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国際革命文庫  8

日本革命的共産主義者同盟
(JRCL)中央政治局編
国際革命文庫編集委員会訳

6

電子化:TAMO2

「来たるべき対決」
ミシェル・パブロ


6 急速かつ完全な勝利のため準備せよ

 一切の条件は今や社会主義の世界的勝利を確保する方向に、ただ一つ――勝利をより急速に、より確実に確保するように客観的な革命の過程を援助しうる強力な国際的革命指導部の存在――をのぞいて、ととのっている。資本主義体制は生産力の今後の発展を確保できないことを暴露したばかりでなく、その生産関係はこの発展の主要な桎梏となっている。他方、体制の矛盾は頂点にまで達し、歴史にかつて知らぬもっとも破壊的な闘争によって人類をおびやかしている。
 体制の生存不可能な性格、どうしようもない非合理性はそのもっとも明敏な代表者の目にさへも飛込んできている。この体制に対してあらたな断罪をおこなわなければならないとすれば、人類がかつて支配したことのない巨大な生産力――原子エネルギー――を利用してそれがやろうとしていることほど、ひどい事実はないであろう。最初の原子力潜水艦「ノーチラス」の建造を開始したトルーマンは、おめでたい、しかしシニカルで偽善的な言葉を使って、蒸気や電気を時代おくれにする原子エネルギーの発見の重大性を強調した。彼は「不幸にも」ソ連の好戦的態度が市民的目的のためのその平和利用をさまたげているとつけくわえた。しかし実際は、原子エネルギーの工業利用はそれよりずっと重要でない生産力をも包容しえない資本家的生産関係によって阻止されているのである。この問題については、例えば「一キロのカーボンが、完全にエネルギーに変化させうるならば、二五兆キロワット時の電気、即ちアメリカの発電所が二ヵ月、休みなく働いて作ることができるだけの量を供給しうる」(1)ことを知るだけで充分である。資本家的工業設備の現在の構造を完全に革命化し、その大部分を役にたたなくし、新しい設備を建設する必要があろう。また、現在の生産設備から原子力時代のそれにひとたび移行するならば、有効需要しか満足させられない市場の法則によって支配される世界において、新しい巨大な生産力を包容し、発展させることが可能でなければならないだろう。これは頻繁な、破局的な経済危機をひきおこすであろう。資本家的な生産条件は、本質的に原子力エネルギーの一般的平和利用と両立できないものである。
 資本主義がなお可能なただ一つのことは、この新しい力を巨大な破壊行動――新しい戦争――で非生産的に消費することである。
 こうした体制に出来るだけすみやかに終止符をうつことが、人間性と理性をもつ全ての人間の関心でなければならない。しかしわれわれはすでに注意したように、人間の行為は「純粋の理性」にしたがって行われるのではなく、その社会的位置から受ける刺激によって行われるであろう。労働者階級は大多数が、多くの国において資本主義体制と事実上決裂して、未来へ向って、社会主義へ向って進み始めている。彼らの階級的位置がこの方向を選ぶことを容易にしている。中間階級、特に「インテリ」の立場はこれとはことなっている。資本主義体制のもとへ経済的、文化的な無数の絆によってむすびつけられて、彼らの多くは解決できない問題をめぐってどうどうめぐりをし、そのエネルギーを浪費し、永遠の不決断と懐疑のハムレット的状況のなかで苦しんでいる。すでに彼らは現代の「機械」社会のなかから発生し社会主義のもとでも残存するはずの新しい「問題」ととりくんでいる。彼らは自問する。我々は『工業化した人間社会の技術的環境』を、『ヨーロッパとアメリカにおける発展した産業社会の全てにおいて、個人と文化の人間的価値をおびやかしている、ますます深刻化する一方の』「それが日常生活に及ぼしている影響のジャングル」(2)をどうしたらよいか。「どの程度まで、集産的、計画的社会への生産関係の転形は、個人に対する(技術的)環境の(不吉な)作用を変えるであろうか。」(3)
 いわゆる「心理生理学的」な現代的手法のコントロールによる「労働の人間化」の問題は、たしかに、個人の完全な発展に対する産業社会の「技術的環境」の悪影響を防ぐために重要である。しかし、あれこれの要素の順位をきめることに問題がある。人間労働のこの側面を、賃労働の廃止と社会主義の到来なしには不可能な「労働日の短縮」(4)、個人の真の自由の支配の開始とマルクスが呼んだものをまず実現するという主要な任務と真剣に比較することができるだろうか。その他一切は厳密に云って、この任務の完遂に依存しているのである。決定的なもの、本質的なものを強調することなく、社会主義のもとでも同一の問題が存続するという妄想をあたえることは、頽廃期の社会に特徴的な知識人の懐疑主義、無気力を刺激する以外にいかなる意味を持ちうるのであろうか。
 他のあるものは現代芸術と社会とのあいだの離反に着目し、「進歩の新時代に近づく瞬間に人間の間で芸術が生きうるように、この化物を人間的現実に還元」(5)しようとこころみる。芸術活動と芸術家自身の社会への再統合は今はなによりも社会問題、資本主義の廃止と社会主義の実現にむすびついている問題である。芸術の世界はたしかに特殊であり、芸術的創造も特殊な法則に従っている。しかしそれは芸術家をとりかこむ社会的環境との関係で発展するのである。現代芸術と社会との離反は単に社会の無理解に帰しうるものではない。現代芸術は、最高頂に達した階級闘争によりひきさかれた資本主義社会のアンチテーゼとして発展してきたのである。現代芸術は体制のデカダンスを描いているか、あるいは、幼稚な手さぐりのこころみとして、新しい時代の、社会主義の芸術を予示している。その奇妙な「化物的な」ナイーヴな、さわがしい、あるいは冷静な、リアリスティックな、どぎつい、「超現実主義的な」、あるいは抽象的な形態は、各芸術家がその気質にしたがって、さわがしい、残酷な、化物的な、非合理な、個人をおしつぶし、絶望、混乱、狂気をそだて、逃避、夢、抽象におしやるが、同時に巨大な物質的、文化的進歩の力を、人類の社会主義的未来の確実な保証をはらんでいる現代社会の生活の諸相に対する反応のしかたを表現しているのである。
 違がった種類の知識人や、政治的におくれた相当広汎なプロレタリア層は、改良主義や、中間主義者の影響をうけて、現代とその革命的展望の明確な自覚を、ソビエト官僚とスターリニズムによる世界支配の恐怖によってさまたげられている。この恐怖は労働者運動と特にそのスターリニスト的形態における官僚主義的現象の無理解の結果である。現代のプロレタリア革命の進行が当初の一つの後進国(ロシア)から他の数は多いがしかしやはり後進的な植民地、半植民地に漸次進むという一般路線をとったことによって、官僚主義的現象、すなわちプロレタリア権力の官僚制的堕落は客観的に促進させられた。特にソビエト官僚制はこの条件を利用して、発生し、発展し、一時代にわたってプロレタリアートから政治権力を収奪し、国際的革命運動の専制君主として君臨することができたのであった。しかしすでに、プロレタリア革命は、人類の三分の一を包摂する多数の非資本主義国家、植民地革命との結合、戦前よりも強力な労働者運動のメトロポリタン諸国における存在によって特色づけられている。
 すでにプロレタリア革命の潜在力は、現実にその指導部の官僚主義化反対の方向に、ソビエト官僚制反対の方向に作用し、大衆とその官僚的指導部との関係を大衆の側に有利なように決定的に変化させる方向にはたらいている。これは政治的理由だけではなく経済的理由からも云えることである。大衆の革命運動が増大し、強化され、資本主義の危機と自己解体によって促進されるにしたがい、一方では、大衆はその官僚的指導部に対する相対的自立性を強化し(すなわち自らに対する直接的、絶対的支配を困難にし)、他方では、この指導部に対して戦前ソビエト官僚がふるってきた絶対的、直接的支配をゆるがすに至るのである。
 各国共産党と各国の革命的運動との間の力関係は、プロレタリア革命の新しい発展の圧力のもとに変化しつつあるのである。
 資本主義の矛盾を分析するためにだけ、弁証法を使用すべきなのではない。現代におけるプロレタリア革命のいきいきした過程を分析するためにもまた使用すべきである。いかなる勢力も現在、たとえ一時的であれ、不動であるわけにはいかない。ただ人間の思想の図式だけが客観的過程に立ちおくれて、ある期間、非弁証法的、機械的に機能しうるのである。
 ソビエト官僚、共産党と大衆の革命運動との間の具体的関係の変化を、我々は前大戦の際にすでに観察した。つまりユーゴと中国において。
 中国共産党が一九四六年に、クレムリンの反対、その指導部の準備不足、混乱にもかかわらず、土地革命の道に自然成長的に突進した農民大衆の革命的運動の圧力のもとに「転換」したことは、いまやまったくあきらかになった(6)。この党が獲得した勝利は、党を大衆とこの国の諸問題の圧力の下におくことになり、そこから現実にこの党をソビエト官僚の排他的、直接的支配から引きはなしたのである。中国共産党のその後の発展は根本的にもはやソビエト官僚によって決定されていない。
 さらに、客観的に権力を目ざして闘う革命運動の先頭に立ってもいず、権力についてもいないが、しかし、広汎な大衆に依拠して、間接的、歪曲的にではあれ、その影響をうけているフランス共産党のような共産党についても、この党の戦前の状況と対比してみれば明らかなように、その指導部がもはや単なるクレムリンの命令の伝達機関ではないことは一見してあきらかである(7)。その官僚的構成と伝統にハンディキャップをつけられながら、この指導部もまた時おり、下部を考慮して経験的にその政策を立案することを余儀なくされている。
 戦争と最後の決戦に発展しつつある情勢の圧力のもとに、スターリニスト指導部の日和見主義も、それがなお大衆の真の影響力をのこしている所では、クレムリンの命令による総意的なジグザグは別として、大衆に譲歩し、中間主義に転化することを余儀なくされている。
 他方、「人民民主主義国」と中国との経済関係によって促進されたソ連における生産力の発展の結果をも考慮に入れなければならない。その第一の局面においては、この発展は大衆にとってよりも官僚にとって有利であったとしても、やがて決定的には官僚に不利な方向に作用するのである。どのような視点に立っても、官僚主義的現象は低い経済的、文化的水準の結果である。大衆の生活水準がソ連において向上するにつれそしてこれら大衆が、教育、技術、科学と親しむようになるにつれて、彼らの文化的水準も発展する。そして官僚制の窓意、その排他的性格、美術と思想におけるビザンチン的骨化に対する反対も再び進化することになる。この重要な分子的過程が意識下において進行しているのである。すでに教養ある中核がソ連の若き世代から発生しており、彼らはより広汎な大衆の不満と革命的活動の触媒的役割をはたすであろう。
 われわれはまた「人民民主主義国」がすでに爆発的矛盾のなかで動揺しているのを見た。すでにこうした結果が生みだされているのであるから、プロレタリア革命が高度に工業化され、大衆の文化的水準も高い西ヨーロッパやアメリカに到達したらどんなことがおこるであろうか。革命が世界的に勝利した場合、それはまずヨーロッパ諸国に始まり最後にアメリカに拡大するというのがいまのところもっともありそうなコースであるが、革命的プロレタリアートとその官僚的指導部の力関係は根本的に大衆に有利に変るのは明白ではないだろうか。スターリニズム的現象の土台であり、根源であるソビエト官僚が帝国主義を一掃することに成功した世界の革命勢力に警察的官僚的支配を維持しうると考える方が非合理ではないだろうか。だいいち、生産力の巨人的飛躍をもたらすであろう世界の国有計画経済の基礎の上に官僚制的現象が一般的に存続しうるものだろうか。資本主義に対する世界的勝利はソビエト官僚、スターリニズムに対する勝利をも意味し、官僚主義的現象一般の経済的基礎を決定的にほりくずすであろう。
 客観的過程は今や新しい国際的革命指導部の形成を援助している。世界社会主義革命の方向への客観的条件の成熟はますます多くの闘争を押しすすめ、大衆の政治化を加速し、そのもっとも明敏な層の意識化を容易にしている。この意味で、かつてエンゲルスは客観的過程とその意識的政治運動の面での客観的反映との関係の問題について語った。
 社会主義の客観的不可避性と階級の意識的運動の必要を同時に主張することを批判することによってマルクス主義をやっつけたと信じた反対者に対して、エンゲルスは意識的運動は前者の必然的な結果であり、この意味で社会主義の勝利は不可避的であると回答した。歴史を造り、社会主義を実現するのは人間である。人間はそれを、社会主義の勝利の条件の客観的成熟によって、社会主義を目指す人間のますます強力になる主体的運動に必然的に表現される成熟によって行うのである。
 開始した最後の決戦に参加する真の革命的分子がプロレタリア革命の手段と目標についての明確な概念、すなわち真の革命的マルクス主義の概念に到達するのは不可避である。客観的に容易となったこのイデオロギー的明確化は勝利を加速し、保証する強力な革命的前衛の創造を可能にする。すでに存在している革命的マルクス主義的中核はこの過程で巨大な役割をはたしうる。彼らは歴史上かつてみないような革命的ルツボのなかでいま形成されている一切の真に革命的な分子の正しい意識化を巨大に加速させることができる。もしこの革命的マルクス主義的中核が今日からその国の現実の運動に参加しそこで忍耐づよく活動し彼らを援助して、彼ら自身の経験のリズムにしたがって総体的な革命的概念に接近させることができるならばである。
 プロレタリア階級の本質的運動がある意味で独立的である諸国、つまり改良主義もスターリニズムもその漸進的発展に対して主要な障害とならないところでは、革命的マルクス主義者の任務はただちにその民族の一切の被抑圧大衆の真の要求と熱望を綱領と活動によって表現する真の革命党の中核として行動することである。この革命的マルクス主義者のグループの綱領と行動のなかに、それぞれの国の重要な政治勢力にすみやかに成長する現実的な可能性がある。反対に、プロレタリアートの多数者の政治運動がたとえばイギリス、ベルギー、ドイツ、オーストリア、カナダのように改良主義的組織によって、あるいは例えばアジアの多くの諸国や、フランス、イタリアのようにスターリニスト組織によって媒介されている諸国では、革命的マルクス主義者の任務はこれらの組織の内部で活動することによって、そこから明日の革命党の中核的部分が出発する真の左翼的潮流の成熟を促進することである。
 革命的マルクス主義者がその本質的任務とそれを未遂する具体的方法を自覚することは、革命的前衛の到達した高い水準の証明でありその確実な勝利の保証である。なぜなら、歴史の真の方向にそった行動よりも価値のあるものはなく、それ以上に成功をもたらすものはありえないからである。



 (1) リンカン・バーネット「アインシュタインとその世界」
 (2) ジョルジュ・フリードマン「人間労働はどこに行く」(ガリマール)
 (3) 同書
 (4) 労働日の意味ある短縮だけが労働者に余暇を与える
 (5) ジャン・カスー「現代芸術の状況」
 (6) この点については、アメリカのジャーナリスト、J・ベルデンの「中国は世界をゆるがす」の証言を見よ。
 (7) この点については、フランス共産党における最近の事件、ビルウ論文、マルテイ、テイヨン事件等を参照せよ。

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