世界的勝利においては、大衆と官僚指導部との力関係に決定的な変化がおこることをあらかじめ明らかにした。
 中国革命の力学も歴史的には同一である。すでにクレムリンは、毛政権を単なる衛星国ではなく同輩として扱うことを余儀なくされ、アジアの諸問題については共同で指導することになっている。中国革命の強化に比例して、そのクレムリンの支配からの事実上の独立はより大きくなるであろう。
 このような新しい力関係が非資本主義国の内部で確立されたのであるが、その力学は、今日までソ連官僚が国際労働運動に行使してきた絶対的直接支配を破壊しつつある。今日まだクレムリンによって支配されている諸国も、決して等質的でも安定してもいない。この面で、やはり革命的展望が引き出されざるを得ない内部矛盾が存在していることを見落してはならない。
 (1) M・A・ベバンは次のように書いた。「かつてロシアは敵意の壁で包囲され、通商も時々ばったり停止されてしまった。今、アメリカは、中国にたいして同じような愚行をくりかえしているようだ」(「恐怖にかえて」四一ページ)
 (2) マルクスとレーニンの国家理論による。
 (3) この二つの側面のみを強調して。
 (4) 彼らの例外的な生活水準と法外な特権を大衆のそれと同一視している。
 (5) M・A・ベバンはロシアの経験から次の教訓を引き出した。「農業国の革命を取り扱う方法は、その国に農業用生産手段を送って、農業剰余生産物が近代文明の工業用生産手段を適切に取得できるようにすることである。諸君は民族革命を飢餓によって従属させることはできない。諸君は飢餓によって独裁に引きわたすことはできる。警察国家の地獄の論理が一切をつかみとるまで追いつめることができる。」
(「恐怖にかえて」四一〜四二ページ)
 (6) 中国東北の工業計画によれば、一九五二年の国公企業の総生産高は一九五一年を四一・五%も上まわることとなろう。昨年の総生産品は一九五〇年の二四・一%増であった。「かつて資本主義国の歴史でかくも急速な工業発展を経験したことはなかった」(東北人民政府主席高崗の論文。「人民中国」一九五二年六月)。
 (7) これらの国の工業化より期待される結果はおおまかに次のように要約しうる。一人当り工業生産高は、チェコではすでにフランスの水準をぬき、ポーランドとハンガリーではイタリアの水準をこえた。一九五五年には、チェコは戦前のドイツの水準に、ポーランドはフランスの水準に、ルーマニアはイタリアの水準に達するであろう。
 (8) 一九五一年に、ヨーロッパの衛星国はソ連で採掘された石炭百トンにつき五六トン、共同プールへの天然、および合成石油の衛星国の寄与はソ連の百トンにつき二七トン、電気はソ連の百キロ・ワット時につき、四五・四キロ・ワット時、鋼鉄はソ連の百トンにつき三〇・四トンであった。
 (9) 一九五二年七月九日より一二日に開かれたドイツ統一社会党(SED)の第二回大会の決定を見よ。
 (10) 中国はこの道を歩みだしたにすぎない。しかしそれが維持され、急速に前進する政治的前提はすでに存在している。
 (11) ユーゴをのぞいてヨーロッパの「人民民主主義国」の場合、旧ブルジョア国家の破壊はおもにソビエト指導者の軍事的・官僚的行動によって行なわれた。
 (12) ポーランドの経済面での指導者ヒラリ・ミンツの言明。トリプナ・ルドウ紙一九五〇年一〇月一〇日号
 (13) 共産党指導者はいずれも、その国の「労働規律」の問題が未解決てあると言明している。(ラマン・一九五二年一月一三日のザバド・ネップ紙。ザボトツキー、一九五一年十一月一日のルーデ・ブラーヴォ紙。最近では一九五一年十二月十八日のラボートニチェスコ・デーロでブルガリアの労組指導者が。)労働者の所在を固定し、その移動を禁止するソ連現行の労働法は漸次「人民民主主義国」に導入されつ
つある。
 (14) 中国、部分的にはユーゴを例外として。


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