つぎの章へすすむ「国際革命文庫」総目次にもどる


国際革命文庫  8

日本革命的共産主義者同盟
(JRCL)中央政治局編
国際革命文庫編集委員会訳

5

電子化:TAMO2

「来たるべき対決」
ミシェル・パブロ


5 準備されている戦争の階級的性格とその転化

 いま準備されている戦争は、過去のいかなる戦争とも似ていないであろう。今世紀の二つの戦争――一九一四年〜一八年の戦争と、一九三八年〜四五年の戦争――と比較するとき、準備されている戦争はもはや帝国主義国間戦争と性格づけることはできないであろう。その社会的、階級的性格は、もはや同じではないだろう。
 それを確定するためには、過去にマルクスとレーニンが使用した方法――誰が誰と、どういう目的でたたかおうとしているか――を適用する必要がある。一国の階級的性格を定義するためには、その経済的、社会的基礎ではなく、その指導部の相対的性格から出発してはならない。同様に、戦争についても、体制と社会的諸力の階級的性格ではなくて、たたかっている政府の性格から出発するのもまたあやまりである。表面的な観察者や、ある目的のためにカードをまぜこぜにしたがっている連中にとっては、今準備されている戦争は、どちらもそのエゴイスティックな、民族主義的な目的のために、あるいは世界支配のためにたたかうワシントンとモスクワの戦争である。また殺人を高貴なイデオロギーのカモフラージュにかくしたがっている人々、そうすることによって彼らの不安な意識をやわらげよつとする人々にとっては、スターリン全体主義にたいする「民主主義」「自由」の戦争である。だが現実には、これまでのページでわれわれがおこなった分析のすべてにしたがえば、今準備されている戦争は、ワシントンに指導された帝国主義連合と、一切の形態のもどでの革命の戦争なのである。
 最近の世界的衝突にひきつづいて生れた新しい条件のなかで、再度資本主義を戦争に押しやっているものは、その矛盾の深化である。生産手段の能力と比較しての市場の狭隘化、人類の三分の一をすでに包摂している新しい経済秩序の前進、この秩序の新しい前進にたいする恐怖、植民地、半植民地ばかりでなく西ヨーロッパ各国においてもつづいている不安定な情勢、新しい破局的な経済危機の脅威、これらが、帝国主義をして戦争準備と戦争そのものに生存の唯一のチャンスを求めさせている要因である。
 帝国主義の衰退局面にはいった資本主義は、半自動的に戦争に導びかれる。戦争の経済的準備、戦争それ自体、他に利用できない生産力の一部を消費することに、そうして経済危機の脅威を一時的に遠ざけ、敵対的な対立関係にある階級の一方を他を犠牲にして救出することに役立つのである。これまでは、この過程は、あいたたかう帝国主義ブロック間の世界再分割戦争に到達したものであった。しかし今日では、戦争の経済的準備が、アメリカ軍事経済の巨大な発展のゆえに、帝国主義が生産的に利用できない生産力を支配し、危機の脅威に対処する方法になっている。戦争それ自体もまた、長期的には、危機回避の手段として利用されるであろう。
 しかし他方、国境の内部に窒息しつつある帝国主義の生産力のすくなくとも一部分を延命させ得る巨大な市場が、いまや失われつつある。なぜなら、資本主義的経済圏から構造的に切りはなされた新しい経済秩序が建設されつつあるからである。この事実は、経済的変動であるばかりか、同時に政治的、社会的危険であって、その潜在的爆発力は時とともに増大して、資本主義全体を脅やかしているのである。
 これがいま、帝国主義の戦争準備がもっている方向と目標をきめているものである。つまり、戦争準備と戦争それ自体によって、経済的のみならず政治的にも社会的にも脅やかされた資本主義体制を救おうとこころみられているわけである。
 すでに述べたように、資本主義体制を脅やかしている勢力は、あらゆる形態のもとでの革命、非資本主義国、植民地革命、国際革命運動である。これらすべての要素のなかに、すでにわれわれが前章で示したように、直接あるいは間接に、多かれ少なかれ明瞭かつ意識的な形態のもとに、この世紀の世界社会主義革命の根本的・客観的過程が表現されているのである。ソ連の非資本主義国家、中国の「人民民主主義国」は、その官僚制指導部にもかかわらず、植民地国や資本主義国のプロレタリアートの革命運動と同様、この革命の一部である。
 帝国主義連合の戦争はこれら一切の要素にたいして、革命の一切の形態にたいして準備され、それを破壊しようとしているのである。この意味でそれはこつの国家ブロックの間の戦争ではなく、二つの社会陣営の間の戦争なのである。それが目的としているのは、ソビエト官僚の罪を罰することでも、ソ連やその他の非資本主義国に「自由」を復活させることでもない。それはこれら一切の国を資本主義体制のなかに統合し、進行中の植民地革命の飛躍を粉砕し、メトロポリタン諸国のプロレタリアートの革命運動を志気阻喪させ、解体するためである。それは革命にたいする戦争、革命にたいする反革命の戦争なのである。 現在の冷い戦争のなかですでに進行している局部的衝突の性格が、準備されている全般的衝突の性格を示している。植民地――ベトナム、マレーシア、ビルマ、朝鮮――における帝国主義者の戦争は、植民地革命、プロレタリア革命に反対する戦争であって、単なる国家間の戦争ではない。
 一九五二年七月のアメリカ議会で、共和党と民主党が「自由世界の橋頭堡」台湾のカイライ政権にたいする援助をせり上げたことによって、彼らはその戦争の反革命的性格と同時に、その「イデオロギー的」口実の浮薄で、偽善的で、破廉恥な性格を暴露したのであった。
 朝鮮戦争はさらに特徴的であった。それは現実にはちがった社会体制のもとにある南と北の間の内戦として始まった。それは、その日まで一日として内戦が停止しなかった南においてさえ、そのようなものとして発展したのであった。この戦争の当初の異論のない側面(1)は、したがって、どちらが先に引金を引いたかといった形式的問題ですりかえられていいものではない。その階級的性格は社会的に決定されていた。しかし李承晩の側に立った帝国主義者の介入が、帝国主義者による植民地戦争、反革命戦争、北朝鮮、中国による反帝国主義戦争、革命戦争に変えてしまったのであった。それは単なる国家間戦争、あれこれの政府間の戦争ではなく、まず何よりもその指導部の性格とは別に、敵対する二つの社会勢力の間の戦争であった。こうした朝鮮戦争の階級的性格分析だけがまた、それにたいする正しい階級的立場を可能にするだろう。誰が、何のためにたたかうのか、そこに問題があるのである(2)。
 あらゆる形態での革命にたいする帝国主義連合の戦争はいま、所与の力関係のもとで準備されている。力関係は革命に有利であり、戦争に至るまでそうであろう。なぜなら、帝国主義は衝突の開始までにそれを根本的に自らに有利に変えることはできないであろうからである。われわれがいう力関係とは、現実的ないし潜在的な経済力、軍事力をさしているだけではなく、総体的な経済的、軍事的、社会的な力関係をさしているのである、皮相な戦略家や政治家は準備されている衝突の帰結をそれぞれの「国家ブロック」の経済的潜在力の重要な数字をもととして考察する。これらの数字のなかで、鉄鋼生産の数字が当然圧倒的な役割を演じる。この面でのソ連と西側ブロックの不均等(一対三)にもとづいて、彼らにとってソ連が戦争に勝利する見込みはないときめられてしまう。彼らの基本的誤謬(故意の誤謬は別として)は、いま準備されている衝突を過去の死んだ図式にあてはめて考える点にある。すなわちそれを、各国がその経済的、軍事的潜在力を動員する国家間の単なる衝突として考える点にある。帝国主義の経済的、軍事的動員は、公然たる反乱あるいは革命的沸騰状態にある、また帝国主義の戦争目的に不満をもつ本国、植民地、半植民地の大衆に依拠しなければならないという事実によって、ハンディキャップをつけられる。他方革命の陣営は、彼らの、ときにいちじるしい経済的、技術的劣勢を大きくおぎなう大衆の革命的エネルギーを利用できるのだ。
 資本主義体制にくみ込まれた全ての国の階級関係は、堀りくずされているか、不安定であって、一般に体制の持続的安定にとって不利である(3)。
 植民地、半植民地についてもそうである。
 西ヨーロッパの場合もやはり重要である。いかなるところでも、今日まで、資本主義はまだプロレタリアートに決定的敗北をあたえることに、その危機を克服することに、その地位を相対的に安定させることに成功していない。さらに、特殊ないくつかの間題に注目する必要があるとはいえ、資本主義の一般的な危機の情勢は、ギリシャ、スペインにおいてさえも、決定的に安定してはいない。西ヨーロッパの諸国は、しばしば深刻な悪化によって切断される相対的安定の短い継続をともなった永久的危機のえじきになっている。ある一つの資本主義国がわずかばかり回復したとしても、他の国が衰退し、より一般的な悪化をもたらして、今度は他の国のあやうくたもたれている均衡状態をふたたび崩してしまうのである。資本主義がその支配する諸国の経済的、軍事的潜在力を利用するためには、社会的力関係が安定しなければならない。他方革命の陣営は、総体的力関係における決定的な要素としての大衆の革命的エネルギーを利用することができるのである。
 たとえば、朝鮮戦争あるいはベトナム戦争においては、古典的な軍事科学の概念からすれば、北朝鮮あるいはべトミンの敗北は、その顕著な経済的、技術的劣勢よりすれば、当然であった。しかし植民地革命は、巨大な超技術的、超軍事的戦闘力を動員して、帝国主義軍隊にたいする闘争で、この劣勢を補なってしまったのであった。革命にたいする帝国主義の戦争における力関係は、単なる経済的軍事的力関係とはちがったものである。進行中の一切の植民地革命は、このことを証明している。
 もちろん、これらの力に満足するだけでは不充分である。非資本家国家が動員することができる現実的、潜在的な経済的、技術的な力は、戦略家達が評価するよりすでにずっと巨大である(4)。その発展、その動員は、これら諸国の国有計画経済によって大きく助けられているのである。特に衝突の当面の場の周辺では、アメリカを主体とする帝国主義陣営にたいして、その力関係上の地位はなお高まりつつある。他方、ヨーロッパ大陸の工業的資本主義国の衝突の介入の局面における没落は、経済的、技術的面においてさえも、二つの陣営の力関係を根本的に変えてしまうだろう。
 当面の総体的力関係は、第二次大戦におけるそれと顕著に対照的であるといえる。
 一九三八年のスペインの実例と一九五二年の朝鮮を比較しても、これについて意味深い相違を明らかにしてくれる。一九三八年には革命の力は粉砕され、無条件に降伏することを余儀なくされた。彼らの完全な敗北は、その瞬間における革命と帝国主義とのあいだの総体的な力関係を象徴するものであった。一連の敗北ののちの最後のプロレタリアートの決起であるスペイン革命とともに、すべての国際プロレタリアートは帝国主義に屈したのであった。
 一九五二年には、世界の帝国主義にささえられた最強の帝国主義、朝鮮で交渉し、植民地革命との妥協を強いられている。
 時代は根本的に変ったのだ。
 朝鮮戦争がつくり出した状況、戦争のより意識的かつ加速された準備という状況も、力関係を帝国主義に有利に変えうるものではない。厳密に軍事的な面においては、軍事経済の発展、一般的には資本主義国の再軍備の加速化は、もちろん資本主義国がその現実的、潜在的軍事力を増大させることをゆるすだろう。しかし、非資本家国家も同様なことをやっているのだ。
 反対に、新しい状況は、とくに西欧の資本主義国の相対的安定、これらの諸国が一九四九年と朝鮮戦争とのあいだに到達したかにみえた安定をほりくずすのに貢献している。再軍備の結果は大衆の上にますます重くのしかかっており、ますます激しい反対をひきおこしている。べバン主義、つまりヨーロッパの大衆的社会党の重要な部分の急進化が現われている。二年兵役制に反対するベルギー兵士の闘争やそれを支持するベルギー労働組合のゼネ・ストはそのもう一つの現われである。
 これらの事件に注目する人は、このような条件のもとで、反革命戦争を敢行する資本主義の能力に疑問を持つ。彼らは云う。過去において、プロレタリアートの敗北と志気阻喪を利用して、資本主義は戦争に逃げこむことが可能であった。しかし今日はその条件はない。あらかじめプロレタリアートを打ちのめさず、志気阻喪をさせず戦争の危険にうったえることは、確かに自殺、破局の危険をおかすことではないだろうかと。
 この推理は、資本主義が多くの可能性を選び得るのならば、経済危機と革命の脅威に対決する唯一の手段としての戦争にうったえることをよぎなくされていないのならば、意味あるものにちがいない。現実においては当面の不利な力関係を変える資本主義にのこされた唯一の機会は、静観あるいは待機の姿勢にとじこもることではなく、戦争によって反撃することである。云いかえれば、すでに述べたように、資本主義は闘わずして屈服することはないのである。
 帝国主義は今後、世界的力関係を彼らに有利に転換させることはできない。だからこそ彼らがこれを戦争によって行うこと、こうして力関係がより悪化するのをさまたげようとこころみるであろうという確信から出発しなければならない。
 こうした条件のもとでは、この戦争のもっとも可能性のある――実践的に考慮しなければならない――結果はなんであろうか。
 その階級的本質そのものから、社会的に云えば、この戦争は内乱の側面をおびるであろう。それは革命に対する帝国主義の戦争となるだろう。しかしそれがプロレタリア大衆、植民地大衆の事前の決定的敗北、志気阻喪なしに勃発するであろうという事実は、これを急速に現実的な国際的内乱に転化させるだろう。あれこれの国の特殊な情勢を別として、それぞれの国の革命的成熟のさまざまなリズムを別として、支配的な一般傾向は国際的内乱への転化であろう。これは特にアジアとヨーロッパの場合にそうであろう。
 この転化の傾向は準備されている戦争の階級的性格とこの戦争がそのなかで準備され勃発する力関係との両方から生れてくる。当面の階級闘争の停滞あるいは後退をしるしづけるどころか、この戦争はそれを頂点にまで高めるであろう。アジアとヨーロッパの現在の力関係、その高度に爆発的な性格をまじめに分析するもの、この戦争の性格とそれが大衆によって理解される方法を反省するものは、衝突の国際的内乱への不可避的転化について疑うことはできない。
 ソビエト官僚制自身、その保守主義、反革命的性格にもかかわらず、それが支配し、影響力を及ぼしている大衆に一定の革命的刺激を与えざるをえないであろう(5)。この瞬間においては、帝国主義によって打倒され、ソ連の現在の経済的、社会的基礎から利益と権力を引きだしている特権的支配者として破壊されるという最後の危険を前にしては、ソビエト官僚は自己流でこの基盤を防衛することを余儀なくされる。彼らは自立的な社会勢力ではないがゆえに、ソ連と世界の労働者階級の一定の動員をアッピールすることなしにこの防衛を行うことは出来ないであろう。共産党にしたがう労働者大衆は、部分的にソビエト官僚によって、部分的にその指導部によって、決定的には自己の階級的本能と彼らの正しい戦争の理解につきうごかされて、動員されるにちがいない。この動員は内乱の性格をおぴ、クレムリンの当初の目標をこえてその大衆支配の可能性をこえて、突き進むであろう。
 アジアとヨーロッパの非資本家国家の不可避的な最初の軍事的勝利は、これら地方の支配階級の志気阻喪と解体は、大衆の革命運動の成果を増大させ、戦争の革命への転化を容易にし、強めるであろう。
 すでに植民地で進行している部分戦争はこれらの国の社会革命とからみあっている。
 その階級的性格によって、それが勃発する際の所与の力関係によって、いま準備されている全般的衝突は戦争と同時に革命、戦争=革命であって、世界資本主義に対する世界社会主義革命の決定的で最終的な闘争と勝利の道である(6)。
 これが、いま準備されている衝突の方向と規模である。
 この過程は一九一七年のロシア革命から始まった。一九三九〜四四年の戦争は、なお基本的に帝国主義間の戦争であったが、この過程を不完全にし、中途でおしてとめてしまった。従って資本主義は不具になったとはいえ、なお生きのこることができた。非資本主義国家は、いまや(以前のソ連一国とはちがって)多数存在し強力ではあるが、革命の他のあらゆる勢力と同様に、生存のため絶望的に闘う資本主義のあらゆる狂暴な攻撃をうけなければならないであろう。そして今度はなまはんかな解決はけっしてありそうもないことなのである。
 もし、にもかかわらず、帝国主義が勝利したならば?
 我々がこれまでおこなった分析のすべては、この仮定がまったく理論的思弁の領域に属し、実際的可能性の外にあることを示している。しかし、冷酷に検討してみよう。
 帝国主義の勝利はその根本的矛盾のいずれをも、その死活の課題のいずれをも解決しえないであろう。人類の物質的遺産の巨大な廃虚に立つ帝国主義は、巨大な歴史的後退を意味し、一つの歴史的時代全体にわたって一般的混沌をもたらすであろう。非資本主義家国家の破壊、植民地革命の阻止、国際労働者運動の解体と志気阻喪は、不可避的に生産力の後退、人類の圧倒的多数の大衆の物質的窮乏の維持と拡大、政治的反動と中世的無知をひきおこすだろう。
 こうした条件のもとでは、帝国主義の支配と云っても空語にすぎない。混沌がこの情勢を性格づけるもっともふさわしい名前である。
 それにしても、この混沌を突破して、人類は再度あたらしい闘争の道、真の歴史の時代、社会主義的組織の時代に到達するあたらしいこころみの道に踏みだすにちがいない。
 (1) 特にアメリカのジャーナリスト、エ・F・ストーンの「朝鮮戦争秘史」(マンスリー・レヴュー社)を見よ。
 (2) この著書のなかでストーンは豊富な資料にもとづき、国際的衝突としての朝鮮戦争がマッカーサー、ジョン・フォスター、ダレス、李承晩、蒋介石の一味によって、アジアに対するアメリカ帝国主義の介入を挑発し、中国をたたき、アメリカの軍備増強を再開させるために、計画され、準備された事実を立証している。
 (3) アメリカを例外として。
 (4) ソ連、「人民民主主義国」の生産については、前章「非資本主義家国家」での言及を見よ。ソ連の一九五一〜五五年の新五ヶ年計画についての一九五二年八月二〇日のブラウダがあげている数字はこの言及を確認し、補強している。
 (5) ソ連の国有計画経済の構造から、この国における資本主義の勝利はもはや不可能である。
 (6) アメリカにおける社会的力関係の現在の相対的安定は、戦争がもたらす第一撃に堪ええないであろう。アメリカはすでに社会的危機の時代に突入した。それはその構造のなかに全資本主義世界の爆発的負担をせおいこんで、ますます深くその根を下してしまっている。しかし一時的には、危機の公然たる爆発とその革命的転化は経済上の好況、大衆の政治水準の低さ、組織された強力な革命的前衛の不在によっておくらされている。
 だがこの国でも感じられはじめた戦争は、アメリカの革命的発展を爆発的にはやめるであろう。こうして衝突の急速かつ勝利的な終結の機会が確保されるだろう。


つぎの章へすすむ「国際革命文庫」総目次にもどる