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国際革命文庫  20

国際革命文庫編集委員会

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電子化:TAMO2

「なにを いかに学習すべきか」
――マルクス主義の基礎的理解のために 上巻――

G 帝国主義と民族・植民地問題(レーニン)
 ―国民文庫に収録―

1 帝国主義段階における民族問題

 民族問題は古くて新しい問題だといわれる。階級闘争の歴史において多くの潮流がこの問題につまづき、ブルジョアジーに屈服し、排外主義の奈落の底に落ち込んでいってしまったのである。
 日本の階級闘争史においてもそれは例外ではない。ロシア革命以後本格的に胎動を開始したアジアと日本の人民の闘いにあって、日本帝国主義の植民地であった朝鮮における三・一万歳蜂起や、中国の五・四運動に相対的に鋭い反応を示し、天皇制日本帝国主義支配階級に対する日朝中人民の共同した戦列の形成を、朝鮮人民の自決権をもふくめて、限界づきではあれ構想した部分が、日本では社会主義者ではなく、唯一「民本主義者」吉野作造のみであったことはよく知られている事実である。また麻生久などの社会民主主義者が満州事変にはじまる日本の中国侵略を日本労働者の生きのびる道ととらえ、決定的に軍部に屈服していった過程をわれわれは知っている。
 こういった教訓は、帝国主義国プロレタリアートの組合主義的利害にもとづく一国主義の視点では必ずやブルジョアジーの網の目にからめとられてしまうことを示している。社会民主主義者や社民化したスターリニスト、さらに革マル派はその典型である。そして帝国主義的抑圧国日本の階級闘争はこれまで一貫して一国主義の色彩に染め上げられてきたのであった。
 六七年から六九年にかけた全共闘急進主義運動の崩壊後、優れた活動家は在日中朝人民や沖縄人民の闘いの息吹きをうけて入管闘争、沖縄闘争に立ち上っていった。しかしそれは帝国主義的抑圧民族の一員たる日本人民としての己れを認識するにとどまる自己否定主義をうみ出し、アジア人民と固くスクラムを組んで米日帝国主義に立ち向かうという真実の国際主義の隊伍をつくり出す手前でついに一国主義の壁を破れず、多くの挫折を経験していった。さらに民族問題を神秘化し、「乗り越えられぬ壁」の高さに苦悩し、階級と民族を対立概念として捉えたり日本民族主義の泥沼に回帰する人々をも輩出させている。最近の北一輝などの流行はその表現であろう。
 レーニンの本書は、ブルジョアジーとプロレタリアートという基本矛盾の他に、抑圧民族と被抑圧民族の矛盾をもつくり出した帝国主義段階における革命運動の戦略的任務を鋭くえぐり出したものである。本書は時代的にいっても彼の民族植民地問題に関する著作の集大成であるといえるだろう。いわゆる民族植民地問題にかんするわれわれの立場はいささかのあいまいさもなくここに凝縮しているといっても過言ではない。レーニンの民族問題に対する研究の深化の跡をさらに詳しく辿らんとする読者は、同じ国民文庫に収録されている、「民族問題にかんする批判的覚書」「民族自決権について」の二書を一読されることをすすめる。
 本書はボルシェビキ党と後のコミンテルンの民族問題にかんする原則的なテーゼともいうべき「社会主義革命と民族自決権」(一九一六年)、民族戦争の不可能を立論したローザ・ルクセンブルグへの反論としての「ユニウスの小冊子について」(一九一六年)、帝国主義段階における民族自決権を否定して客観的に排外的大国主義におちいったペ・キエフスキー(ピヤタコフ)を批判した「マルクス主義の漫画化および『帝国主義的経済主義』について」(一九一六年)、自国のブルジョア民族主義に対する正当な嫌悪のあまり、ツァーリ帝国主義への武装解除を行なってしまったポーランド社会民主党への批判である「自決にかんする討論の決算」(一九一六年)、そして初期コミンテルンへの諸報告などからなっている。
 レーニンが一貫して主張している問題意識は、搾取されている帝国主義国プロレタリアートと、その帝国主義国に骨の髄までしゃぶりとられた植民地被抑圧民族の蜂起を結合し、いかにして帝国主義にたいする世界労働者人民の闘いの隊伍を国際的反帝労農同盟として築いていくのかということに据えられていた。われわれはこのレーニン主義的立場から本書の諸論文を捉えかえしていかねばならない。

2 排外主義的大国主義と民族自決権

 本書に収録した論文が史上初の植民地市場再分割戦争のただなかで書かれたことにわれわれは注意を集中せねばならない。それはまさに帝国主義ブルジョアジーとプロレタリアート、帝国主義と植民地被抑圧人民の矛盾が最も激化した時点であったのである。
 植民地の超過利潤からの分け前をえて帝国主義ブルジョアジーの代弁人と化した第二インター諸党は、帝国主義戦争における「祖国擁護」を唱え、日和見主義から社会排外主義への転化を完了した。
 それは同時に植民地人民の反乱に残虐な弾圧をもって応える自国帝国主義を承認し、抑圧民族を被抑圧民族に敵対させる役割を果したのであった。
 レーニンの批判はまず第一に「抑圧民族と被抑圧民族への諸民族の分裂を、帝国主義のもとにおける基本的な、もっとも本質的な、不可避的なものとして」(国民文庫P18「社会主義革命と民族自決権」)認めることを拒否して「帝国主義のもとにおける同権の諸民族の平和的同盟」(P18同上)を語り「『自分自身』の民族によって抑圧され『自分自身の』国家内に暴力的におさえつけられている諸民族については口をぬぐう」(P19同上)日和見主義的カウツキー主義的目決擁護論者の偽善に向けられねばならなかった。
 自由や祖国の独立を謳歌しつつ帝国主義戦争の本質をくらまそうとする第二インターの社会排外主義は、とりわけ自国に抑圧されている被抑圧民族の現実に目をつぶることにおいて最も醜悪な表現をとった。レーニンは、この民族自決がなによりも被抑圧民族の自決権、すなわち自由な政治的分離の主張として貫徹されねばならないことを主張したのである。
 民族自決権はもっぱら政治的な独立、すなわち被抑圧民族が抑圧民族から自由に政治的に分離し独立の国家を樹立する権利を意味するのである。抑圧民族のプロレタリアートはなによりも自国支配階級に対して、植民地・被抑圧民族の政治的分離の自由を無条件に要求して闘わねばならない。
 たしかに民族自決権それ自身は政治的民主主義の主張である。しかし「民主主義のための全面的な一貫した、革命的闘争をおこなわないプロレタリアートは、ブルジョアジーにたいする勝利を準備することはできない」(P14同上)のである。
 もちろんこの民族自決権の要求は孤立した細分した小国家をつくれということではない。それどころかプロレタリアートは民族の別なき団結と統一をめざさねばならないのである。しかしながら抑圧民族のプロレタリアートは、被抑圧民族が長年にわたる圧制の結果、正当にも持っている不信を取り除くためにはこの政治的分離の自由の一貫した擁護者でなければならないのである。そのための真剣な闘いを経てはじめて被抑圧民族の不信を取り除き、帝国主義支配階級への共同した隊列を整えることが可能となるのだ。この民族自決権の主張は被抑圧民族プロレタリアートの事業を支援する有力なバネともなる。まさに「人類が諸民族の不可避的な融合に到達できるのも、すべての被抑圧民族の完全な解放、すなわちそれらの民族の分離の自由という過渡期を通じてのみのことである」(P18同上)
 すなわち「民族同権(それは分離の自由がないことには完全でない)が完全であればあるほど被抑圧民族の労働者にとっては、問題は資本主義であって無権利ではないことがそれだけはっきりしてくる」(P118「マルクス主義の漫画化および『帝国主義的経済主義』について」)のである。
 抑圧民族のプロレタリアートは被抑圧民族のプロレタリアートと「融合」し、共同の敵に対して銃口を構えるためにはこのことが必要となる。
 抑圧民族のプロレタリアートにとってこの被抑圧民族の自決権の主張は同時に政治的に独立した階級として自己を組織することである。すなわちブルジョアジーの排外主義的汚物の影響から身を解き放ち、権力を奪取して未来の社会を担いきることのできる階級として形成していくための不可欠の前提条件なのである。
 この観点からマルクスは、クーゲルマンへの手紙においてイギリス労働者がアイルランド人民の解放のために闘うことを訴えたのであった。
 一方、レーニンは被抑圧民族の労働者との完全な無条件的な統一をとくに強調した。これなくして被抑圧民族のブルジョアジーのあらゆる裏切りに抗して自らの独自の政策を維持することはできないであろう。被抑圧民族の労働者は民族ブルジョアジーから明確に絶縁し、抑圧民族プロレタリアートの闘いに連帯することなくして勝利をかちとることはできないのである。
 このように民族自決権の要求は抑圧民族と被抑圧民族の労働者を国際主義の精神で教育し、帝国主義ブルジョアジー打倒のための共同戦線を創出していくものであることが鮮明である。そうであれば当然この要求をそれ自身とりあげて自己目的化し他の要求に対置したりすることは誤りであり、ブルジョアジー打倒のための革命的闘争に従属して提起されねばならない。
 つまり「大衆を積極的な行動にひきいれ、いっさいの根本的な民主主義的要求のための闘争を、ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの直接の攻撃にまで、すなわちブルジョアジーを収奪する社会主義革命にまで拡大し達成しなければならない」(P16、「社会主義革命と民族自決権」)という立場から民族自決権の正しい提起が行われなければならないことをレーニンは強調した。
 総人口の過半数に満たない大ロシア民族が残りの民族を抑圧している大ロシア排外主義の環境のなかで革命運動に参加してきたボルシェビキ党は数々の偏向を生み出しながらもこの立場に到達したのである。

3 プロレタリア革命と民族自決権

 レーニンの批判はつぎに「民族解放」の名をもってするブルジョアジーの欺瞞や、日和見主義的排外主義の堕落への嫌悪のあまり、帝国主義段階における「民族自決」や「民族戦争」の意義それ自体を否定してしまった論者にむけられねばならなかった。
 ローザ・ルクセンブルグや、ポーランド、オランダの社会民主主義者においては、その国際主義的精神にはらまれた理論的偏向として理解できるものであった誤謬が大ロシア抑圧民族の一員たるペ・キエフスキー(ピヤタコフ)やブハーリンによって語られるときには恥ずべき「帝国主義的経済主義」として帝国主義の侵略と民族的抑圧を合理化する結果をもたらしたのである。
 ローザは、帝国主義者や排外主義者によって大声で叫ばれていた、現在の戦争は「民族的・進歩的戦争」であるという宣伝に反対して当面の戦争の性格が帝国主義戦争であると正しく批判した。しかし彼女は一歩進んで、帝国主義の時代には「民族戦争」はありえないと結論するにいたったのである。これは明らかに誤りであった。なぜなら「帝国主義の時代には、植民地および半植民地の側からの民族戦争はありうるばかりでなく不可避的」(P38「ユニウスの小冊子について」)であり、さらにそれは「進歩的・革命的でもある」(P41同上)からだ。帝国主義時代には、帝国主義戦争、すなわち反動的戦争しかありえないという主張は、必然的に「あらゆる戦争反対」とか「軍備撤廃」とかいう平和主義的幻想を生み出すことになる。また「民族戦争はありえない」という民族運動や民族解放戦争への無関心は帝国主義的大民族によって語られるときには排外主義へと転落していかざるをえないのである。
 ペ・キエフスキーの場合は、世界資本主義が帝国主義段階に突入したとともに弱小民族、後進国はますます経済上の独立をうしない、したがって民族自決は不可能な幻想であり、マルクス主義党の要求としては誤りであるという、ローザ民族理論の欠陥を拡大していくことになった。
 しかしながら「民族自決」という政治的概念を経済的事象によって裁断することは理論的にまちがっている。帝国主義は一般にあらゆる政治的民主主義を形骸化し奪い去る。ただしそれは、あらゆる政治的民主主義の完全な実現がただプロレタリアートの社会主義革命によってのみもたらされうろことを意味するのであって、具体的な政治的社会的諸関係の下で個々の民主主義的課題が実現不可能なのだということではない。逆にわれわれはそのような「民主主義的」要求をもとらえ帝国主義ブルジョアジーに砲火を集中することによってプロレタリア革命への永続的発展をかちとっていかねばならないのである。
 この要求はたとえぱ帝国主義の下における「労働力商品化廃絶」の要求などという改良主義の漫画とは根本的に異なるのである。
 そして被抑圧民族の「民族自決」、すなわち独立した民族国家を帝国主義的大国から分離して創設する「民主主義的」要求は、帝国主義への打撃であり、進歩的なのである。
 レーニンは述べている。「帝国主義的な、すなわち抑圧者的な強国にたいする、被抑圧者(たとえば植民地民族)の側からの戦争は、実際に民族的な戦争である。そういう戦争は今日でも可能である。民族的に抑圧している国にたいする民族的に抑圧されている国の側からの『祖国擁護』は欺瞞ではない。そして社会主義者は、このような戦争における『祖国擁護』にけっして反対しない」(P61『マルクス主義の漫画化および帝国主義的経済主義』について)
 また、ペ・キエフスキーが、抑圧民族のプロレタリアートと被抑圧民族のプロレタリアートにたいする政治的宣伝の相違、つまりともに統一した国際主義的任務の遂行のために抑圧民族の労働者は被抑圧民族の政治的分離の権利を無条件に防衛し、被抑圧民族の労働者は分離の問題をただ条件的にのみ提起しうる、ということを二元論であると批判したとき、レーニンは「離婚の自由」の例をあげて反論した。すなわち、完全な男女の平等と同権という民主主義的課題のために、妻が夫から離婚するという権利の獲得はすべての妻が夫から離婚することをすすめるものではない。しかしそれを理由に離婚の権利を要求することを二元論だとして批判する者は社会主義者でも民主主義者でもないであろう、と。
 まさにかかる被抑圧民族の「民族自決」の否定は、帝国主義による併合に反対しつつも同時に併合された小国家をもとの状態に戻すこと、つまり政治的独立を回復することに反対するという点において、直接、公然の併合主義へと足をすべらせてしまったのである。
 「民族自決」の否定論者は、帝国主義段階での民族解放戦争の意義を抹殺し「プロレタリア階級の闘い」を空語的に強調したのであるが、それは植民地被抑圧民族の独立とその内部におけるプロレタリアートの独自的結集を否定し、「帝国主義大国のプロレタリアートが社会革命をおこなって君たちを解放するまでじっと寝て待っておれ」というに等しかった。このような主張は「模範民族」プロレタリアートの大国主義的排外主義に帰結せざるをえないのだ。
 レーニンが述べるように「社会革命は先進諸国におけるブルジョアジーにたいするプロレタリアートの国内戦と未発達の後進的・被抑圧民族における民族解放運動をも含めた、いくたの民主主義的ならびに革命的な諸運動とを結合する結果としてしかおこりえない」(P98同上)のであり、「植民地およびヨーロッパにおける弱小民族の反乱をぬきにし、あらゆる偏見をもっている小ブルジョアジーの一部がまきおこす革命的爆発をぬきにして……社会革命が考えられると思うならば、それは社会革命を拒否することを意味する」(P137「自決にかんする討論の決算」)のである。
 さらにこの民族自決権は、プロレタリアートが権力を握り社会主義革命が勝利した時代においても貫徹されるのである。
 「勝利をしめた社会主義は、民主主義を完全に実現することなしには、自分の勝利を維持し人類を国家の死滅へみちびくことはできない。だから、自決は社会主義のもとではよけいなものだ、というならば、これは社会主義のもとでは民主主義はよけいなものだといわぬばかりのナンセンスであり、しようのない混乱である」(P121「マルクス主義の漫画化および『帝国主義的経済主義』について」)
 勝利をおさめた社会主義は、「民族自決」を実現することをとおして、諸民族の別なく融合した世界社会主義の偉大な未来へ前進することができるのである。

4 いまこそレーニンの原則が要求されている

 スターリニスト官僚によって歪曲された労働者国家ソ連の歴史はこのレーニンの闘いの成果を踏みにじり、大ロシア排外主義が密輸入される過程でもあった。ウクライナ問題にそれは端的にあらわされている。そしてトロツキーは「独立ウクライナソビエト」の提起(トロツキー著作集2)をつうじて、唯一民族問題においてもレーニン主義の旗を守りぬいたのである。今日、この一国社会主義官僚は六八年のチェコ侵入のときにみられるように「制限主権論」をがなり立て、自らの官僚的権威の防衛のために労働者国家の社会主義的民主主義的同盟関係を否定しさっている。
 また中ソ共産党への民族主義的反発から「自主独立」の道を歩んでいる日本共産党は、その一国主義ゆえに金大中事件で「国家主権論」をがなりたてたように、いまや帝国主義的民族主義の反動的防衛者となっていることは周知の事実である。いまや、第四インターナショナルこそが、一切の排外主義、一国主義的自己否定主義と訣別し、日本階級闘争をその国際主義的任務にひきあげる指導部たらねばならない。
 第二次大戦後、多くの植民地が形式的には独立を達成した。しかしながらその民族解放の闘いは中間的に押しとどめられ、あるいはアメリカ帝国主義の軍事力をバックとしたカイライ政権によって無慈悲な弾圧をこうむった。すでに民族ブルジョアジーは、被抑圧民族解放の闘いをおしすすめる能力を持ちえず帝国主義の買弁と化し、ただこの歴史的任務は労働者階級のヘゲモニーによる広範な人民の手によってしか果されえないことがますます明らかとなっている。
 ベトナム革命は戦後史の転換であった。第三次アジア革命の時代がわれわれの眼前で繰りひろげられている。ベトナムにひきつづくインドシナ革命の発展、そしてタイ、フィリピン、インドネシアでの闘いの前進は明らかにアメリカ帝国主義と、日本帝国主義の政治・経済・軍事支配の打倒をこそ目ざしている。
 南部朝鮮学生、知識人の闘いは、差別され抑圧されている在日中朝人民の闘いと結合し、日本帝国主義の朝鮮植民地支配、日「韓」体制の根幹に追っているのである。
 レーニンが本書で提起した核心、帝国主義を包囲する国際的反帝労農同盟の形成は、アジア革命の一環としての日本社会主義革命にむけた闘いとして今日実現されねばならない。アジア人民の反帝闘争と連帯し、危機にあえぐ米日帝国主義ののどもとを締めつける闘いこそが要求されているのである。
 シオニスト国家イスラエルを打倒せんとするアラブ人民の闘いと、それを帝国主義的妥協の下に押しとどめようとするアラブ民族ブルジョアジーをめぐる「中東問題」の革命的解決においても本書の提起は燦然と輝くであろう。
          (平井純一)


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