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国際革命文庫  8

日本革命的共産主義者同盟
(JRCL)中央政治局編
国際革命文庫編集委員会訳

8

電子化:TAMO2

「来たるべき対決」
ミシェル・パブロ

「革命党の建設」
   国際執行委員会第10回総会(1952年)へ同志M・パブロにより提出された報告抜粋


われわれの活動の三つの分野

 第三回世界大会とともにわが運動はその戦術概念において二つの要素――具体的な活動環境とそこでの活動の具体的方法――を統一するにいたった。
 第三回世界大会が――あるひとたちが主張するように――活動の分野を犠牲にして、スターリニスト労働者とその組織のなかでの活動をいいかげんに優先したというのは、あやまりである。大会がこの活動の必然性についてとくに強調したのは、(すでにいったように)この領域がこれまで最も無視され、あたらしい客観的条件から課された方向転換のたちおくれがうたがいもなく最も目立った部分だったからである。しかし実をぃえば、第三回世界天会がふみだした戦術概念は各国の天衆運動の特殊性にしたがって同時にちがった三つの方向をもっている。すなわち基本的独立活動、改良主義的労働者とその組織の中での活動およびスターリニスト労働者とその組織の中での活動である。

A 基本的独立活動

 第三回世界大会の文書ははっきりと、改良主義やスターリニズムの強力な運動という障害が存在しないすべての国ではトロツキストの当面の中心的任務はただちに大衆の革命的指導部として活動することである、と指示した。この種の諸国にはまずラテン・アメリカとセイロンがはいる。合衆国、インド、中東諸国、アフリカ植民地はつぎの保留をつけてこの部類にかぞえられる。すなわち、これらの諸国ではトロツキストはいまから大衆の革命的指導部として行動しなければならないけれども、そのなかの若干の国では改良主義者、中間主義者あるいは単なる民族主義者の潮流と組織を通過する経験を経なければならない。
 たとえばアメリカ・トロツキストの活動は当面の段階では基本的に独立的であるべきだが、合衆国での労働党の必然性を主張し、それが実現した場合この労働党に加入しなければならない。
 中東諸国とアフリカ植民地のトロツキストの活動は、これら諸国をゆさぶっている民族主義運動の内部で一時期は成長することができるであろう。しかしそれは当初から大衆の革命的指導部の任務をひきうけなければならない。
 われわれの活動は、改良主義あるいはスターリニズムの指導部の存在が大衆のあいだに確立されていない結果、他の一切の事情について考慮しても長期的加入戦術を必要としないすべての国では、基本的に独立的なものとしてかんがえられなければならない。
 この基本的独立活動とは――すでにのべたように――いますぐ大衆の革命的指導部として行動することである。
 この活動の性格は、情勢とその発展にかんするわれわれの評価からうまれる。情勢はいたるところで――程度の差はあれ――革命前的であり、比較的ちかい将来に革命に発展するだろうo そしてこの過程はいまや一時的に逆転することはできない。
 革命はイラン、エジプト、チュニスのように不意に爆発する。
 マルクス主義革命家の小さな中核でも、歴史から割り当てられた役割たる革命的指導部の役割を果たしうるし果たさなければならない。この中核はこの任務をはたしうるし、このように行動することによって、いまからイデオロギー的政治的に準備されるならば、比較的ちかい将来に強力な潮流に発展できるだろう。すなわち、もしかれらがいまから時代の革命的爆発的性格に明瞭かつ深刻な理解をもつならば、もしかれらがその国の特殊条件に適合した具体的政策と具体的戦術をつくりあげるならば、一言にしていえばいまから一般的ブロパガンダ・グループとしてではなく――革命的指導部(その国の大衆の要求と欲望の意識)として行動し、大衆の問題に具体的回答をあたえるならば、比較的ちかい将来に強力な潮流に発展できるだろう。
 これが第三回世界大会がごれらの諸国のすべでのトロツキストにふきこもうとした大胆で戦闘的な、しかもひろく柔軟な精神である。
 大会の文書が中東諸国(イランの危機が開花するまえからエジプト=チュニスの事態ははげしく動揺している)とその民族運動をめぐって、ここで採用すべき戦術についていっていることは、主張された評価と戦術が正当性をもつ断乎とした確証である。
 他方、ラテン・アメリカについての決議は情勢と前衛の任務についての理解の一つの実例である。この決議はこれら諸国のトロツキストに、中東へ波及した極東の革命的爆発的危機こそかれらの非常にちかい明日不可避に起こる運命であることを告げしらせている。すなわち、それはかれらがいますぐ早急に指導部の役割をはたすよう自己を準備しておかなければならないと指示している。それとこれが、かれらの綱領の構造と精神や活動の大胆さと柔軟さのなかに表現されなければならないと。決議はこれら一切の点について正確な指示をあたえている。その精神と思想こそその文字よりなおずっと重要である。
 第三回世界大会は、われわれの時代の革命的客観的過程と好機の活用をさまたげる決定的にプチ・ブル的な教条主義的形式主義的図式主義的な一切の障害を打破する努力をした。
 客観的には革命はつくりあげられた図式にさからって、書物や文書の文字と一見反対の予想できない道をとおって開始されるものである。
 闘争の発展の論理がまちがいなく永久革命の論理であると確信をもち、まず最初に闘争に参加する用意をしなければならない。情勢(農民運動、プロレタリアのストライキ、民族運動)によって提起された端初をつかんで、大衆とともに行かなければならない。大衆とともに行動しなければならない。帝国主義とたたかう最初のものでなければならない。大衆がそのとき「ファルーク万才」「モサデク万才」「ブルギバ万才」とさけんでいるにしても、かれらの第二のさけびは不可避的に裏切り国王打倒、裏切り者パシャ打倒、裏切り封建地主資本家打倒そしてカイロのデモのさけびである「戦争と革命!」なのだ。
 大衆自身がはじめるところからはじめなければならない。たとえば、反帝国主義闘争から大衆を組織し、そのイニシアティブをとり、それを徹底的におしすすめなければならない。大衆を信頼しなければならない。一時期の大衆の外見的無感覚とかれらの不可避的な一時的後退の過大評価をさけなければならない。革命にむかってふかいところで進行し突発する質的転形と革命的爆発を説明する不断の分子運動を過小評価してはならない。おくれてはならない。急いではならない。つねに革命的イニシアティブと大胆な精神に満ちて用意していなければならない。時代の性格がこの思想を強制するのである。
 ボリビアとセイロンの同志にたいしてはインターナショナルは当面つぎのようにいう。権力はとどくところにある。これから一〇年先の話でなく今、きたるべき数年でないとしたら今年の話である(これはとくにセイロンにあてはまる)。大衆の多数や議会の多数を獲得するのは、セイロンにおいて大衆の革命的動員と組織にささえられて真実の権力奪取の第一歩たる労働者政府を構成するのは、ほとんど諸君、これからの諸君の政策、諸君の果断、大衆の日常的利益を防衛するために大衆の先頭にたってたたかう諸君の日常活動、明日のための諸君の大胆な綱領にかかっているのである。
 いうまでもなくボリビアとセイロンの同志だけがこの闘争をおこなうのではない。インターナショナル全体、なによりもその指導部がかれらに助力し援助しなければならない。

B 改良主褻的労働者とその組織のなかでの活動

 改良主義運動が労働者階級の政治的多数を掌握している諸国、がっちりと組織された社会党がなお大衆に大きな影響力をもち、他のすべての政治組織は問題にならないほど小さい諸国(イギリス、オーストリア、ベルギー、オーストラリア、カナダ、スカンディナヴィア諸国、スイス、ドイツ、保留つきでインド)では、トロツキストはまずなによりも社会党が影響をおよぼしている組織と大衆のなかで活動する義務がある。全体的加入の問題も――それがまだ実現していないとすれば――これらすべての国で検討されなければならない。なぜなら、これらすべての国では、当面予測できないあたらしい発展を別として、大衆の急進化運動と客観的革命的情勢の第一段階はこれらの組織の枠内で発現することは大いにありそうなことだからである。これら諸国の革命勢力はこれら組織の分化あるいは破裂によってうまれるだろう。これら組織は決定的闘争までの比較的みじかい期間に他の組織によって粉砕されるか交代されるようなことはありえないだろう。現在までこれら組織を放棄しなかった労働者は他の力量をもち魅力ある極が存在しないときは、急速にはこれら組織を去らないだろう。それで資本主義の危機の昂進や戦争の準備、そこからくる大衆の生活水準の不可避的切下げというあたらしい客観的条件におかれたとき、これらの組織は――それが現実の大衆組織である程度において――いやおうなしにその指導部全体(すくなくとも一部)は左傾化するだろう。
 べヴァン主義は国によってさまざまな形態をとるにしろ、すべての社会主義政党にとって当面の情勢から不可避的に生ずる現象である。べヴァン主義はこれら諸国の大衆の不満を自己に吸いよせるだろう。そしてそれをこれらの組織の枠内で支持するだろう。べヴァン主義はこれらの党の大衆の圧力の表現であると、同時にこれらの党の右翼政策の転換の可能性について大衆がいだいている(べヴァン主義が支持している)希望の表現である。
 いつ、どのようにしてこれら諸国のべヴァン主義の起点と大衆を基礎においた真に革命的な潮流と指導部の創造がはっきりおこなわれるかを、いまから正確にいうことはできない。たしかなことは、それに参加し、内部から援助する経験をあらかじめもつことによってその最後の手段と結果にまで自己発展しなければならないということである。
 ここから、これらすべての党での加入戦術――戦前に実行された加入戦術とちがった種類――の概念がうまれる。戦前、より正確には一九三四―三八年、ヒトラーの勝利ならびにブルジョア民主主義と社会民主主義をふくめて労働運動にのしかかっていたファシズムの権威のもとに、L・トロツキーはこれらのあたらしい条件におかれて闘争しないわけにはゆかない社会党への加入戦術を考えだした。しかしこの戦術はむしろつかのまの、短期間で、かぎられた目的をもつという性格をもっていた。それは一般的に、これらの党に加入し、その一時的左翼化を利用し、ミリタントをあつめ、党のなかに発展したうすい左翼的潮流をうばってとび出すことが問題であった。これらの党の内部にとどまって戦争と革命の任務に対決するなど問題にならなかった。これらの党への加入と活動の実現の一切はこの展望によって決定されていた。
 こんにち正確にこの種の加入戦術は問題にならない。われわれはすぐとび出るためにこれらの党に加入するのではない。われわれはそこに長期間にとどまり、あたらしい条件におかれた党がその国の大衆の急進化と客観的革命的過程の一段階を指導するであろう中間主義的分派を発展させるという非常に大きな可能性を目的として加入するのである。
 われわれは現実にこれらの分派の内部からその左翼中間主義的成熟を拡大し昂揚させ、これらのすべての分派の指導を中間主義的指導部と張り合うことをのぞんでいる。
 戦前の情勢と対照的なこのような発展は当面可能である。なぜなら資本主義の危機は無限に深く、大衆運動は無限に力強い。
 だからといって、改良主義政党がそのまま革命政党になり、われわれはそれを破壊するためでなく、強化するために加入するということであろうか? とんでもない! 改良主義政党は全体として決して革命政党に転化することはないが、しかし大衆の例外的圧力のもとでは全体(あるいは大部分)が中間主義的政党に転化することがあり得るのである。
 だからわれわれはそれを革命政党に転化させる幻想をいだいてではなく、その中間主義分派の発展をたすけ、そこにわれわれの指導を確保するために加入するのである。
 その全過程は必ずしも短期間ではないが、何十年もつづくというわけではないだろう。
 われわれはつねに決定的瞬間はきたるべき数年にあり、不確定ないし非常にはるかな将来にあるのではないという考察から出発している。
 一方、実際生活においていつかわれわれの戦術を変更せざるを得ないような当面予想できない特殊性に直面する事態がやってこないとも限らない。しかしこれらの強力な改良主義組織の内部で――われわれが主張するように――今から行動することは、このような偶然に際してハンディキャップとはならない。それどころかこの場合、それはそうした偶然にわれわれを適合させ、それを利用するようにもっとも準備する保障なのである。
    ………………………………(中略)………………………………
 これらの党の多数の大衆から早計にきり離すおそれのある術策や政策はいっさい誤謬としなければならない。われわれをおびやかす大きな危険は、われわれが加入した小さな組織(社会主義青年同盟)の場合のように、情勢が熟したときあまりに永くそこに滞まりすぎることではない。おおきな危険は、あまり性急にすすむこと、かぎられた前衛の運動を、その国の真の革命的危機の爆発と実際に一致する多数の大衆の急進化や反逆ととりちがえることである。
 われわれの目的は、必ず再軍備と戦争にたいして反逆する数万数十万の労働者に話しかけることである。活動の手段が確立されなければならないのはこの目的においてである。社会党においてわれわれの政綱が適用されなければならないのは、この目的においてである。
 国内政策については、その政鋼はつぎのスローガンに要約されなければならない――「社会党は社会主義政策を実行するためにのみ政権を」である。「再軍備の負担のより公平な分割」をもとめる改良主義指導部によって表明された要求から出発して、社会党内部のトロツキストは広汎な大衆の関心――生活費の上昇にたいする闘争、不当利得者にたいする闘争、再軍備にたいする闘争、社会主義実現のための闘争――にこたえる具体的政綱(再軍備と戦争による利得一切の没収、軍事産業の無償国有化、賃金のスライディング・システム、生産の労働者管理、消費委員会による価格統制、銀行と基幹産業の国有化、戦争準備の計画ではなく福祉の計画など)をつくりあげなければならない。もちろんこの政綱が各国の具体的条件から出発しなければならないこと、そしてたとえばイギリスとノルウェーでは(社会党が政権を失った場合は)、この種の労働者政府あるいは社会民主主義指導部によって導入された漸進的改良(社会保障、国有化、住宅政策など)の擁護をふくまなければならないこと、は明白である。

国際政策についてのわれわれの政綱

 これがわれわれの社会党内での活動のなかでもっとも困難な、同時にもっとも重要な部分である。ここではトロツキストは大衆が不満と反逆の一定水準に達してからは、大衆の実際的指導部となるかんがえで、今から行動しなければならない。これは、われわれの政綱は広汎な大衆によって理解されるようなもの、帝国主義と戦争への抵抗の道へかれらを前進させるようなもの、ただ少数の前衛ではなく全体に理解される対策と展望を大衆に提供できるようなもの、でなければならないことを意味する。
 戦争にたいする一般的反対、この戦争は帝国主義とりわけアメリカ帝国主義によって希求され準備されているという一般的感情、自国のブルジョアジーの「国防」のオシャベリにたいする不信、帝国主義搾取者にたいする植民地人民の解放運動防衛の意志、これらは今から意識ある社会党労働者の数万人ものなかに存在する要素である。たとえば労働党指導部に不満な労働者の(前衛よりもむしろ)後衛の意識を反映しているべヴァンの政綱がそれを証明している。この種の気分はときに「結局は、ソ連を防衛しなければならない」というぼんやりした感情にむすびつく。しかしわれわれが過去と現在のスターリニストの政策にたいして西欧諸国の広汎な大衆の目を閉じさせようとすることは、われわれ自身を武装解除することである。ドイツとオーストリアでは大衆自身の経験から発した恐怖と不信は、政治情勢の現実的な要因である。そしてわれわれが現実に大衆に影響を与え指導することのできる政策をつくりだそうとするならば、われわれは存在しないものからではなく、存在するものから出発しなければならない。
 これらの大衆は正しくもスターリンを信頼していない。社会民主主義と労働者民主主義の長い伝統をもつこれらすべての国で、大衆は本能的にソ連官僚制の保守的抑圧的性格を感じとっている。スターリニズムの影響がおとろえ縮少する国々でのスターリニスト官僚にたいするこの心からの健全な――帝国主義にたいする本能的な反対感情とおなじ健全な――感情とたたかったりそれを弱めることはわれわれの任務ではない。
 だからこそわれわれの政綱は国際政策については「社会主義イギリスのためにたたかおう! 社会主義ドイツのためにたたかおう!」と要約されなければならないのである。それこそ帝国主義戦争を避け、ソ連官僚制の影響とたたかい、スターリニストから植民地革命の指導権をうばって全世界の人民をまちがった二者択一――帝国主義かスターリニズムか――から解放して、それを帝国主義の勝利か社会革命の(社会主義の)勝利かという現実的二者択一におきかえる唯一の方法なのである。
 「北大西洋条約の破棄、植民地解放運動へのかぎりない救援、朝鮮・エジプト・ヴェトナム・マレーからの全帝国主義軍隊の撤退、ソ連・人民民主主義国・中国その他の解放された植民地との平和条約ならびに経済協力協定の締結、世界の非資本主義地域全体の世界的発展の経済計画など」といった政綱のうえにたてば、社会主義労働者の健康な反帝国主義と反スターリニズムの感情を結合し、国際的プロレタリアートの唯一の脱出口――世界革命運動の重心の先進工業国への移行――の展望を実際に開くことができる。
 このような政綱を発展させてこそ、われわれは戦争準備と帝国主義戦争そのものへの反対に大衆を実際に動員し、大衆をソ連と人民民主主義国の国防に実際にみちびく方が、「ソ連邦を防衛せよ」のスローガンとか「ロシアが指導するにしろ反帝国主義陣営にはいらなければならない」ことにわれわれのアジテーションを直接に集中するよりも、ずっと容易にできるのである。これらのスローガンは個人的ブロパガンダの面で適切である。それはすすんだ数百数千の労働者を獲得することはできる。だがそれだけでは三〇年間のうちに大衆の意識のなかにつくりあげられた障害をのりこえるに不充分である。もちろんだからといって、われわれの機関紙のなかでわれわれがソ連防衛の問題をごまかさなければならないわけではない。これはその他の問題すべてについてと同様に、いまの次元では社会党内でのわれわれの活動は、まず第一にもはやブロパガンダ活動ではなく、大衆を実際に前進させるための活動であることを意味するにすぎない。この任務に一般的ブロパガンダ活動は従属させられなければならない。
 このような国際政策の政綱によってまた革命的動員に有利におおくの社会主義政党で重要なヨーロッパ問題を活用できる。フランコ、チャーチル、アデナウァー、ガスペリ、ポール・レイノーあるいはド・ゴールのヨーロッパは、そのために労働者がなにかするに足るヨーロッパではない。社会主義ヨーロッパ(そのなかで社会主義政党が政権をとっているヨーロッパ)は社会主義の最初の世界的基礎となることができる、などと語ることができる。同様にシューマン・プランの問題についてはつぎのような優秀なスローガンをとりあげることができる。すなわち、まず国際化を! まず各国に社会主義政府を! つぎに国際社会主義権力を!
    ………………………………(中略)………………………………


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