|
「一九二〇年代と三〇年代のスターリンのように、フルシチョフは、今後は国際階級闘争の決定的要素は、フランス、イタリア、インド等々の共産党の活動ではなくて、共産圏内の『社会主義的建設』であると見ている。二十回大会は共産主義のための新しい権力の奪取ではなく、共産主義がすでに獲得した権力を築きあげることを期待した」。そのためには、共産党はこれまで以上に議会的提携を求め、革命的冒険はいっそう差し控え、大いにブルジョア的に上品に振舞うという代償を支払うというのであると、ドイッチャー氏は一九五六年二月二十九日付の「二十回大会における国際問題」でいっている。 これにたいして、それは権力に執着するスターリニスト官僚の保身策であるという非難と、被抑圧民族や資本主義下の労働者の解放闘争を犠牲にするものだという批判が当然予想されよう。が、ソ連官僚の権力欲と保身欲を否定することはできないだろうが、恐ろしい貧困と、冷戦と封じ込めによる外部からのきびしい締めつけ、その上、武力侵略の不断の脅威――それがどんなにきびしいものかは、かれらがいちばんよく知っている――のもとでのソ連の、強大な社会主義経済建設の躍進と、目覚ましい教育の発展を、ただ支配的官僚の私欲の結果でしかないといい切ることは、今日ではあまりにも単純過ぎないだろうか。たとえそのイデオロギーとやり方がスターリニスト的であったにせよ、これほどの偉大な業績にたいし、心からの敬意と誇りをもち、深甚の連帯感を覚えないとしたら、それは国際的社会主義者の意識に欠けている証左ではないだろうか。「わたくしたちは傲慢であってはなりません。かれらの巨大な任務、かれらの巨大な成果を軽んじてはなりません。かれらは西欧の諸国民が何世紀もまえに学んだことを、はるかに遅れて学んでいるのですが、しかしかれらはまた、西欧の諸国民がかつて学ぶことのなかったことも学んだのです。発展は複合的です。そこには後進性があり、また途方もない進歩があるのです――歴史のこうした側面から眼をそらすことは、およそ非現実的でありましょう」と、ドイッチャー氏はいっている。(『レーニン伝への序章』岩波書店「現代におけるマルクス主義」一〇四,一〇五ページ)。 これに関連して、もうひとつだけ、長い引用をさせていただく。 「今日でさえ、ソビエト・ブロックの内部には、関税の障壁もなければ、商業上の競争の恐怖もなく、ただほんの少数の保護貿易主義的な利害関係が存在しているだけである。もしもモスクワの希望どおりにこの過程が中国をも包含することになったら、ソビエト・ブロックは今世紀の最後の四半世紀には、北アメリカの四、五倍も大きく、アメリカ・西ヨーロッパ共同市場のすくなくとも二倍も大きな、単一の経済的実体となるだろう。こんなに膨大な経済的実体のなかでは、技術的進歩、生産力、規格化と大量生産はいまだかつてみなかったほど巨大な規模で発展することができるだろう……『現状維持』とはいったいどういうことか? フルシチョフがいっているのは、形式的な地理的、政治的現状である。かれはドイツを二つに断ち切って走っている境界をも含めて、現在の国境の姿を安定させたいと思っている。だが、現状維持は、国際的な力の均衡における実際の現状維持と同一である必要はちっともない。事実、フルシチョフは、形式的な現状を基礎にして、力の均衡がソ連に有利に変わっていくと期待していて、そのことをすこしもかくしていない」。それにしても、ソ連には侵略と征服の意図ははたしてないのか、征服への衝動は、共産主義とソビエトの武断外交に固有のものではないのか?「帝国主義的征服の経験にもとづいたこのような疑問は、部分的にはまだスターリンの政策に関係があったが、わたくしの意見では、それはソビエト外交の新しい段階やその武断外交的背景には、ほとんど、もしくは全然関係がない」と、氏はいい切る。第二次世界大戦後のスターリンの政策の動機は、一般の征服者のそれと同じで、東欧や中欧の各国を支配しようとし、ソビエト経済が戦争で徹底的に破壊されて、回復の見通しが極度に不確実であったときに、これらの国々の資源を押えたのだった。「が、こうした事情は、いまや明らかに過去のものである。なるほど、スターリンの後継者たちは東ヨーロッパの共産主義体制を清算する主人役をつとめることはできないし、またつとめるはずもない。だが、かれらはスターリンがもちいた征服手段にかえっていく必要もないし、かえっていくことを願ってもいない。今日ソ連はその計画経済のうちに、その力を征服によって増大するよりもはるかに急速に、はるかに安全に増大することができる手段をもっている。工業的発展が一、二年すすむごとに、ソ連は中くらいの大きさのヨーロッパの国をひとつ征服してえられるよりも、もっと多くのものを自国の資源に加えているのだ。もしも現在の七ヵ年計画の目標が達成されるなら、ソ連は一九六五年までには西ドイツの潜在力の二倍に近いものを、自分の現在の経済的潜在力に加えているだろう。だからこそ、ソ連は形式的現状を変化させることなしに、力の釣り合いを自国に有利に変えているのである……ソビエト外交は、二つのブロック間の現状の境界線を『凍結』しようとしている……ソ連はさらに十年ないし十五年の時をかせごうと努力している。そしてこの期間に、西側との決定的な、公然たる勝負をやるための準備をするつもりなのである。『公然たる勝負』とはどういう意味か。説明しよう。これはなにも武力によるテストである必要はない。相対立する社会制度のあいだの闘争では、能率がすぐれ、社会の生産力を展開し、人間の創造的エネルギーを解放する能力がまさっている制度がかならず勝つとマルクス主義は考える。最近まで、ソ連は下手にこんなテストに応じたりしたら、負けるにきまっていた。かつてトロツキーがいったように、ロシア革命は、武力侵略でなくても、『安い外国商品の侵入』によって敗北させられる危険があった。過去四十年間の全ボリシェヴィキ政策は、このようなテストを回避すること、もしくは先へのばすことをねらった。スターリンの孤立主義も、保護貿易政策主義も、鉄のカーテンも、みんなこの危険をよせつけないようにし、ソビエト国民を西側のより高度な能率と、より高い生活水準の衝撃にたいして、免疫にしておくためのものであった」。が、ソビエト工業力の成長につれてこれは逆になる可能性が急速に増大する。日本の安価で優秀な性能の商品が世界の市場をまたたく間に征服したように。「二十回大会でフルシチョフとミコヤンが、レーニン主義の伝統を無視して、各国における『資本主義から社会主義への平和的転換』――内乱なしに達成される転換――について語る気持になったのは、ほかならぬこの展望のためであった」と氏は、一九六〇年出版の『大いなる競争――ソ連と西側――』の第三章「ソ連の外交政策」の中でいい、第四章「東と西」で、今世紀の最後の二十五年間、もしくはそれ以前にさえ、東と西の大競争の結果を決定するだろうと思われる「平和的共存と競争」の含むいろんな問題を具体的に述べ、すばらしい展望をくりひろげている。そして「最後の結びとして、わたくしは――望むらくは単純化にも、感傷にも堕することなしに――軍備縮小をうったえる」と、序文で心をこめて述べている。 マルクス主義者の口から語られたこのうったえには、疑問と批判が起ることが予想されよう。この東西両陣営間の「平和的共存」には、被抑圧民族の解放闘争や、資本主義諸国の社会主義運動を犠牲にする危険だけでなく、第一アメリカや日本はじめ世界各国の支配階級が、死物狂いの凶暴な抵抗なしに、平和的経済競争に甘んじて、静かに消えていくとは思われない。各国内での凶暴な抑圧はもちろん、核戦争への危険はこの証拠である。すでに西側における民主主義は、極度に脆い薄氷と化し、横暴きわまる露骨な反動化を隠そうともしない支配階級が、形ばかりにくっつける、人造イチジクの薄い透明な膜の、恥部まる見えの葉っぱでしかなくなっている。自分の私的スキャンダルにたいする世界の批判の眼を他へそらすためには、どんな狂乱沙汰の恫喝もあえて辞さぬアメリカ大統領の暴挙にさえ、間髪をいれぬ強力な歯止め一つないこの資本主義世界、そして刻々進行していく地球汚染、幼児から壮者、老人までのすべての人間生活の腐蝕と破壊と荒廃。こうした終末的な危機の増大の状況下で、十年、二十年先の社会体制の平和的転換を、ただ漫然と待つことができるだろうか。そういう切実な疑問は当然起らずにはいないだろう。げんにドイッチャー氏自身、ベトナム戦争では、そうした不可抗的な歴史の発展の推移にゆだねきることができず、この自然の推移に身をもって介入し、ほとんどただひとり、学生中心の自然発生的な反戦市民運動を、正統マルクス主義本来の社会主義運動の高さにたかめるための活動に献身し、氏にゆるされた最後の三年の時と生命を献げつくし、ベトナムに賭けられた道義に殉じたのである。 だが、無政府的、粗放的大浪費の資本主義経済にたいする社会主義計画経済の圧倒的有利が、年々加速度的に明白になっていくことは変らない。この事実を、そして同時にソビエト国民が原始的蓄積の労苦の末に現出させた、ソビエト大工業と大集団農業、そして壮大な教育体制を、世界中のひとびとの、偉大な共同の財産としてとらえ、おなじ考え方をひとりでも多くのひとたちに伝えるべきではないのか。大学教育が普通教育となる日もそう遠い将来のことではないといわれている、ソビエトのあの壮大無比な教育体制は、私的企業の利潤のために、身も魂も売り渡し、あたら生涯を使いつぶし、すりつぶしてしまうサラリーマン奴隷を大量製造するように、幼稚園から大学まで体制化されてしまっている日本の教育とはちがって、幼児も、児童も、学生も、みんな将来共同の集団生産に参加する、共同の大切な財産としての各人の固有な才能を、掘り出し、育成する、すべて国費でまかなわれる、教育費完全無料の教育体制である。 それに比べて、日本の教育のお粗末さと貧寒さはどうか。保育園や幼稚園さえ、大学並みの高い授業料が徴収され、数さえこと足りない。高校も大学も七〇%は営利至上の私立経営にまかせきりで、国立にくらべて教育条件ははるかに劣悪なのに、はるかに高額な授業料を歯止めなしに引上げられる。この非情な途方もない不平等にたいし、政府は完全に頬かぶりをしている。 ところで、この歯止めのない、絶えずはねあがりつづける教育の授業料徴収制度は何か? それは親の社会的、経済的格差を、一代限りのものとさえせず、そのまま、何も知らぬ可憐な保育園児から小学児童大学生にまで、強制的に押しつけ、格差をさらに拡大させる、シニカルなまでに欺瞞的で、非情酷薄な、恐ろしく反動的で、階級的な制度であり、大方のこの国代々の政府閣僚と官僚たちの、無慈悲で、強欲で、倣岸不遜で、鈍感で、恥を知らぬデマゴーグの性格を、そのまま直接反映している残酷きわまる制度である。それは欺瞞の塊りとしか思われないこの国の「政治」の、恐ろしく卑猥な重症露出症的象徴といわねばならない。あの貧しい小国キューバでさえ、建国間もなく、授業料全廃の完全国費教育制を実施し、次の世代ひとり残らずの才能を、貴重な国民共同の財産として開発し、共同建設のために生かそうとしている。 ついでにいえば、GNP世界三位を誇る日本のこの教育への国費の因業な出ししぶりに劣らず、国の政治の非道さを暴露しているもののひとつは、この国の悲惨な医療制度であろう。わたくしは一九三〇年代の初め、ロンドン生活をしていた。一九三一年の五月から夏にかけて、あの世界恐慌はロンドン金融市場をも危機に陥れ、そのためイングランド銀行は取り付け寸前に追い込まれて、九月にはついに大西洋艦隊の水兵反乱にまでなったことは、トロツキー著『ロシア革命史』の解説〔上巻所収〕にやや詳しく説明してある。ところが、この国家存亡の大危機にも、あのすばらしい医療制度には指一本触れず、微動だもさせず堅持したことのすばらしさを、わたくしはいまも非常に爽やかな感動をもって思い出している。それはどんな外国人でも、たった一週間分の下宿料を支払いさえすれば、その中に含まれている葉書一枚分ほどの保険料のおかげで、後はどんな病気になっても無料で入院ができた。完全な設備の大病院で、どんなに困難な大手術でも、完全看護、タオル一本持ち込むことも許されず、全部病院支給で、完全に無料で全快するまで親切な看護治療を受けられる。また胸の疾患など、長期または生涯療養を必要とする患者の場合も、おなじようにたった一度の葉書一枚分ほどの保険料を納めただけで、生涯、地方の美しい田園の、療養に最適の地に設けられたすばらしい病院で、手厚い看護を受けながら療養生活を送ることができる。わたくしの友人が、ひとりは盲腸の手術、ひとりは胸の病いで、この恩恵にあずかったのだ。日本でそれができないのは、国民の切実な期待に背を向けたこの国の歴代政府の、無反省な国費の大浪費のためでしかない。あの未曾有の恐慌下のイギリスが、四十年昔に、微動だにせずにやれたこと、そして四十余年後の今日も毅然として守り抜いていることを、そしてまた社会主義諸国が、キューバのような貧しい国でさえ厳として実行していることを、いまの日本が、明日からでも、やれぬはずは絶対にない。国の税金を下政府が国民に背を向けてまるで私物化し、野放図に使いまくっているからだと断ぜられても仕方がないだろう。公害防止のかなめであり、摘発者であるべき環境庁長官は、公害垂れ流しの大企業と、その寝たきりの生涯の無力な被害者とのあいだで、「公平中立」の調停者でしかなく、中曾根通産大臣は、新任直後の記者会見で、速かに全国の工場の厳重な点検をおこなう、といとも厳かに宣言はしたが、爾来一年有余、各地で工場の大爆発が頻繁に起っているにもかかわらず、たった一つの工場の点検も自ら指導してやったという報告を聞かず、恐ろしい工場汚染は加速されるばかりである。こうしたあまりにも明らかなデマゴーグ的食言が、国民、政治意識が深いとはいえない一家の主婦たちといった、一般庶民のあいだに、深刻な不信と怒りと蔑みを醸し出していることを、氏は銘記すべきだろう。日本の社会主義運動は、他の多くの緊急な諸問題と同様に、この徹底的に反動的で、階級的な授業料制の全廃と完全国費による無料の教育制度と、完全な医療制度の即時実施を、基本綱領の中に、本格的に組み込むべきであり、これの不在な政治綱領は、「欠陥綱領」の赤札をつけるべきだといえよう。 |
|
|