つぎの章へすすむ「国際革命文庫」総目次にもどる


電子版凡例
一 本原書で示される傍点部は電子版では" #"と"# "で囲み、太字部は" ##"と"## "で囲んだ。

ブルジョアジーの産業・行政再編攻撃の突破口=三里塚空港

 すでに指摘したようにブルジョアジーは、日本資本主義が高度成長の過程でつくり出した構造的矛盾を解決しなければならない。産業構造の再編、過剰雇用の整理、賃金水準の切下げ、財政赤字の整理等々。
 そして「円高」にゆさぶられる政府・ブルジョアジーは、全般的な攻勢を開始しようとしている。今年に入ってからの「円高」すう勢のなかで、史上最高の倒産を記録しつづけてきた企業倒産件数は、日を追って増加し、すでに今年度一万八千件を突破するといわれている。それは十月以降の「円高」の二四〇円台への突入によって一層加速され、軽く二万件をこえそうな勢いである。さらにこの長期不況につづく「円高」によって「人減らし」旋風は業種、企業規模を問わず、産業界全般にひろがりはじめている。再び産業界に「雇用調整」=首切りの大波がうねりはじめた。
 これは、七四〜七五年にかけての臨時工、社外工を中心とした首切りの段階から、明白に本工層におよびはじめており、とくに中高年層の首切り問題が深刻化してきている。オイルショック以後、失業者数(政府統計)は七五年一月に一〇〇万をこえてからほぼ一貫してこの水準にあり、一〇〇万人台の失業が定着してしまった。そして今年三月には一三〇万近くに達し、その底あげされた構造的失業の上の「円高倒産」と工場閉鎖、首切り、配転の攻撃が拡大されてきている。しかも政府統計では三〇〇万人をこえるパートタイマー、日雇労働者、季節労働者が失業者数には入れられていない。したがって実際の失業は四〇〇万から五〇〇万人に達するといわれている。
 こうした状況のなかで、七四年以来かなりの「人員整理」を強行してきた三菱重工業が再び現有人員から約一万人にのぼる人員削減を決め、三菱化成工業が一年以内に約千人、住友化学工業と八〇年までに千五〇〇人、東洋工業が一万人の一時帰休と五千人の出向といった具合に、「退職募集」=首切りが相ついでいる。七四年〜七五年段階の「新規採用」の手控えによる「雇用調整」から圧倒的に「退職募集」が増加してきている。これは「円高」の影響を受けて来年一〜三月にはさらに膨れあがっていくだろう。現に構造不況業種といわれる産業の労働者四〇万人が失業の危機におびえているのである。

北海道 未開発の広大な土地、水資源に恵まれ、豊かな潜在発展力を有しているが、現段階ではこれが必ずしも十分活かされていない。今後の最大の課題は、工業を主導とする産業構造高度化である。
わが国における新しい工業発展の場(苫小牧東部の基幹資源型工業基地等)、食糧供給基地(大規模農業・酪農基地・北洋漁業の基地)、国民教育・休養の場、北方圏諸地域との交流拠点ならびに人口定住受入れの場として、開発を進める。
東北 北海道とともに広大な開発適地、水資源、労働力等に恵まれ、大きな開発ポテンシャルを有している。
新しい工場開発等の場(むつ小川原、秋田湾地区の基幹資源型工業基地、内陸工業団地における内陸・都市型工業立地)、高生産性農業・漁業基地(大規模畜産基地、沖合・沿岸漁業基地)、エネルギー供給・備蓄基地(原子力発電、石油備蓄基地、日本海側のLNG大規模受入れ基地等)、北方圏諸地域との交流拠点、休養の場、人口定住受入れの場として開発する。
中部 東京・大阪両経済圏の中間に位置し、なおかつ広域の未開発地域を有する特異な地域。
これらの地域特性を活かし、中枢管理機能、国際貿易機能等を高めることにより、東西両経済の調整的役割と生産基地的役割を果すことが期待される。
北陸 首都、近畿、中京の三大都市圏に近接し、土地、労働力、水資源等の開発ポテンシャルを有するとともに、自然景観、文化財等の観光資源に恵まれている。
農工一体となった地域開発を図るとともに、観光基地、エネルギー基地(特に能登半島の原子力発電)として位置づける。
中国 瀬戸内海地域は、既存の産業集積を活かし、さらに一、二、三次のバランスのとれた成熟した産業地帯への展開を図る。
日本海側・山間部は、今後のフロンティアとして活用し、エネルギー基地形成や、農山村、台地等での定住的産業開発の展開を図る。
四国 一、二、三次産業の均衡ある発展を図り、人口定住の場として位置づける。
本四架橋を軸に、瀬戸内海の多目的高度利用(漁業、観光、工業、交通等)を推進するとともに、太平洋においてはエネルギー基地建設(電力基地、宿毛等の石油備蓄基地)、山間部においては休業開発、台地・傾斜地を利用した畜産の振興を図る。
九州 わが国西南端に位置し、中国・東南アジアと至近距離にあるといえ地域の特性と活力を最大限に発揮させる。
高度加工工業立地の新たな展開の場とするとともに、資源エネルギーの備蓄・供給基地、食糧供給基地(西南暖地農業、中南部高原地帯の大規模畜産基地、離島を活用した水産基地)として位置づける。

北海道 苫小牧東部大規模工業基地開発
石狩湾新港地域開発と空知中核工業団地建設
青函トンネルおよび北海道新幹線の建設
新千歳空港をはじめとする道内主要空港(新帯広、旭川、函館、釧路)の建設・拡充、千歳空港の国際空港化
北海道縦貫・横断自動車道の建設
根室地域新酪農村建設促進
学園都市の建設
東北 幹線道路網確立(東北縦貫・八戸・青森・関越・北陸自動車道、東北横断自動車道等)
新幹線建設(東北、上越新幹線の早期完成、盛岡以北東北新幹線の早期着工、羽越・奥羽新幹線の具体化)
港湾整備(仙台、新潟地区の国際貿易港、むつ小川原、秋田湾地域の大規模工業港の開発整備等)
空港整備(仙台、新潟周辺における国際空港建設と域内航空路開設等)
エネルギー立地(女川、浪江、小高、角海、柏崎、下北地区の原子力開発、日本側のLNG導入基地、むつ小川原・三陸地区等の石油備蓄基地)
水資源開発(阿武隈、北上、最上、高瀬川等)
学園都市建設(仙台・山形国際学園都市等)
むつ小川原開発計画、秋田湾地区開発計画の推進
中部 開発の基地となる自動車道の整備促進
名古屋環状2号線の促進・北陸自動車道、国土開発幹線高速自動車道南回り線(東名〜東名阪連絡道)の建設促進、近畿自動車道の南勢への延長等
北陸 北陸新幹線の早期着工
北陸自動車道、東海北陸自動車道の建設促進、北陸関東産業道路の整備促進
小松空港の国際空港化
中国 交通体系の整備(中国縦貫道の早期完成、本四架橋の促進、太平洋・瀬戸内海・日本海の沿岸幹線フェリー就航、日本海側の港湾整備等)
学園都市の建設(賀茂研究学園都市)
内陸工業団地、流通団地の建設
四国 本四連絡橋、児島・坂出ルート、尾道・今治ルートの究極的完通
四国横断・縦貫自動車道の建設、東四国横断自動車道(高松―徳島)、西四国縦貫自動車道(大洲―須崎)の基本計画組入れ
高知、徳島両空港の拡張整備、新高松空港の新設
九州 九州新幹線(長崎線、鹿児島線)の早期同時着工、東九州横断新幹線の整備計画編入
九州縦貫・横断高速道の早期完成、東九州縦貫自動車道の法定路線化
水資源開発(筑後川を中心とする北部九州広域の水資源開発事業)
新産都市(大分、日向、延岡、不知火、大牟田)、工特地区(周南)の開発促進
新大隈開発計画の推進

            全国の国土利用・開発に関する基本見解 ―経済団体連合会(七七年九月八日)―

 この「雇用不安」が、部分的に「終身雇用制」に手がつけられ、手直しされる形で賃金の切下げ、抑制攻撃と結びついた賃金体系への攻撃としても展開されようとしている。七八年から八〇年(昭和五十三年〜五十五年)にかけて、この民間の首切り大合理化と、国鉄大合理化、行政改革と自治体合理化とあわせて、ブルジョアジーの労働者人民に対する全般的攻撃が開始されようとしている。ところがこのブルジョアジーの全般的な攻撃を前にして、槙枝・富塚総評指導部はますます国家とのゆ着を深め、国家的規模での「経営参加、労使協調」路線を歩み、一切の実力闘争を官僚的に統制、抑圧してきている。
 第二のドッジプランと首切り=大量失業の嵐が吹き荒れようとする事態を前にして彼ら改良主義指導部は、反失業闘争を大衆的実力闘争として闘おうとするのではなく、「制度要求」闘争として議会にむけた「要求」に集約しようとしている。四団体共闘による「制度要求」としての「雇用闘争」は、明らかに国家・大資本の立場からする「解雇」の是認しか意味しない。労働四団体が当初提案した「離職者対策法」は、解雇予告義務について規定した条項を含み、石田労相の方から「かえって解雇を促進する可能性がある」と指摘されたしろものである。またこの“解雇予告義務”は“解雇予告”の「是認」をうたったに等しく、その内容は一九三四年のナチス・ドイツの「国民労働統制法」に酷似しているといわれている。
 こうして相つぐ倒産と工場閉鎖、大量首切り攻撃にもかかわらず、これに攻撃する労働者階級の全国性をもった全般的攻撃は、槙枝・富塚体制の闘争抑制によって隠ぺいされ、官僚的におし潰されてしまっている。失業の不安と危機がみなぎっている職場には、不満と怒りと闘うエネルギーが渦をまいているにもかかわらず、「闘いがない」状況がつくり出されてしまっている。
 ただ唯一三里塚芝山連合空港反対同盟を中心とする三里塚闘争だけが、福田自民党政府と真向から対決する全国闘争拠点として闘われている。それはまた福田自民党政府と正面から大衆的実力闘争をもって対決しているだけでなく、社共・民同の改良主義指導部から闘争をつうじて歴史的に自己を独立させてきたのである。
 そしてすでにみたように「三里塚開港」は政府・ブルジョアジーの側からしても、産業・行政再編と労働者階級への全般的攻撃の“突破口”として位置づけられている。したがってまた三里塚闘争は革命的労働者にとって、労働組合運動の戦闘的、階級的飛躍をかちとっていく闘いの突破口である。社共・富塚路線に支えられて戦術的強硬突破をはかろうとしてきた福田自民党政府は今、より一層深刻な危機の淵に立たされている。韓国のソウル大生、延世大生の決起を先頭とした反朴闘争は、福田に対する決定的な打撃を与えた。それに追いうちをかけるように「円高」と厳しい「輸入制限」が政府危機をさらに一歩深めた。
 「経済の福田」は唯一のよりどころを打ちこわされただけでなく、逆に重大な政治的打撃をこうむったのである。深刻な政府危機に見舞われている福田自民党政府を追撃せよ。
 「円高」を「外圧」としてとらえ、政府・ブルジョアジーと一緒になって日本資本主義の救済にかけつける一切の改良主義、排外主義潮流を粉砕せよ。
 槙枝・富塚の官僚統制を突破し、三里塚闘争を軸に政府・ブルジョアジーと対決する戦闘的大衆闘争を闘いぬこう。


日米経済“戦争”と“円高”に表現されたドル支配の危機

 おりからの「円高問題」について、自称マルクス主義経済学者までが、これを“外圧”としか理解出来ぬ中で、本論文は、問題の階級的本質を、戦後アメリカ帝国主義の世界支配の構造的矛盾を通じて鋭く指通し、真に国際主義的視野で、事態を解明しようとするものとして、今日なお“経済情勢分析”の重要なテコを与える論文である。
 一九七八年一月、「第四インターナミョナル」誌 第二六号に掲載された。

 尚、文中〔 〕の注は、編集委員会の責任でつけ加えたものである。

##不可避的に高まる保護主義の波##

 七〇年代に入ってから、日本経済はたてつづけに重大な危機に見舞われてきた。七一年八月のドルショック、七三年のオイルショック、そして破局的なインフレにつづいて大量の倒産、失業をともなった深刻な不況。そして七四年以降数年にわたる、この戦後最大の不況からようやく抜け出そうとしたやさきに、いま再び「円高」ショックに襲われたのである。昨年秋の補正予算がらみで打ち出された二兆円の「総合経済対策」は、あっという間に消し飛んでしまった。「景気浮揚」どころか、さらに一段と深刻な大量倒産・失業の波が襲いかかってきている。
  いうまでもなくこれらすべての経済危機――ドルショックも石油危機も「円高」も――は、たんに日本経済にたいする打撃を意味しただけでなく、日本経済の構造的矛盾の表現であり、世界経済そのものの危機の表現、とくにドル支配の構造的破綻を示すものにほかならなかった。
 七〇年代は世界経済を襲った相つぐ危機によって、資本主義の歴史的崩壊局面が特徴づけられているといってよい。「円高」が危機であるのは、それがたんに“正常な貿易”の収支の問題ではなく、日本経済の危機が海外に「輸出」され、世界経済の危機が日本に「輸入」されて危機を増中し合っている、今日の世界経済の危機と運動した資本主義経済の根本的破産を表現するものにほかならないからである。そして危機がくり返すたびに打撃はいっそう大きくなり、諸国間の利害の衝突はますます深刻になってきている。
 とくに七四年の戦後最大の不況以来、七五〜七六年にかけて、各国の輸入制限の動きは急速に高まってきたし、すべての工業諸国に拡がってきている。また輸入制限の方法も厳しくなり、数量制限や輸入禁止等強硬な手段が増えつつある。
 アメリカでは七四年以前にはほとんどなかったエスケープ・クローズ(一時的、例外的な輸入制限措置)の発動申請が七五年以降、明らかに増大している。ITC(国際貿易委員会)の大統領にたいするエスケープ・クローズの適用勧告は七五年に一二件、七六年に一一件にのぼっている。また七五年には乗用車をはじめとする一三製品について、七六年には二二製品についてダンピング提訴が行われている。
 ECでも、七五年に電卓とジッパーが輸入監視制度のもとにおかれさらに繊維製品二二品目についてEC委員会が毎月数量や価格をチェックするようになっている。
 さらにこうした各国の主要な輸入制限品目をみると自動車、鉄鋼、電機製品から合繊等、まさに高度成長期をけん引してきた工業製品が多くなっている点で共通しており、保護主義的傾向の今日的内容を特徴づけている。
  #つまり重化学工業化を基礎にした高度成長の過程で、世界貿易は水平分業を発展させることによって一面では工業諸国間の相互依存を強めてきたが、反面では先進工業諸国の産業構造を同質化させる傾向をも発展させてきたのである。# アメリカ、EC、日本はそれぞれが、合繊、鉄鋼、自動車、家電製品から石油化学、原子力、コンピューター、航空機といった先端技術産業にいたるまでの諸産業を発展させてきている。 #したがって貿易面において相互に競合する度合がますます大きくなっている。そしてこれこそ過剰生産の矛盾とともに、資本主義の無政府性のもたらした一つの帰結にほかならない。今後世界経済全体が低成長を余儀なくされるなかで、輸入制限競争と保護主義的傾向が不可避的に増大せざるをえない根拠はまさにここにある# 。
こうした点で、今回の「円高」問題と結んだ日米通商交渉も、なにかしら経済的レベルで調整のつくような“あつれき”や一時的な貿易摩擦なのではなく、危機の段階に入った世界経済の一般的傾向としてとらえておかなければならない。したがってこうした通貨・通商問題をめぐる危機は、今後ますますひんぱんに繰り返されるということである。
 そのうえさらに今日の段階に特徴的なことは、世界経済の成長をこれまでリードしてきた先進工業国の極になる諸国が軒なみ百万をこす失業者をかかえ、その失業問題を背景にした国内の政治的圧力によって各国政府が保護主義を強めてきている点である。
 そしてこの点――すなわち経済的危機が直接に国家の階級支配というレベルの政治の問題としてストレートにあらわれる点に、今日の没落段階の帝国主義の危機の特質があるのである。
 「ドルの切下げとインフレの昂進は、植民地・後進国の経済に致命的な打撃を与えている。インフレの加速化と『所得政策』等による賃金の凍結は、先進国の労働者・人民に耐え難い犠牲を押しつけている。
 ところがまさに、戦後資本主義が構造的な特質としてもっていた帝国主義の没落期の構造――すなわち、労働者階級を中心に諸階層が国家的な規模で政治的に「組織」され、動員されることによって支えられた構造――の全国的な崩壊によって、いまや帝国主義の支配は、全世界労働者人民の攻勢的な闘いによって、より一層深い危機の淵に追いやられているのである。もはや、相つぐ倒産と失業の増大といった経済的レベルのパニックが起こる前に、政治の腐敗に対する反乱が先行するだろう。実際、公害や都市の破産、民主主義の侵害と権力の横暴に対して近代的な青年労働者を先頭とする全人民的な闘いか展開されてきた。現代帝国主義の危機は、このような労働者・人民の攻勢的な問いそのものによって始まり、表現され、促進されるだろう。そして帝国主義の寄生性と腐朽化が進めば進むほど、このような危機の構造はますます全面的に展開するだろう。
 ここに現代帝国主義の危機の構造が典型的に表現されている。」(「第四インターナショナル」誌10『IMF体制の崩壊』五九頁)

 すなわち、ドルを基軸とした戦後資本主義はアメリカの圧倒的経済力を上台として政治的に上から再建された体制であった。それは一方では中・ソを中軸とする労働者国家と植民地革命に対抗した体制そのもののインパクトを構造化した形でドル支配が確立されたし、地方では国家的規模においても地域的にも一定の“組織化”の上に経済復興がすすめられていったのであった。一言でいえば、戦後のドル体制は国際的規模で展開されたニューディール体制(それはフェアディール体制と呼ばれた)という性格をもった。つまり諸国民の政治的動員に支えられた先進工業諸国の政治的協調体制こそがIMF=GATT体制にほかならなかった。
 それゆえにこの体制の破綻は、先進諸国間相互においても、また各国内部においても相対抗する利害の衝突と政治的闘争の激化をもたらさずにはおかない。

##戦後のドル支配と一九三〇年代との相違##

 アメリカ帝国主義の経済に支えられて発展してきた戦後世界経済は今日明らかに崩壊の局面に入っている。そしてその崩壊の諸要因をなしているのは、まさに戦後のドル支配がそれに依拠して自己の安定を築きあげた基礎そのものの崩壊にほかならない。つまり戦後のドル支配をうちたてた構造と基盤そのものが五〇年代から六〇年代一杯かけた世界経済の発展の過程で、それ自身の弁証法によって反対物に転化したのである。ドル支配を支えてきた一つ一つの要因が、いまやドル支配を脅かす要因に転化してしまっている。
 そこで、戦後のドル支配をうちたてた構造と基盤がどのようなものであったか、その歴史的特質が明らかにされなければならない。
 戦後のドル支配の破産とはまず第一に、アメリカの圧倒的経済力を背景にした巨額の輸出超過=貿易収支の黒字が国際的財政支出(対外軍事・経済援助を中心とした帝国主義的世界支配のための費用)をまかなってきた構造の破綻である。これまで、卓越した生産力にもとづく貿易収支の巨額の黒字を背景に展開されてきた国際的財政支出=ドルの #非商業的支出# こそが、ドルの信認を支えドルの循環を保障してきた。と同時にそれがまたアメリカの輸出と資本投下を支えてきたのであった。
 ところが今日、まさにこのドル支配の基礎であった過大な国際的財政支出がアメリカの国際収支を圧迫し、ドル支配を脅かす最大の要因に転化しているのである。しかもそれがいわゆる「反共軍事戦略体系」の展開としてなされてきたドルの非商業的=政治的支出であったことによって、国内経済の景気循環的要素の必要に応じて縮少させることができない。危機はまさにそのことによって増大させられる。
 戦後の資本主義がアメリカ帝国主義の巨大な経済力を背景にした「援助」と、ヨーロッパおよび日本における革命の敗北と挫折による労働者人民の途方もない犠牲のうえでかろうじて救い出されたということは明白である。
 その点で戦後の世界経済を再建したのは、アメリカ帝国主義の圧倒的な経済力であり、その生産力的優位と貨幣用金の独占であった。だがアメリカの経済力の圧倒的優位という条件だけでは、戦後世界経済再建の必要条件ではあっても十分条件とはならない。
 というのは、国境と関税障壁に隔てられた資本主義経済の基礎のうえでは、過剰生産恐慌によって圧し潰されるほどの富を戦争をとおして集積しながらも、アメリカ独占資本と国家の側の利潤の動機なしには、富の配分は行われえないからである。しかも戦争をとうしてヨーロッパは経済的に壊滅状態にあり、世界市場の統一性は解体され、正常な貿易関係をうちたてる手がかりは何一つなかった。
 かくして戦後資本主義は二つの問題に直両した。一つは荒廃したヨーロッパとアジアの資本主義再建のための、復興資材と資金をいかにして調達するかということてあり、もう一つは、アメリカか戦争をとおして拡大した過剰生産力と過剰資本のはけ口をどこに求めるかということであった。
  #この問題を解決するにあたって、第二次大戦前には世界経済の構造的不均衡をもたらしたアメリカ経済の特殊な構造が、逆に有利に働いた# 。アメリカは、単純な工業国ではなく農業国でもある。生産力が高く、工業生産物の大輸出国であると同時に、農産物の大量輸出国であり、そのうえ自給度が高く、したかって資本の大輸出国でありながら貿易収支においても巨額の受取超過(輸出超過)を示した。
 この点で、先進国としてまた債権国としては、第一次大戦前のイギリスとは全く逆であった。イギリスの場合、貿易収支の赤字を対外投資収益および海運収入によってカバーし、その余剰をさらに海外投資にふりむけていた。いいかえればイギリスは、債務国からの利子を商品で受取る(輸入超過)という関係にあった。そしてこのなかで、世界貨幣としての金は流通の連鎖を完成させていた。
 ところがアメリカの場合は、このイギリスとは逆であった。したがって両大戦間にイギリスに代ってアメリカが世界経済の中心的位置を占めるにいたったとき、アメリカへの金の集中と偏在をもたらし、世界経済の構造的不均衡が極端な形でつくり出された。だから第二次大戦前、貿易面における受取超過(輸出超過)がもたらす国際的不均衡を資本流出によってカバーしていたアメリカが、国内の景気循環要因その他によって資本流出をやめたとき、世界市場の統一性を保っていた資金の循環は断ち切られたのであった。
  #いってみればこの段階でアメリカは国際均衡よりも国内均衡を優先させて、保護主義の高い壁の内側に閉じこもることができた# ――いいかえれば、一九三〇年代には世界経済の危機からアメリカ経済を切断して囲い込み、庇護しえた―― #のである。だか今日、労働者国家圏との対抗構造のなかで、それは不可能である。そしてこの点にこそ、今日の世界資本主義の危機の根本がある# といってよい。がその点についてはあとでふれられるだろう。
 いずれにせよ、戦後経済の再建をになったアメリカの圧倒的経済力というのは、生産力の優位とともに、この工業生産物の大輸出国であると同時に農産物の大量輸出国であり、そのうえ自給度が高いという特殊な構造と表裏一体をなしていたのである。もしかりに、イギリスのように食糧をはじめとする農産物のほとんどすべてを海外からの輸入に依存しなければならない構造であれば、どれほど圧倒的な工業生産力をもってしようとも、第二次大戦後の疲弊し、荒廃しきった世界経済の再建をになうことはできなかったろう。この点はアンラ(一九四三年に設立された国際的救済機関)をはじめとするさまざまの経済復興援助の大半がアメリカの余剰農産物によってまかなわれたことでも明らかである。
 ともかく戦争によって荒廃したヨーロッパとアジアは、食糧の多くと生産原材料、設備の大半を輸入に依存しなければならなかったが、その資金にも不足していた。かくしてアメリカの援助によるドル撒布が行われた。この時期、民間の資本輸出はほとんど意味をもたなかったし、したがって「援助」はもっぱら国家による財政支出によってまかなわれた。
 かくして戦後の世界経済を再建するにあたって、巨額なドルの #非商業的支出# のみが、国際通貨としてのドルの循環と連鎮を保障したのである。いいかえれば、 #アメリカの国際収支の恒常的な赤字こそが、戦後の資本主義諸国にドルを供給しつづけてきたのである。#
 ただ、戦後においてはこのドルの供給は、戦前のように資本輪出の形をとった。“商業的”支出によってではなく、大規模なドルの #非商業的支出# によって行われた。そして、これはソ連を中心とする労働者国家圏に対抗する核軍事戦略に支えられた対外軍事、経済援助の形をとってなされたのである。この意味で、戦後世界経済の再建とドル支配の確立は、上から政治的になされたといえる。そしてまさにこの点に帝国主義の歴史的没落段階における危機の特徴が刻印されているのである。
  #つまり、ドルの供給を保障してきたアメリカの国際的な財政支出が政治的支出であったことによって、アメリカ帝国主義の経済的力量の後退にもかかわらず、それを切り縮めることができないのである。# たしかにドル危機が表面化するたびに、国防支出の削減と帝国主義諸国への防衛分担の強制が呼ばれてきたし、ある程度実行されてもきた。だが、なお依然としてアメリカ帝国主義が、労働者国家圏と対抗する国際的財政支出を負担しつづけなければならないし、まして国内均衡を優先させて保護主義の高い壁の内に閉じこもることなどできはしない。
 この点は第二大戦前の世界経済と決定的に異なる点であり、今日のドル危機がたんなる“国際通貨危機”といった経済的次元の危機にとどまるものではないということを意味している。
 あえて断言すれば、一九三〇年代の危機の際には世界経済の危機から自らを切断して、アメリカ一国の経済を救出しえた特殊な経済構造は、今日もはや何の意味ももちえない。それは中・ソを軸とする労働者国家圏との対抗構造をとおしてひきずり出され前進する世界革命に包囲され叩きふせられようとしているのである。

 ドル支配を脅かしている第二の点は、楯のもう一つの面、すなわちアリカの国際的財政支出を支えてきた貿易収支の黒字の縮少と赤字への転化である。これはいうまでもなく資本主義経済の不均等発展がもたらす世界貿易構造の変化とアメリカのシェアの低下によるものである。 #だが問題はアメリカの国際競争力の低下が何によってもたらされたかという点にある。これこそまさに戦後のドル支配を支えてきた軍事経済構造がもたらしたパラドックスにほかならない。#
 すなわちドル支配を支えてきたのは、ソ連を中心とする労働者国家圏に対抗した核軍事戦略体系と、それを基礎とした対外軍事、経済援助というドルの非商業的支出であった。そしてそれを支えたのはアメリカの戦時財政機構であり、産・軍複合的経済構造であった。その意味では戦後の世界経済はアメリカの軍事経済によってになわれたのだといってよい。つまり一方ではドルの対外的政府支出によって、大戦中に蓄積された軍事部門を中心とする過剰生産力か吸収されたのであり、他方では、このアメリカの産・軍複合経済をとおして戦後のたえざる技術革新が保障されていったということである。軍需産業部門で開発されそこから民需部門へ移転される技術革新と、そのヨーロッパと日本への伝播の過程が、ECと日本の経済復興をまったく新しい技術的基礎のうえで可能にし、重化学工業化を推しすすめたのであった。まさにそのことの結果として、今日ECと日本は重化学工業部門においてアメリカを上まわる国際競争を獲得してきたのである。のちにくわしくみるように、自動車、鉄鋼、電機機械等の在来産業部門において、この間アメリカの国際競争力は急速に低下してきている。
 ところが、アメリカの技術的優位が保たれている宇宙、原子力といった超先端分野が世界市場において占める比率は極めて小さい。また航空機、電子計算機といった知識集約度の最も高い技術分野の輸出の伸びも、在来産業部門での輸出の低下をカバーしえていない。要するに、今日軍需部門と結びついた巨額の技術開発投資は、アメリカの民需産業部門に移転され、技術格差をさらに一層高めるうえではもはや役立たなくなっているのである。 #今日の軍需部門と結びついたところで生み出される、在来産業と隔絶した技術体系はもはや一国の経済構造の中には定着しえず、民需的な再生産の外にある消耗にほかならないものになりつつある。それは文字通り“地球”を爆破するような戦争が、もしくは「世界社会主義合衆国」でなければ使いものにはならないしろものである。#
 それは今日、アメリカ経済にとって対外的軍事支出とともにインフレを促進し、アメリカ経済を圧迫する最大の要因に転化しつつある。
 ドル支配の崩壊をもたらした第三の点は、アメリカの民間直接投資の増大がつくりだした「多国籍企業」と関連した、資本主義のより本質的な矛質にほかならない。それは一言でいえば、生産の国際化と資本主義的国民経済の枠との矛盾である。
 だがこの点に立ち入るまえに、すでに指摘した二つの点を実証的に確認することを含めて、ドル支配の確立と崩壊の過程を問題点を浮き彫りにするかたちで歴史的にたどってみることが必要である。
 「円高」問題を契超にクローズアップされたのは(七一年のドルショックを含めて)、日本の貿易収支の異常な黒字と、アメリカの貿易収支の大中赤字による国際収支の全体としての赤字であった。
 だがすでに指摘したように、もともとアメリカの国際収支の赤字こそが、戦後の資本主義諸国にドルを供給しつづけてきたのであった。実際に五〇年以来ほぼ一貫してアメリカの国際収支は赤字をつづけている。しかし、五○年代にはアメリカの国際収支の赤字を非難するものはいなかった。たしかに六〇年代末からそれは一層大巾になった。だが問題なのは、アメリカの国際収支の赤字そのものではなく、またそれが量的に大巾であるという点だけでもない。問題なのはその赤字の性格であり、ドルのフローの変化である。
 その内容を検討するにあたって、一般に国際収支のパターンのちがいを確認しておく必要がある。
 不正確さを残すきらいはあるが、単純化してならべてみると次の四つのパターンに分けられる。
@、貿易収支が恒常的に赤字で、借款によってもなお総合収支が赤字であるようなパターン。
A、貿易収支の赤字を外資導入(資本収支の黒字)によってカバーする。
B、貿易収支は大中な黒字になるが、海外投資の増大によって資本収支は赤字であるようなパターン。(貿易収支の黒字によって海外投資を行う)
C、貿易収支の黒字縮少もしくは赤字、および資本流出分を、海外投資収益等のサービス収支の大巾黒字でカバーするパターン
@は、後進国経済に典型的なパターンであり、韓国などこのパターンであった。Aは、六〇年代前半までの日本のそれであり、二〇億ドルそこそこの国際収支の天井に突き当って、ひんぱんに景気引締めに転じなければならなかった。Bは、六〇年代後半以降の日本の国際収支のパターンであり、一般に資本輸出を行う帝国主義諸国に共通したパターンである。Cは、寄生性と腐朽性を増大させた帝国主義国のパターンであり、かってのイギリスがそうであり、基本的に今日のアメリカがこのパターンに移行しているといってよい。
 すでに指摘したように、アメリカ経済は対外依存度が小さく自給度が高いために、大量の資本輸出を行ってもなお貿易収支における巨額の受取超過をつづけていたのであった。ところがいまや、一九七一年には一八九三年以来の貿易収支の赤字を記録するにいたり、まさにイギリス型の停滞と没落の局面に移行しつつあるといえるのである。このアメリカ帝国主義の停滞と没落こそ、資本主義の歴史的崩壊を象徴するものだといわねばならない。

つぎの章へすすむ「国際革命文庫」総目次にもどる