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三、産業再編成と輸送・流通合理化

 前章で、オイルショック以後の世界経済の構造的危機に直面して、「急速な進展」が予測されていた鉄鋼や化学工業などの海外立地が停滞し、「出戻り現象」さえみられることを指摘してきた。
 しかしもちろん、それによって「知識集約型・省資源型」産業構造への転換と産業再編成に、ストップがかけられたということではない。むしろ逆に、鉄鋼や石油化学など基礎資材部門の競争力の圧倒的優位をバックにし、それを確保・維持しつつシステム機械産業を中心にした「知識集約化」にむけて突き進んでいるのである。
 高度成長の過程で日本経済は鉄鋼→鉄鋼一次製品→産業用・民生用機械工業というふうに、素材から加工・組み立てという産業連鎖をきずきあげ、これらを機械工業がリードするという高付加価値化を推進する産業構造の体系を確立しているのである。
 この間の自動車・家電を中心とした輸送用機械、電気機械の輸出の大巾な伸びは、これら機械工業における生産性の伸びも著しかったとはいえ、それに基礎資材を供給する鉄鋼その他の圧倒的な競争力の優位にも支えられていたのである。
 そして今日、それはプラント輸出の急速な伸びと競争力強化へむけて全面的に再編がすすめられている。政府と大資本の産業政策の中心軸は、プラント輸出の振興に置かれているし、すべての体制をそれにむけて整備しているといっていい。このプラント輸出というのはいわば工場を丸ごと輸出するようなもので、技術集約的な機械工業の総合的な競争力を問われるのである。
 いま日本の大企業は相互に提携し、企業集団の形で、肥料製造プラント、石油精製設備、港湾荷役プラント、高炉転炉、圧延機等から住宅建設プラントまで巨大なプラント類の開発・輸出に全力を集中してきている。
 昨年来すすめられてきた特殊鋼、平電炉メーカーから、自動車、石油、住宅分野、さらには商社・金融界にまで拡っていった集中・合併の動きも、まさにこうしたプラント類の輸出競争に耐える方向での産業再編成にほかならない。
 また四九年末の「第四次不況対策」から五一年度、五二年度予算に共適している公共投資偏重は、たんに「公共事業による景気テコ入れ」というだけではない。それは明らかに、技術集約的な産業構造転換にむけて、大きな役割りをになわされ、資本の集中・再編に対応しつつ、大資本の要請にそって重点的に配分されているといっていい。本四国架橋や、道路・住宅建設のための投資にしても、ただ鉄やケーブルなどの需要を喚起するための「公共事業」なのではなく、特殊鋼材の開発、工作機器、海洋・土木技術の開発等、システム機械産業の開発にむけて集中的な財政投資がなされているということである。
 こうしてプラント輸出にむけて、政府は「官民合体」の総合体制をとってあたることをきめ、経団連を中心に民間の「企業連合」を結成し、政府が協調融資のあっ旋をするという体制を確立している。また昨年度予算で、「公共事業」とならんでプラント輸出を軸とした輸出振興策に重点が置かれ、輸出金融の規模は「赤字財政」のなかで、八〇%も増加した。そして今年度予算でも大巾に増加されただけでなく、大規模プロジェクトや大型プラントの輸出に伴う一件当り数百億円にものぼる支払いを政府が肩代りする「ポンド保険」制度が確立された。
 わが国のプラント輸出は、七五年以降急増し、七五年四月〜七六年一月までの十ヵ月間の成約実積が、七四年一年間の二九億四、三〇〇万ドルを上回る三四億二、〇〇〇万ドルを達成しているOECD統計によると一九七三年の日本のプラント輸出額は五〇億ドルで、アメリカ、西独、イギリス、フランスについで七・四%のシェアであった。これが七四年の統計ではフランスを抜き、七二億ドル、八・一%のシェアに拡大した。伸び率も前年比四四・六%増と大きく七五年か七六年段階でイギリスを追い抜いていることはまちがいないといわれている。
 このプラント輸出のなかでも、一般機械(石油精製設備、石油化学製品製造設備、化学肥料製造設備、鉄・非鉄製品製造設備等々)が四分の三以上を占めているのである。
 こうしてプラント輸出の比重を高めつつ産業構造の知識集約化にむけて急速な転換がはかられつつある。
 ところがこの転換にあたって重大なボトルネックになっているのが、高度成長期に蓄積された、過密、公害、産業立地の制約等の矛盾と社会資本投資の立ち遅れによってつくり出された制約条件である。国鉄の赤字問題も今日の財政危機もまさにその表現にほかならない。高度成長の時期には、公害をタレ流し、過密集積の利益をふんだんに享受し、社会資本投資を欠いたまま異常なスピードで設備投資をつづけてきた。いまそのアンバランスがひとつの制約条件となり、ボトルネックになってきている。個々の産業や企業の技術水準や価格競争力は或る程度強化されてきたが、交通・輸送部門の立ち遅れをはじめとする、社会的制約条件によって、総合力としての競争力の低下を招いている。
 しかしプラント輸出の競争力となると、たんに製品の価格条件だけてなく、輸送力、巨額のファイナンス(延払い・融資)能力、プロジェクト・マネージメントや技術者等の人材、製品の保障や取引き条件まで含めた、総合的な競争力が問題となる。
 かくして「安定成長」へむけた産業構造の転換は、たんに産業の知識集約化というだけにとどまらず、物価・流通メカニズムから、金融構造、賃金、雇用構造まで含めた、高度成長期の蓄積構造そのものの全面的な再編成としてすすめられなければならないということである。そして企業レベルにおける産業の知識集約化が進めば進むほど、社会的制約条件の壁がますます巨大に浮彫りにされてくる。国鉄の赤字問題と大合理化が中心的な対決の環として浮かびあがってきているのはそのためであり、「政府危機」の情勢が日本経済の回復にとって大きな障害となっている点もその表われであるとみてよい。
 今次不況からの脱出と景気回復過程においてこのギャップと間題点は、ますますクローズ・アップされている。
 この間の不況と景気回復過程の長期にわたるジグザグは、既存の産業構造をそのままにしての単純な生産の回復ではなく、この景気回復過程のなかで産業構造の転換がすすめられたことを示している。とくに、民間設備投資の不振のなかで機械受注が伸び悩んでいるにもかかわらず、自動車と家電の輸出の好調と官民一体となったプラント輸出の伸びに支えられて、機械工業はかなり順調に伸びを示している。業種別にみた去年の生産活動では、電気機械、輸送機械、精密機械の三業種が過去の最高水準をこえて、化学、石油、鉄鋼を上まわった。
 注目すべき点は、この不況下において機械工業のいくつかの分野においてかなりの省力化・合理化がすすんだことである。
 とくにコンピューター合理化と結びついたNC(数値制御)装置の導入がすすんでいる。
 そのため産業界の設備投資の低迷から工作機械全体の需要が伸び迷んでいるなかで、NC工作機械だけは、七六年の受注実績でも前年比六七%増の史上最高を記録している。
 このように不況のなかで、省力化・合理化を中心とした「知識集約化」は大巾にすすめられてきたのである。
 この不況からの脱出と景気回復にあたって、とくに五一年一〜三月期に、大きな牽引力となったのは輸出の伸びであり、なかでも自動車とカラーテレビ、トランシーバーなどの大巾な伸びであった。これは一方では、アメリカの景気上昇にともなう在庫積増しと、減税がもたらした消費の伸びに支えられたものであったと同時に、他方では、自動車・家電産業における強力な合理化・省力化によって生産性の上昇が達成されたことによるのである。
 たとえばカラーテレビでは、まさにこの不況下において、「部品点数でみるとオイルショック前の二、〇〇〇個から一、〇〇〇個を割る企業も出ている。またプリント基盤も四〜五枚以上だったものを、いまや一枚の基盤に自動機械で組み込む体制ができつつある」といわれるように、生産工程の減少、部品挿入の自動化、部品点数の減少といった改良がすすめられ、輸出競争力の強化がはかられていった。
 また自動車でも組み立て段階の合理化がかなり徹底的に行われていると同時に、下請関連会社の部品供給コストの削減が行われている。たとえばトヨタ自動車では、部品工場が親企業である自動車メーカーへ部品を納入するトラックの輸送速度までも直接組立ラインのスピードに規制される体制がつくられている。
 一例をあげるとトヨタの下請のタイヤ業界である住友ボル工業名古屋工場は、生産したタイヤを納入するためトヨタの工場近くに倉庫を建設したところ、「倉庫を建てて在庫を寝かす余裕があるなら、その分だけ納入価格から引く」といわれ、在庫をできるだけ出さないように生産計画をたてることを強制されているという。
 つまり、親工場は直接生産ラインに関係のない固定費を削減し、かつ流動資本の負担を減らすために部品倉庫を減らし、できるだけ部品納入を生産ラインと直結される体制を確立しようとするのである。そのため親工場が倉庫を減らした分だけ、下請関連企業の側はトラックの台数を増やして生産ラインのスピードに間に合わせなければならないことになる。これはまた乗用車・家電製品の販売網のオンライン化と結びついて、部品納入――生産ライン――販売網をワンセットにつなぐ輸送ネットワークの整備が資本の要求として強く押し出されている。
 カラーテレビとトヨタ自動車の例でみた徹底した省力化・合理化の方向はほとんどゐ製造業大手企業によって推進されていることはいうまでもない。
 とくに注目すべきなのは、たんに生産ラインのみの省力化・合理化だけでなく、部品の流通と在庫管理まで含めた、グループぐるみの徹底した合理化がはかられていっている点である。
 これをもう一つ日産自動車の例でみてみると、「親会社の合理化はすでに限界に近く、今後は部品生産から流通まで含むグループ全体の徹底した合理化」(産経新聞五二・三・二)が強調されている。
 日産自動車は生産管理システムとしてAPM方式(アクション・プレート・メソソド)を導入している。これは生産、納入、供給、送達の四点からなっていて、「まず生産APMは工場内における工程間の在庫を見直し、ラインの弾力性をはかる。納入APMは外注メーカーから納入される部品がラインサイドに供給されるのにプレートをつかって在庫管理をする。供給APMは内製凧を上場内へ円滑に供給する方法。また送達APMは内製品を中心に工場間のユニットおよび部品の輸送を効率的に行うというもの」(日刊工業新聞五二・三・一二)である。
 富士重工もこの方式を導入しようとしている。このほか東芝でも東芝物流と東芝運輸を合併して、家電・重電部門の輸送の一本化がはかられてきている。
 以上みてきたように、「知識集約化」にむけた合理化の特徴は第一に、工作機械のNC(数値制御)化や群管理システムの開発によるコンピューターと一体化した製造工程の管理と省力化の徹底である。第二に、資材、部品調達、販売ルートの整備の分野にまでコンピューターによる管理の方式がすすんでいることである。第三に、生産ラインに直結したところでの省力化にとどまらず、企業サイドから流通合理化に手がつけられ、それが強力に要請されているということである。第四に、こうしてグループぐるみの合理化が推進されるにともなって、下請関連企業のより層の系列化と再編、支配の強化がすすめられ、その過程で親企業労組が下請関連企業労組の組織化と支配にのり出し、労使協調路線にひきずりこんできているということである。
 こうした事情から、幹線貨物輸送の高速化合理化と低廉化が総資本にとって焦眉である。そのことは、プラント輸出を軸にした産業のシステム化のすう勢によってますますのっぴきならないものとなってきている。

四、交通輸送体系のシステムチェンジと国鉄大合理化

 かくして産業再編成の現局面という点からみても、「安定成長」へむけた対決環として、国鉄大合理化をめぐる闘争が浮かびあがってきているのである。政府・ブルジョアジーの提起はたんに国鉄だけの「財政再建」や合理化だけを切り離してとらえてはいないのである。産業再編成の過程で推しすすめられてきた輸送の近代化・合理化は、すべての輸送機関を相互に結びつけた全面的かつ有機的な合理化として遂行されてきているのである。国鉄の財政再建案のなかでも、「通運、倉庫、自動車、内航海運、航空など各輸送機関との有機的結合による協同一貫輸送方式を確立することが強調されている。
 つまり、各交通輸送機関の特性と機能をフルに生かして、それを一つに組み合わせつなぎ合せて、一つのシステム化を完成させようとするものである。しかもそこでは、コンピューターによるデーター通信・数値制御技術がフルに利用され、情報処理と高速輸送システムが結合されていっているのである。
 もう少し具体的にみてみると、東北新幹線の開通によって太平洋ベルト地帯の中、長路離旅客輸送は、極度に大衆収奪的な新幹線に頼る以外になくなる。在来線による旅客輸送は現実に大巾削減され、貨物輸送にとって代えられつつある。在来線の電化、近代化工事は高速貨物輸送のためにのみ行われているといってよい。
 基礎資材の中、長路離輸送のために、物資別樟用列車が編成され、さらに物資別発着基地が建設されている。たとえば大都市中心の近代的な拠点ターミナルが、東京の大井埠頭、名古屋の八田、大阪の鳥飼、福岡の箱崎といったところにつくられ、この拠点ターミナルと連携するサブ・ターミナル(コンテナ・デポ)がつくられ、そのうえに物資別発着基地が整備されていく。
 セメントであれば群山・倉賀野、石油は苫小牧・群山、青果物は梶ヵ谷といったふうに。拠点ターミナル間は、物資別専用のコンテナ超特急(フレートライナー)がノンストップの弾丸列車として走るのである。これだけで企業の輸送コストは半減するといわれている。昭和四八年に二二区間七五本であったフレートライナーが五一年には三〇〇本に増設されている。
 また昭和三九年に二両しかなかった物資別専用列車は、四四年には七五二両、五〇年には九三四両にまでなっているという。
 さらにヤード(操作場)の自動化がはかられ、トラック輸送や船舶輸送と結びつけられていく。貨車の構内入れ替え、車輛編成、入出構の時間、間隔、速度、入れ替え進路の制御、コンテナの積み降しまでが、大規模なコンピューターシステムを導入して完全に自動化される。武蔵野線の開通は、こうした高速貨物輸送の幹線バイパスにほかならない。この武蔵野線にある北府中、新座、越谷の操車場と貨物ターミナルは世界初の大規模なコンピューターシステムの導入がはかられているという。
 また、東京港の第二次港湾計画にもとづいて建設された大井埠頭は、一号埋立地が外国貿易コンテナ埠頭、食料品埠頭、二号埋立地はフェリーと建材埠頭となるが、この埠頭岸壁は倉庫と直結され、船の「新幹線網」と直結される計画がたてられている。
 昨年六月に、岸壁と倉庫が直結している点で初の施設という水産埠頭冷蔵庫の一号棟が先成した。年間約七十トンの東京港に荷揚げされていた輸入水産物は、それまで品川、芝浦、月島などの岸壁に荷揚げされたあと、各水産会社ごとに数キロ離れた倉庫に運ばれていた。そのため作業に二,三日かかることもあったという。ところがこれが完成すれば六万トンの貯蔵が可能となり、さらに荷役作業が大巾に短縮される。
 また船の新幹線網についていえば、昨年(五一年)早々に運輸省が「海上新幹線システム少委員会」を設置して問題の検討を開始し、船舶技術面では三菱重工に協力を依頼するといったところまで具体化されつつある。
 「日本沿岸を周航する高速貨物船でコンテナ化された貨物を海上輸送し、港から戸口までのトラック輸送と組合せる全国的な一貫輸送システムを確立する」というものである。
 現在内航海運は、国内貨物の五一%程度を輸送しているが、貨物の大部分は鉄鋼、セメント、石油製品などの原材料が中心である。だが、産業構造の高度化にともなって増加が予想される機械製品の輸送をになうこととして計画がたてられている。他方では、運輸省・業界・全交運の共同によって、トラック輸送情報システムが確立され、全国で約七〇〇万台の自家用トラックまでもこの情報によって管理し、トラック輸送の合理化をはかろうとしている。
 いま考えられている情報システムは、中央と各地方拠点をコンピューターで結び、地域、時間ごとに一般利用者の荷物輸送需要とカラで帰る車の輸送力供給のデータをつき合せる仕組みだという。これが国鉄幹線輸送と結びつけられつつ、自家用トラックまでも全国高速輸送のネットワークに組織しようとするものであることは明白である。
 大井埠頭などは、これらの結節点に位置して船舶、国鉄、トラック輸送を結ぶ典型的なターミナルとなるわけである。
 こうして芝浦流通センター、トラックターミナル、東京国際空港とを結びつける大操作場をもつ最大の流通センター拠点がつくりあげられつつある。この点からも三里塚空港の「開港」と国鉄合理化がまさに一対のものとして福田の「経済」の中心軸にとりあげられていることが明白である。
 さらにまたいうまでもなく、この貨物輸送の全面的合理化は国内輸送のスピードアップとともに、輸出入の荷さばきのスピードアッブに重点が置かれている。東南アジア各国には、すでに日通の支店が無数に進出し、「緑のコンテナ」は東南アジア諸国に輸送網を拡大しているのである。
 さきにあげた日本沿岸を航行する「船の新幹線網」が韓国をも射程に入れて包みこんでいることはいうまでもない。
 韓国で計画されている一九八〇年をメドとするソウル――釜山間の新幹線建設計画とともに、これがKIDCのなかに組みこまれていることも明日である。

五、来るべき対決の環と三里塚、国鉄合理化の位置

 現在、景気はあいかわらす低迷しており、民間設備投資も二年連続して伸び悩んである。とくに製造業の設備投資がゼロからマイナスと、ほとんど生産能力拡大のための投資は行われておらず、省力化投資に限定されている。主要機関の調査でも七五年度の設備投資実績は実質五・五%から六%程度で、製造業の設備投資はむしろ減少している。(興銀調査では一・三%のマイナス)
 七七年度の設備投資計画をみても、名目で〇・七%増とほぼ横ばいてあり、製造業は八%前後のマイナスになっている。(日本経済新聞社調査)
 これは第一に、最初に指摘したように低成長下で設備投資動向が需要後追い型に変ってきていることのあらわれである。第二に、投資そのものが生産の合理化・省力化を重点に、企業体質の強化をはかる方向に限定されているということである。
 すでにみてきたように低成長下で、投資パターンが需要後追い型に変わらざるをえないなかでは、企業は、強力な人員削減=首切り合理化を行いつつ、借入金の返済による金利負担の軽減によって財務体質を強化しなければならなかった。それは低成長下の企業にとって死活の問題であった。
 ブルジョアジーはこの不況のなかでかつてない首切り合理化を強行し、ひきつづくインフレと倒産という形で、すべての負担を労働者人民におしつけることによって、企業体質の強化をはかってきた。
 とくに雇用面での資本の対応はきびしく、わずかではあれ生産が増加しはじめているにもかかわらず、常用雇用はマイナスをつづけている。所定外労働時間(残業)は大巾に増加しているのに、常用労働者の雇用指数は二年連続マイナスを記録している。そればかりか、多くの企業が大手を筆頭にここ二〜三年の人員整理案をあいついで出してきている。
 とくにさきにみたグループぐるみの再編・合理化のなかで新規採用の抑制と結びついた転籍・出向という形の人員削減が強行されている。
 たとえば三菱重工は約二年がかりで実働従業員数を八〇〇〇人減らす計画を実施中、をはじめ日本板ガラス、大日本塗料、トヨタ日工、武田薬品、東芝、日立、神戸製鋼所等々、大手企業が、新たな人減らしの動きをみせている。
 こうして労働者の犠牲のうえに企業サイドの合理化を徹底して推しすすめながら、そのツケが結局、国家・地方自治体財政の赤字、国鉄の赤字という形で表現されるのである。終身雇用制のもとで「過剰雇用」をかかえた企業が、「雇用調整給付金制度」によって減産にともなう人件費コストをかなり大巾に軽減することができたことは、政府当局でさえ指摘している。(経企庁、昭和五一年版日本経済の現況)財界は今年の春闘における賃上げ回答で一兆円にも満たなかった減税分まで計算に入れて回答してきている。そのうえ今年度予算の公共事業投資四兆円(二一・四%増)といった景気浮揚のための財政投資が、巨大な赤字国債(税金の先取り)によってなされているのである。
 国鉄の赤字にしても、結局高度成長の過程がつくり出した過密と過疎のアンバランスや自動車輸送の増加による国鉄貨物収入の減少や高速貨物輸送のための合理化投資によって作り出されているのである。いいかえれば、自動車輸送、船舶、航空機等のすべての輸送手段を一つに結びつけた、交通運輸体系の合理化を推しすすめ、大独占の貨物輸送の高速化をはかってきた。そのツケがすべて国鉄の赤字という形であらわれるしくみになっているのである。
 今回出されている国鉄の合理化案は、明らかに #事実上の国鉄民営化の方向# にそった「国鉄財政再建計画」にほかならない。それは国鉄貨物輸送の競争力強化という口実のもとに、二〇%にもおよぶ国鉄大口貨物のダンピングという形で、実際にすすめられているのである。国鉄の貨物輸送は国内貨物輸送の一五%のシェアしか占めていないといわれるが、化学肥料などは七五%以上が国鉄に依存しているのである。
 ところが運輸省・国鉄は旅客運賃の大巾な値上げを強行しておきながら、「セメント、石油、石炭、紙、パルプなど大口貨物の輸送に当っては大巾な(二〇%以上の)運賃割引き“ダンピング作戦”を実施することを決め全国の管理局長に通達」(産経新聞五二・二・二三したというのである。
 ちなみに大口需要家の“ご三家”石灰石、石油、セメントで国鉄貨物の三〇%を占めているのである。
 そうしておいて、国鉄料金の毎年の値上げと首切り大合理化が強行される。財政上の赤字は国債という税金の先取りで穴埋めし、したがって七八年度以降は大巾増税が避けられないという事態になっている。付加価値税の導入をとおした間接税の引き上げは来年以降確実視されている。
 要するに、企業サイドですすめられている生産ラインから流通部門までをとおした徹底した合理化のすべてのツケが、財政赤字、国鉄の赤字という形で計上され、それを口実にして、増税、料金値上げと国鉄労働者、自治体労働者の大規模な首切り合理化が強行されようとしているのである。
  #かくしてブルジョアジーの産業構造の転換としてすすめられてきた合理化の総仕上げは国鉄の赤字を解消するための大合理化に集約されてくるのである# 。
 しかし、すでにみたように、これはたんに自治体労働者や国鉄労働者だけの問題でないことは明白である。
 すべての企業における合理化と全産業部門――流通部門にわたる合理化の集約点にほかならないのである。
 かくしてそれは、すべての企業内での首切り合理化をめぐる闘争、三里塚闘争、国鉄合理化とが一つに結びついて来るべき対決の環になっていることが明白である。
 ブルジョアジーは、当初この間の「中間的調整期」をつうじて、企業レベルの首切り合理化を個別に強行し、反公害・住民闘争は「公害の輸出」によってかわし、自治体・国鉄を中心とする戦闘性を残したままの公労協労働者だけを孤立させて叩こうと目論んできた。
 そうしてIMF・JC=金属労協を中心とした民間大手の親帝派労働官僚を使って、「生き残る産業」を中軸とした労働戦線の再編をすすめてきた。富塚を先頭とする総評民同の主流も結局、経営参加――労使協調路線のうえで春闘のイニシアチブをもJC官僚の手に渡してきた。
 だが現実の事態の進行は、ブルジョアジーにとってそう甘くはない。第三章でみてきたように、オイルショック以後の世界経済の構造をかかえこまされて、公害産業の国内立地を再びあらためて進めざるをえなくなっている。ブルジョアジーは、「安定成長」へむけて、あえて反公害・住民闘争に再度火をつけ、それとの強権的対決を余儀なくされている。
 これに加えて増税へインフレの進行は不可避であり、ここでも労働者人民との対決は避けられない。
 さらに、ブルジョア公教育の崩壊が進行するなかで、「知識集約化」にむけた研究開発投資を生かすための、公教育の再編を急がねばならない。そのうえ産業再編成の過程で切り捨てられてきた中小企業が集中している繊維や食器等の雑貨は、円高傾向のなかでますます大量に切り捨てられていくすう勢にある。しかもそうした産業部門は労働集約的な産業部門が圧倒的に多く、そこで切り捨てられる下層労働者の不満と生活防衛の闘争が爆発にむかいつつあるなかで、最も戦闘的な部落解放同盟の「特別措置法」の打切りをめぐる闘争が激烈に闘われようとしているのである。
 そして、この状況のなかで国鉄労働者を先頭とする公労協労働者の戦闘性と全面的に対決しなければならない。
 あらゆる領域にわたって、ブルジョアジーは労働者人民との対決を強制され、余儀なくされている。そしてこれらすべてが五三〜五五年にかけてすべて出そろう情勢にあるのである。
 しかしいうまでもなくこれらはすべて、ブルジョアジーが準備をととのえたうえで、意識的に体系化して打ち出してきているのではない。現象にとらわれてそのようにしかみれないものは、情勢の本質を見ることのできない敗北主義者・日和見主義者というほかない。
 そうではなく、高度成長の破産=日本資本主義の根本的破産にともなって、政府・ブルジョアジー自身が、一つ一つの個別分野において手をつけざるをえない諸問題が、ブルジ∋アジーの側からも一挙に解決を迫る以外にない問題として出そろうということにほかならない。ブルジョアジーは五三〜五五年にかけて国鉄労働者との全面対決を余儀なくされている。
 だがそれはブルジョアジーの強さの表現ではなく、明白に危機の表現である。
 福田は就任早々、三里塚空港の「開港」と国鉄貨物合理化、日韓一体化路線の強化にむけて対決の姿勢を露骨にしてきている。
 これにたいして労働者人民は明らかに前進した闘争態勢を構築しつつある。それはまさに三里塚闘争の構造とそれを支える労働者統一戦線の動きのなかに鮮明に見てとれる。
 三里塚闘争にむけて、かつてみられなかった労働者階級の組織的動員が勝ちとられつつあること、労働者階級が本来の闘争の「武器」をもって三里塚闘争に結集しつつある状況はけっして見過してはならない、情勢の本質的特徴を表現しているのである。


朴支配下の韓国経済と日韓一体化路線の矛盾
    ――脹れ上る帝国主義の出島的構造――

 本論文は、急成長をとげた韓国経済の内実を、帝国主義と植民地という基本的観点から分析し、その構造的矛盾を明らかにしようとするものである。
 一九七四年一〇月、「第四インターナショナル」誌、第一三号に掲載された。

一、朝鮮戦争によって決定された植民地的経済構造の原型

 七〇年代に入って、恒常的な政治危機に見舞われてきた朴政権は、いま深刻な経済危機によって、さらに追いうちをかけられている回朴政権の危機は、米中、日中平和共存体制の成立とグアム・ドクトリン体制の崩壊という、朴体制を支えてきた国際政治の枠組が崩壊することによって、さらに加速される局面に入りつつあるといえる。そもそもアメリカ帝国主義に主導された、反共軍事体制の最前線基地として、人為的にデッチあげられた朝鮮南半部の経済それ自体が、この第二次大戦後の政治的枠組みによって上から規定され、歪んだ構造を押しつけられてきたのであった。そしていま、朴支配下の韓国経済は、その政治的危機を深化させてきたと全く同じ矛盾の成熟によって、崩壊の危機にさらされている。
 この国の経済、とくに朴支配下の高度成長経済は、その政治的支配が外部要因に依拠してのみかろうじて維持されてきたと全く同じように、対外依存度の極端に大きな構造をとおして成立してきたのであった。
 GNPに占める貿易依存度が六七・一%(七三年)というべらぼうな国は、おそらく世界中どこにも見当らないだろう。だがこの間の韓国経済の高度成長(その質はあとで問うことにして)は、この年率四〇%にものぼる輸出の異常な伸びに主導されて達成されたものであった。そして表面的な経済指標でみるかぎり、韓国はアジアで一、二を競う高いGNP成長率と、輸出の大巾な伸び、そしてかなり急速な工業化を達成してきている。
 ところがいまや、高度成長を支えてきたこの世界経済への依存が、過度に脹れあがってきたところで世界経済の全般的停滞に直面したのである。今日の世界的不況とドル体制の崩壊のなかで不安定な輸出市場が急速に縮少していくことは避けられない。ところがほんのわずかの輸出の停滞によっても、たちまち破産の淵に立たされるような構造をもって、朴の経済は成立してきたのである。というのは、その急速な工業化を達成してきた基礎そのものが、莫大な外資導入をテコにして、国内市場とは切り離された輸出代替産業の造成による、出島的構造(あるいは帝国主義の飛び島的構造)をもってつくりあげられてきたからである。
 ところで、この出島的経済構造こそ、韓国における軍事独裁政権を背後において支えつづけてきた、アメリカ帝国主義主導下の「世界的二重構造」の枠組みによって決定されてきたのであった。つまり、朝鮮戦争による国土の破壊に加えて、北半部の工業地帯から分断され、軍事経済の重圧下に置かれて、はじめから有機的な国内市場も、産業部門間の均衡ある発展もおよそ考えられない状況のなかに戦後の韓国経済は封じこめられたのである。そのかぎりでは、韓国における歪んだ経済機構の原型は、朝鮮戦争によって決定的に形づくられたのである。同時に、そうした枠の中に閉じこめられた土台そのものは、戦前における日本人の植民地支配によって歪められた構造をそのままひきつぐしかなかった。

二、分断された二重構造と脹れ上る出島的構造

 したがって戦後の韓国経済が、その出発点とした生産的土台は、戦前の日本植民地支配によって歪められた非工業的部分であり、ほんのわずかの停滞した工業的基礎をもっていたにすぎない。それも朝鮮戦争によってほとんど壊滅的打撃をうけており、復興は全面的にアメリカの軍事・経済援助資金によって果されていったのである。
 こうしたことの結果、つまりなんの資本蓄積も積極的な投資誘因もないところでは、「財産は生産によってではなく、投機や外国為替によってつくられた」のであり、権力と癒着した特権的下僚層・軍部・財閥による寄生的性格をもった経済構造が再生産されていったのは当然であった。韓国の財閥のほとんどは、一九五〇〜五三年の朝鮮戦争以後の時期に、旧日本資産の払い下げとアメリカの対韓“援助”を出発点として形成されたといわれている。たとえばセメント工場でも戦前の小野田セメント三渉工場が継承されているし、造船部門でも三菱重工が設立した朝鮮重工の設備・資産が継承され、韓国ベアリングでも戦前の東洋製鋼の朝鮮工場を継承しているといった具合である。「一九四五年九月にアメリカ軍政は日本人企業六八八一を『敵産』として没収していた。それは法人企業払込資本金の九一%にのぼるもので、韓国経済にとって大きな比重を占めるものであった。これらは朝鮮戦争で大きな被害をうけていたとはいえ、まだ重要性を失ってはいなかった」注@ さらに現在の和信グループの朴興瓶のように、戦前の日本統治時代からの財閥・地主の出身もいる。戦後のアメリカによる“援助”はといえば、軍事目的のための“援助”の名分をもって行われたものの、同時に、それによってアメリカ本国の余剰農産物の市場を確保していったのである。そのためこの“援助”は、国内産食糧の不足分を上回る余剰農産物の押しつけを強制され、それによって国内産穀物価格の下落を招き、その後長期にわたって農業生産の発展を妨害したのである。この“援助”をとおしてさえ、当時七割を占めた韓国農民は、アメリカ帝国主義資本に収奪され、零落させられていったというべきである。そしてこの“援助”の恩恵にあずかっていったのは、権力の中枢を占める軍部・政財界のかぎられた支配層の一握りであった。
 この輸入された援助物資は、国内で販売され、それによって得られた資金を「見返り資金」として積みたて、財政・金融面に利用されたのであるが一九五四〜五八の五年間に「見返り資金」の七〇%が直接軍事費に当てられたのである。そして年々の総予算に占める軍事費の割合が、朝鮮戦争(当時七〇%)を過ぎても四〇%からそれ以上を占めつづけてきた。またGNP比率でみても六一年段階で一三・七%というのは、最も高いアメリカの九・八%と比較しても、いかにその経済を圧迫しつづけてきたかが明白である。この点、戦後日本における経済復興過程では、南朝鮮の軍事基地を衝立てとして巨額の軍事負担を免れたうえで、アメリカからの援助、「見返り資金」が大きく寄与したことと合せて、日本の高度経済成長が、すでにこの段階から韓国経済の犠牲のうえに達成されてきた側面を見落してはならない。
 このように、極東反革命体制の最も重要な基地として位置づけられてきた韓国においては、アメリカ帝国主義の軍事援助が、それをとうして軍事基地機能を維持するに必要なかぎりの民生安定=一定程度の経済復興を主導してきたのであった。しかもその過程で韓国における財閥の形成=「資本蓄積」がすすんだのである。「軍隊が国の最も重要な財源となった」し、「外国為替や輸入権利の売却は政府の大きな仕事」となり、経済はかつてないほど政府の付属物となった。
 「国防警備隊は倉庫に出入ができた。このことはその後長く、韓国軍隊が生活のために、品物や支援配給物資を、ときには米軍側の『協力者』のひそかな了解のもとに売るという習慣をつくりあげた」。また米軍の物資供給が不足したときには、「非合法的に森林を伐採し、小工場を操業して」軍による不足物資の補給がつづけられたという。注A
 かくして、五四年から六〇年にかけて、工業生産の八〇%以上を占めた消費材工業も、払下げ資産を母体にして、アメリカ援助による原綿、小麦を原材料としつつ、繊維、食品、ゴム、製紙などにたずさわるものであった。すなわちその主要なものは、中小財閥によってになわれて、援助物資の加工を受けもち、援助を補完している構造の中にあったに過ぎない。だから「余剰農産物の放出がどのように行われるかによって、製粉業や繊維工場の操業率は大きく変動した」注B という状況にあった。戦前の日本植民地時代に日本の繊維工業のために原綿を供給した棉花裁培さえ、アメリカの余剰農産物の押しつけのなかで根絶させられてしまった。そのことは農村における商品経済の浸透を妨げ、従って農民層分解と下からの資本主義的発展のコースを完全に閉ざしてしまうものであった。(もちろんこのことは、第二次大戦後の没落する帝国主義の時代にあっては、植民地・半植民地の工業化はもちろん、農業の近代化さえ下からの資本主義的発展のコースをたどって達成されることが、およそ考えられないということを示しているのであるが。)
 この結果、韓国の農業は今日にいたるまで停滞の中に放置され、その半分以上が灌漑施設のない水田で占められていたし、一九六〇年代末にいたっても、その農産物の商品化率は農産物全体で三〇%程度というおそろしく低いものであった。かくして一九五七、八年の援助資金によって建設された仁川板ガラス工場、忠州肥料工場、開慶セメント工場、仁川工業等も、下から発展してくる消費材工業に生産手段を供給する役割をもって位置づけられたわけでもなかったし、軽工業部門との有機的関連をもっていたわけでもなかった。
 このように韓国における財閥の形成=「資本蓄積」の経過のうちに、それが正常な国民経済活動の発展のなかから生れたものではなく、アメリカの援助と結びついた軍部や政界のグループを中心に、いわば政治的に上から形成され顛倒した(というより国民経済とは断絶した)過程をみることができる。
 つまり、アメリカ帝国主義と結びついて、上から政治的につくられた経済は、極端にいえば軍事援助によってつくられたとでもいえるものであって、非常に特殊な構造をつくりあげた。
通常植民地後進国の経済は次のような特徴をもっている。すなわち「植民地ならびに半植民地諸国はその本質からして後進諸国である。だが後進的諸国は、帝国主義によって支配されている世界の一部である。したがって、これら諸国の発展は複合的性格をもっている――すなわち、最も原始的な経済諸形態が最新の資本主義的技術ならびに文化と結びついている」(トロツキー『過渡的綱領』)と。
 ところが韓国経済は、あえていえばこの複合的性格すらもっていなかった。原始的な停滞した経済諸形態は、最新の資本主義的設備や技術と結びついていなかった。上から持ちこまれた近代的設備と技術をもった工場は国内市場条件とは全く無関係に断絶して形成されたのである。
 たしかにマイナスの結びつきはあったといえるかもしれない。アメリカの余剰農産物=食糧や衣料の放出が、韓国の農業生産―とくに米穀生産をさえ―を停滞させ、棉花裁培などは根絶させてしまった等々。だがそれは、土着民族産業の発展過程に介入して、その発展を飛躍させ、その構造に複合的性格を与えるといった、そういう結びつきをつくり出しはしなかった。
 韓国においては、外から持ちこまれた近代的設備と技術にもとづく工業は、国内市場条件とあまりにも無関係であり、若干デフォルメしていえば、韓国経済に外からコブのようにとりついていたにすぎない。したがって、これに寄生して形成された財閥は、文字通り“不正蓄財”としてのみ存在した。
 四・一九革命直後には、こうして形成された財閥に対する糾弾の嵐がわきおこり、“不正蓄財”の摘発が始まったが、朴のクーデター以後、「第一次五ヶ年計画のプロジェクトへの投資を不正蓄財還収とみなす」ということでウヤムヤにされ、さらに「不正蓄財還収金によるプロジェクトに対し、産業銀行が融資を行う」など、結局旧財閥がその分断された構造の上で工業化をにない、そのことが朴によって高く評価され促進されていったのである。
 その結果、次章で見るように、輸出産業の造成という形で、この分断構造はますます拡大再生産されていくことになる。それとともに、六二年以降、財閥と権力との癒着の傾向はますますきわだってきた。その典型的なものが鮮京グループである。「予備役将軍中心につくられた財閥の代表的なもので、かつては元中央情報部長・李厚洛が、最近では大統領警護室長・朴鐘圭が中心をなしている」注C また双竜財閥は、民主共和党の財務委員長をつとめ、朴政権内部で発言力をもっていた金成坤をリーダーとするし、三星財閥の韓国肥料の社長は、元農業銀行総裁であり、副社長は元財務部次官である。注D)等々。
 そしていま外資導入に依拠した朴の工業化の過程そのものをとおして、日本帝国主義の中枢をなす三井、三菱等の大資本の系列化に韓国経済総体がその下請工場として、くみこまれてきているのである。従ってまた、朴の工業化の達成そのものが、韓国における国民経済=国内市場との分断構造を再生産していったのも当然だといえよう。かくして、朴の二つの五ヶ年計画がつくり出したものは、朴によって誇大に宣伝される「高度成長」にもかかわらず、国内の安定要因としては何一つつくり出さず、ただ、米・日帝国主義をゆさぶり、政治的に動員するためのテコとして利用できただけであった。

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