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 以上でわれわれは二人の若い著者が共同で書き上げたいくぶん短い著作が、今もなお、解放闘争に関する最も重要にして緊急な諸問題にかけがえのない指針を提示し続けてくれていることを知る。わずかでも『共産党宣言』と比較し得る他のどんな本があっただろうか? だがしかしこのことは、九〇年間にわたる生産力の空前の発達と巨大な階級闘争の後で、『宣言』がいかなる補正も加筆も要していないことを意味してはいない。革命思想は偶像崇拝とは無縁である。綱領と予測は、人間の理性のこの上ない判断基準である経験に照らして、検証され補正される。『宣言』もまたそれを必要としている。しかしながら歴史の経験がおのずから明らかにしたように、補正加筆という作業は『宣言』それ自体の根本に内在している方法と一致させつつ着手されてこそはじめて成功裡になされるだろう。われわれは最も重要ないくつかの例を取りあげてそれらの作業を試みよう。

1 マルクスはいかなる社会制度もその創造的潜在力を使い尽くしてしまうまでは歴史の舞台を離れることはないと教えた。『宣言』は、生産力の発展を妨げる点に関して資本主義に痛罵を浴びせる。しかしながらその時期には、それに続く数十年と同様にこの妨害は実際相対的なものにすぎなかった。もし十九世紀の後半において計画経済が社会主義の手によって始められていたならば、その発展の速度は果てしなく増大していたことだろう。しかし理論的には反ばくの余地ないこの仮定も、生産力が世界的規模で広がりを続け、ついには世界大戦を余儀なくさせたという事実を打ち消すものではない。最新の科学と技術の成果にもかかわらず、わずかこの二〇年間に、時代は底なしの不景気を続け、世界経済の衰退すら起った。一方で次期大戦の脅威が、永い月日をかけて築き上げた文明を根底から滅ぼそうとしているとき、人類はその蓄積した資本を消費し始めている。『宣言』の著者たちは、比較的反動であった時代が完全な反動体制におち込んでいくよりはるかに先立つ時点において、資本主義は廃棄されるだろうと考えたのだった。この転換は現世代の眼前で最後の姿をとり、われわれの時代を戦争と革命とファシズムの時代にかえた。

2 歴史の記述に関するマルクス・エンゲルスの誤りは、一方では資本主義の中に潜在していた将来性の過小評価から起こり、他方ではプロレタリアートの革命的成熟度の過大評価にその原因を発していた。一八四八年の革命は『宣言』の予想をはずれ、社会主義ドイツではなく巨大な資本主義発展の可能性をひらいた。パリ・コミューンは、プロレタリアートはその先頭に筋金入りの革命党を持つことなしにはブルジョア階級から権力を奪取することが不可能であることを証明した。そしてひき続いて起こった資本主義の発展の時期は革命的前衛を育てたのではなく、労働貴族のブルジョア的堕落をもたらし、こんどはそれがプロレタリア革命に大きなブレーキをかけるようになった。実際、『宣言』の著者たちはこの“弁証法”まではどうしても予見することができなかった。

3 『宣言』にとって資本主義は自由競争の王国であった。増大する資本の集中化については述べているけれども、『宣言』は現代資本主義の支配的な形態となり、そしてまた社会主義経済にとって最も重要な前提条件である独占に関して欠くべからざる結論を導き出さなかった。後になってやっと、『資本論』の中でマルクスは自由競争が独占形態をとる傾向にあることを立証した、 独占的資本主義の特徴を、著書『帝国主義論』の中で科学的に分析したのはレーニンであった。

4 最初、イギリスの“産業革命”の例を基礎にして、『宣言』の著者たちは、職人、小商人、農民たちが大規模にプロレタリア化していくという、中間階級の一掃のプロセスをあまりにも一方的に描きすぎた。実際上、競争の本質的諸力故に、この同時に進歩的かつ野蛮きわまりない過程は完遂されるというにほど遠かった。資本主義は、小ブルジョア階層をプロレタリア化させるよりもさらにすばやい速度で滅ぼしてしまった。さらにその上、ブルジョア国家の政策は永きにわたって意識的に小ブルジョア階層を維持することに向けられてきた。反対の極で、工業技術の発達と大工業の合理化は慢性的な失業を引き起こし、そして小ブルジョア階級のプロレタリア化を妨害する。と同時に資本主義の発展は無数の技術者、管理者、商業従事著、要するにいわゆる“新中産階級”の発生を極端に促した。その結果、『宣言』がその消滅を無条件に言及した中間階級は、ドイツのように高度に工業化がすすんだ国においてさえ、その数はおよそ全人口の二分の一を占めている。しかしながら時代遅れの小ブルジョアの層を人為的に温存しておくことは社会矛盾を緩和させることに役立たない。しかもそれどころか、彼らの内に特別な悪意をよび起こし、失業者の果てしなき大軍とともに、資本主義の“衰退”の最悪の表現をとらせることになる。

5 革命の時代を予想していたため、『宣言』は第二章の終わりの部分で資本主義から社会主義への直接的移行の時期に合わせて、一〇の要求を提起している。一八七二年版の序文でマルクスとエンゲルスはこれら革命的諸要求は、部分的に時代遅れになったか、もしくはいずれにせよ第二義的な重要性しかもたなくなったと断言している。改良主義者はこの評価をつかまえて、過渡的な革命的諸要求は、よく知られているようにブルジョア民主主義の限界を超えるものでは決してない社会民主主義的な“最小限綱領”に永久にその位置を引き渡すといった意味に解釈した。実際問題として『宣言』の著者たちは、いわゆる「労働者階級は、できあいの国家機関を単にその手に握り、それを自分自身の目的のために使うことはできない」ということを内容とする彼らの過渡的綱領の主要な訂正点を明確に指摘している。換言するならば、訂正は、ブルジョア民主主義の盲目的崇拝に反対する立場をとったのだった。マルクスはのちに資本主義国家に対しコミューン型の国家を代置した。この“型”はのちになってさらにいきいきとしたソヴィエトの姿を思わせた。今日においては“ソヴィエト”と“労働者管理”を抜きにしては、革命的綱領は存在し得ない。それ以外の点に関しては『宣言』の一〇の要求は、平和な議会主義運動の時代には“古めかしい”とみえたが、今日ではその真の意義を再び取り戻した。他方では社会民主主義的な“最小限綱領”の方が絶望的に時代遅れなものとなってしまった。

6 「ドイツのブルジョア革命は、それに続くプロレタリア革命の直接の序曲以外のなにものでもない」という期待に基づいて『宣言』は、一七世紀のイギリス、一八世紀のフランスにあったものと比較して文明化の進んだヨーロッパははるかに進んだ条件下にあること、プロレタリアートのはるかに偉大な進出があることを例証する。この予測の誤りは日付についてだけではない。一八四八年革命は数カ月のうちに、より進んだ情況下にあってもブルジョア階級は終局的には革命をとらないということを確かに明らかにした。すなわち大・中ブルジョアジーはあまりに緊密に地主と結びついており、大衆を恐怖することでは人後におちなかった。小ブルジョアジーはあまりに細かく分裂しており、その上層部は大ブルジョアジーに頼りすぎている。ヨーロッパやアジアにおけるその後の発展の全コースでも明らかなように、単独でなされるブルジョア革命は一般に頂点にまで登りつめることができない。封建制の残滓が社会から完全に一掃されるのはただブルジョア政党の影響から自由になったプロレタリアートがみずから農民の先頭に立ち、革命的独裁を確立するときにのみ考えられる。この一事によってブルジョア革命は社会主義革命の第一段階と接点を持つようになり、続いて後者の中へ解消していく。それとともに民族革命は一連の世界革命の一環となる。経済的な基礎と全社会的関係の転換が永久性(連続性)を帯びる。
 アジア、ラテン・アメリカ、アフリカという後進国の革命政党にとって民主主義革命とプロレタリアートの独裁との間の有機的関連を、それゆえに社会主義世界革命を、明確に理解することは死活問題である。

7 資本主義がいかにして後進国や未開発国をその渦中に引き込むかを描きながらも、『宣言』には、独立を求める楯民地、半植民地国家の闘争には一言の言及もなされていない。マルクスとエンゲルスが、向う二、三年のうちに「少なくとも主導的な文明諸国で」社会革命が起こると考えたぐらいであるから、植民地問題は二人にとっては、抑圧された民族の独立闘争の結果によってではなく、資本主義の首都におけるプロレタリアートの勝利の結果、解決するものとされたのだ。植民地および半植民地国家での革命戦術の問題は、それゆえに『宣言』の中ではいっさい触れられていない。しかしながらこれらの間に対しては別個に解答が必要とされる。たとえば進歩した資本主義諸国においては“民族の祖国”という考えは最も有害な歴史のブレーキとなっているとき、独立闘争を余儀なくされる後進諸国においてはなお、それは相対的に革新的な要素となっている。
 『宣言』は次のように宣言する、「共産主義者は、いたるところで、現存する社会ならびに政治状態に反対するすべての革命運動を支持する。」 帝国主義の抑圧に対する有色人種の反対運動は現存する秩序をおびやかす最も重要で強力な運動の一つであり、それゆえにそれは白色人種のプロレタリアートの部分からの完全かつ無条件、無制限の支持を要求している。被抑圧民族へと革命戦術を発展させる方針は、もともとレーニンの発想である。

8 方法的な面ではなく実質的な面で『宣言』で最も時代遅れになった部分は、一九世紀初頭の“社会主義的”文献を批判した第三章と種々の反政府党に対する共産主義者の立場を定義した第五章である。『宣言』の中にある諸運動、諸政党は一八四八年革命、あるいはそれに続く反革命によってあまりにも徹底的に一掃されてしまったので、人はその名でさえ歴史辞典で捜し出さねばならない。しかしながらこの部分でもまた、『宣言』はおそらく当時の世代にとってよりも今のわれわれにとっての方がよりあてはまる。マルクス主義が完全に支配的影響を及ぼしているかに見えた第二インターナショナルの最盤期には、マルクス主義以前の社会主義思想は決定的に過去へ退場したものとみなされ得た。今日では情勢が違ってきている。社会民主主義およびコミンターンの変質は一段ごとに奇怪なイデオロギー的逆戻りを生じさせる。老衰したはずの思想は幼児期に戻ったかのようにみえる。衰退の時期、すべてにあてはまる定式を求めて予言者たちは、はるか以前に科学的社会主義によって埋葬された教義をあらためて発掘してくる。
 反政府党の問題に言及するならば、経過した数十年の月日が最も深刻な変化を露呈させてきたが、それはまさにこの領域においてであったと言える。それは単に古い諸政党が新しいそれにとって代わられてきたという意味においてだけでなく、帝国主義時代という条件下でそれらの党のまさにそういった性格と相互関係そのものが根本的に変化したという意味においてである。それゆえに『宣言』は、最初の四回のコミンターン大会の最も重要な文書と、ボリシェヴィズムの必読文献、それに第四インターナショナル協議会の決議事項とによってその振幅を広げなければならない。
 われわれは既にマルクスに則しつつ、いかなる社会秩序も、最初にそこに内在する可能性を枯渇させることなしにはその舞台を離れることはないことを以上で指摘した。しかし、たとえ時代遅れになった社会秩序でも抵抗なしには新しい秩序に場所を明け渡すことはない。社会体制の変化は階級闘争の最も荒々しい形態、すなわち革命を前提とする。もしプロレタリアートがあれやこれやの理由で、長々と生き延びてきたブルジョア秩序を大胆な一撃で叩き潰すことができないということであれば、その不安定な支配を維持するため金融資本は、破滅し意気阻喪した小ブルジョアジーをファシズムの虐殺軍隊に組み込むだけである。社会民主主義のブルジョア的堕落と小ブルジョアのファシスト的堕落の二つは、因果関係で連結されている。
 現時点において第二インターナショナルよりもはるかに節操を失っている第三インターナショナルは、あらゆる国の内部で労働者をあざむき、堕落させている。スペイン・プロレタリアートの先駆者たちを皆殺しにすることにより、モスクワの手のつけようのない手先たちはファシズムへの道を開くだけでなく、十分にその仕事の片棒をかつぐことになる。人類文化の危機にまでなりつつある、永きにわたる世界革命の危機は、本質的には革命の指導部の危機に還元できる。
 最も貴重な遺産を形成した『共産党宣言』の、その偉大な伝統を継承するものとして、第四インターナショナルは古くからの問題を解決するために新しいカードルを育成している。理論とは普遍化された現実である。革命理論に対する誠実な態度のなかに、現実社会を再建しようという熱烈な力が表現される。すなわち、暗黒大陸の南部において、われわれと考えを共にする者が初めて、『宣言』をアフリカ語にうつし換えたということこそ、今日においてマルクス主義思想はただ第四インターナショナルの旗のもとにのみ生きているという事実の、絵に描いたようにあざやかな一つの例証である。それに将来がかけられている。『共産党宣言』の百年祭が祝福されるときには、第四インターナショナルはこの地上における確固とした革命勢力となるであろう。
   一九三七年一〇月三〇日                     ――コヨアカン――

 〔この論文は、最初『ニュー・インターナショナル』誌一九三八年二月号に「共産党宣言九〇年の歩み」という題名で発表された。〕


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