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国際革命文庫  20

国際革命文庫編集委員会

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電子化:TAMO2

「なにを いかに学習すべきか」
――マルクス主義の基礎的理解のために 上巻――


H なにをなすべきか(レーニン)
 ―国民文庫に収録―

1 経済主義との闘争

 レーニンの論文「なにをなすべきか」は、ロシアボルシェビキの根幹を形成したレーニン主義的党建設論に根本的性格を決定づけた論文であったと同時にベルンシュタインを中心として第二インター内部に広がりつつあった日和見主義、修正主義と全面的に党派闘争を展開する最初の闘いであったともいえるのである。
 一九〇〇年から始まったロシアの経済恐慌と労働者階級の高まるストライキ闘争の発展によって、ロシアにおける革命の激動を予感したレーニンは、政治権力闘争をになう党の建設とその焦眉の課題を実行に移すにあたって、ロシア社会民主主義派内部に根をおろしはじめた経済主義との闘争を痛感し「なにをなすべきか」を書きあげたのであった。
 「なにをなすべきか」の執筆は、当初、レーニンの構想による党建設の計画にしたがって、分散していたロシア社会民主主義派の諸組織を一つに統合し、その任務を明らかにすることを目的にしたものであった。
 レーニン自身が「なにをなすべきか」の序文において明らかにしているように、この論文はイスクラ第四号(一九〇一年五月)に掲載された「なにからはじめるべきか?」の内容を更にくわしく展開しようと試みたものであった。
 レーニンは、論文「なにからはじめるべきか?」の中で、革命党建設の課題を、「われわれの收治的扇動の性格と主要な内容」「われわれの組織上の諸任務」「全国的な戦闘組織を同時にいろいろな地点から建設する計画」という三つの集約された任務として提起した。そして彼は、提起したこのような任務にしたがって「在外社会民主主義派組織」を全面的に統合し、党建設の課題を実行に移そうとしたのである。
 だがレーニンは、このような党建設のための計画を実行に移すにあたって、ロシア社会民主主義派内部に根強くはびこっていた経済主義者と激しく衝突することとなった。こうして社会民主主義派諸組織を一つに統合しようとしたレーニンの試みは完全に失敗することとなったのである。
 レーニンは、このような経験から、社会民主主義派内部に広まっている経済主義的傾向を徹底的に粉砕することなしには党建設のための本格的試みは一歩も進展しないことを知った。こうしてレーニンは「なにをなすべきか?」の内容を当初の計画から変更し、経済主義者との断固たる党派闘争の論文としてこれを書き変えることにしたのである。
 彼は、ロシア社会民主主義派の諸組織間で発展した多くの対立が、「細部の点で意見がわかれている」というようなものではなく、ロシア社会民主主義派内部に深く浸透しはじめた経済主義との根本的で本質的な対立に起因していることを明確にとらえたのである。こうしてレーニンは、党建設のための闘いにとって経済主義との党派闘争が決定的意義をもっていることを明らかにしようとしたのである、
 「経済主義」の傾向は、まず第一に「在外ロシア社会民主主義同盟」の機関紙「ラボーチェ・デーロ」の中に鋭く表現され、内外の社会民主主義者に大きな影響を与えていた。一方ロシア国内においては、レーニンなど「老人組」の多くが検挙されて以後、ペテルブルグの「労働者階級解放闘争同盟」の機関紙「ラボーチャヤ・ムィスリ」にも経済主義の傾向が現われはじめた。
 レーニンは、「なにをなすべきか?」において、経済主義との闘争を、「ラボーチェ・デーロ」と「ラボーチャヤ・ムィスリ」の二つの機関誌を対象に集中的に批判を展開した。彼は、「なにからはじめるべきか?」の中において「当然」の「前提」としていた問題に論点を堀り下げ、ロシア社会民主主義派内部において発展している根本的対立の背景やその基盤を明らかにした。
 こうして論文「なにをなすべきか?」は、経済主義との根本的対立点を徹底的に批判するかたちで党建設の課題を明らかにするため、経済主義の中心的思想が、ベルンシュタインによるマルクス主義の修正と深部において結びついていることを明らかにしながら、対立の本質にむかって戦闘を開始した。レーニンは「社会民主主義派の基本任務」を「大衆の自然発生性と社会民主主義者の意識性」というかたちで説明し、「われわれの政治的扇動の性格と主要な内容」を「組合主義的政治と社会民主主義的政治」の相違を説明するというかたちで展開したのである。そして更に「われわれの組織上の諸任務」が「経済主義者の手工業性と革命家の組織」の相違を明らかにするというかたちで展開された。
 こうして「なにをなすべきか?」は、革命党建設の課題を、経済主義を徹底的に粉砕する闘いとして提起したのである。

2 経済主義の背景

 「なにをなすべきか?」によって徹底的に批判された経済主義の傾向は、第一に大衆の自然発生性への拝跪によって基礎を与えられたのであった。
 一八九六年以来、ロシアにおいて大衆的なストライキ運動の波が発展し、それはペテルブルグからロシア全土にひろがっていった。この大衆的なストライキ闘争の発展は、生まれたばかりのロシアの新しい労働者階級を広範に組織的闘争へと参加させた。
 このようなロシア労働者階級の大衆的なストライキ闘争は、ロシア資本主義の急速な発展と経済的な発展に基礎を与えられていたが故に、労働日短縮の法律の発布など、ある程度の経済的改良を獲得し、労働者階級の経済要求の前進を生み出していった。大衆的で組織的なストライキ闘争の高揚によって、労働者階級は新たな階級意識の萌芽を発展させた。ロシアの労働者がそれまでくり返し爆発させてきた「絶望と復讐心」を基盤とする一揆的な蜂起にくらべて、それははるかに階級闘争の前進を示すものであった。
 経済闘争における労働者階級の組織的な闘いの発展は、こうして労働者のきわめて積極的な階級的成長を推進し、階級闘争に対する多くの意識性の閃きを前進させたのである。
 だがこのような大衆的ストライキの高揚を通じて前進したロシアの労働者階級の意識性は、きわめて積極的飛躍を示したものであるが、全体としてみるならば、それはあくまでも組合主義的水準にとどまり、純粋に自然発生的運動の範囲を越えるものではなかったのである。
 社会民主主義派内部における経済主義の傾向は、まさにこのような労働者階級の経済闘争への積極的参加と組合主義的意識への成長に拝跪することから生じたものである。すなわち大衆闘争としての積極性にもかかわらず、社会民主主義者のそれへの拝跪は、来るべき政治闘争の激突に労働者階級を武装解除する役割をはたし、党の分散に基盤を与えるものとなったのである。
 経済主義の諸傾向は、第二に合法マルクス主義の成立と、それの社会民主主義派内部への流入によって基盤を与えられることになった。ナロードニキ主義に対するマルクス主義の理論的優位性と、闘いの攻勢は、インテリゲンチャの間にマルクス主義に接近しようとする大量の流れを生み出し、マルクス主義の名のもとにブルジョア民主主義のイデオロギーを表現する諸傾向を発展させた。このようなツァー帝政下において時代の流行児となったマルクス主義は、インテリゲンチャの多くを合法マルクス主義の文献によって教育していく結果をもたらした。
 合法マルクス主義は、マルクス主義からその真髄である権力問題と階級闘争の理論を抜き去り、経済理論だけを合法的な範囲内でとりあげていったのである。こうしてロシアにおけるマルクス主義的潮流の中にブルジョアイデオロギーを合法マルクス主義の理論によって説明しようとする傾向が発展していったのである。
 社会民主主義派内部における経済主義の傾向は、まさにマルクス主義のブルジョアイデオロギーとの混同から生まれる社会主義運動内部における思想的混乱を表現したものであったといえる。
 経済主義の諸傾向は、第三に合法マルクス主義による社会民主主義派の思想的混乱を基盤としつつ、第二インターナショナル内部のベルンシュタインに代表される日和見主義、修正主義と固く結びついているものであった。
 二十世紀とともに、世界の資本主義は産業資本主義の階階から帝国主義の段階へ移行し、植民地利潤によって上層労働者層を買収し労働者貴族層を成立させはじめていた。
 このような労働貴族層を基盤とした労働運動内部におけるブルジョア的傾向は、第二インターナショナル内部にも反映し、各国の党に大なり小なりそれを表現する日和見主義の傾向が発生しはじめていた。ベルンシュタインは、このような日和見主義の傾向を理論的に表現し、マルクス主義の修正をはかったのである。
 ロシアにおける経済主義の諸傾向は、まさにベルンシュタインによるマルクス主義の修正と結びついた国際的な日和見主義のロシア的変種として成立したのであった。

3 「歴史的危機」の時代と革命党の建設

 「なにをなすべきか?」の中で提起したレーニンの革命党建設の計画は、産業資本主義から帝国主義の段階へと移行する「歴史的危機」の一時代を革命的に突破するためのこころみであった。
 十九世紀の後半から二十世紀のはじめにかけて発展した「歴史の転換」期は、まさに第一次世界大戦からロシア革命へと爆発していった帝国主義の慢性的危機の一時代の開始を意味していた。帝国主義の段階へと突入したヨーロッパ資本主義の膨張は、植民地争奪をめぐって相互の再編と衝突をくり返し、「恐慌」と「戦争」にむかう新たな帝国主義の矛盾を蓄積し、爆発させはじめたのである。このような新たな危機の情勢をむかえて、ロシアのツァー専制体制はヨーロッパにおける帝国主義支配体制の最も「弱い環」を形成するものであった。まさにロシアにおける情勢の発展は、ヨーロッパ資本主義の新たな危機と矛盾を最も鋭く、集中的に表現していたのである。
 レーニンの党建設は、開始されたヨーロッパの危機、とりわけヨーロッパ帝国主義の「弱い環」としてのロシアの危機を、専制政治支配の打倒によって突破しようと準備する闘いであった。レーニンの党は、一時代の全般的危機を背景に、全ての闘争を専制政治支配の打倒にむけて集中することをめざした。
 「なにをなすべきか?」の中で展開されたレーニンによる党の「目的意識性」「全国集中性」「非合法的組織」「職業革命家集団」等の体制は、まさに非合法的専制支配のもとで、全ての闘いを「権力」問題に集中しようとすることからくる不可欠の体制であった。「権力闘争」を準備しようとする党は、あらゆる問題を権力奪取の目的に従属させる体制の確立なしに、その目的を達成することはできない。
 こうしてレーニン主義的党の第一の特徴は、権力闘争を直接に準備し、全ての闘いを権力打倒に集中しうる能力と体制をそなえることを課題としたことである。
 だが一方、危機にむかう過渡期の情勢は、同時に広範な労働者階級の自然発生的な経済闘争を発展させ、それを基盤とした経済的改良と民主的な制度改革の一定の成果を獲得することとなった。このような中で生まれた労働者階級の一時期の改良的成果への幻想は、植民地収奪による資本の膨脹と深く結びついた社会排外主義の傾向を発展させ、ブルジョア的諸制度を積極的に支える労働者官僚層を形成する基盤を提供することでもあった。ロシア社会民主主義内部に発生した経済主義の潮流もまた、同じ基盤の上に成立したものであった。そしてベルンシュタインによるマルクス主義の修正は、まさにこのような労働運動内部の改良主義、排外主義の傾向と結びつき、第二インターの堕落をおし進める力となったのである。
 レーニン主義的党の第二の特徴は、こうして帝国主義の危機を支える改良主義との闘争が、党の生死にかかわる闘いであることを明らかにしたことである。改良主義、日和見主義との決定的分裂は、まさに党派闘争の意義を決定的なものへと高めた。レーニン主義の党にとって今や党派闘争は、党の生命線を確保する闘いとなったのである。
 こうしてレーニンの党は、帝国主義の危機の時代に対応して新しい革命党の形態を提起した。「宣伝と教育」を主要な任務としてきた第二インターの伝統的な党の形態と活動方法に対して、レーニンの党は「権力」に直接挑戦する目的意識性と党組織の厳格さを要求したのである。このような危機の時代を背景とするレーニン主義的党の厳格さは一方理論闘争の性格を決定的に転換させることになった。
 「宣伝と教育」の時代から「権力に挑戦」する危機の時代にあって、党の理論闘争は厳格な組織的闘争と結合し、徹底した党派闘争=分派闘争となって発展することになったのである。
 「なにをなすべきか?」によって展開されたレーニンの党組織論は、まさに二つの特徴=権力闘争を準備する党の目的意識性と、帝国主義の危機を左から支える改良主義、日和見主義との徹底的な党派闘争を明らかにすることによって、帝国主義の危機の時代に対応した革命党の性格を決定づけたのである。

4 レーニン主義的党の再建――第四インターの任務

 今日の情勢は、世界帝国主義の深刻な危機を再び顕在化させはじめている。アメリカ帝国主義の衰退を軸として現代帝国主義の構造的危機は、生きのびすぎた資本主義体制の腐敗をあますところなく暴露しはじめている。
 ブルジョアジーは、今やおおいかくすことのできない社会、経済危機の中で、その危機の救済を国家権力の総動員による階級闘争の鎮圧に求めている。それと同時に彼らは、改良主義的潮流が確保してきた大衆に対する影響力を利用して、帝国主義の破局を左から救済する道を真剣に検討しはじめているのである。ブルジョアジーは、今やあれこれの社会、経済政策をあやつることによっては大衆の現体制に対する幻想を維持することができないことを自覚しはじめている。
 われわれは、せまりつつある帝国主義の破局が、国家権力と労働者階級の激突の時代を到来させることを自覚し、権力の打倒によって危機の解決をはからなければならない革命的激動の時代にそなえなければならないのである。こうして今や、全ての闘いを権力にむけて集中しうる革命党の建設が、決定的意味をもつものとなっているのである。
 われわれは、帝国主義の危機に対応してレーニンが展開した党建設の闘いから多くを学びとり、われわれの党建設のための教訓としなければならない。帝国主義の危機に直面してわれわれが建設しようとする党の性格は、「なにをなすべきか?」の中でレーニンが明らかにした二つの特徴をそなえていなければならない。
 危機の時代における革命党の第一の特徴は、労働者人民の全ての闘いを国家権力の打倒にむけて集中し統一する戦略と、そのために大衆を政治的に武装する能力である。まさにレーニンが提起した大衆の自然発生性から独立し、権力闘争を準備する目的意識的な党の建設である。
 危機の時代における革命党の第二の特徴は、帝国主義の危機を左から支える改良主義の諸潮流を解体し、労働者大衆を彼らから切り離す断固とした党派闘争の展開である。労働運動の内部において主流を形成してきた社会党、共産党の反動的役割を徹底的に暴露し、彼らを解体する能力をそなえた党を建設しなければならない。
 革命党の生命は、まさに改良主義的諸党を解体する党派闘争の展開にある。
 このような任務をはたし、帝国主義の危機を革命的に解決する党の建設は、まさにレーニン主義を継承して現代革命の前衛に挑戦する第四インターナショナルのはたさなければならない本質的課題なのである。
          (寺岡 衛)


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