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国際革命文庫  9

第四・五回世界大会テーゼ
国際革命文庫編集委員会訳

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電子化:TAMO2

「スターリニズムの抬頭と衰退」
――第四インターナショナル第4回大会テーゼ――

第三章 資本主義世界の共産党におけるスターリニズムの抬頭と衰退

41 各国共産党が創立されたのは社会民主主義政党や一九一四年以前の労働運動組織になかんずく十月革命が与えた刺激によるものであった。ソ連において官僚制の勝利があって、ソ連官僚は世界プロレタリア前衛のあいだの十月革命の威信を利用することができた。これが各国共産党においてスターリニズムが勝利を収めた主な理由である。これらの諸政党にもともと含まれていた弱点がこの過程を促進した。一九一四年以前の社会民主主義の内部に明晰な綱領の上に立って組織された左派が欠如していたために、共産主義インターナショナルの初期の時代にすでに多くの共産党指導部のあいだに政治的理論的弱点が生まれていた。これによって、一方でインターナショナル内でボルシェヴィキ党は圧倒的に政治的優越をとげ、他方、他の党の指導部は一九二三年からはじまった論争をまじめに争いうる用意ができていなかった。いったんボルシェヴィキ党が官僚化すると、スターリン派が官僚主義的中央集権主義を共産主義インターナショナルに植え付けても大した組織的反対を受けなかった。諸国共産党のスターリニズム化は一九二三年から一九四三年(スターリンがコミンテルンを解散した年)に至る間の労働運動の退潮によって促進された。

42 コミンテルンと各国共産党はソヴイエト連邦を官僚主義的に擁護するクレムリン外交の道具に転化した。かれらは世界革命のための闘争を放棄し、クレムリンの見解に合致した外交関係を確保するため各種民族ブルジョアジーに圧力をかけることを追求した。共産党の目標がかくも変更したために冒険主義から日和見主義に大揺れし、あるとき(とくに人民戦線時代のスペイン)には共産党は直接反革命的行動をとった。
 スターリン主義的政策は労働者階級の多くの敗北をもたらした。その中でもドイツにおけるナチスの勝利はドイツ共産党ならびにドイツ社会民主党の政策の落し子であった。敗北を重ねるごとに世界革命の退潮は深まり、ソ連官僚はソ連にもロシア革命に愛着を抱いた前衛にも統制力を強化した。
 コミンテルンおよび各国共産党の内部の官僚主義体制はすでに理論的に衰退の運命を背負っていた。コミンテルンはますます国際政治方針を作成するセンターでなくなった。共産党の指導部は上から選別され交代させられ、何度もくりかえす方針転換やジグザグを通じてクレムリンから発せられた指令に追従する才能に依存していた。各国共産党の活動は経験主義、一枚岩主義、歴史の偽造という楯に守られていた。かくしてもっとも独立心の強い、もっとも政治能力をもつ分子を排除した上で指導部を形成した。この政権は事実上土着的指導部の集団的政治工作の可能性を一切弾圧し、クレムリンの指令のただの伝達機関に変えてしまった。

43 もともと世界革命党の民族支部とするために建設された各国共産党は、スターリニスト指導部のもとで堕落した労働者政党と化した。かれら官僚主義的指導部がクレムリンに依存したのは、なかんずく大衆のあいだにある十月革命とソヴィエト連邦の名声を政治的に利用することの上に自己の生命を保っていた。それにもかかわらず、ソ連共産党とちがってこれらのスターリニスト党の指導部は多大な物質的資源を所有してそれをもちいて特別の社会階層の利害を代表するわけではなかった。この事実のゆえに、こうした政党の二重性はソ連官僚の二重性と同じものではない。社会民主主義政党とちがって、労働者階級のうちもっとも搾取され、もっとも戦闘的な部分から構成された下部党員をもつこれらの党は、ある程度まで(しかし不十分ではあれ)プロレタリアートの利害を反映せざるを得なかった。しかし他方その指導部のために、革命の現状を「一国内に」眼って他国の革命を犠牲にせんとしたクレムリンの強い統制に服させられた。                               ・
 ソ連の外交にしばられて共産党はさまざまな時期に日和見主義的政策を実施したが、それは実際のところ社会民主主義の政策ときわめて類似したものであった。このときでさえ共産党は諸国の社会党と合体することはなかったが、その理由はこれらの共産党が自国のブルジョアジーの手先でなく、クレムリンの道具であった点にある。この点にかんする疑惑は第二次世界大戦という決定的テストを受けてすっかり雲散霧消してしまった。圧倒的多数をもって(指導部も下部党員も)共産党は、独ソ条約の期間もクレムリン官僚に忠誠をつづけた。

44 戦後には資本主義諸国の共産党は多様な発展を経験した。ある国の共産党は例えばフランス共産党のように大衆にたいする影響力は増大していた。他の党はイギリス共産党のように真実の高揚を経ることはなかった。しかしこの間数多くの危機がおこって各国共産党を揺がしたが、スターリニズムはそれを克服し各国共産党にたいする支配力を強めた。
 これの主たる理由は次のことにあった。この革命退潮期には偉大な大衆闘争はすべて敗北に終り、共産党から分れたものはトロツキズムの綱領に立ったごく小人数の革命的前衛かそれとも革命的闘争を否定する潮流のいずれかであった。他方共産党は、国家と指導部を区別せずに全面的にソヴィエト連邦にひきつけられた戦闘的労働者幹部を保持していた。
 これらの闘士たちは、スターリニストの方針転換を単なる戦術的マヌーバーであり、いかなる犠牲を払っても最初の労働者国家を救うために必要であるとみなした。しかしスペイン内乱でスターリニズムが果たした公然たる反革命的役割は、国際旅団に入って闘った各国共産党員の戦士をスターリニズムへの反対に向かわせることはなかったが、それにもかかわらず、かれらの間に疑惑がまき起った。そのことはのちに(ユーゴスラビアとの分裂の後で)明らかになった。
 その結果、ほとんどどこでもスターリニスト党は見かけは革命的で数の上で強力な組織として社会民主主義に面と向かいつづけ、新しく政治的自覚をもった戦闘的分子は労働者の高揚のたびごとにスターリニスト党に流れていった。これはとくに第二次世界大戦中に起った。そのとき、抵抗運動におけるかれらの活動とソ連の勝利のおかげで共産党は強化した。
 けれども、その間に一つの共産党(ユーゴスラビア共産党)が世界ではじめてクレムリンの政策の必要に合致して行動することをやめた。戦時中、占領軍との闘争とユーゴスラビアの社会緊張が鋭かったので共産党は民族戦線の名目で階級協調を実施することができず、新しい軍隊、大衆的権力機関をつくり、暴動を起した大衆を代表して権力をにぎった。ユーゴスラビア共産党は数年聞こうした情況をクレムリンの要請に合わせようとしたがついに一九四八年に衝突し、革命の退潮の産物たるソ連官僚と強力な革命運動との深刻な相互対立が明らかになった。
 同様に戦後、中国共産党は強力な反乱を眼前にしてそれを指導するかそれとも政治的視野から姿を消すかの選択に迫られ、壮大な農民反乱に助けられた中国紅軍の闘争によって権力を獲得した。
 戦争のさなか、クレムリンと各国共産党とのつながりはゆるめられた。コミンテルン指導部は多くの党から孤立した。このときスターリンはコミンテルンを解散した。またこのとき革命が上昇をとげはじめた圧力を受けて(フランスとギリシャ……)、大衆的基礎をもった共産党指導部の分化が表面化しはじめた。他の党の指導部は日和見主義の限界線をのりこえモスクワから謹慎を命ぜられた(アメリカ合衆国、オランダ……)。戦後情勢の展開によってクレムリンは戦前から存在している共産党に対してもはやきびしく統制することはできなくなった。コミンフォルムの形成の意図はユーゴスラビアと衛星諸国をせいぜいつなぎとめることぐらいである。

45 国民党政権に対する中国革命の勝利と共に、イタリーのファシズム打倒で一九四三年にはじまった革命的上昇期は革命に有利なそしてますます地球的規模で有利に展開した国際的力関係を根本的特徴とする新しい段階を開いた。革命の波は国から国へ、大陸から大陸へと拡がりつつある。それは最近ソヴィエト連邦自身と衛星諸国に到達した。
 したがって資本主義諸国の共産党は戦前の時代と絶対的に異った条件におかれている。
 共産党が労働者階級の中で少数である国々ではふつう革命の上昇は、多数派政党に大衆が流入し、共産党をさらに孤立させ、同時にこの多数派政党内でべヴァン派のような左派が登場しはじめている。
 ラテン・アメリカ諸国の場合のように、労働者階級がいまだ自己の党を形成していない国々では通常、共産党が既存の階級的政治運動において最も強力な潮流となっていた。スターリニストの堕落、とくに大戦中および大戦直後のかれらの裏切りはこれらの党の慢性的危機をひきおこした。ラテンアメリカの大衆運動の上昇にもかかわらず、これらの党が革命的な結果を生むことができないため、この危機は深まりつつある。これらの党の危機によって共産党幹部の大部分は第四インターナショナルに接近し、なかにはその陣営に加わるものもいるだろう。これは、トロツキスト組織が大衆の革命的指導という任務を果たし共産党の闘士たちと行動における共通の土台を求めてかれらに対し動態的で矛軟な態度をとるという条件つきである。これによってかれらがトロツキズムへ移行することが可能になった。
 大衆的共産党について言うと、そのモスクワとの関係は過去からの急激な情勢変化をこうむっている。これらの国の大衆運動の力そのものが革命闘争の方向に進み、ますます強まっている。モスクワとの関係はゆるんできた(戦時中ある場合には長期の分裂さえ起った)。最後に、ソ連の最近の発展以後、諸国共産党の指導部の側にはクレムリンの政策に関して不確かさがあり、そして――下級党員の側に――ソヴイエト連邦と「人民民主主義諸国」の体制に対する批判的態度の可能性がある。
 この国際情勢と資本主義諸国の共産党におけるその反響によって、労働運動(スターリニズムの統制のもとにおかれている)におけるスターリニズムの衰退のつぎの二つの道が開かれている。
 共産党が労働運動の中で少数である諸国で、大衆に正しい革命的指導と方針を与えたならば、大衆が分極したあと集まる諸潮流(ボリビアのような革命政党であろうが、イギリスや日本のような中間主義的潮流であろうと)は、スターリニストが労働運動に及ぼす影響を徹底的に解消する機会をますますふやす。これらの潮流は健全な労働者勢力にとって事実唯一の魅力であり、スターリニストの影響力の瓦解をひきおこし、孤立の圧力のもとでその内部危機と分裂を助長する。けれども中間主義指導部の誤った政策と裏切行為はのちの段階でこれらの国の共産党に機会を再度与えることになる。
 共産党が労働者階級の多数を占めている国々では、共産党は例外的状況(有産階級の分解の進展)や大衆のきわめて強力な革命的高揚の圧力のもとで、スターリニズムから受けついだ政治的・理論的遺産を放棄しないまま、クレムリンの指令にさからって革命的方針をうち出すことがあろう。自己の大望を満たしてくれる政党を利用しようとしている(今後もそうするだろう)大衆が指導部に対して以前よりきびしい批判的態度をとり、諸政党がいかなる方針転換をしようとも、もはやそれに追随することがないだけに、共産党はますますそうせざるを得ないだろう。こうした状況のもとでは、これらの共産党におけるスターリニズムの分解があるといっても、すぐつぎの段階でこれらの政党が組織的瓦解を招くとかクレムリンと公然と対立するとかというふうに誤解してはならない。むしろ党内部の政治的分化をともなう漸進的な内部変革と解すべきである。かようなスターリニストの解体過程は、いくつかの大衆的な共産党ではある程度の組織的強化を伴うことがありうる。かくして周囲の情勢の圧力を受けて、政策を変更して大衆の利益に近づけるようにするところまでいくことがありうる。こうした展望――つまり大衆的共産党の瓦解ではなく、(全体の時間の中では微小なものであるが)この政党内のスターリン主義思想の瓦解、ならびにクレムリンから共産党下部メンバーにいたる官僚主義的関係の瓦解――は、わが運動がこの過程に介入する形態を決定し、革命的マルクス主義に有利な方向にこの過程を展開させるのに不可欠である。

46 クレムリンと大衆的共産党の指導部とのあいだ、およびこの党と大衆のあいだの将来の関係がいかに展開するかは次の諸要因にかかっている。
 第一に、世界中、とくに西ヨーロッパの工業諸国の革命的高揚の規模とテンポ。
 ソ連自身のプロレタリア大衆の再覚醒とソ連社会の体制に与えるその影響。
 帝国主義と反帝国主義陣営とのあいだの戦争がいかに展開するかという点。
 革命的指導部が大衆的潮流(とくに大衆的共産党ないし大衆的社会党の内部に現われる潮流)の先頭に立って介入する能力。
 こうした基本的要素の作用・反作用を正確に予想することは不可能である。いずれにしても、革命的高揚の規模が大きく、先進工業諸国に一層近づけば近づくほど、クレムリンの手から政治的イニシャティブがすべり落ち、他方この高揚の影響を受けて大衆的共産党の内部で中間主義潮流が強まるだろうと言うことはできる。同様に首尾一貫した革命的指導部のもとに革命的高揚が進めば進むほど、またソヴィエト連邦に直接反響する傾向が強ければ強いほど、この指導部はスターリニズムの心臓に致命的打撃を与えることができるだろう(たとえこれらの国の共産党の闘士たちがまだクレムリンの統制と影響からまだ脱していないときでも)。
 この全力学は絶対逸脱しないものでもなく、また一様でもない。多くの矛盾と部分的な逆行をともなった複雑な弁証法的な過程としてそれを理解すべきである。それは次の可能性を排除するものではなくむしろ逆にそれらを含むものである。――(a) 大衆の圧力がまだ頂点に達しないあいだ、一定の条件のもとで大衆的共産党が一時的に右転換を行う可能性、(b) 闘士や幹部の少数グループが追放されたり、脱党する可能性、(c) 戦争のさなかに大衆運動(とくにいぜんとして孤立している)に対してクレムリンが公然と反革命的行動にうったえる可能性。
 けれども肝要なことは、発展の一般的方向を会得することである。この中では当初の形態や初期の指導部がいかなるものであれ、雑多なことはますます軽い地位しかもたず、大衆的革命運動はますますクレムリンの統制から解放されるだろう。
 このスターリニズムの分解過程は、大衆的共産党がじょじょに革命的マルクス主義政党に転形していくということでは断じてない。第四インターナショナルの旗の下に立つ革命的マルクス主義政党がここから出現するためには、いくつかの危機や大変革が不可避だろう。しかしスターリニズムの最後的終末を示すこれらの変革は、すでに当面、段階を追って始まっている過程が頂点に達したとき到来するだろう。この諸段階が進行するにつれて、共産党は大衆との結合を強めようとして(しばしばほとんど見分けがたい方法で)、スターリン主義的服従の頑固なきずなを振り払い始めるだろう。


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