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G 「安定成長」路線とブルジョアジーの攻撃

 政府・ブルジョアジーは、まさにこのような「安定成長」への移行にむけて、ここ数年を「調整期」と位置づけ、賃金抑制、首切り合理化、行政整理等々の攻撃をかけてきている。これは明らかにドッヂプランをさらに上回る規模で展開されようとしているブルジョアの攻撃なのである。
 したがって「福祉」のオブラートにつつみこんだ「安定成長」への転換を、田中の「列島改造」に対置して、「独占資本の民主的規制」を要求する社・共の改良主義路線は、きわめて危険な陥し穴にはまりこんでいるといわなければならない。
 かつて、ドッヂプランによって労働者階級への全面的攻撃か展開されていったとき、その攻撃は主要に三つの点にしぼられる。
 一つは、貸金の遅配・欠配の攻撃をともなう賃金の切下げによるインフレの収束とその上に立った通貨の安定―単一為替レートの設定(一ドル=三六〇円)であり、
 二つは、一九四九年度予算編成にともなう行政整理と民間企業の合理化・首切り、(強行された定員法にもとづく二十六万七千名の宮公労働者の首切り、民間での相つぐ首切りで、四九年一ヵ年の首切り総数四三万五千を上回った―全体として百八十万の首切りが企図されていた)
 三つは、団体等規制令や労働組合法・労働関係調整法の改悪、公企体等労働関係法の施行等々であった。
 この当時とくらべて、彼我の力関係の違いはあるとしても、いままさに、「安定成長」路線にもとづいて、本質的にこれと同じ攻撃が加えられてきている。
 実際、この不況を契機にして表面化しつつある雇用構造の転換は、 #一部上層労働各を体制内に抱えこんで、多くの下層労働者人民を切り捨て抑圧する構造# をつくり出しつつある。繊維・家電・自動車等、労働集約的大量生産業種における構造転換と、他方における技術集約的・研究開発的システム産業の確立がすすめられるなかで、雇用構造総体が大きく変わろうとしている。若年・高学歴・高能率労働力に対する旺盛な需要がある一方で、高年令層や婦人労働、季節労働者等の底辺労働力が慢性的不完全雇用、ないし失業グループとして堆積される。
 いま現に、企業の深刻な収益の悪化によって設備投資が停滞し、景気回復が長びいているなかで、多くの企業が大量の首切りを準備しつつある。昨年来の「雇用調整」は、この点で、けっして産業循環にともなう一時的なものとみるべきではなく、構造的な首切り攻撃の開始として受けとめなければならない。
 東海レイヨンの紡績部門廃業・全員解雇、東洋紡絹二千三百三十人の希望退職募集等と拡大してきた本工の人員整理は、今後二〜三年にわたる主要企業の首切りに拡大していくことは明らかである。新日鉄の最低三千人を中心に、鉄鋼高炉各社が今後二年間に千〜二千の人員整理を予定しているという。また三菱電気は「低成長経済への移行に備えた体質改善策として、七八年三月までに現従業員の一二%に相当する七千人の削減計画」を打ち出しており、さらに富士電機製造が二年間に、二千人の削減計画を打ち出している等々。
 一定の景気回復と部分的な雇用情勢の改善にもかかわらず、一方では構造的な「雇用調整」が拡大していく。
 これに加えて、財政危機のもとで自治体・国鉄労働者の大量首切りがブルジョアジーの最大のネックになっている。
 土光経団連会長が「経団連で経営者が会議をしたとき、これから打つ手は何だといったら、首切り、人員整理だけだということで意見が一致した」と伝えられているほどである。
 政府・ブルジョアジーはまた、社・共の改良主義指導部にたすけられて、七五春闘を一五%のガイドライン以下の賃上げに抑え、労働者の分断をはかりつつ、「対話と協調」の路線で労働官僚を国家との癒着路線にひきづりこみ、「日本的所得政策」を推しすすめてきた。他方、財政危機のなかで自治体労働者の賃上げ・人員整理と大巾な福祉の切り捨て増税と「公共負担」の引き上げを強行しようとしてきている。さらにこうした攻撃として、共産党の「教師聖職論」、「自治体労働者公僕論」にたすけられつつ、自治体労働者のプロレタリア的側面をいっさい切り捨てて、「公務員」=国家官僚とし再組織しようとはかってきている。教員に対する「三部長制」の攻撃は、勤評以来の教員に対する職場支配秩序の完成と「日教組の切り崩し」を狙った攻撃であることは明らかである。
 そして、国鉄十六万人の首切り攻撃を中心にした、国鉄財政の再建問題をめぐる労使の対決が、決定的な環として浮び上ってきている。かくしてスト権問題をめぐる動きがここ数年の日本政治情勢の焦点となる。だがマル生粉砕闘争の勝利から「七四ゼネスト春闘」まで昇りつめてきた、公労協を中心とする日本労働者階級の巨大な戦闘力が、一歩も後退することなく、このブルジョアの行く手をはばんでいる。
 さらに、ベトナム革命の勝利がつくり出したアジアにおける帝国主義支配の破綻は、日本帝国主義の政治的危機を加速している。
 そして、高度成長の破産に見舞われた日本帝国主義は、この国内・国外の労農人民の攻勢的闘争に対処しうる経済的余力をもはや全く持っていない。第一に、今日の国家・地方自治体の財政危機(=これは日本資本主義の全面的破産の表現である。)のもとで米・日・韓反革命体制を経済的・政治的に支えきれる力はきわめて限定される。
 第二に、この間のスト権をめぐる自民党タカ派とブルジョアジーの対応は、社・共、民同が突きつけてくる程度の要求にさえ譲歩の余地をもっていないということを示したのである。

H 当面する経済展望

 個人消費支出と民間設備投資、輸出が停滞して、景気回復の足どりか重いなかで、政府は財政投資による景気浮揚策を相ついで打ち出してきた。その内容は、住宅と公害防止投資へのテコ入れを軸にした一次にわたる「不況対策」と、本四国架橋、鉄道新幹線網、高速道路網を中心にした一兆五千億の大型財政投資による、「第四次不況対策」であった。大資本はこの波及効果をまって、設備投資計画をねり直そうとしている。
 インフレと不況下の所得低下のもとで、家計支出の伸びが低水準で定着し、耐久消費材の需要一巡から購買力が低下しているなかで、個人消費支出の伸びは半面景気回復を主導する要因としては期待できない。
 しかも、アメリカや西ドイツにおける景気回復策が、減税その他をとおして個人消費を政策的に刺激し、下支えすることによって景気浮揚をはかろうとしているのにくらべて、日本資本主義にそんなゆとりはない。さらに七五年の民間設備投資は、製造業では資本材価格の上昇分と公害防止投資分を除くと、七四年にひきつづいて二年連続して低下しつつある。この事実は明らかに日本経済の成長力が減速過程に入ったことを示している。もはや民間設備投資は、景気回復をリードしえなくなっている。
 だが、公害防止投資分の増大は、新たな産業分野に投資を誘発することをとおして、知識集約型産業構造へシフトさせていく一つのテコとなる。
 しかし、すでに指摘してきたように、システム産業の育成に主導される産業構造へ向う局面では、設備投資は高度成長期とはちかった形で、かつ一層大巾に財政投資によってバック・アップされなければならない。
 かくして、民間設備投資が主導した成長の段階から、明らかに財政投資主導の段階に移行したとみることができる。そのため景気回復を主導するのは、財政支出による公共事業しかない。ところが深刻な不況の影響で、七四年度は八千億円の歳入不足であり、七五年度は三兆五千億を超えるといわれている。このようななかで政府は建設債の枠二兆円を三兆五千億も上回る合計六兆円に近い国債の発行と、地方債発行枠の増加等によって大型の財政投資にふみ切った。
 しかし大資本は、「第四次不況対策」がまだ完全に動き出さないうち早くも「第五次不況対策」を要求しはじめている。たしかに、財政危機のあおりによる発注の遅れから財政支出による効果は長びく可能性が強いし、また、用地費や立替え工事に食われて需要創出効果も大巾に削減されている。このようななかで、四〜六月期以来(八月を除いて)生産・出荷がわずかではあれ上向いているにもかかわらず、鉄鋼高炉各社、非鉄金属、合板等を中心に大巾な減産がむしろかえって強化されている。
 「第五次不況対策」が打ち出される可能性もあるし、四次にわたるかなり大巾な財政支出が徐々に効果を発揮してくるなかで、各産業の操業率も高められ、五一年度の初頭には、民間設備投資も上向きはじめるとみられている。
 ところで決定的な問題は、財政支出によるテコ入れが、民間設備投資を刺激するほどの需要創出効果をもつかどうかではなく、企業が、長びいた減産によるコストアップ要因を価格に転嫁できる程度の需給の改善がつくり出されるかどうかにかかっているということである。つまり、ほとんどすべての製造部門が、かなりの製品値上げをはかることによってしか企業収益の改善のメドがたたない状況にある。「卸売物価の上昇率が低すぎる」というブルジョアの嘆きは本音である。
  #だからあえて極端な言い方をすれば、製品値上げが可能になるような需給関係の改善がはかられること。その度合に応じて、生産回復のテンポは上昇していくだろうし、また生産回復を促進するのは、値上げによる企業収益の改善の見通しにかかっている# 。したがって財政支出による需要創出効果はこのような環境をつくり出すことにある。
 それ故、当面する景気動向の問題に関していえば、生産回復のテンポが上昇しはじめる段階では、確実にそれを上回る卸売物価の上昇がともなうだろうということである。そして、物価上昇の圧力と要因は非常に大きくなっているのである。
 まず第一に、投資財価格の高騰と公害防止投資の増大は、企業収益力を低下させる。つまり低成長下において余儀なくされる高い投資比率が企業収益圧迫要因となり、根強い物価値上げ要因となる。かくして、低成長の中で、公、私両部門における資本系数が上昇する。その結果、民間部門では資本コストの増大――価格への転嫁。公共部門では負担の増大を招く。そのうえ、寡占体制の成立そのものがインフレ的価格決定メカニズムをつくり出している。そしてまたいま、大量の国債の発行によって、企業金融が圧迫されはじめており、これを避けるために当然日銀が買オペに出ざるをえない。そのことが不可避的に通貨供給量を増加させ、インフレを促進するだろう。こうしたことのほかにも、原油価格の値上げにともなう基礎資材の大巾値上げが拡大しつつあるし、加えて公共料金の値上げが相つぐ情勢にある。
 来年の夏を前後して、再びインフレが再燃することは明白である。


日本経済の深まる危機と「中間的調整期」のバランスシート
    ――修正を迫られた「産業構造の長期ビジョン」――

 アジア規模での商業再編と、「安定成長」路線への転換は、深まる世界経済の危機の中で大巾な修正を迫られた。それは、日本帝国主義本土での階級闘争の激化として帰結するであろう事を明らかにする論文である。
 一九七七年四月、「第四インターナショナル」誌に掲載された。

はじめに

 前項の論文、「日本経済の危機と転換」において、われわれは高度経済成長の破産と「安定成長」への転換の内実を、できるだけ階級的視点からとらえ、明らかにしようとしてきた。そしてつぎのいくつかの点を確認した。
 @ 七三年来のオイルショックをきっかけとする七四年一〜三月からの戦後最大の不況は、その従来の不況とは異った特徴そのもののうちに、高度成長の破産と転換期の構造を示していたことが明らかにされた。
 A とくに今次不況における重要な特徴として指摘された金融引き締め効果の浸透の遅れについてつぎのようにとらえた。
「問題なのは、こうした一時的要因の基礎にある国際的・国内的経済成長パターンの全体としての変化であり、とくにこうした諸条件の変化とならんだ企業の金融構造――資本蓄積構造の変化に、従来の金融政策がその有効性を低下させてしまって、対応しきれなかったことを示すものにほかならない」と。
 B 要するに高度成長の破産と「安定成長」への移行というのは、つぎのような内実においてとらえなければならないこと。
 (イ) 「安定成長」への移行の内容をなす「知識集約型・省資源型」産業構造への転換は、すでに高度成長の過程において準備されてきたのであり、(その頂点において七一年の産構蕃答申がある)いいかえれば高度成長過程で実現された生産力が、もはや六〇年代の“蓄積構造”に納まりきらずに、それと衝突しはじめていたということ。
 (ロ) したがって、「安定成長」への転換は、たんに「知識集約型・省資源型」産業構造への転換を意味するだけでなく、「物価、流通メカニズムから、金融構造、賃金、雇用構造まで含む高度成長期の蓄積構造そのものの全面的再編が問題になっている」ということであった。
 (ハ) そしてまた、この「旧来の蓄積構造の全面的な再編」は、けっして純経済的なメカニズムのみをとおして貫徹されることはありえないのであり、それは激烈な階級闘争をとおして決着をつけられる以外にない、と指摘してきた。つまり、高度経済成長期に蓄積された矛盾をブルジョアジーは、労働者階級人民の犠牲に転嫁しきることなしには、「安定成長」への転換をはかれないということ。それゆえに、われわれはブルジョアジーのこの「安定成長」路線なるものは、労働者階級への首切り合理化の嵐としての「第二のドッヂプラン」以外のなにものでもないと主張した。
 C 以上の点を明らかにしたうえで、「安定成長」の内実としての「知識集約型・省資源型」産業構造なるものは、田中の『列島改造計画』が内容としていたものにほかならないということも指摘した。
 すなわち、「田中の『列島改造計画』は、従来の高度成長路線の単純な延長上に描かれたプランであったわけではない。その内容は知識集約型・省資源型産業構造への転換を企図するプランであり、工場再配置を含む、内陸型・都市型産業への転換にむけた工業化プランにほかならなかったのである。そうした転換にそって、都市周辺部の安い労働力と工業用地を確保し、知識集約化をはかり、それを効率的に活用するための、全国高速ネットワーク(本四国架橋、新幹線網、高速道路網)の建設を準備していたのである。
 要するに、六〇年代の重化学工業化を基礎にした高度成長の過程でつくりあげられてきた日本経済は、このような転換の方向しかありえなかったのである。……(それは)……高度成長の構造そのものの枠に衝突し、……したがってブルジョアジーは、高度成長下の利潤獲得、資本蓄積構造を国境の枠をこえた規模で再編成しなければならない。これが『安定成長』への移行の(真の)内容なのである」
 以上の整理を行い確認したうえで、われわれはこの三年間になにがどうすすんだのかを明らかにしてみなければならない。
 オイルショックをきっかけとする戦後最大の不況とインフレのなかで、政府・ブルジョアジーは、それを「全治三年の重傷を負った経済」と評し、この三年間(七四〜七六年)を日本経済の「調整期」と位置づけ対処してきた。
 そこでわれわれは、この「調整」がどのようにすすめられたのかを検討してみなければならない。
 それによって、「第二のドッヂプラン」攻撃にむけて何が、どのように準備されてきているのか、またブルジョアジーの側はどのような矛盾をかかえ危機に直面しているのかを見定めなければならない。
 まず結論的にいって、政府・ブルジョアジーは明確に“対決の姿勢”を強めているし、また内外の諸条件からして“対決”を余儀なくされるということである。そしてこれはいうまでもなくブルジョアジーの強さの反映ではなく、弱さと危機の表現であるということである。
 第一に、七○年代前半の反公害・住民闘争の高揚に直面し、なおかつ高度成長の破産のなかで、ブルジョアジーは「知識集約化・省資源化」を謳い、基礎資材型産業の海外立地H公害輸出を強調した。そうして「安定成長」=「福祉経済」への転換をキャンベーンした。
 ところがオイルショック以後の世界経済の混迷と危機に直面して、ブルジョアジーはその展望の修正を余儀なくされ、再び国内遠隔地の工業立地を強く要求しはじめている。
 それとともに、「省資源型」産業構造への転換と「環境基準」の強化によって労働者・人民の不満をそらせようとした方向を一変して、この間「環境基準の緩和」が強く打ち出されている。これはブルジョアジーがあえて、反公害・住民闘争に再度火をつけ、それとの強権的対決の姿勢をとらざるをえなくなったことを示している。オイルショック以後の世界経済の危機のはねかえりが、まず端的にこのような変化をもたらしたことは指摘されなければならない。
 第二に、こうした状況のなかで他方では、「知識集約型・省資源型」産業構造への転換を急がなければならないし、実際にそれはすすめられている。ところがこの点に関して最大のネックとなっているのは、企業レベルで急速に進展している「知識集約化」と交通運輸体系の未整備等をはじめとする社会資本投下の立ち度れとのあいだにあるギャップである。これはいいかえれば、企業レベルで進みつつある「知識集約化」の構造にたいして、物価、流通メカニズム、賃金・雇用構造、金融構造といった旧来の資本蓄積構造が重大な壁になっているということでもある。
 そしてこれこそ同時に、国鉄財政の危機、国家財政の危機という形で表現されているものであり、公労協労働者を先頭とする戦闘的労働者人民の闘争力の壁にほかならない。
 かくして、一言でいえば、公労協労働者を孤立させて叩くというブルジョアジーの目算は、内外の経済危機の深刻化そのものによって打ち砕かれた。反対に増税、公共料金の値上げ、インフレの進行、反公害・住民闘争との再度の衝突という状況を迫られるなかで、公労協労働者との対決を迎えなければならないのである。
 ブルジョアジーは、五二年から五五年にかけて対決を余儀なくされる。その事情が強制する圧力は、社・共・民同をも突き動かし、衝突にむけてかりたてざるをえない。したがって、社・共、民同の分解のテンポはより一層早められるであろう。
 以上これらの点を整理してみることによって、日本資本主義の予想以上の危機の構造と労働者階級の課題を明らかにすることが、本論の課題である。

一、中間的調整期=景気回復過程の特徴

 ここでまず五〇年一月〜三月に底入れして以降の景気の回復過程をあとづけ、その特徴を簡単に整理してみる必要がある。
 まず第一に指摘されるのとは、五〇年一月〜三月で底入れしたあと、順調な回復過程をたどらずに、前進と停滞をくり返すジグザグの過程をたどったことである。
 経過をざっとみてみると、五〇年四〜六月期には急テンポの回復、五〇年七〜九、一〇〜一二月期には停滞、五一年一〜三月、四〜六月期には再び急テンポの同復、五一年一〇〜一二月期には再び停滞という過程をたどっている。そして五〇年の七〜九月、一〇〜一二月期の二度にわたって在庫調整をくり返している。
 周知のように、日本の企業は自己資本比率が低く外部資金への依存度が高い、そのため金融コストが固定費負担を大きくしている。くわえてオイルショック以来の原材料価格の高騰、終身雇用制のもとで企業にとっての「過剰雇用」がもたらす人件費コスト。こうした事情が長期にわたる操短=減産による固定費負担をますます大きくし、それが企業収益を極度に圧迫してきた。
 こうしたなかで企業は、人員整理による人件費コストの削減、借入金の返済による金利負担の軽減によって収益の改善をはかるとともに、できるだけ早く操業度を高めることによっても固定費負担を減らし企業収益を改善しようとする。これがたえず非常に大きな増産圧力として作用する。
 こうした事情が、五〇年一〜三月期に在庫調庫が一巡し景気が底入れしたとたんに、最終需要はあいかわらず停滞していたにもかかわらず、急速な生産活動を促した基本的な理由であった。
 そのことを示すものとして「生産者製品在庫率(鉱工業)がきわめて高い水準から景気の回復がはじまった」点が指摘されている。つまり、先にのべた要因による増産圧力のもとで、流通在庫の積み増しに触発されて出荷が伸びはじめると、高い製品在庫率にもかかわらず、メーカーはただちに増産に転じたのである。
 こうしてまた、実際の需要が回復しないにもかかわらず、固定費軽減 収益改善の圧力によって増産にかりたてられた反動として、ただちに「製品在庫率の減少が中途で下げ止る」状況にぶつかったのである。これが五〇年七〜九月以降の状況であった。そこで再び在庫調整――生産削減を余儀なくされ、景気の停滞に直面したのであった。
 五一年一〜三月期には再び生産は急ピッチで回復しはじめるが、この段階でも最終需要は若干伸びたものの、個人消費支出や設備投資等の白律的な最終需要の増加ではなく、輸出を中心とした外生的需要であった。五〇年末からはじまったアメリカ経済の上昇に支えられて輸出の急速な伸びと、「第四次不況対策」による財政投資に支えられたものである。
 そのため五一年九〜一二月の段階で輸出が鈍化し、ロッキード疑獄による政府危機下において財政投資がストップ(電々、国鉄関連事業への投資)すると、とたんに景気停滞局面に入りこんでいったのであった。
 このように今回の景気回復過程が、前進と停滞のくり返しによるジグザグの過程をたどったことの背景には、景気を自律的回復に導く主要な要因である個人消費や民間設備投資がほとんど伸びなかったし、景気上昇要因としては積極的に寄与しなかったということである。
 つまり、この経過をみるかぎり、われわれが前回で指摘したように、経済成長のパターンは明らかに「設備投資主導型から財政投資主導型」へ転換してきていることを示している。それとともに、同じことであるが、設備投資そのもののパターンが供給力先行型の投資動向から、欧米型の需要後追い型の投資動向へ変化してきていることを示しているのである。
 ところがまさに、さきに指摘した自己資本比率の低い財務構成からくる増産圧力のもとで、投資パターンがこのような需要後追い型に転換することは、景気変動をますます停滞的悪循環の中に投げこむことになるのである。
 第一に、設備投資のタイミングの遅れから、――需要後追い型では避けられないが――投資が回復してくる段階では、増産による固定費圧力の軽減志向と結びついて著しい需要効果として働き、供給カネックの表面化と物価上昇をひきおこす可能性が強いことである。
 第二に、それでなくとも、減産による固定費負担の増大からたえざる増産圧力として働く企業体質のもとでは、それは生産回復を上回る製品価格の上昇を招くことになる。
 これは実際に、五〇年四月以降の急ピッチの生産回復過程でそれを上回る卸売物価の上昇にみられたことでも明白である。また、五〇年下期の卸売物価の上昇率は過去の景気回復局面と比較しても高い上昇テンポであったし、さらに従来以上に大きい需要ギャップを抱えた(=低操業状態の)状況のもとで高いテンポの卸売物価の上昇がつづいたことにも示されている。
 このような事情によって昇気回復の初期に急速な物価上昇が避けられないとすれば、物価対策上景気回復の初期に抑制策をとることを余儀なくされ、景気上昇局面が短期に終らされることになる。このイギリス型のゴー・アンド・ストップ政策は、需要後追い型投資傾向を一層強め悪循環をもたらすことになる。
 それゆえ、企業はこの不況の長期化するなかで借入金返済による財務体質の強化に力を注いたのである。低成長経済への移行と世界市場におけるし烈な競争に耐えねくために財務体質の強化をはからなければならなかったのももちろんであるか、それ以上に低成長下での投資パターンの変化のなかで、それは企業にとっての死活の問題であったということである。
 この問題はさらに次章以下での関連のなかでとりあげられる。

二、手直し迫られた「産業構造の長期ビジョン」

 つぎに、ブルジョアジーの「産業構造の長期ビジョン」とその手直しの意味するところをふりかえってみながら、全体としての「安定成長」へむけた産業構造の転換がどのような問題と矛盾をはらみつつすすめられているのかを検討してみよう。
 これまでもくり返し指摘してきたように、「知識集約型・省資源型」産業構造への転換は、すでに七一年五月の産業構造審議会の中間答申『七〇年代の通商産業政策』においてその方向が出されていた。それは大筋の内容としてつぎのようなものであった。
 すなわち、石油、石油化学、鉄鋼といった資源多消費型の基礎資材産業は、公害問題、立地条件等による制約のため、これ以上の拡大は国内において望めない。これらの基礎資材産業は海外立地を求めて国外に輸出し、後進諸国の安い一次産品と低賃金を活用してむしろそれを逆輸入しつつ、国内における産業構造そのものは「知識集約型・省資源型」産業構造へむけて積極的転換をはかっていく、というものであった。
 この方向は七〇年代に入ってかなり急速にすすめられてきた。七〇年代のはじめに国際収支の黒字基調が急速に定着していったことともあわせて、それ以降対外投資の自由化措置が段階的にとられ、七二年には投資制限的措置が全面的に解除された。
 その結果、六〇年代は年間数億ドル程度で推移した海外投資が七〇年代に人って急速にすすみ、一九七五年一二月末の許可累計額は、一五〇億ドルに達した。そのうちとくに七二年四月から七五年一二月までの増加額は一〇六億ドルと全累計額の七割以上を占めた。
 このようにして、『七〇年代の通商産業政策』が描いた方向は、急速に展開していくかにみえた。
 またこの方向に沿って、七三年の財界を中心とする産業計画懇談会が提出した『産業構造の改革』では、つぎのような産業については「縦少から最終的には廃止へもっていくのが望ましい」とまでみなした。そこには、過密大都市内に立地する精油所、石油化学肥料、鉄鋼原料一次処理部門、アルミナ製造、チタン製造、有毒物を排出する化学工業、等々があげられていた。
 そして七四年秋に産構審に報告された『産業構造の長期ビジョン』においても、そうした方向は基本的に追認されていた。
  #ところが七四年以降のオイルショックによる深刻な不況と、国際収支の赤字基調への転換、非産油後進諸国の外貨不足といった事態のなかで、初期に予想され計画にのせられていた基礎資材産業部門の海外立地は、スムーズに進展しなくなったのである# 。
 実際、七三年度の投資額は三五億ドルとそれまでの最高に達したが、七四年度の海外投資実績は、オイルショック以後の世界経済の見通し難、国内における金融引き締めといった投資環境の悪化から二四億ドルへと大巾な落ち込みを示した。七五年には二三億ドルと再び増加傾向を示しているが、七四年を下回っている。こうして、オイルショック後のインフレーションと大不況は明らかに海外立地への刺激を弱めたようにみえる。
 むしろ逆に「中東産油国での石油化学計画を含めて、素材型産業の海外立地の進展状況ははかばかしくなく、逆に最近は国内立地指向への“出戻り現象”とでもいうべき国内遠隔地の工業基地への期待が強まっている」といえる状況にある。
 こうした状況のなかで産業界においても若干の手直しの方向が提起され、七五年二月に経団連の発表した『混迷する世界経済と今後のわが国産業構造(試論)』によると、「今日のわれわれの生活は今日の産業構造が支えているのであり、また、われわれが求めようとしている明日の産業構造も今日の産業構造とは全く非連続的に考え得るものではない」としてつぎのような提案を行っている。
 すなわち、
 @ わが国は鉄鋼、肥料などの工業製品の世界の供給基地としての役割を果している。
 A わが国はひきつづきこれらの基礎物資の供給責任を果さなければならないので、 #新しく大規模工業基地の開発を推進する必要がある# 。
 という点が強調されている。つまり、『 #産業構造ビジョン』を批判し、重化学工業の国内温存を主張# しているのである。
 そして産業構造審議会報告『産業構造の長期ビジョン』の昭和五一年版(以下七六年版とする)(これは毎年見直しが行われることになっている)では、明らかに経団連の主張の線に沿ってかなり手直しがはかられている。
 七四年(昭和四九年)に最初に出された『長期ビジョン』では、鉄鋼、化学工業等の基礎資材型産業の海外立地とそれにともなう海外投資が、大巾に伸びるという想定で見通しがたてられていた。たとえば、「わが国海外投資の今後の展望」について述べられた個所では、「今後のわが国海外投資の特徴は、……わが国の基幹産業である化学工業、鉄鋼業等の大巾な拡大……」が強調され、かなり具体的に展望されていた。
 「まず、化学工業の海外投資は急速に拡大することが予想されており、これまで皆無に等しかった海外投資が一九七〇年に四一億ドル程度、一九八五年には八六億ドル程度になるものと思われる。この結果、石油化学の海外生産比率(海外生産ノ国内生産)は #四六%程度# となろう。
 鉄鋼業についても、一九七三年末に一億ドル程度強であった海外投資残高は、一九八〇年に二九億ドル程度、一九八五年には一〇二億ドル程度になり海外生産比率は一二%程度になるものと考えられる」という見通しがたてられた。
 ところが七六年版(昭和五一年版)によると、「海外立地の急速な進展」の見通しは大きく影をひそめて、逆に海外立地の困難性が強調されている。鉄鋼に関しては、「その後、特に石油危機以後における世界鉄鋼需要動向の変化、建設コストの急騰」などから、プロジェクトの再検討が必要だとされている。さらに「立地地点の確保の困難性などにより国内新立地の海外新規立地に対する優位性は次第に失われる傾向にある」とされていたものが、 #まったく逆転して海外立地の方が劣位に立った# とみなされている。
 化学工業についても同様で、「計画の具体的な検討が進むにつれて、建設費の高騰、資金や要因の確保難等予想以上に因難な問題があることが明らかになったことから、しだいに各社の意欲は下降し、タイ計画、オーストラリア計画及びカナダ計画の計画具体化の無期延期」等が指摘されている。
 また見通しの規模についても大巾に下方修正されており、海外投資残高を前回ビジョンの予想値と比較してみると、石油化学の場合で、一九八〇年は二八%減、一九八五年は三〇%減となっている。そして、輸出比率は一九八〇年で九・三%から一〇・五%へ、一九八五年では二・〇%から七・七%へ増えており、輸入比率は当初ビジョンとは逆に、一九八〇年で二・七%から〇・四%へ、八五年で五・八%から〇・三%へ大巾に減少している。当初と比較して逆転しているのである。
 以上みてきたことから明らかなように、オイルショック以後ブルジョアジーの産業構造の長期展望は修正を余儀なくされている。それはとくに、基礎資材産業の海外立地の「急速な進展」という展望が挫折し、部分的にではあれ再度大巾に国内立地重視の方向へむかわざるをえなくなっていることを示している。この点は、当初『ビジョン』にはほとんどふれられてなかった国内立地の重視が前面に押しだされていることにも明白に示されている。「 #石油化学工業の今後の立地の方式としては、昭和五〇年代前半は、既存コンビナートにおける増設が中心となろう。昭和五〇年代後半に入ると、苫小牧東部、むつ小川原などの新規臨海工業基地における立地# が行われると考えられる……」と。
 また最近「通産省は過密工業地域にある基幹資源産業の設備新増設を抑制するという従来の方針を転換した(日経新聞一九七七年四月四日)と伝えられている。
 もちろん全体としての産業構造転換の長期展望そのものは変るものではないし、長期的には基礎資材産業の海外立地を推しすすめ、そこから逆輸入しつつ国内における「知識集約型・省資源型」産業構造への転換をはかっていこうとすることにかわりはないだろう。
 しかしそれにもかかわらず、オイルショック以後の世界経済の構造的危機に直面して、すくなくともここ十年間のその展望は、明らかに修正を余儀なくされたのである。 #国内において限界に達していた公害、環境問題を含む立地条件の制約をある程度無視し、それと衝突しても再度重化学工業の新規立地を国内に求めざるをえなくなってきているのである# 。
 かくして、七〇年代前半において反公害、地域住民闘争の爆発に直面して政府・ブルジョアジーはひとたびはかなり安易に「公害の輸出」、すなわち鉄鋼、石油化学等の海外立地を推進することによって、この矛盾と不満を解消できるという展望にたった。
 しかし以上みてきたように、オイルショック以後の世界経済の構造的危機のなかで、日本ブルジョアジーは国内における矛盾を海外に「輸出」して、労働者人民との対決を緩和しうるとした展望が壁にぶつかったのである。
 もちろんこれは全面的手直しではない。それゆえ一方では海外侵略にともなう危険(アジア革命との対決)をにないつつ、同時に国内においても当初の予想とはちがって労働者人民との衝突の戦線を拡大せざるをえなくなったということである。
  #政府ブルジョアジーは、次章で検討する産業構造の転換にともなう労働者階級との対決に加えて、再度、反公害・住民闘争に火をつけ、それとの対決を新たに強制されようとしている# のである。
 この点は、最近の公害・環境問題に対する財界の露骨な論議をみてみるだけではっきりしている。当初『ビジョン』では、「環境対策には完璧に近いほどの配慮を払う必要」が強調され、主要産業別の計画予想が提示されている鉄鋼業の項でも「新環境基準(四八年五月)の達成を図るためには、現状に比して平均五〇%のSOX(黄硫酸化物)、NOXについても大巾に削減が必要」とされていたものが、七六年版『長期ビジョン』では明らかにあいまいな表現にとどまり後退している。
 とくに七五年段階で、千葉県が新日鉄君津製鉄所にNOXの排出量を四〇%カットするよう要請していたのにたいして、新日鉄側は「四〇%のカントは技術的に無理」と主張して千葉県側の要請を露骨に拒否しつづけていた。この事情を考慮するときブルジョアジーの公害・環境問題にたいする姿勢が後退したというより、まき返しの反動攻勢が露骨にだされてきているのが明白である。新日鉄千葉のNOX排出量規制にしても、同じ子葉県の臨海部にある川崎製鉄が、六号高炉増設に際して七七年度までに四三%、八〇年度までに七一%削減を打ち出している(どこまで実施されるかは別)ことからみて、けっして技術的問題ではなく経済的問題であることがはっきりしている。
 こうして、七六年版『ビジョン』では、環境基準の達成の方向とは逆に、「窒素酸化物(NOX)による汚染防止については汚染メカニズムの解明が十分でないこと、有効な防除技術の開発が未達成である」等々“困難”が強調されているのである。そして実際に、環境庁がまとめた『日本の大気汚染状況』によると、「五十年度で基準を達成した全国の測定局はわずか一割にすぎず、なかでも東京、大阪などの大都市部での汚染は基準値の五、六倍の高さに達していることが報告されている。
 かかる実情のなかでブルジョアジーは、最近とくに「そもそも実現できない無茶な基準をきめたことがこれで明らかになった」(鉄鋼業界)(日経産業新聞五二・三・二四)と、通産省を先頭にたてて、「環境基準がきびしすぎる」と公然と主張しはじめている。
 このため、昨年五月には環境庁は通産省、産業界の強い反対をうけて「アセスメント法案」の国会提出を断念したし、今回会に提出された同法案はすでに大巾な後退が指摘されている。また七四年からはじまったばかりの「公害健康被害補償制度」についても経団連として、「企業負担軽減」のための制度改止を福田首相に建議している。(七七年二月八日)
 しかもこのような公害・環境問題t-反公害地域住民闘争との敵対の姿勢を明らかにしつつ、政府ブルジョアジーは、一時はとりやめになるかとさえみられていた日本最大の石油コンビナート、むつ小川原開発や苫小牧東部の開発にゴーのサインを出し、さらには完全に立ち消えになっていたはずの北海道、北陸などの四新幹線工事の凍結が解除されようとしている。
 かくして、「安定成長」プランの「福祉」の側面は同和問題や公共料金の大巾値上げとともにことごとく切り捨てられ、ただ田中の「列島改造計画」そのものが、前面に掲げられて推進されようとしているのである。
 そのうえ、これらの新たな産業開発は当面の景気回復にとって必要という点にとどまらない、政府ブルジョアジーにとって極めて深刻な問題なのである。
 というのは、もし現状のまま推進すれば、つまり国内における鉄鋼、石油化学等の立地がこれ以上遅れ、そのうえ海外立地もすすまない状況がつづけば、たんに日本経済にとってだけでなく、世界経済の混乱にもつながり、それを増中させ、その結果として再び日本経済の破局を招くという事態にたちいたる危険性があるからである。
 まず第一に、この間の不況による投資のくりのべによって、開発は明らかに遅れている。第二に、海外立地もとりやめになったのが多く、長期展望としての需要見通しは危機的様相を呈している。
 今後日本の「世界の上業生産基地」としての役割りを補完しうる「発展途上国」は、ブラジル、メキシコ、韓国、イラン、アルジェリア等々とみなされているが、これらの国が部分的にもその供給をなしうるようになるのは、すくなくとも一九八〇年代の半ば過ぎとみられている。その意味では欧米先進諸国は日本へ「中進国」の役割りをバトンタッチすることができたが日本の場合はここ当分のあいだそれを望めない状況にある。
 こうして今後すくなくとも十年くらいは、日本は依然として「世界の工業生産基地」として鉄鋼、石油化学などの基礎工業製品を供給する役割りをにないつづけなければならない位置にある。現在でも日本は「発展途上国」の基礎工業製品需要の半分以上を賄っているのである。
 したがって、今後日本がこれらの基礎工業製品の供給を十分賄うに足る開発をやりきれない場合、「発展途上国」の経済開発に必要不可欠な基礎工業製品の価格上昇をもたらし、後進国経済の発展により一層の打撃を与え、一次産品諸国の交易条件の悪化→OPECの原油大巾値上げ→再度のオイルショックにつながりかねない危険性をはらんでいるのである。
 しかし、日本企業をめぐる投資環境の悪化、投資の需要後追い型への転換等、この間の設備投資の遅れは明らかに重大な危機的様相を示している。
 福田政府のもとでブルジョアジーがきわめて露骨に公害問題を無視し、対決の姿勢を強めているのは、ここに日本ブルジョアジーの死活の問題がかかっているからである。
 そしてまた、この国内における再度の「産業開発」をテコにしてのみ、帝国主義的海外侵略をすすめることができるという関係がはっきりしているのである。
 通産省は「過密工業地域にある基幹資源型産業の設備新増設を抑制するという従来の方針を転換、将来の供給を確保するための増設については認める意向を固めた」ということである。そして「鉄鋼や石油化学などの基礎資源型産業が供給責任を果すために増産に取り組もうとすれば、三大湾と瀬戸内海沿岸地域を軸にした既存工場内の設備増強しかなくなっている」(日本経済新聞五二・四・四)と明言している。

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