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国際革命文庫 13

国際革命文庫編集委員会 訳

3c

電子化:TAMO2

「マルクス経済学入門」
エルネスト・マンデル 著


第三章 新資本主義

   (7) 国家による利潤の保障

 特に労働者階級の運動にとって、危険な性格をもつ「管理経済」のもうひとつの側面は、この「経済の計画化」という考えには、「社会計画」あるいは「所得政策」という思想がふくまれている、ということである。新設備の償却に必要な五年間という期間に、賃金に支出する費用の安定性を確保することなしには、企業の支出と収入の安定を保証することは不可能なのである。もし、「賃金コスト」が同時に計画に入れることができなければ、つまり、賃上げがあらかじめ予測され、それにふくまれて考えられなければ、「すべてのコストを計画の中に組み入れる」ことは不可能になってしまう。
 西ヨーロッパのあらゆる諸国では、経営者と政府が、労働組合にたいしてこのような趣旨を強制しようと試みてきた。こうした試みは、次のような動きのなかに反映されている。労働契約期間の延長や法律によってストライキをより困難にしたり、山猫ストを禁止したりすること、「インフレーションの脅威」にたいする「唯一の保障」が「所得政策」であるかのように思い込ませる大々的な宣伝を展開するといった試みがそれである。
 われわれは、「所得政策」を目指さなければならない、賃上げ率は正確に計算することができる、このようにして、労働者にも国民にも何の利益ももたらさないストライキによって引きおこされる臨時の失費をさけなければならない、といった形の考えがフランスでも広められつつあるのを知っている。このような考えのなかには、労働組合を深く資本主義体制に統合していこうとする思想がふくまれているのである。この観点からするならば、労働組合という組織は、国民所得の分配を変えていくための労働者の闘争の武器たることをやめる、ということになる。そうなれば、労働組合は「社会平和」の保証人となり、労働過程と資本の再生産がたえず不断に進行していく期間中の安定性を経営者に保証していく機関となるのであり、さらには、固定資本更新の全期間にわたって、この固定資本の減価償却のための保証人になってしまうのである。
 あきらかに、これは、労働者と労働運動にたいするひとつのワナである。これがなぜそうなのかについては多くの理由をあげることができるのであり、長々とそれら全部について説明する必要はないだろう。だが、根本的な理由のひとつは、資本主義経済、より広くは市場経済そのものの本質からくるのである。この点については、フランスの計画の現在の責任者であるマッセ氏が、ブリュッセルで行なった演説のなかでも認めているのである。
 資本主義体制のもとでは、賃金は労働力の価格である。この価格は、需要と供給の法則にしたがって、労働力の価値を基軸に変動する。では、いったい、資本主義経済の景気循環のあいだに、労働にたいする需要と供給の作用のなかで、通常の場合には力関係はどのように推移していくのだろうか? 景気後退期と回復期には、失業が存在しており、このことが賃金を引き下げる方向に作用する。したがって、労働者の大巾賃上げをめざす闘争は非常に困難になるのである。
 それでは、景気循環のうちで賃上げ闘争にもっとも有利な時期はいつであろうか? いうまでもなく、それは完全雇用あるいは労働力不足すらもがおこっている局面、すなわち、好況の最終局面、最頂点、あるいは「沸騰点」の局面である。
 これは、賃上げのためのストライキがもっとも容易であり、労働力不足という圧力のなかでストライキが行なわれなくても経営者がもっとも賃上げを認めやすい局面なのである。けれども、資本主義の立場に立つすべての景気調整者は次のように主張するであろう。「安定化」という観点からみて、つまり、資本主義的利潤率が必要とする制限内に賃上げをとどめるという観点からみて(というのも、この利潤率の問題が、この種の論議の根底に絶えず存在しているからであるが)、ストライキを呼びかけたり、賃上げを行なったりするのがもっとも「危険」なのがまさにこの時期である、と。なぜなら、「生産の全要素」が完全雇用状態にあるときに、総需要を増大させれば、この追加的需要は自動的にインフレを引きおこす、とかれらは主張するのである。
 いいかえれば、「管理経済」のすべての論理は、まさに階級的力関係が労働者階級にとって有利であるような景気循環のただひとつの局面において、ストライキや生活条件の改善を避けようとすることにあるのである。これが、労働力にたいする需要が供給を大きく上まわるような、賃金が上昇し、賃金を犠牲にした形での賃金と利潤とのあいだの国民所得の不利な分配傾向を逆転しうる、景気循環における唯一の局面なのである。
 このことは、「管理」ということが、景気循環のこの特別の局面におけるいわゆるインフレ的賃上げを妨げようというねらいをもっており、景気循環の全局面を通じた全体の賃上げ率を引き下げようとするものである、ということを意味するものである。景気循環の過程で、国民所得における賃金の相対的割合は、こうしてたえず低下する傾向をもつことが保障されるのである。この割合は、すでに景気回復過程では低下する傾向をもつのである。というのも、この言葉の定義からしてこの時期は利潤率の上昇期なのである(さもなければ、それは景気回復期ではなくなるであろう)。もし労働者が景気の絶頂期にこの傾向を是正することを妨げられるようなことがあれば、国民所得の分配における悪化傾向は永続的に進行することを意味することになるであろう。
 つけ加えれば、労働組合の協力をえて国家にコントロールされた完全に厳密な所得政策についての実例が存在する。一九四五年以来のオランダであるが、この結果は公式の記録に残されている。ここでは、ヨーロッパのどこにも、西ドイツでさえも見られなかったほどの、著しい国民所得にたいする賃金の割合の低下がおこった。
 さらに、純粋に技術的レベルの問題としていえば、「所得政策」の擁護者にたいして、ふたつの決定的な反論を行なうことができる。
 1、もし「景気調整という問題」について、完全雇用期に生産性の上昇を上まわる賃上げをすべきでないと要求するのであれば、失業がおこっている局面でより大規模な賃上げを要求しないのか? 景気調整という観点からすれば、そのような賃上げは総需要を増大させることによって経済に刺激をあたえるだろうから、同様に正当化されるのではないだろうか?
 2、賃金からくる所得だけが唯一の明らかにされている所得であるという条件で、「所得政策」はどうして、その最低限の効果すら発揮できるのだろうか? すべての「所得政策」は、前提として、生産の労働者管理、企業の帳簿の公開、銀行取引きの秘密の廃止を、もしほかでもなく資本家の所得や生産性の正確な上昇を確立しようとするのであれば、要求するのではないだろうか?
 ことわっておくが、ブルジョア経済学者の技術上の議論をわれわれが受け入れなければならないということを、以上のことは決して意味しているのではない。完全雇用期において生産性の上昇を越えた賃上げが自動的にインフレーションを引きおこすと主張することは絶対的に誤まっている。利潤率が安定し、不変のままであるというときにのみ、このことが当てはまるのである。もしわれわれが、「共産党宣言」が提起しているように、私有財産への専制的干渉によって利潤率を低下させるならば、インフレーションは絶対におこらないのである。この場合、われわれは単に資本家からその購買力を取り上げ、それを労働者にあたえるだけなのである。これにたいしてなされる唯一の反論は、投資が減退する危険がある、ということである。しかし、われわれは、完全雇用の時期、あるいは「沸騰点」にある好況のときに、投資を制限することは悪いことではない、と主張することによって、逆にこの資本家の政策を利用してこの政策の立案者に反論することができるのである。それどころか、次のようにも主張できるのである。つまり、投資のこの減退は、すでにまさにその瞬間からはじまろうとしているのであり、景気変動を抑える政策という観点からすれば、利潤を引き下げ、賃上げを行なう方がより賢明である、と。これは賃金労働者、つまり消費者からの需要をうみだし、高水準にこの局面を維持していくという利害からみて投資を一時期やわらげることを可能にするであろう。というのも、この局面は、一定状態にまで生産的投資が落ち込むという不可避的傾向をもっているからである。
 これらすべての事実からわれわれは次のような結論を引き出すことができる。経済活動への国家の介入、管理計画、経済の計画化、指示計画は、社会的な立場から見れば少しも中立的なものではない。それらは、ブルジョア階級、すなわち、ブルジョアジーの支配的グループが経済に介入するための道具ではあっても、ブルジョアジーとプロレタリアートとのあいだの仲裁のための道具では決してないのである。資本家政府が行なう唯一の仲裁の役割は、資本家階級内部のさまざまなグループのあいだの仲裁なのである。
 新資本主義、つまり経済活動への政府の介入の増大の真の本質は次のような定式にまとめることができる。すなわち、自身の経済的自律運動に依存してきた資本主義体制が、急速に死滅の危機に直面すればするほど、国家はますます資本主義的利潤の保証人、ブルジョアジーの支配層である独占層の利潤の保証人になっていくのである。それは、景気変動の幅を少なくすることによってこれを保証している。それはまた、ますます大きな比重を占めるようになってきている軍需品や準軍需品への国家の発注によってこれを保証している。さらには、それは、管理経済というまさにその枠組のなかでうみだされた特別の政策によってこれを保証している。フランスでの「仮契約」はこのことを説明するものである。これは地方的性格をもった、あるいは産業部門間の不均衡を一定程度是正するために、明らかに利潤を保証している。国家は資本家にこういう。「あなたがたが、これこれの地方に、あるいはこれこれの部門に投資するならば、たとえそれが売れなくても、失敗したとしても、発展にかかわりなく、投下資本の六〜七%の利益を保証しよう」と。これは独占利潤への国家の保証の最高の、もっとも明確な形態であるが、これはフランスの計画立案者の考え出したものではない。というのは、以前に、シャハトやフンクやゲーリングらが、ナチの軍事経済や再軍備四ヶ年計画の枠内ですでにこの政策を実行していたからである。
 結局、資本主義体制下での真に効果的な反景気循環的政策のすべてと同様に、国家によるこの利潤の保証は、国家の機関を通じて、支配的独占グループに有利なように国民所得を再分配することなのである。それはつまり、補助金の分配、免税措置、低金利による融資の保証によって実践されているのである。これらの政策はすべて利潤率の上昇をもたらしているし、正常に機能している資本主義経済の枠組を前提とすれば、そしてとりわけ長期の経済拡大期にあるという条件のもとでは、明らかにこの利潤率の上昇は投資を刺激し、これらの計画の立案者の予測にしたがって効果を発揮するのである。
 完全に論理的に一貫させて、資本主義体制の枠内という立場にはっきりと立つならば、その場合には、投資の不断の拡大や民間投資のこのような拡大を基礎にした産業の急速な発展を保証する唯一の方法は、利潤率の上昇を通じる以外にはないという事実を受け入れなければならないだろう。
 しかし、社会主義の立場をとって、利潤率の上昇というこの道を拒否するならば、われわれわは、それにかわる唯一の道として、民間部門と並んで、強力に公共部門を発展させていく道を主張しなければならないだろう。これは、資本主義的枠組とその論理を越えて、われわれが反資本主義的構造改革と呼ぶ闘争の場へと踏み込んでいく道なのである。
 ベルギーの労働者階級の運動の最近の数年間の歴史のなかで、われわれは、方針をめぐってこの論争を行なってきた。この論争は、失業が増加するやいなやただちに近い将来においてフランスでも問題となるだろう。
 一部の社会党の指導者たち――かれらの個人としての正直さについて、わたくしは疑おうとは思わないが――は、わたくしがほんの少し前のところで提起したのと同じような野蛮で皮肉な調子で次のように述べた。「もし既存の体制の枠内で短期間に失業を吸収しようとすれば、利潤率を高める以外に方法はない」と。いうまでもないことだが、当然にもかれらは、これは、賃金労働者を犠牲にした国民所得の再分配を意味している、ということをつけ加えようとはしなかったのである。いいかえれば、もし人民をあざむかないでおこうとするならば、資本主義のもとでは民間投資の上昇を意味する、より急速な経済拡大を説く一方で、同時に賃金労働者に有利な国民所得の再分配を要求するなどということはとてもできない相談である。資本主義体制の枠内では、このふたつの目標は、少なくとも短期的あるいは中期的にも、絶対に両立しないのである。
 したがって、労働者階級の運動は、親資本主義的構造改革の政策――それは、労働組合が資本主義体制に統合され、固定資本の減価償却期間中は、労働組合が社会平和を維持するための憲兵に変えられてしまうことを意味する――か、反資本主義的構造改革の短期的綱領をもった根本的に反資本主義的な政策か、という基本的な二者択一に直面しているのである。
 この変革の根本目標は、金融諸グループ、トラスト、独占から経済の操縦桿を奪いとり、それを国民の手におき、信用機関、産業、運輸部門のなかで決定的比重をもった公共部門を創出し、これらすべてを労働者管理のもとに置くことである。これは、工場レベルと全経済レベルでの二重権力の登場を示すものであり、これは労働者階級と資本家階級とのあいだの政治的二重権力へと急速にのぼりつめていくであろう。
 この段階は次には労働者による権力奪取と労働者階級の政府の樹立の到来を告げるものとなろう。この政府は、搾取とすべての社会悪を一掃した社会主義的民主主義の建設へと突き進んでいくだろう。


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