刊行にあたって
一九七〇年代に入ると、戦後、アメリカ帝国主義を盟主とする資本主義の世界支配は、幾度かのけいれん的危機を経て、深刻な経済的危機におおわれた。
戦後資本主義の経済成長を絶賛しつづけて来た近代経済学の権威ある学者諸氏ばかりかマルクス経済学の権威を自他共に認めて来たマルクス経済学者諸氏までが、事態の本質を見失い、「マルクス主義では今日の経済問題を解明出来ない。」などと言う混乱のドロ沼にはまり込む中で、藤原次郎は、唯一、実践的なマルクス主義の方法論によって、直面する事態を鋭く解明し、深刻化しつづける経済情勢を見事に予見したのである。
今、彼の論文に接する読者諸氏は、改ためて、彼の分析の鋭さと、予見の正しさを確認する事ができるだろう。
同時に、彼の経済情勢分析を主な内容とする各々の論文は、真に革命的マルクス主義の方法論に貫かれているが故に、「経済分析」という呼び名からイメージされる退屈で、無味乾燥な論文とはまるで違って、極めて実践的で”面白い”論文である事にも気づかれることと思う。
そして又、これこそ、本当の意味でマルクス主義の方法論と呼ばれるにふさわしいものであり、まさにこの正しい方法論が、彼の各論文の鋭さと予見の正しさとして結果したと言えるだろう。
ここに刊行された、彼の論文集は、今日、ますます爆発的な危機の様相を呈する日本資本主義の矛盾の激化を見通し、労働者階級が直面する企業倒産、首切り合理化、更には実質賃金の目減りという問題が、単に経済的な不況によってもたらされているだけでなく、戦後帝国主義世界支配の崩壊、そしてその帝国主義の側からの強権的、暴力的な再編、=延命策との密接な関連の中で展開されている事を、実に大量の資料の分析を通じて解明を試みている。
今日、こうした「大局的視点」の確立は、あらゆる労働者、民衆の闘いが、必然的に国家権力の暴力的介入に直面し、これとの意識的な対決抜きには前進が困難である事情を見る時、意識的な活動家諸君の課題であるだけでなく、総ての労働者の中に必要なものであると言えよう。
戦後、アメリカ帝国主義によって再建された世界資本主義が、その出発点から刻印されねばならなかった“特殊性”、構造的矛盾、その後の経済的発展のカラクリと、又、その結果としての矛盾の蓄積……。
今や、こうした本質的で、階級的な問題の把握と、それに裏打ちされた総体的対決の準備だけが、次の勝利を展望し得ると言っても過言ではないだろう。
その意味で、本書は、“活動家向け”のものとしてではなく、総ての労働者、民衆のものとして刊行されたのである。
無力になった改良主義潮流の“労働者向け教科書”に代って、次期を担う労働者、民衆は、意識的に権力との闘いを準備し、展望と指針を粗立てるのに役立つ”教科書”をこそ必要としているだろう。
本書は、藤原論文集の第一集として、
○「円高問題」と労働者階級の立場
○日米経済“戦争”と“円高”に表現された戦後帝国主義の没落
○世界経済の危機の本質と現局面
○IMF体制の崩壊と戦後帝国主義の没落
の四つの論文を集録した。
これらの論文は、主要に国際的な経済分析を内容としているが、同時に又、この世界資本主義の危機の中にこそ、今日の日本資本主義の危機の本質がある事を明らかにしている。
ひきつづき、日本資本主義自身の経済的矛盾と危機を、より詳細に分析した第二集が刊行される予定であるが、二つの論文集を読者諸氏が有効に活用され、今日目前にある個々の問題の階級的本質を正確に把握し、権力と闘う労働者の階級的戦列を整えられん事を期待したい。
一九七九年七月
国際革命文庫編集委員会
目 次
円高問題と労働者階級の立場
――犠牲の労働者階級への転嫁を許すな――
だまされるな!
円高の問題は何か――騒ぎの真相
社会党・共産党の排外主義への唱和
国際収支の黒字は簡単には減らない
三全総―行政・産業再編攻撃と全面対決し三里塚空港を粉砕せよ
「円高問題」を「外圧」とする排外主義のキャンペーン
アジア規模での産業再編攻撃――三全総=「列島改造」の延長
ブルジョアジーの産業・行政再編攻撃の突破口=三里塚空港
日米経済“戦争”と“円高”に表現されたドル支配の危機
不可避的に高まる保護主義の波
戦後のドル支配と一九三〇年代との相違
戦後のドル支配の確立と崩壊
六〇年代――ドル危機の深化
ドル支配の崩壊と資本主義の根本矛盾
世界経済の危機と抬頭する保護主義の今日的性格
世界経済の危機の本質と現局面
一、はじめに
二、帝国主義経済の歴史的没落段階
三、カーターの世界戦略とアメリカ経済
四、世界経済の危機の本質と現局面
IMF体制の崩壊と戦後帝国主義の没落
第二次大戦とその諸結果
一九三八年のトロツキーの予測と第二次大戦の世界構造
戦後資本主義の構造と帝国主義の没落期の特徴
戦後資本主義の相対的安定と「平和共存」の経済的基盤
インフレの昂進とドルの没落――没落する帝国主義の危機の構造
「円高問題」と労働者階級の立場
――犠牲の労働者人民への転嫁を許すな――
一九七七年一一月、円の対ドル相場の急上昇をうけて、あらゆるマスコミが「円高」を「外圧」として排外主義的キャンペーンを張りめぐらす中で、「円高」の階級的本質を明らかにし、いち早くこれと対決する方向を指し示す論文として、七七年一一月、「世界革命」紙、四九八号、四九九号に連載された。
だまされるな!
十月に入ってからブルジョアマスコミは連日新聞の一面トップで刻々相場を上げていく「円高」について仰々しく報道しつづけた。まるで日本列島を襲う巨大な台風の進行歩況を追っているごとく。そして外国為替市場で、円の相場がジリジリと上昇していくことかわれわれ労働者人民の利害とも円動的に結びついていくかのように騒々しいまでのキャンペーンをはりつづけた。それはまるで一種の脅しの性格さえおびていた。「覚悟せよ、耐乏の時が近づいている」とてもいわんばかりに。
だが労働者人民諸者、もうだまされてはならない。一九七一年のドルショックのときも、七三年のオイルショックのときも、ケタはずれのインフレと数百万におよぶ大量の首切り、配転攻撃という形で、「日本経済の危機」は労働者人民への犠牲にすべてしわよせされた。大資本と政府は、まさにそのような大衆収奪と搾取の強化によって輸出を伸ばし、荒かせぎをしすぎた結果として大幅な貿易黒字をためこんだのだ。そして日本のブルジョアジーがあまりに一方的に世界市場で荒かせぎをしすぎることに対して、競争相手国との間に摩擦が生じ、様々の輸入規制や円レートの上昇によって輸出にブレーキがかけられたのである。
輸出でかせぎつづけている間はそのもうけのカケラさえ労働者人民に環元しようともしないておいて、いざ輸出にブレーキがかかったとなると労働者人民に犠牲をしわ寄せし、「耐えしのべ」と言いだすのである。ブルジョア経済の一切の危機と同様“円高”の原因に対して労働者人民は責任を負う必要はないしなんの関係もない。ちょうど旺盛な輸出による企業や商社のもうけが、われわれに何ひとつ還元されはしなかったようにだ。
ドルショックやオイルショックのときと同様、今後の「円高」についても社会党や共産党は政府・自民党と一緒になってこれを“外圧”としてうけとめている。そして「日本政府は、米国に対して責任を追及しているのか」と国会で質問してみたり、「外国から批判されるまえに、政府は早目に手を打つべきだった」と政府をたしなめたりしているのだ。こうして社会党も共産党もマスコミと一緒になって、労働者人民をだますことに手を貸している。
そもそも為替レートの変動は通貨・通商戦争の一環であって、今度の「円高」も激烈に展開されている帝国主義諸国間の、世界市場をめぐる競争戦のあらわれにほかならない。オイルショック以来、すべての先進諸国が戦後最大の長期不況に見舞われた。七四年のどん底からははい上がったものの、全体としていまだに危機からぬけ出してはいない。
「円高」の問題は何か――騒ぎの真相
世界経済の“牽引車”といわれた米、西独、日本も雁大な構造的失業者をかかえているし、インフレの危機に脅かされている。フランス、イギリス、イタリアの失業はさらにひどく、とくに若年労働者の失業が重大な政治問題としてクローズアップされている。それにもかかわらずどの国も思うように景気拡大がすすまない。世界経済が全体として高度成長の破産による危機に襲われているのである。その結果、相互にますます輸出競争にしのぎをけずることになる。世界経済はその必死のあがきにもかかわらず、じわじわと一九三〇年代と同じ為替切下げ競争と輸入制限という、保護貿易主義による世界市場の縮小=危機の拡大への傾斜をすべり落ちはじめているようにみえる。
「保護貿易への傾斜を懸命にくいとめて自由貿易の原則を守ろうとしている」といわれるカーターのもとで昨年以来、繊維や鉄鋼にとどまらず、日本のカラーテレビや電子製品をアメリカ市場からしめ出そうとしている。イギリスが日本製形鋼に課したダンピング関税、ECがベアリングに課したダンピング関税、さらにはアメリカが絹製品に課した報復関税、民生用電子機器に対して課した相殺関税、等々の輸入規制が強化されている。しかもそれは日本に対してだけでなく、アメリカとECの間でもさまざまな輸人規制をめぐるいざこざが生じている。
今年の五月に開かれた先通国首脳会議でも、共同宣言で「保護貿易主義を否定する」と謳いながら現実には「自由貿易の推進」が後退し、「管理された自由貿易」が強調された。世界経済のカジをとっている政治的首脳たちの意図や願望とは裏腹に、世界経済の統一性はいやおうなく「国益」によって引き裂かれ、保護主義の台頭のまえに出口のない危機へのめりこんでいっている。
今度の「円高・ドル安」もそうした動きのひとつにほかならず、米・西独・日本が機関車の役を果すどころか、ドルとマルクと円の縄張りをめぐって攻防戦をくりひろげたものにほかならない。
オイルショック以来、原油価格を中心とする一次産品価格の値上りで南北間の交易条件が変化し、先進工業国のパイが縮小した結果、先進工業国間の競争の激化が表面化してきたのである。すなわち、高い原油価格のもとで先進工業国間の国際競争力の優劣差があらわれ、それによって国際収支格差が拡大した。この格差是正を求めて生じたのが一九七七年をとおして表面化した通貨・通商戦争にほかならない、今度の「円」への攻撃もまさにそれである。
この点でオイルショックによる打撃を、七三年末から七四年の世界で最も高いインフレと、それ以後の大量首切りと賃金抑制でいち早くのり切った日本経済の競争力の強さが、巨大な貿易黒字としてあらわれたのである。だから「円」の強さの裏には途方もない大衆収奪と搾取の強化がかくされているのである。ブルジョアジーは日本の労働者人民の血と汗を叩き売ってぼろもうけをつづけてきたのである。
こうしてつくり出された価格競争力によって、日本商品(とくにカラーテレビ、乗用車、電子機器、鉄鋼等の特定商品に集中しているが)はアメリカ市場やEC市場に氾濫した。こうしてたしかに今後は「円」に的がしぼられ、「円」が槍玉にあげられた。
だがそのことは米、EC、日本の間の世界市場のシェアをめぐる激烈な競争戦以外の何か別のものであったことをいささかも意味しない。ただ対米貿易においても対EC貿易においても、日本の側の極端な出超によってECとアメリカの批判と不満が日本に集中したにすぎない。
一九七六年におけるアメリカの対日輸出額は一〇一億ドル、輸入額は一五五億ドルで五四億ドルの貿易赤字という戦後最大の赤字になった。アメリカの対日輸出の主要商品は食料、飲料、原材料、機械類であり、逆に日本の対米輸出の主要商品は機械、輸送用機械、鉄鋼である、ECの対日輸出額は七六年に三六億ドルで、輸入額は七三億ドル。これも戦後最大の三六億ドルの赤字となっている。ECの主な輸出品は機械と化学品、日本のそれは機械、輸送用機械、鉄鋼であり、相互に競合的な関係にある。
こうした貿易構造と日本の大幅な黒字の累積に対してアメリカ、ECの不満が高まり、アメリカの財務長官の発言などをきっかけに役機も加わって円レートが急速に上昇していったのである。それはいうまでもなく米―ECによる世界市場に占める日本商品の放逐とシェア奪回の攻撃にほかならない。また日本もこの攻撃に懸命になって防戦したのであって、ドル買い支えによって円レートの上昇を押しとどめようとする日銀の介入が表面化して来た段階で「円高」が騒がれはじめたのである。
しかし「円高」のすう勢はその段階で突如はじまったのではなく今年の一月段階の一ドル=二九〇円台から二月に二八〇円台に、三月に二七〇円台にと上昇していって七月初めには二六〇円台を記録した。この頃から日銀の為替市場への介入は始まっていたのでありマスコミが仰々しくとり上げはじめたのは、自動車や家電製品などの輸出にも打撃を与えるほどの水準を円レートの上昇がこえはじめたことにある。
「円高」をめぐる騒ぎが、ドルとマルクと円の縄張り争い以外のなにとものでもないことは明白である。
社会党・共産党の排外主義への唱和
問題なのは、資本の帝国主義的な競争戦に各国の労働者階級がまきこまれ、動員されていることである。アメリカの鉄鋼やカラーテレビの対日輸出規制に対して、アメリカ最大の鉄鋼メーカーU・Sスチールとともに鉄鋼産業の労働者も加わり労使一体となって対日攻撃を展開している。カラーテレビも同様であったし、またECでも自動車やボール・ベアリング等の対日輸出規制に労働者階級が動員されている。そして日本商品の氾濫が「失業」の元兇であるかのように宣伝されている。まるで「失業」やインフレが資本主義そのものの根本的矛盾ではないかのように。
たしかに競争国の商品が市場にあふれ、自国産業が国内市場でシェアを拡大できず操業短縮や倒産に追いこまれているというのは事実であろう。しかし輸入規制を強化して保護貿易主義に走ってみても、問題は何ひとつ解決されるどころか、一九三〇年代にそうであったように世界市場の急速な縮小を招き、かえって失業の増大をもたらすことになるのである。
「失業を輸出している」日本に失業がないどころか、公式統計でさえ百万をこえる失業者を出し失業率は二%をこえている。が実際には失業率は四%から五%に達しているのが実情であり、失業者は三百万を優にこえているのである。日本商品の輸出競争力の強さはむしろこの厖大な失業者群の犠牲によってつくり出されたものであり、さらにこの失業者群によって就業者の賃金が大幅に切下げられている結果によってつくり出されているのである。失業もインフレも資本主義の根本的矛盾から生ずるものであって、資本主義を根底から一掃して労働者人民が直接生産を管理し、国家的規模で、さらには国境をこえて単一の計画経済を打ちたてないかぎりなくなりはしない。
そもそも今日の世界経済を支配しその富を独占しているのはアメリカ系資本を中心とする「多国籍企業」なのであって、彼らは「国益」など完全に無視して世界の隅々まで利潤を求めてハイエナのようにうろつき走りまわっている。今日問題になっている国際収支の赤字、黒字の問題にしても、この「多国籍企業」の進出によってかく乱されているのである。「多国籍企業」の親会社と子会社間、あるいは子会社間相互での原料や部品の輸送は、子会社の置かれている国の輸出入に計上されるにもかかわらず、その国民経済にはほとんど何の関係もない。
このように「多国籍企業」の進出は、明らかに完全雇用や物価安定を考慮せざるをえない国民経済の枠と衝突する。たび重なる国際通貨危機にさいして、されらの企業の資金が利ざや稼ぎのために大量に投機に走り、混乱を助長したことはすでに知りつくされている。今度の「円」投機でも大きな役割りを果したといわれている。
さらに現在千五百万をこえるEC諸国の失業問題をひきおこしているのも、大部分これら進出企業の突然の閉鎖や操業短縮なのである。資本は国境をこえて国際カルテルを結び、同時に数ヶ国の労働者人民から法外な収奪を行っている。
この「円高」騒ぎの最中に、カーターは日本とECからの鉄鋼輸入の急増に、はじめはダンピング問題として対処しようとしながら結局、多国間の価格協定で「解決」することにしたのである。だがどう弁解しようと、価格協定は主要鉄鋼生産国の国際カルテルにほかならない。「数量協定があからさまな世界市場の分割、山分け」なら、価格協定はかくれた市場分割にほかならない。
このように「国益」は明らかに労働者人民に対する陰謀の具でしかない。ただ「国際主義」の旗を投げ捨てた社会民主主義者や共産党によって目かくしされ、眠りこまされた労働者階級が、いまや資本の忠実な下僕となった労働組合指導者の欺瞞に満ちた手によって排外主義の泥沼に足をとられているのである。
国際収支の黒字は簡単には減らない
ところで「円高」は、今後の日本経済にどのような影響をおよぼすのだろうか。まず第一に指摘されていることは輸出への打撃である。長期にわたる景気の停滞を一九七六年の年初以来、輸出の好調が支えてきた。その輸出が重大な打撃をうけることによって、景気がより一層落ちこんでいくということが第二に指摘されている。その結果、これまで以上に倒産件数が増加し失業問題が深刻化するだろう、というのが第三に指摘されていることである。
だがいうまでもなく、輸出への打撃は一様ではなく業種間格差が著しい。自動車・音響機器・鉄鋼などの特定商品の輸出は少々の円高でもダウンしないほど非価格競争力(「納期の正確さ」や「サービス網の充実」「技術的優位」等)が強いといわれている。自動車について「日本で生産するのと米国で生産するのとどちらが安くつくかを比べると、一ドル=二二〇円までは日本の方が競争力がある」という計算例もあるほどの状況である。
ところがこのような格段に輸出競争力の強い特定商品が、アメリカやECといった特定地域に集中豪雨的に輸出されたことが、大幅な黒字の累積以上に問題にされ、今度の「円高」の背景になった。とすると円レートはこれらの輸出競争力の強い特定商品に照準を合せて押し上げられることになる。しかしそうするとこんどは、それほど価格競争力の大きくない多数の輸出品が落ちこぼれ、大量の倒産・失業問題をひきおこすことになる。
そのうえ、いくら競争力が強いといっても一ドル=二四〇円を割りこんで二三〇円台に突入したりすれば、自動車や家電業界の中にも採算割れで大幅な減益から操短に追いこまれる企業も出てくることが予想される。また鉄鋼業界の場合には、アメリカのダンピング規制がからみ事態はさらに深刻である。とくに構造的不況業種といわれている平・電炉に対してもアメリカはダンピング規制をかけてきている。さらに合繊業界や金属洋食器産業となると二四〇円台を割りこむことは決定的なダメージとなる。
こうした状況を考えると政府としては、円レートをこれ以上「円高」にもっていかないように強硬対策をとって、国際収支の黒字減らしを行わざるをえない。そのために@内需の振興A輸入の拡大B資本輸出の促進――といった対策が考えられている。すでにこうした対策が打ち出されはじめている。しかし事態は非常に深刻であり、日本経済は重大な危機に直面しているといわなければならない。
第一に内需の振興といってもオイルショック以後数年にわたって国内の民間設備投資は停滞をつづけており、そう簡単にはいかないということである。三木内閣のときの「第四次不況対策」以来、二兆前後の景気浮揚策は何度かとられてきているし、ここ数年巨額の赤字国債を発行して公共事業への財政支出を増大させてきたにもかかわらず、民間設備投資は横ばいか微減さえしてきたのである。「三兆円といわれる需給ギャップのもとでは、「内需の拡大」はおぼつかないとみなければならない。
今秋期の補正予算による二兆円近い「景気対策」もこの間の「円高」によって消えてしまったといわれているし、設備投資の落ち入みが懸念されているほどである。「内需拡大」がすすまないとすれば当然輸入の拡大も期待できない。日本の輸入構造は、圧倒的に工業用原材料が多く一九七六年で輸入全体の六二%を占めている。そのため国内の生産活動が活発化しないと、原材料輸入を増加させることはできない。ところが七六年についてみるかぎり景気停滞の長期化がもたらした在庫率水準の高い状態によって、原材料輸入の伸びは鉱工業生産の伸びよりも低かったのである。
たしかに産業構造のある程度の変化にともなって製品輸入も若干は伸びてきている。たとえば産業の知識集約化への転換にともなって電子計算機などの輸入が増えてきている。しかしその輸入全体に占める比率はまだ圧倒的に小さくさらに一層の産業構造の転換をすすめなければ、原材料輸入型から素材ないし中間財輸入の比重を増加させることはできない。
このほか、農産物については多くの残存輸入制限が設定されており。農業のさらに極端な破壊を押しすすめることを決意しないかぎり、それほど簡単ではない。また耐久消費材にしても複雑な流通機構によって輸入の増大が著しく困難にされている。十一月八日に明らかにされた通産省の調査によっても、輸入価格に対する小売価格は自動車、チョコレートで二倍以上、ライター、ワインで三倍以上、ウイスキーでは八倍以上となっているなど複雑な流通機構と高いマージンによって輸人品の価格は日本が一番割高になっている。
すでにしばしば指摘されている輸入牛肉の例でも明らかなように、その複雑な流通機構と「肉ころがし」の実態は、農林省でさえつかむことができないでいる(調査しさえすれば簡単につかめることだが!)。日本の場合、この複雑な流通機構が一種の非関税障壁となって輸入の増大をはばんでいるのである。
残された方途は「海外への資本投資」であるが、輸入増による黒字減らしに代りうるほどの資本輸出を一挙に拡大することなどできはしないし、また直接投資による資本流出は雇用機会の流出であるから、景気停滞を強め失業を増大させることにつながる。
三○億ドルの緊急輸入が、たんなる「願望」でしかないように、国際収支の大幅な黒字を現在の低成長経済の中で減らすことは、きわめて困難といわざるをえない。そして内需の振興が思うようにすすまなければ、輸出依存型の産業・企業は「円高」の中で、採算割れを覚悟しながら「出血輸出」をつづけなければならない。それはさらに「円レートの上昇」をまねき悪循環をくり返すことになる。そればかりか一ドル=二三〇円を割るような「円高」は、ドル不安にもつながる危険性をもつし、ドル不安が深刻になっていけば、OPECの原油価格の高騰にはねかえって、日本経済はドルショックとオイルショックとダブルパンチを同時にうけるはめになろう。
日本経済は出口のない袋小路へますます足を踏み入れていくのである。今年から来年の上半期かけて、「経済の福田」は経済の危機によってもより一層深刻な政府危機に見舞われようとしている産業・行政再編を一層いそがなければならないことを強制される。
##三全総―行政・産業再編攻撃と全面対決し三里塚空港を粉砕せよ##
「円高問題」を「外圧」とする排外主義のキャンペーン
あいかわらずブルジョアマスコミは、大見出しで「円の上昇」を仰々しく報道しつづけている。「二五〇円の防衛ライン割る」「二四五円が攻防ライン」「二四〇円を防衛線に」と、この耳を聾するばかりの騒々しい宣伝に、いつのまにか圧倒的に多くの人々が動員されてしまっている。だが一体、誰が何を「防衛」するというのか? 「日本経済」の防衛? それは労働者人民の「生活防衛」と同じことなのだろうか? 桜田日経連会長は、「最近の円の急騰は七三年の石油ショック以上の大きな衝撃を日本経済に与えよう」と述べ、すぐつづいて来春闘について語る。
彼は「日本経済の防衛」の観点から「@こうした情勢から賃上げ率について一律のガイドラインを提示することは不可能に近いA企業によっては賃金横ばいか、賃金引下げに追いこまれるところも出てこよう」という。
たしかに石油ショックの時、ものすごいインフレとそれにつづく臨時工、社外工への大量の首切り、本工労働者の賃金カットや配転などの嵐のような攻撃が労働者人民の生活を破壊した。そしてブルジョアどもは「最近の円高」は「これ以上だぞ」という。ブルジョアマスコミは「失業の増加は避けられない」と、キャンペーンをはる。この際、「外圧」を利用して「思い切った産業構造の転換をはかれ」とわめきたてている。こうして二〇〇カイリの場合とまったく同じ調子で“排外主義”キャンペーンがはられている。労働者階級にとって「円高」の第一の問題は、この“排外主義”のキャンペーンにまきこまれてはならないということである。
政府・ブルジョアジーは、ちょうど太平洋戦争に労働者人民を巻きこんでいったと同じように、いままた“日米経済戦争”に労働者人民を動員しようとしている。太平洋戦争が日米どちらの側からもアジアを舞台とする帝国主義的侵略戦争でしかなかったのとまったく同じように、今日の“日米経済戦争”もブルジョアどもの市場をめぐる縄ばり争いにほかならない。そして米、日、西独を先頭とする帝国主義諸国間の市場争奪戦は、今後もますます激しくなる一方であろう。そのたびに“通貨問題”が表面化し、“石油ショック”が繰り返され、輸入制限問題を深刻化していくだろう。一九七一年にドルショック、そして三年にわたる戦後最大の不況がつづき、それから十分脱け出せないでいる間に再びドルショックとオイルショックのダブルパンチに見舞われようとしている。もはや資本主義経済のままでは世界経済に危機からの出口はない。「保護貿易」も「自由貿易」も労働者階級のスローガンにはならない。
ブルジョアジーは「保護貿易」の旗の下で「外国の資本家によってではなく自国の資本家によって搾取されるほうがましだ」と説き、「自由貿易」のスローガンのもとで「国内の独占価格を維持しながら、国外では競争者を打ち破るために捨て値で売り」さばく。どちらの場合も収奪されるのは労働者人民である。ブルジョアジーは、「保護貿易」と「自由貿易」の二本の手綱をあやつりながち、市場分割にのり出していく。
アメリカは日本の鉄鋼やカラーテレビにダンピング関税をかけて輸入制限をやりながら、日本の市場をアメリカ製品のために開放せよと要求している。日本のブルジョアジーもまた、外に向かっては「自由貿易の推進」を唱えながら、自国の市場は高い関税壁をもうけて閉ざしている。国境をこえて膨れあがった巨大な生産力を基礎に、豚大な商品が世界市場に溢れ、いくらでも安く消費できる条件がつくり出されながら、資本の縄ばりにほかならない関税障壁が高くはりめぐらされていて、その実現がはばまれている。その矛盾に押しつぶされて、貿易は縦少し世界経済は停滞のなかに落ちこんでいるのである。国境を打ちこわして合理的な計画経済の基礎のうえで単一の世界経済を打ちたてる以外に、この危機からの出口はない。
したがって労働者階級は、「保護貿易」でも「自由貿易」でもなく、「社会主義」の旗を高々と掲げなければならない。したがってまた「円高問題」を「外圧」としてとらえて“排外主義”をあおりたてるすべての論調を暴露し、粉砕しなければならない。いま政府・ブルジョアジーとマスコミだけでなく、社会党も共産党も社会主義協会派の“論客”もすべてが口をそろえて「円高」を“排外主義”的な立場からとりあげている。ちょうど「二〇〇カイリ」の時にそうしたように。そして政府・ブルジョアジーと結局同じ立場からこれに対処しようとしている。「国債三〇%の枠をこえてもやむをえない」「内需を増やせ」「輸入を増やせ」「産業構造の転換を急げ」と。
だがこの政策は、労働者人民に犠牲を転嫁することなしには、どれ一つとして遂行できはしない。政府・ブルジョアジーは、社共の同調をとりつけながら、「円高」の危機を“排外主義”的にあおりたてて「産業構造」の転換を強行しようとしている。「産業構造」の転換は、明らかに政府危機によって遅らされてきた。それを政府・ブルジョアジーは、世界経済の危機に対応できるテンポですすめることができなかった。
日本の異常なまでの国際収支、とりわけ経済収支の黒字は、この「産業構造の転換」の立ち遅れの表現にほかならない。もっと正確にいえば、高度成長期の矛盾をかかえたままの旧構造を残して省資源化、知識集約化への部分的な転換がすすめられている。このアンバランスの表現が、巨大な国際収支の黒字となってあらわれ、アメリカやECとの貿易摩擦をひきおこしている。この間、輸出の中心となってきたのは自動車、カラーテレビ、トランシーバーなどの自動車、家電を中心とした輸送用機械、電気機械であった。そしてこれらの部門は、この不況下において省力化、合理化による生産性の上昇を達成し、輸出競争力を強化していった典型的なものである。この特定商品の集中的な輸出によって外貨を獲得すると同時に、アメリカやECとの摩擦をひきおこしたのである。
他方では、産業構造の転換の立ち遅れが輸入に占める工業製品の比重をきわめて低い水準にとどめ、輸入全体の七〇%近くは相変わらず原材料によって占められている。そして設備投資が盛りあがらず生産活動が停滞しているかぎり輸入が増えないということになり、貿易収支の黒字が拡大する一方である。農産物の輸入制限を含め日米の貿易不均衡に対するアメリカの不満もこの点に起因しているのである。
だから十一月十八日から開かれていた「日米間の貿易不均衡是正」をめぐる事務レベルの通商協議で、アメリカは製品輸入の拡大を強く要求してきた。三十億ドルの緊急輸入対策についても「評価しない」と表明し、電子計算機、航空機、自動車、医療機器などの工業製品を、現在の一九%から四〇〜五〇%に増やせ、と膨大な品目数(約五百)の要求リストをアメリカは提出した。そして農産物の輸入制限の撤廃、関税引下げを強く要求している。つまりアメリカは、ウランの輸入や石油の海上備蓄などの緊急対策ではなく、日本の国内産業の「調整」をともなうような輸入増を求めてきたのである。だが今日の政府危機のもとで自民党政府と日本ブルジョアジーは、これに簡単に応ずることはできない。
工業製品輸入比率の増大、残存輸入制限の撤廃、非関税壁の縮少、関税の引下げといった要求に応じるためには、どうしても「産業構造の転換」をやりぬかなければならない。それはまさしく第二のドッジプランともいえる。労働者人民との構造的対決を覚悟しなければできないことである。いよいよ民間企業だけで八〇万から百万人近い「企業内失業者=過剰雇用」の首切りを断行しなければならない。さらに自治体、国鉄を中心とした公企体部門の大合理化、そしてさらに一層激烈な農業の破壊を強行しなければならない。しかしいまの政府危機がつづいている状況のもとで、これを全面的に強行突破することなどできはしない。
アメリカの製品輸入拡大の要求には、ほとんど具体的な形で答えることができなかった。こうして黒字減らし対策が、あいまいな形で引きのばされているかぎり「円」レートは上昇しつづける、すでに二四〇円台を割って二三〇円に突入しようとしている。「日本化学工業会のまとめによると一ドル=二四〇円台の相場が続けば、九五%の品目が輸出できなくなることが明らかになった。採算割れになったり、競争力の低下で輸出市場を失うためである。たとえば昭和電工は円高の影響でインド向け輸出交渉がまとまらず、川崎工場のアンモニア、尿素設備の運転を停止した」(日経・十・二三)という。二三〇円台に突入した「円高」は、より一層打撃を拡大するだろうし、繊維やがん具、金属洋食器などの価格競争力の大きくない厖大な数の輸出産業に壊滅的な打撃を与えるだろう。そのうえアメリカの通商代表は、「日米間の経済関係は非常に深刻なものになりつつある」「現在の状態がつづけば日米関係は破裂し、日米貿易は危機的な事態になる」とどう喝してきている。
福田自民党政府はどうしようもない袋小路に入りこみ、深刻な政府危機に直面している。
アジア規模での産業再編成攻撃――三全総=「列島改造」の延長
この事態のなかで政府・ブルジョアジーは、この「円高」を「外圧」としてキャンペーンし、このなかで強行突破をはかろうと考えはじめている。「円」が二四〇円台に突入したころから、ブルジョアマスコミは一斉に「産業構造の転換」を強調しはじめた。桜田日経連会長は十月十九日の記者会見で「賃金引下げ」を強調するとともに「二百五十円台の相場が定着すれば、企業は自然とうたされざるをえず、産業構造の変化が予想以上に速いテンポで促進されることになろう」と述べた。明らかに一方で「円高」を放置することによって、「企業の自然とうた」を加速させつつ、政府に景気刺激策を迫り、その中で「産業構造の転換」を強行しようとたくらんでいる。こうしてみるとなんのことはない、「円高」の果している役割は、一面で日本経済の構造問題にほかならない。「円」切上げ幅は省力化、合理化を推しすすめてきた競争力の強い部門の実勢レートが基準になる。かくして「円高」というのは、省力化の進んだ部分が、他方における構造不況業種や輸出関連地場産業を直撃するという関係をつくりだしているのである。
政府・ブルジョアジーは、社会党や共産党まで唱和する「内需拡大」「景気刺激」の合言葉のなかで、選別的な「投資減税」と金利の引下げをテコにこれを強行しようとしている。景気停滞がつづくなかでは、「構造転換」も思うようにすすまない。ある程度の景気回復と生産の拡大がなければ進展しない。そこで「国債三五%の枠」も突破した大幅な赤字財政によって「内需拡大」をつくりだそうというのである。そのプランは、すでに「円高」のすう勢の中で提起された「三全総」に盛りこまれているとみてよい。
「全総」の「拠点開発方式」、「新全総」の「大規模プロジェクト方式・巨大工業基地の建設」にくらべ、「定住圏の設定・生活基盤の開発」をうたう「二全総」は、いかにも高度成長の反省のうえに立ち、「列島改造」とは違ったものという形で打ち出された。しかし内容をよく検討してみると「列島改造」の延長にほかならないことが明白である。それは太平洋ベルト地帯を軸にした工業化の枠を、文字通り「日本列島」全体に拡大するプランであるとともに、明白にアジア規模での産業再編成を推しすすめようとするものである。
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「三全総」では、北海道、東北、九州、日本海側の開発が基本にすえられている。したがって港湾、空港、内航海運をも含む全国交通ネットワークの整備が重要な柱になっている。だから北海道は、苫小牧東部工業地の開発を推進するとともに、交通、通信設備の拡大に力点が置かれている。北海道新幹線、高速自動車道、石狩湾新港地域の開発、そして千歳空港の国際空港化を軸に函館、旭川、帯広、釧路等の空港整備が強調されている。『経団連日報』に掲戴された各ブロックの経済連合会会長クラスの座談会によると、これらの点がもっと露骨に直截な形で発言されている。
「二十一世紀を展望するといった長期の構想では、列島改造論や新全総の考え方は、生きていなければならない」(中川・四国経済連合会会長)。「新全総では各地城ごとの構想が打出されたわけですが、低成長になって、その構想はもういらないものだということになっては、非常に問題」(花村・経団連副会長)と。
さらに「九州の場合はアジア地域と深い関係があるので、それを無視したら産業配置は考えられない」(浜・九州・山口経済連合会副会長)という発言。また北海道、東北については「いままではアジアの日本という考え方でやっていたことを、太平洋の日本というふうに考えて……アリューシャン列島、ソ連、中国、こういったところとの経済交流の拠点として考えていく……『日本海時代の到来』(若林・東北)。「今後、アメリカ、北欧、カナダとの交流を考えると……千歳空港を国際化」(岩本・北海道)といった発言が平然となされているのである。
さらにまた農業問題についても、東北の農業にふれながら「コメ一辺倒を修正して畜産なり、野菜、水産をひっくるめて農業と工業の一体化」と、いった農・水産業の工業化が強調されている。
経団連が九月八日に「三全総の策定にあたって」という形で出した「今後の国土利用・開発に関する基本的見解」においても「工業用地需要に対する長期的見通しも踏まえて、大規模臨海工業基地、内陸工業団地の建設・造成等の産業基盤整備を引き続き推進すべきである」という形で明確に『列島改造』路線そのものとして言及されている。そして「特に地方においては、新幹線、高速自動車道等とあわせて、国内航空、内航海運、在来鉄道等を含めた総合的な交通体系を整備する必要があり、地方首都圏、近畿圏等の大都市圏においても、例えば東京湾岸道路・横断道路、関西新国際空港等の懸案プロジェクトの早期実現をはかるべきである」と明言している。この点でも.「三里塚空港」が、まさに本格的な帝国主義的海外侵略の体制を確立しようとしている、日本ブルジョアジーの産業構造プランにとって要の位置を占めていることがわかる。とくに今日の「円高」のつづくなかで、省力化・知識集約型の産業構造への転換を急がねばならないブルジョアジーにとって、「三里塚空港」の位置は経済的観点からだけ見ても彼らのアキレス腱なのである。 |
現在日本の国際航空輸送は、羽田空港経由が大部分で、貨物の場合七六年の通関額輸出の八三・八%、輸入の八三・四%を占めている。この羽田空港の扱っている貿易輸出額の八〇%は機械機器であり、圧倒的に対米、EC貿易となっている。航空貨物の対米依存の状況をみると、輸出額の八割を占める機械機器の四〇%は電気機器である。その半分はテレビかラジオ、トランシーバーを中心とする通信機器である。この七二%がアメリカ向けである。そして産業の知識集約化がすすめばすすむほど、カメラやエレクトロニクス製品などに代表される高い付加価値をもつ製品の輸出割合が今後ともますます増大し、それだけ大型の貨物輸送機が重要な役割りを果さなければならなくなる。この点からみても、三里塚闘争は、「円高」にゆさぶられる日本ブルジョアジ,の喉元に突きつけられた、その一突きが日本帝国主義の死命を制する巨大な闘いの刃なのである。
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