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レーニン、トロツキーと党理論

 クラッソは、われわれが「党組織論において、かなりの程度までドイツやオーストリア社会民主主義の理論家たちから借用したのは、トロツキーではなく、レーニンであった」と述べたのに驚いている。もちろん、この驚きには、根拠がない。同様に、レーニンの党理論を職業革命家という概念と同一視したり、「トロツキーがレーニンの党理論の教訓を本当に学んだという証拠は、これ以降(最初にそれを理解しなかったとき以来――マンデル)いかなる時期にも見い出せない」(注6)と断言することも、根拠がない。
 クラッソは、職業革命家という概念がレーニンの党理論の基本的前提ではないことを見い出さなかったようである。これはただ、他の基本的仮定から引き出される一つの帰結にすぎない。彼は以前、革命党理論におけるレーニンの「根本的テーゼ」を正しく規定して、理論としての社会主義は、革命的知識人を含む党により外から労働者階級にもちこまれなければならない、と述べた(注7)。この「根本的テーゼ」こそわれわれがヴィクトルアドラーやカール・カウツキーによって触発されたと述べたものなのである。そして、もし、クラッソがわれわれの引用した原典を読む労さえとったならば、レーニンの革命党理論の基本的要素が実際九〇年代初期のドイツ(そしてオーストリア・ドイツ)社会民主主義によって作られたことを彼は認めざるをえなかったはずである。
 レーニン自身、彼の党理論がドイツ社会民主主義によって啓発されたのだという確信を決して隠しはしなかった。もちろん、レーニンがカウツキーとその一派との親密なイデオロギー的協力を述べている部分には、誇張がある。これは、分派闘争の真只中で書かれたものである。またレーニンが、一九〇五年革命の経験のあと同じテーマに戻ったとき、「何をなすべきか?」で使ったよりもより内的に統一された公式を使ったのは真実である。特に前衛党と階級の間の必要な統一性についてであるが、これはクラッソにたいする最初の回答のなかで示しておいた。
 だが、これらすべては要点をはずれている。われわれが強調したのは、一九一七年以前のレーニンの組織論が、トロツキーよりも、社会民主主義のそれに近かったということである。この近さの起源は、きわめてはっきりしている。レーニンは、社会民主主義者と同じく、未組織労働者との関連で果さなければならない組織労働者の指導的役割を強調した。トロツキーはこの組織の重要性を過少評価した。だが、彼はローザ・ルクセンブルグと共に、レーニンよりも早く、この組織がそれ自体として革命的指導部の保証とはならないこと、それは労働者階級が革命の道に向けて前進するのを阻むワナとさえなりうることを理解していた。彼は、党機構の潜在的保守主義について、鋭い予感をいだいていた。これを「社会主義」としてワキに押しやってしまうマルクス主義党理論は、いかなるものであれ、一九一四年以降の労働者階級運動の歴史を一切理解していない。
 われわれは意図的に、一九一四年以降、という。クラッソの分析から完全に抜け落ちているのは、一九一四年八月四日以来レーニンがくぐり抜けた苦しい経験によって規定された、彼の党とインターナショナルにたいする態度の評価である。クラッソの分析のこの「すき間」は、偶然ではない。社会民主主義に関するレーニンの著作をとばすことによって、彼はこのとき以来レーニン王義の基石となったものを、都合よく排除している。すなわち、党理論と革命的綱領および実践の結合である。このような結合がないとき、党「組織」は、階級闘争の観点からみて、空洞となりうるだけでなく、敵対する社会勢力の潜在的な道具にさえなりうる。クラッソが「トロツキーの後期思想における綱領の物神化」としてトロツキーを実際に非難し、それに「レーニンの思想の鍵であった党の機構」を対置するとき、彼は客観的にトロツキーとレーニンの両方を中傷しているのである。ボリシェヴィキに入党して以来、トロツキーは綱領を党機構から決して切り離さなかった。一九一四年以来、レーニンは党機構を決して革命的綱領および実践から切り離さなかった。彼は、この教訓を一九一四年八月四日に学んだのである(注9)
 トロツキーが、一九一七年三月以降、レーニンの党理論を、理論的にだけでなく、実践の上でも理解していたことを示すすべての事例をここで列挙するのは、あまりにも問題からはずれることになるだろう。(注11)ここでは一つの引用だけにとどめよう。
 サンジカリストの理論によれば指導部だとされている率先する少数派というのは、実際上プロレタリアートの大衆的労働組合組織の上に置かれているが、無定形のままでとどまることはできない。もしも労働者階級のこの率先する少数派というのが正しく組織され、革命的時代の厳しい要求に合致する内部規律で固められ、科学的に構築されたプロレタリア革命の正しい教義で武装されるならば、そのときわれわれが獲得するのは、ほかでもない共産党そのものであり、これはサンジカリストや労働運動の他のあらゆる形態のうえに立ち、それらをイデオロギー的に結実させ、それらのあらゆる活動を指導するのである。
 ……このことから、フランス共産党を作り出さなければならないという、鉄の必要が生まれる。この党は、社会党の現在の革命派とフランス・サンジカリズムの革命的部隊の両者を、すべて吸収しなければならない。党は、現在の社会党からもCGTや地方の組合支部からも切り離れ、絶対的に独立し、厳格に中央集権化された独自の機関を作り出さなければならない。
 ……とるべき道は以下の通りである。ただちに中央集権化された共産党の建設に着手し、何よりもまず、労働運動の主な中心地でただちに日刊新聞を確立すること。この新聞は――現在ある日刊紙とは対照的に――組織内部の批判や抽象的プロパガンダの機関紙ではなく、プロレタリア大衆の闘争に向けた直接に革命的な煽動の機関紙であり、またその政治的指導部の機関紙となるだろう(注11)
 「何をなすべきか」で書かれたレーニンの党理論と、一九二〇年にトロツキーが書いたこの文章との間に違いをひねり出すことは、ニコラス・クラッソも含めて、誰にとっても困難であろう。


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