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理論と実践の統一

 「トロツキーのマルクス主義――一つの反批判あなかでわれわれは、レーニンを系統的にトロツキーと対立させようとしたため、一九二三年以降のトロツキーの理論と実践にたいするクラッソの批判は、客観的にレーニンの根本的な理論と実践にたいする修正にいたっていると論じた。レーニンに挑戦することなく、一貫してトロツキーに挑戦するのは困難である。トロツキーこそが、一九二三年以降レーニン主義のもっとも一貫した擁護者であり継承者であったのだから。
 クラッソは、トロツキーの工業化提葉が正しかったことを認めている。彼はまた、一九三〇―三三年のドイツにおけるコミンテルン政策に関して、トロツキーの批判が正しかったことを認める。もしわれわれがトロツキーの闘争のこの二つの点だけをとったとしても、すでに決定的な結果が出てくるのである。この二つの問題において、トロツキーが「幸福な楽観主義」にみちびかれていたなどと主張するのは、バカげている。その正反対が真実である。彼は、迫りつつある破局をどう喰いとめるかという要請にみちびかれていた。ロシアにおいては、ソヴィエト権力の存在そのものがかけられていた。ドイツでは、西欧最強―全ヨーロッパ最強とはいわないまでも―の労働者階級運動の存在が、危機にさらされていた。
 クラッソに単純な質問をしてみよう。この二つの情勢でトロツキーは何をするべきだったか。沈黙することか。彼の批判を党内にのみとどめるべきだったか。そして、一九二六年のように、それが弾圧されたときはどうする。党が、自分にかかっている社会諸力とは別個に、内部の体制とは別個に、何とか、いつか「自分の道を正すだろう」と信じて――幸福な楽観主義だ!――満足しているべきだったか。それは左翼反対派が自分自身の誤りがもたらす客観的諸結果とは関係なく、自己の見解を放棄せよということだ。それとも彼は、世界情勢の「批判的観察者」の位置に身をひき、現実の闘争の領域に降りる気もなく、またそうすることもできない一アウトサイダーとして、おせっかい屋の批判をしているだけにするべきだっただろうか。
 こうした二つの可能な道――日和見主義への妥協か、実践的政治からの引退――が「レーニン主義」だったとは、クラッソも誰であれ納得させることはできないだろう。政治的指導者としてのレーニンの全活動を通して、彼がこのような態度をとったという例はただの一度も見い出すことができない。党の多数が誤っているとレーニンが考えたときには、彼は常にこうした誤った考えにたいして、一九二三年以降のトロツキーよりもはるかに力強く、目的意識的に闘った。これは権力獲得の以前も、その後にも真実だった(グルジア問題をめぐって、彼が行なったヨシフ・スターリンとグリゴリー・オルジョニキーゼにたいする最後の闘争の全容は、つい最近、いまや有名になった全集第三六巻の刊行によって明らかになった)レーニンが官僚制と妥協したり、その前に屈服するなどということは考えられない。また彼が全面的に政治活動から引退するなどということは、さらにいっそう考えられないことである。
 クラッソは、レーニンが生きていたら、すでに一九二三年で官僚が敗北していただろうと論じることはできる。しかし、これもまた真の問題からはずれている。労働者階級が当時ほぼ「解体」しており、しかもその権力の再確立が他の者(トロツキー)よりももっと有効に活動する一人の指導者(レーニン)の単純な問題だと、ひとまとめに論じるのは困難である。事態の鋭い転換を古参兵たちが理解することもそれに合わせることもできなかったのは、何も新しいことではない。これは以前にも、一九一七年二―三月に起ったのである。当時レーニンは、彼の「四月テーゼ」で誤った路線を正すことができた。なぜなら彼は、巨大な革命的高揚の頂点に身を置き、彼と同じ転挨を要求してかけつけた数千のボリシェヴィキ労働者に依拠することができたからである。一九二三―二四年にこれらの労働者たちは沈黙し、あるいは死んでいた。少なくとも彼が党の官僚化をくつがえすことができたというのは、無理である。古参兵は革命的機関としての役割を終えていた。
 われわれには、「旧党」が社会主義革命を裏切ったと考えたとき、レーニンがいかに行動したかを、一九一四年の第二インターナショナルにたいする彼の態度を通じて、明確にみることができる。彼の決裂は、根本的であり、無慈悲であった。数はとるに足らず、ただちに大衆的影響があったわけでもない。あったのは綱領であり、正しい思想、労働者階級の歴史的利益の表現であった。社会的矛盾が尖鋭化し、新しい革命的高揚にいたるにつれて、遅かれ早かれ大衆がちっぽけなインターナショナル少数派に向くことを、レーニンは絶対的に確信していた。今日にいたるまで、歴史はこの仮説をただ部分的に、ただ一部の国でだけ確証しているにすぎない。既成事実を尊重するクラッソーは、それではレーニンが第二インターと決裂し、新しい共産党を作るようインターナショナルに呼びかけたのは誤りだと結論づけるつもりだろうか。(多くの場合、この新しい共産党は、今日にいたるまで少数派にとどまっている)
 ソヴィエト国家と共産主義インターナショナルの堕落の問題に直面したとき、トロツキーはレーニンの例にしたがった。官僚的日和見主義への妥協も、革命的政治からの引退も、マルクス主義者には受けいれられない。理論と実践の統一は、国際階級闘争の歴史的転換にたいして、民族的、国際的な新しい組織によってのみ体現される新しい綱領のための闘争を要求する。一九一四年のレーニンによる第三インターナショナルの呼びかけと同じように、トロツキーの第四インターナショナルの呼びかけは、階級闘争の歴史的敗北によって生み出されたのである。第三インターナショナルの呼びかけと同じように、第四インターナショナル創設の呼びかけは、その後の世界革命の新しい高揚を確信した行為なのである。
 クラッソは、二つの回り道をとることによって、これらの根本的問題への回答を避けようとする。彼は、いくつかの国で共産党指導部の下に、実際プロレタリアートが権力を握ったにもかかわらず、トロツキーの第四インターナショナルは何もできなかったという。最初の点については、トロツキーがこうした可能性を排除しなかったことをクラッソに想起させれば十分だろう。(注31)彼はただ、これが例外にとどまらず、一般法則になることについて疑問を提起したのである。歴史は彼が正しかったことを証明した。また特に、工業化された国では、正しいレーニン主義の綱領、戦略、戦術で訓練された革命党がないかぎり、労働者階級が権力をとることは出来ないことが確証された。
 第二の点について、クラッソはもう少し注意深くいうべきだろう。ボリシェヴィキ党の高揚衰退は、革命そのものの高揚衰退とからみあっている。反動の時期に、ボリシェヴィズムは綱領と理論の継続性と重要なカードルの維持の試みに還元される。ロシアでそれは、一九〇七―一二年の五年間にわたって反動と直面し、世界的規模では、レーニン主義者は一九二三―四三年の二〇年にわたる反動の時期に直面した。
 綱領とカードルの継続性を維持する努力は、比較にならないほど困難だった。反動の時期がはるかに長く、反動の形態がはるかに残忍であり――ファシズムとスターリニズム――、そして革命運動の建設が、二つの前例の失敗のあとの三回目に、プロレタリアート側のはるかに大きな懐疑論に直面しながら、世界的規模で行なわれなければならなかったからである。
 この反動期につづいて、高揚期がやってきたが、これは数年のあいまをおいて、ほとんど世界のより後進的地域のみに限定され、レーニン主義再生の綱領的、社会的前提条件はさほど有利ではなかった。しかし、いったん世界革命の波が巨大な工業プロレタリアートを擁する諸国に向くや、情勢は根本的に変化する。一九六八年のフランスとチェコスロバキアは、レーニン主義の根本的側面――革命的階級闘争、ソヴィエト型国家権力、プロレタリア国際主義――を再確認しないかぎり、西欧に革命が戻らないことを、明確に証明した。第四インターナショナルは、今日これらの綱領的基礎を、五つの大陸で生きたカードルと組織の核のなかに体現する唯一の組繊となっている。それは今日の生きたレーニン主義である。
 いまやわれわれは、クラッソの「トロツキーのマルクス主義」の定義にたいして、より適切なものを提出することができる。トロツキーのマルクス主義は、科学的社会主義の古典的教えのなかに、革命と反革命の帝国主義時代における特殊な問題への回答を包含しようという試みである。プロレタリア独裁の基礎としてのソヴィエト権力の問題、後進諸国における永久革命の問題、勝利したプロレタリア革命の国際的力学の問題、労働者階級の官僚制の二重性格の問題、党、党機構と階級の関係の問題がそれである。彼の弱さそのもの――ボリシェヴィキ党の必要性とプロレタリア革命の歴史的過程におけるその決定的役割を理解するのが遅れたことのような――は、この巨大な努力の表現なのである。この回答の一部は、すでに一九一七年、古典的マルクス主義に合体された。他のものは、一九二三年以降、徐々に革命的マルクス主義にとり入れられたのである。
 トロツキーのマルクス主義は、プチ・ブルジョア日和見主義と民族主義、そして官僚的堕落の危機という三重の猛攻撃の下で、革命的教義のプロレタリア的性格を確保しようとする試みである。それは、不均等複合発展の法則の発見と適用により、マルクス主義の歴史理解を最高のレベルに高めようとする試みである。今日、トロツキーのマルクス主義の主な部分を自己のものとすることなしに、世界革命の勝利はありえない。


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