つぎの章へすすむ「国際革命文庫」総目次にもどる


国際革命文庫 13

国際革命文庫編集委員会 訳

4a

電子化:TAMO2

「マルクス経済学入門」
エルネスト・マンデル 著


のぼりつめた新資本主義とそのかげり

      エルネスト・マンデル

 去る一九六四年一月を終結点とする最近の一時期はおそらく新資本主義の頂点として歴史上大きく評価されることになるだろう。その時期の間、資本主義は、西ヨーロッパと日本において、第一次世界大戦直前のときと同様に、前例のないほどの経済成長率と繁栄を享受した。合衆国においては、共和党政府によって実施されたデフレ的な不景気政策による《やせ細った年月》の後、ケネディの行政政策はこの傾向を払拭し成長政策を通じて経済を蘇生させてきたように思われる。同じ時期に、世界貿易は従来の記録のいっさいを打ち破った。すなわち、一九六一年について工業製品の世界の輸出量は一九三八年の記録の三倍にのほり、そしてさらには一九五〇年の記録の二倍である。ただ低開発国のみがこの印象的な記録表に暗影を投げかけている。

   この異常に高い成長率には何か秘められているか?

 この事実を認めいかに資本主義体制が、この十年間に、諸工業国の大部分において際立って高い成長率をかちとったか、という点に同意するには、資本主義の使徒である必要はない。ただし合衆国とイギリスとはこの規則性に基本的に相反する二つの例外をなしているが。このような成長――それは第二次大戦による物的損害からの復興をめざして大規模に行われた再建の時期に引き続いている――の本質的原因はこの再建と結びついた諸活動には求められない。しかしながらこの再建活動はいくつかの興味ある国々、とりわけ住宅建設と結びついた建築工業がその国の工業の飛躍的発展の重要な一要因となっているドイツにおいてはとくに、その後も継続している。
 経済循環の歴史という観点からすれば、我々は、この期間が新しいコンドラティエフ波動、あるいはいくつかの正規循環の結合した長期波動を相伴っているとすべきあらゆる証拠をもっている。資本主義の成長における長期波動の理論は最初ロシアの経済学者N・D・コンドラティエフによって発展させられ、その後ジョセフ・シュンペーターによって彼の基本的な労作・『景気循環論』を通じて補強された。その中で彼は資本主義生産における循環的波動に関する独創的な概念を明らかにしている。
 トロツキーはそれ以前に既に共産主義インターナショナル第三回世界大会への彼の有名な報告を通じてこの考えを既に喚起していたにもかかわらず、この概念はマルクス主義者の多くの間にはたいした関心をひき起こさなかった。
 経済学者や、マルクス主義者や、あるいはそうでないものも含めてその大部分が一九三〇年代の終りおよび四十年代の初めに考えていたのとは反対に、今日では世界資本主義は、一九一三年にはじまり一九三九年におわる不況期間が長いというコンドラティエフの一周期の後に、一九四〇年に至って、おそらく六十年代の後半まで続くであろう加速的な成長の新たな一周期に突入したものと思われる。これは主要指数の検証から導かれた結論である。
 シュンペーターの経済循環論によれば、加速的な長期間の経済拡大期というものは《群をなして》いるように見える傾向をもつ技術革新の急速な継続によるものと説明される。この解釈は、第二次世界大戦後の初め以来見い出される世界資本主義の長期間の加速的成長期にもぴったりあてはまるように思われる。また技術革新の波動なるものを附け加える人もある――それは一般に第二次あるいは第三次産業革命と呼ばれており永続的となっている――そしてそれは資本主義の歴史を通じて全く新しいものである。この現象は、我々がもっと後で述べる経済的衝動の重要なあるひとつの要素に依っている。しかしここで技術革新の全般的リズムの加速化の特殊な原因を述べておこう。すなわち、技術革新と永続的な軍事競争コースとの間の必然的な関係である。
 もし、伝統的に、技術革新が《群をなして》いるように見えるとすれば、それは、技術革新というものが技術上の発見の結果として自動的に現われるわけではないからである。ある与えられた技術進歩の水準にとどまっている限りは、数多くの発見といえども戸棚とか実験室とかに投げこまれたままになっているのである――そしてまたその進歩水準に見合うだけの固定資本投資が完全に実行されるわけでもないだろう。しかしまた工業の領域においては自殺行為に等しいかもしれない。資本主義諸列強とソビエト・ブロックとの間の根本的対立は厳然として存在しつづけるのだから、資本主義国はロケットの生産にとりかかる前に、超音波爆撃装置を完全に(操作する)ことから仕事をはじめるなどとというぜいたくに甘んじることはできない。逆に、軍事競争の内的論理は重要な技術上の発見のすべてができる限り急速に技術革新へと(すなわち大規模な製造業を)導かれることを必要とする。そしてこの後者が実現されないならば、一定期間の後には、敵に追い越され、さらにより進歩した技術の追求の連鎖過程からとり残されてしまう(イギリスにおいて、成功をかちえる前に、《ブルー・ストリーク(Blue Streak)》計画が中止されたのもこのためである)。この結果、技術上の発見と技術革新との間の重大な意味をもつ時間は、軍事競争の目的に沿って短縮されるかあるいは消滅するかの傾向にある。そしてたとえ巨大独占が軍事生産部門から《民間》生産部門への新機軸の移動を制限するとしても、この二つの部門は密接にからみ合っており、そしてその結節点は競争者と戦うために新機軸を利用しようとする欲望であって、このため技術革新のリズムが驚くほど拡大している。
 マルクス主義者の観点からみれば、いっそう急速な成長を含む新しいコンドラティエフ循環と合致する景気循環の周期が短縮されることは、同じ理由によって、すなわち技術革新の加速化ということによって十分に説明されうる。マルクスに従えば、景気循環の周期は基本的には固定資本の更新期間に依存し、それは伝統的には八年ないし十年とされた。
 技術革新の加速化は、道徳的磨損のために大巾に耐用期間が短くなっていく固定資本の更新の加速化を必然的結果としてもたらす。今日景気循環は四年ないし五年が一週期であると言われている。そしてもはや八年ないし十年という人はいない。技術革新のリズムが、部分的軍縮のための最初の一連の処置によるにせよ、第三次産業革命の基本的諸要因がそれらを飛躍させることに失敗してしまうということによるにせよ、もしそれが再び緩慢になるときには、固定資本の寿命は再び長く延びる傾向をもつであろうし、また景気循環も再び長くなるだろう。いくつかの事象は――十分に確認されていないが――合衆国が一九六〇―一九六一年の景気後退以来あのような現象を経験していることの意味を指し示しているように思われる。

   新資本主義的成長の解剖

 資本主義の歴史は不均等発展、すなわち、相異なる国々の間における、各国内部における工業と農業との間における不均等発展によって常に支配されてきた。三つの国が、帝国主義諸国のうちで、他の国々より急速な工業成長国として知られている。それは西ドイツ、イタリアおよび日本である。成長の地域的な不均等は、イギリス、フランス、ベルギー、オランダあるいは合衆国においてそうであるのと同様に、その三国においてもはっきりと認められる。工業の相異なる諸部門間の成長の不均等さについてはもっと強調してよい。なぜならそれこそか今日の資本主義世界の理解のために決定的に重要な現象だからである(そしてこれは資本主義国にのみあてはまるものではないということが、ソ連那共産党中央委員会の最近の会議に際して、M・フルシチョフによってなされた声明において指摘されている……)。
 一九五八年から一九六二年までに、工業生産の総量は共同市場加盟六ヶ国において三四%増大した。それと同じ期間に生産は自動車については七〇%、合成樹脂については一〇〇%、そして合成繊維については二三五%上昇した。
 総じて、工業原料と運輸機関の中で輸出にあてられる部分の占める割合は、一九三八年の三二・七%から一九六二年の四六・二%へと変化した。フランスでは一九三八年には一四・五%にも満たなかったものが、一九六二年にはその割合は二六・八%に達した:同じ年にイタリアについては三〇・一%であった。
 合衆国については――この国が同じ期間を通じてある程度の不景気(準―停滞)の局面にあったことはよく知られている――人々は、化学工業が一九六三年には、一九五八年の水準に比べて五〇%を上回る生産を記録したことを確認している。電力生産についていえば、それは月平均で一九五九年には六六〇億キロワット時、一九五八年には六〇〇億キロワット時であったのに対し現在では九〇〇億キロワット時であって、このためここでもまた五〇%の増加率である。アメリカの工業を通じて認められる比較的ゆっくりした世界的成長のリズムは、鉄鋼、石炭、織物、等々のような伝統的部門の停滞と結びついた諸工業に帰因するものであり、それらとは別の、化学、エレクトロニクス、電力、等々の部門では成長は急速である。
 帝国主義諸国のほとんどすべてにおける一般的に高い拡大水準を説明するものは、急速な発展にある諸部門(そしてそれに、少くとも西ドイツ、イタリアおよび日本のような国々においては、建設工業を含めるが)によって支えられている需要である。そして同様に、いくつかの強大な帝国主義諸国(まず第一に西ドイツおよび日本)の急速な成長が演じた根本的役割こそが、基本的にはそれらの国々との貿易上のパートナーであるところの他の帝国主義諸強国の成長の大部分を説明している。
 このことはとりわけ中央ヨーロッパおよび西ヨーロッパにおいてよくあてはまる。世界におけるこの地方の経済は、もし敢えてこういう表現を使うならば、中央集権体制に従って発展させられている。ドイツ連那共和国がその成長の中心であり、これが、第一段階として、基本的にはその西ドイツに経済が集約されるいくつかの国々(オーストリア、スイス、デンマーク)の成長を誘発し、その次には共同市場加盟のすべての国々における加速的な成長現象をひきおこし、そして第三の局面として、スペイン、ギリシャ、アイルランドのようなその周辺のいくつかの国々を資本主義的成長の渦巻きの内部に巻きこんだ(そしておそらく同じことが、ポルトガルやトルコについても言える)。
 共同市場加盟国によって公表されている工業部門別統計表は、《成長の解剖》という分析を明らかにしている。たとえば、一九五三年から一九六〇年までに、ドイツの紙の輸入は二五万二千トンからほぼ一二○万トンにまで上昇した。共同市場六ヶ国の紙の総輸入は、六二万八千トンから二四〇万トンに変化したが、その三五%はオーストリア、スイス、フィンランド等々の諸国にまで至る広がりを有している共同市場諸国からのみもたらされたものである。一九五四年から一九六一年までの間に、西ドイツにおいては、靴の生産は一億足から一・五億足へと変化した。しかし同じ期間にドイツの靴の輸入は五〇〇万ドルからほぼ五千万ドル近くにまで増加した。ところで同じ期間にイタリアの靴の輸出は一九五六年における二千万ドルから一九六一年の一億二五〇〇万ドルに変化した。そして共同市場諸国向けの輸出は総額約四一〇〇万ドルを示した。ここに別の例として木材および家具工業をあげてみよう。この部門においては、ドイツ連邦共和国の生産は一九五三年から一九六一年までの間に約五倍となり、四〇〇万ドルから二〇〇〇万ドルに変化した。また共同市場加盟国の販売量はイタリアの輸出量の三〇%さえ示さないが、その部門におけるネーデルランド諸国の輸出量の七五%以上である。
 なぜ経済成長が他の帝国主義諸国よりも西ドイツ、イタリアおよび日本において急速であったのか、そしてなぜそれらの国々が西方世界のより大規模な競争の中での全般的な成長に関して決定的な役割を果すことになったのだろうか? ある人はこの現象を説明するために二、三の要因をあげている。しかしそれらの中で最も重要だと思われるのは、異常に高い資本主義的蓄積のリズムであって、それが非常に高い利潤率およびそれと同時にそれらの国々における非常におびただしい数の産業予備軍の存在によって規定される(他の帝国主義諸国に比べて)相対的に低い賃金水準とを説明している。
 歴史的な環境が、合衆国、英国、スイス、ベルギーおよび同じくフランスという部分と、他方における西ドイツ、イタリアおよび日本という部分の間での、一九五〇年代はじめからの賃金率の恒常的な不均等性をよく理解させてくれる。メゾ・ジョルノ(Mezzo-Giorno)の低開発性により、それは南イタリアに手工業的労働を広範に残存させているし、日本の工業における近代部門と旧来の伝統的部門との並存について、そして後者が前者のための手工業的労働を大規模に残存させる構成要因をなしている。西ドイツにおける充満した一千万人以上の失業者について資本家階級は、三国の間で条件のよい環境を探り求めてきた。一部では手工業的労働は大規模な失業者群を吸収し――そこでは賃金率は相対的に低い。また他の部分では、技術革新の巨大な蓄積がアングロサクソン諸国における先進地帯の間で生み出され、そしてそれが生産性の領域における急速な発展をかちとるのに十分な役割を引き受けたのである。この三つの要素の結合が、拡大期の当初における本源的に非常に低い賃金水準、年毎の規則的な賃金増加の継続と相対的に高い利用率を切り下げることなしの充分大きな拡大との引き換えに社会的平和を保障することの可能性、それらの国々の産業構造を十年の間に完全なまでに変化させた極めて急速な蓄積のリズム、これらのそれぞれを同時に説明している。

   新資本主義の諸矛盾

 新資本主義は資本主義体制の根本的に新しい様式であり、その明白な特徴はその体制を全世界的な反資本主義勢力の発展(ソビエト・ブロック、植民地革命)に対決させようと努める資本の根本的必要性によって大きく決定づけられている。その本質的特徴は次のように要約されるであろう。
 一 技術革新のリズムの増大と固定資本の耐久性の減退は、減価償却と資本の《道徳的》磨損に関するできる限り正確な計算、および費用価格のより明確な長期的計算化の必要性を生み出している。そしてこれは、今日では電子計算技術の急速な発展のおかげで、またその技術の経済分野(オペレーション・リサーチ、等々)への応用のおかげで可能となってきている。
 二 第三次産業革命は、以前のそれと同様に、工業の生産性の恐るべき増大、あるいは、換言するならば、明らかに無制限の生産能力と現実の需要、すなわち市場の制限との間の新しい鋭い矛盾を、ともなっている。剰余価値の実現は市場の困難さと衝突し、それにはマーケティング、技術、市場調査、需要弾力性の計算、等々の(および宣伝費の膨張)間断なき発達がある。
 三 いかなる代価を支払おうとも一九二九年のような恐慌の繰り返しを回避しなければならないという必要性は、冷戦および全世界における反資本主義勢力の発展という現実の条件のために、資本主義にとって死活の大問題となった。合衆国は購買力の創出および所得の再分配の技術とともに、景気循環を回避する諸技術を、ますます多く必要としている。国家による私的利潤の――直接的あるいは間接的な――保証制度は今日の資本主義のきわ立った特徴となっており、この保障制度は――利潤の大きな変動の適正化を通じて――《損失部分の国営化》を行いつつ、私的産業へのありとあらゆる助成活動を可能にしている。
 四 相異なる諸要素の結合は、資本主義経済への計画化技術の導入あるいは、より正確には、計画表の技術の導入を相伴っている。ところでこれは、保護的なグループ化を通じて(需要弾力性の計算によって調整される現実の諸傾向の計画化に基いて)需要および生産の総体的な予測を行う機関以外の何物でもないのであって、資本家の投資の相対的により合理的な配置の仕方を示すのに寄与している。
 予測によって構成されるそれらの計算の大部分が全く誤っており、過剰能力の大規模な発生を防ぐのに成功しないにもかかわらず、巨大独占の目的に沿ってその効用を競い合っていることは間違いない。フランスの計画委員会、ベルギーの計画局、それに似たイタリアの機関(同じようなものがこれらをモデルにして、英国にも最近つくられた)は、そうしない場合よりもずっと巧妙な検証に従って投資対策の選択を決めるという点において企業の首脳陣を一定程度助けている。経営者たちはこの助けのおかげでおおいに時間を省いている。また彼らは、計画化の形態が自由企業および資本主義一般を掘り崩すのではないかということを本気で恐れたりはしておらず、恐れるとしてもそれはむしろ好みとかあるいは政治的感情の問題に過ぎない。しかしながら、たとえ新資本主義がこの十年来獲得してきた成果が確かに輝かしい記録を残しているとしても、ある意味では新資本主義的生産様式一般の矛盾――それは新資本主義によっても決して取り除かれはしないのだが――と結びついているその内部矛盾は、それなりの根拠をもっているものと思われる。
 第一に、新資本主義が固定資本のより急速な減価償却を可能ならしめるだけのより高い成長率を生み出す程度に応じて、それは産業予備軍を減少させ、そして同時に(企業の首脳陣が《超過雇用》と評するところの)準完全就業の状態へと導く傾向を有している。そしてそれは資本主義の基礎として認められている基本的なメカニズムを破壊していく。失業者が大規模に消えていく瞬間から、労働組合がより賃上げに有利な市場条件を拡大していくことを妨げているところの経済過程に固有な構造的要因はもはや存在しなくなる。しかし、絶えざる賃金率の増大は、新資本主義的成長政策のいっさいをまかなった上でさらに巨大な資本費用を融資するように運命づけられている高い利潤率の設定の必要性とは、はっきりした対立関係にある。
 こうして、新資本主義的《計画化》の必要と、賃金を求める労働組合の利害とのあいだにある矛盾がますます鮮明になる。資本家たちは経済的調整の、あるいは社会・政治的調整の方法を用いて(あるいはこのふたつの方法の結合によって)この矛盾を解釈しようとする。
 経済的解決は遠心的あるいは水平的な、すなわち新しい企業設備の創出に向けられる投資として集約されるか、それとも求心的あるいは垂直的投資に向けて、すなわち手工業的労働の削減を可能にする設備の導入に向けてあらゆる努力を集中するかして、投資の性格そのものを修正するといった手段をとる。このことがオートメーションの驚くべき発達を説明するが、これはまた産業予備軍を再組織することをねらうものであり、年々の生産性の増大が年々の賃金の増大を超過する。これこそは、わたくしがこの論文の最初に述べたように、技術革新が、われわれが実際に確認した長期の《コンドラティエフ》波動のあいだに絶えず継続するという傾向をもたらす経済的要因である。
 合衆国においては、これらの方法は、この十年間にわたって成功裡に利用された。そしてこのことは加速的な経済成長の時期にさえ仕事をみつけられない莫大な数の恒常的失業者の大群によって説明される(一九六二年に、生産は九%近く上昇したにもかかわらず、アメリカには四〇〇万人以上の失業者がいた!)。もしこれらの方法が低い賃金率の国々へ向けての資本輸出の増加を促進するならば、これらの方法はより効果的なものとなるだろうし、これは現存の賃金率を上回るか、あるいは少なくともその賃金率が持続するような成長とは反対の計画を実行させる圧力として作用する。
 合衆国においては、経営者の成功の度合はこの十年間における実質賃金の成長の鈍化によって測られる(ヨーロッパおよび日本における名目賃金の急速な増大との関連で)。このことは、労働組合の力の徐々の発展によって、および経営者と労働組合とのあいだの力関係の変化によって説明される。
 西ドイツにおいては、東部ドイツから出てくる難民の絶え間ない波がひきはじめ、それがになっていた手工業労働の供給が消え去って以来、賃金率は非常に急速に上昇した。この転換の結果として、実質賃金は、西ドイツにおいては、西および中央ヨーロッパの大工業国のすべての到達水準を超過した。資本主義は、合衆国のそれと同じ様式を直ちに反映する。その結果として雇用水準は、一九六〇年来少なくとも四%増加した後に、一九六三年の第一四半期の間には工業全体を通じてその前の時期よりもずっと低下し、八、〇三七、〇〇〇人から七、九七六、〇〇〇人へと変化したが、その際、一九六〇年から一九六二年のあいだに二〇%増えた工業生産は、一九六三年の第一四半期の間に新たな前進をするかにみえたが、しかし一・五%だけであった。
 社会・政治的方法による解決は、労働組合にたいする弾圧、あるいは賃金の意識的な凍結政策による、あるいは団体交渉を認める法律やストライキ法の制限という形での弾圧の発動である(アメリカのタフト・ハートレー法、フランスの反ストライキ法、西ヨーロッパの多くの国々におけるストライキ決行の際に課せられる重い刑罰、ベルギーにおける反ストライキ法を実施しようとする試み、等々)。しかしながら、そのような資本家の政策が短期間のうちに達しうる成果がいかなるものであるにせよ、そのような方法は、長期的にみれば、新資本主義の目的とは対立する。結果としては、固定資本の著しい蓄積が、利潤率の大幅な増大から生み出される投資によって、今度はそれが社会的(消費手段の生産能力も含めて)生産能力の膨大な増加をひきおこすということはできない。そこでは、遅かれはやかれ、一方における生産能力の増大と、他方における雇用水準および賃金率の相対的停滞とのあいだで爆発せざるをえない矛盾があらわれる。後者は、もちろん、特に消費財にあてられる購買能力の相対的停滞ということに換言できる。
 控え目なインフレーションによって成長を刺激する方法は、インフレーションを《おさえる》ためのデフレ主義の実施と同様に、長期間にわたってみるとき、追求目標とは逆の結果に不可避的に結びついてしまう。《クリーピング・インフレーション》 は新資本主義およびいわゆる《福祉国家》政策一般に基本的な諸矛盾のひとつである。これは資本主義の必然的な発展(独占資本主義体制下における《管理価格》制度)の結果であり、そしてまたこの時代に特徴的な新しい特性(軍事支出および非生産的支出の著しい増大)の結果である。そのうえ、経済拡大のための諸条件が価格上昇の主要な原因をなしている。
 長期的にみると、この《クリーピング・インフレーション》は標準貨幣の購買力を次第に減少させ、投資制度を解体し、あらゆる種類の投機、多くの国々における優良地に関する不動産投機)を刺激し、そして、一般に、この体制の基礎を堀り崩していく(合衆国の場合には、周知のように、資本輸出の連続的な増大が国際収支の赤字の根本的原因である)。そしてデフレ主義的方法によってインフレ問題を実際に解決することをめざす試みのすべてが、奇妙にもそのデフレに応じた成長と不況とに帰着するのであるが、保守党時代の英国も、ある点ではまさしくアイゼンハワー時代の合衆国もこの政策に依拠していたように思われる。
 こうした新資本主義の諸矛盾はただ理論の上だけの(資本主義体制が今日においても基本的にはそうした諸矛盾を残存させている度合を反映している)外観上のものではない。これらの諸矛盾は、実質成長率がこのまま持続できないであろうこと、共同市場諸国が今度は景気後退を経験していること、そして加速的成長の長期の波はおそらく一九六〇年代のあいだに終結に達するであろうということ、といった以上の結論を導き出す。そしてこれらの結論は、低開発諸国の経済成長が諸工業国の成長のリズムに追いつきえなかったこと、諸工業国どうしの貿易がますます増えて、それが先進世界と低開発世界とのあいだの貿易にとってかわっていること、そしてこのために、低開発諸国が総体としての資本主義体制の安全弁としての役割をますます果たしえなくなってきていること、といった事実によってより確実なものとなっている。


つぎの章へすすむ「国際革命文庫」総目次にもどる