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なお、このテキストはTAMO2さんのご厚意により「国際共産趣味ネット」所蔵のデジタルテキストをHTML化したものであり、日本におけるその権利は大月書店にあります。現在、マルクス主義をはじめとする経済学の古典の文章は愛媛大学赤間道夫氏が主宰するDVP(Digital
Volunteer Project)というボランティアによって精力的に電子化されており、TAMO2さんも当ボランティアのメンバーです。 http://www.cpm.ll.ehime-u.ac.jp/AkamacHomePage/DVProject/DVProjectJ.html http://www5.big.or.jp/~jinmink/TAMO2/DT/index.html |
§ 賃労働と資本
☆ エンゲルスの序論
つぎの労作は、『新ライン新聞〔1〕』の一八四九年四月五日号以降につづきものの論文としてのったものである。そのもとになったのは、マルクスが一八四七年にブリュッセルのドイツ人労働者協会でおこなった講義である。それは、印刷物のうえでは未完成のままになっている。第二六九号のおわりにある「つづく」は、そのころたてつづけにおこったいろいろの事件、ロシア軍のハンガリア侵入や、この新聞自身が禁止される(一八四九年五月一九日)動機になったドレスデン、イゼルローン、エルバーフェルト、ファルツ、バーデンの蜂起の結果として、実行されずにおわった。このつづきの原稿は、マルクスの遺稿のうちにもみつからなかった。
『賃労働と資本』は、パンフレット型の単行本としていくつもの版がでている。いちばん最新のものは、一八八四年、ホッティンゲン=チューリヒ刊のスイス協同組合印刷所版である。これらの従来の版本は、正確に原本の用語どおりであった。しかし、今回の新版は、宣伝用パンフレットとして一万部以上も配布される予定となっている。そこで私には、こういう事情のもとではマルクス自身、原文どおりそのまま重版することに賛成するかどうか、という疑問がおこらざるをえなかった。
四〇年代には、マルクスはまだその経済学の批判をおえていなかった。これは、五〇年代の末にやっとおわったのである。だから、『経済学批判』の第一分冊(一八五九年)よりまえにでた彼の著作は、個々の点では、一八五九年よりのちに書かれた著作とちがっていて、のちの著作の立場からみれば妥当でなかったり、まちがってさえいると思われる表現や、章句そのものをふくんでいる。ところで、一般読者を目当てとした普通の版では、著者の精神的発展のうちにふくまれているこういう初期の立場もさしつかえなく、著者にも読者にも、これらの旧著をそのまま重刷させるあらそう余地のない権利があるということは、自明のことである。そして私は、そのうちの一語でもかえようとは、夢にも思わなかったであろう。
新版がほとんど労働者のあいだの宣伝だけを目的としているばあいには、話はべつである。そのばあいにはマルクスは、無条件に、一八四八年のころの古い叙述を彼の新しい立場と調和させたであろう。そして私は、今回の新版のために、あらゆる本質的な点でこの目的を達するのに必要な少数の変更や追加をおこなうことは、マルクスの精神にしたがって行動するものだと、確信している。そこで、私は読者にあらかじめおことわりしておく。これは、マルクスが一八四九年に書いたままのパンフレットではなくて、ほぼ彼が一八九一年にはこう書いたろうと思われるパンフレットである。それに、ほんとうの原文は非常な大部数で流布しているので、私がそれを将来だす全集にふたたびもとのまま再録できるようになるまでは、それで十分である。
私がくわえた変更は、みな一つの点をめぐっている。原本では、労働者は賃金とひきかえに資本家に彼の労働を売ることになっているが、このテキストでは彼の労働力を売ることになっている。そして、この変更について私は説明をする義務を負っている。つまり、労働者にたいしては、これはたんなる字句拘泥ではなく、むしろ経済学全体のうちでもっとも重要な点なのだということをわからせるために説明し、またブルジョアにたいしては、無教養の労働者にはどんなにむずかしい経済学上の叙述でもたやすくわからせることができるのだから、一生涯かかってもこういうこみいった問題を解くことのできない、高慢ちきな「教養ある人々」より、無教養の労働者のほうがどんなにすぐれているかしれないということをさとらせるために、説明するのである。
古典経済学〔2〕は、産業の実践から、工場主は彼の労働者の労働を買い、それにたいして支払っているという、工場主のありきたりの考えをうけいれた。こういう考えでも、工場主の商売用や簿記や価格計算には、十分まにあってきた。ところが、素朴に経済学にうつしいれられたとき、それは、ここでじつにおどろくべき誤謬と混乱をひきおこしたのである。
経済学はつぎの事実にいきあたる。それは、いっさいの商品の価格は、経済学で労働とよばれている商品の価格をもふくめて、たえず変動するということ、これらの価格は、非常にさまざまな事情のためにあがりさがりしており、しかもそれらの事情は商品そのものの生産とまったくなんの関係もないことが多いので、価格は普通はまったくの偶然によってきめられるようにみえるということである。そこで、経済学が科学としてあらわれる〔3〕やいなや、その最初に当面した課題の一つは、外見上商品価格を支配しているようにみえるこの偶然の背後にかくれて、じつはこの偶然そのものを支配している法則を、さがしもとめることであった。あるいは上へ、あるいは下へと、たえず変動し動揺する商品価格の内部に、経済学はこの変動と動揺の軸となっている固定した中心点をさがしもとめた。一言で言えば、経済学は、商品価格から出発してそれを規制する法則としての商品価値をさがしもとめたのである。つまり、いっさいの価格変動はこの商品価値から説明され、また結局はみなそれに帰着するはずであった。
そこで古典経済学は、ある商品の価値は、その商品にふくまれており、その商品の生産に必要な労働によってきめられることを、みいだした。古典経済学はこの説明で満足した。そしてわれわれも、さしあたってはこの説明で満足することができる。ただ、誤解を避けるために、この説明は今日ではまったく不十分なものになってしまったということを、注意しておきたい。マルクスが、はじめて、価値を形成するものとしての労働の性質を根本的に研究し、そのさい、ある商品の生産に外見上必要にみえ、あるいは実際にも必要な労働は、どれでも、いつでも、消費された労働量と一致する価値量をその商品につけくわえるとはかぎらないことを、発見した。したがって、今日われわれが簡単に、リカードーのような経済学者にならって、ある商品の価値はその商品の生産に必要な労働によってきめられる、というにしても、そのさい、われわれはつねに、マルクスによってなされた留保を前提しているのである。ここではこれだけ言っておけばよい。それ以上のことは、マルクスの『経済学批判』(一八五九年)と『資本論』第一巻にある。
しかし、経済学者が労働によって価値がきめられるというこの命題を、「労働」という商品に適用するやいなや、彼らは、つぎつぎに矛盾におちいっていった。「労働」の価値はどうしてきめられるか? そのうちにふくまれている必要労働によって。だが、ある労働者の一日、一週、一ヵ月、一年間の労働には、どれだけの労働がふくまれているか? 一日、一週、一ヵ月、一年分の労働である。もし労働がいっさいの価値の尺度であるなら、われわれは、「労働の価値」もほかならぬ労働で表現するほかないことになる。しかし、われわれが、一時間の労働の価値は一時間の労働にひとしいということしか知らないなら、われわれは一時間の労働の価値について絶対になにも知らないのである。だから、それだけでは、われわれは髪の毛一筋でも目標に近づいたことにならない。われわれはぐるぐると堂々めぐりをつづけているだけである。
そこで古典経済学は、言いまわしをかえてみた。彼らはこう言った。ある商品の価値はその生産費にひとしい、と。だが、労働の生産費とはなにか? この問いにこたえるには、経済学者は、論理をすこしばかり曲げなければならない。労働そのものの生産費は、遺憾ながらたしかめることができないから、彼らは、それのかわりに、いまや労働者の生産費とはなにか、を研究する。そして、このほうはたしかめることができる。それは、時と事情とに応じてちがいはするが、一定の社会状態、一定の地方、一定の生産部門についてみれば、やはり一定しており、すくなくともかなりに狭い限界の内にある。われわれは今日、資本主義的生産の支配のもとに生活しているが、ここでは住民中の大きな部分をしめ、しかもたえず増大していく一階級は、賃金とひきかえに生産手段「「道具、機械、原料、生活資料「「の所有者のためにはたらくときにだけ、生活することができる。この生産様式の基礎のうえでは、労働者の生産費は、彼に労働する能力をあたえ、彼の労働能力をたもち、そして老年や病気や死のために彼が去ったばあいには新しい労働者でこれを補充するために、つまり、労働者階級を必要な人数だけ繁殖させるために、平均的に必要な生活資料の総和「「またはその貨幣価格「「からなっている。われわれは、この生活資料の貨幣価格が平均一日三マルクであると仮定しよう。
そこで、わが労働者は、彼をやとっている資本家から一日三マルクの賃金をうけとる。資本家は、そのかわりに、彼を日にたとえば一二時間はたらかせる。そのさいこの資本家は、ほぼつぎのように計算する。
わが労働者「「機械工「「がある機械の部品をつくるものとし、それを一日でしあげるものと仮定しよう。原料「「必要な半加工形態にある鉄と真鍮「「に二〇マルクかかる。蒸気機関による石炭の消費、この蒸気機関そのものとわが労働者がその作業にあたって使用する旋盤その他の道具との磨損分は、日割にして彼個人に割りふって計算すれば、一マルクの価値をあらわす。一日分の賃金は、われわれの仮定によれば、三マルクである。これらを合計すれば、この機械部品にたいして二四マルクとなる。しかし、資本家は、その部品にたいして平均二七マルクの価格、したがって彼の支出した費用より三マルクだけ多い価格を彼の顧客からうけとるように、計算をたてるのである。
資本家がポケットに入れるこの三マルクはどこからでてくるのか? 古典経済学の主張によれば、商品は平均すればその価値で、すなわち、これらの商品にふくまれている必要労働量に一致する価格で、売られる。してみれば、この機械部品の平均価格「「二七マルク「「は、それの価値に、すなわち、それにふくまれている労働に、ひとしいことになろう。しかし、この二七マルクのうち二一マルクは、わが機械工がその労働をはじめるまえにすでに存在していた価値であった。二〇マルクは原料にふくまれていたし、一マルクは作業中にたかれた石炭や、作業にあたって使用されてこの価値額だけその性能のへった機械や道具に、ふくまれていた。あと六マルクのこるが、これが原料の価値につけくわえられたものである。しかし、この六マルクは、わが経済学者自身の仮定によれば、わが労働者が原料につけくわえた労働からしか生ずることができない。したがって、彼の一二時間の労働は六マルクの新しい価値をつくりだしたのである。してみると、彼の一二時間の労働の価値は六マルクにひとしいことになろう。これでわれわれはついに、「労働の価値」とはなにかを発見したことになろう。
「ちょっとまってくれ!」とわが機械工はさけぶ。「六マルクだって? だが、おれは三マルクしかうけとっていない! おれの資本家は、おれの一二時間の労働の価値は、三マルクにすぎないと、神かけて断言している。そしておれが六マルク要求しようものなら、彼はおれをわらいとばしてしまう。これはどうつじつまをあわせたらよいのか?」
われわれはわが労働の価値について、さきにははてしない堂々めぐりにおちいったのだが、今度はいよいよ解くことのできない矛盾にはまりこんでしまった。われわれは労働の価値をさがしもとめて、自分が必要とする以上のものをみいだしたのである。一二時間の労働の価値は、労働者にとって三マルクであるが、資本家にとっては六マルクで、資本家はそのうち三マルクを賃金として労働者に支払い、三マルクを自分のポケットにねじこむ。してみると、労働は一つの価値でなく二つの価値を、おまけにひどくちがう価値をもっていることになる!
貨幣に表現された価値を労働時間に還元してみると、この矛盾は、いっそうばかげたものになる。一二時間の労働によって六マルクの新しい価値がつくりだされる。したがって六時間では三マルクとなるが、これは労働者が一二時間の労働とひきかえにうけとる額である。労働者は、一二時間の労働とひきかえに、ひとしい対価として、六時間の労働の生産物をうけとる。したがって、労働は二つの価値をもっていて、その一方が他方の二倍の大きさであるのか、それとも一二と六がひとしいのか、どちらかである! どちらのばあいにも、まったくばかげたことになる。
いくらもがきまわっても、われわれが労働の売買や労働の価値を論じているあいだは、われわれはこの矛盾からぬけだせない。そして、経済学者にとってもそうであった。古典経済学の最後の分枝であるリカードー学派は、おもに、この矛盾が解決不可能なことにつきあたって破綻した。古典経済学は袋小路にはいりこんでしまった。この袋小路から脱けだす路をみいだした人こそ、カール・マルクスであった。
経済学者が「労働」の生産費だと考えてきたものは、労働の生産費ではなくて、生きた労働者そのものの生産費であった。そして、この労働者が資本家に売ったものは、彼の労働ではなかったのである。マルクスは言っている。「彼の労働が実際にはじまるときには、この労働はもうこの労働者のものではなくなっている。したがって、もはや彼がそれを売ることはできない。」だから、彼はせいぜい彼の将来の労働を売ることができるだけであろう。すなわち、一定時間だけ一定の労働給付をおこなうという義務をひきうけることができるだけであろう。だが、そうすることで、彼は労働を売るわけではなく(なぜなら、労働はこれからはじめてなされなければならないであろうから)、一定の支払いとひきかえに、一定時間だけ(時間払い賃金のばあい)または一定の労働給付をおこなうために(出来高払い賃金のばあい)、彼の労働力を資本家の自由にゆだねるのである。つまり、彼は、彼の労働力を賃貸し、または売るのである。しかし、この労働力は彼の体と合生しており、この身体からひきはなすことはできない。したがって、労働力の生産費は労働者の生産費と一致する。経済学者が労働の生産費と名づけたものは、ほかならぬ労働者の生産費のことであり、したがって労働力の生産費のことである。こうして、われわれはまた、労働力の生産費から労働力の価値にもどり、そして、マルクスが労働力の売買にかんする節でやったように(『資本論』、第一巻第四章第三節)〔国民文庫版、第二分冊、四二「五八ページ〕、一定の質の労働力の生産に必要な社会的必要労働の分量をきめることができるのである。
さて、労働者が資本家に彼の労働力を売ったあとで、すなわち、あらかじめ約定された賃金「「時間払い賃金または出来高払い賃金「「とひきかえに彼の労働力を資本家の自由にゆだねたあとで、なにがおこるか? 資本家は労働者を自分の作業場または工場へつれていくが、そこにはすでに作業に必要ないっさいのもの、原料や、補助材料(石炭、染料等)や、道具や、機械が存在している。ここで労働者は汗水ながしてはたらきはじめる。彼の日給は、まえどおりに、三マルクだとしよう。「「このばあい、彼がそれを時間払い賃金の形でかせぐか出来高払い賃金の形でかせぐかは、どうでもよいことである。このばあいにもまた、労働者は一二時間のあいだに彼の労働によって六マルクの新しい価値を消耗された原料につけくわえるものと、仮定しよう。この新しい価値を資本家は完成品の販売にさいして実現する。資本家は、このうちから労働者にその取分の三マルクを支払うが、残りの三マルクは自分でとる。ところで、労働者が一二時間で六マルクの価値をつくりだすとすれば、六時間では三マルクの価値をつくりだす。だから彼は、資本家のために六時間はたらいたなら、賃金としてうけとった三マルクの対価はすでに資本家につぐなったわけである。六時間はたらいたあとでは、両方とも勘定ずみで、どちらも相手がたに一文の借りもない。
「ちょっとまってくれ!」と今度は資本家がさけぶ。「おれは労働者をまる一日、一二時間だけやとったのだ。ところが、六時間では半日にしかならない。だから、もう六時間おわるまでつづいてせっせとはたらくのだ。「「そうしてはじめておれたちは勘定ずみになるのだ!」そして実際、労働者は、彼が「自由意志で」むすんだ契約、六労働時間を要する労働生産物とひきかえにまる一二時間はたらく義務を彼に負わせている契約に、したがわなければならないのである。
出来高払い賃金でも、まったく同じことである。わが労働者は一二時間に一二個の商品をつくるものと仮定しよう。そのおのおのが原料と磨損分とで二マルクかかり、二マルク半で売られるとする。そうすると、ほかの条件がまえどおりだとすれば、資本家は労働者に一個あたり二五ペニヒをあたえるであろう。すなわち、一二個では三マルクになり、労働者はそれをかせぐのに一二時間を要する。資本家は一二個にたいして三〇マルクうけとる。原料と磨損分とのための二四マルクをさしひくと六マルクのこるが、そのうちから彼は三マルクの賃金を支払い、三マルクをポケットにいれる。まえとまったく同じである。このばあいにも労働者は、六時間は自分のために、すなわち彼の賃金をうめあわせるために(一二時間の各一時間に半時間ずつ)はたらき、六時間は資本家のためにはたらく。
「労働」の価値から出発したかぎり最良の経済学者をさえ挫折させた困難は、われわれが「労働」の価値の代りに「労働力」の価値から出発するやいなや消えてなくなる。労働力は、われわれの今日の資本主義社会では商品であり、商品だという点ではほかのどの商品ともかわりはないが、しかし、まったく特殊な商品である。すなわち、それは、価値を創造する力であるという、価値の源泉、しかも適当にとりあつかえばそれ自身のもっている価値より大きな価値の源泉になるという、特別の性質をもっている。今日の生産の水準のもとでは、人間の労働力は、一日のうちに、それ自身でもっており、それ自身についやされる価値より大きな価値を生産するだけではない。新しい科学的発見のなされるたびに、新しい技術的発明がなされるたびに、労働力の一日の費用にたいする労働力の一日の生産物のこの超過分はふえていき、したがって労働日のうち、労働者が彼の日給のうめあわせをはたらきだす部分がみじかくなり、したがって、他面では、労働日のうち、彼が代価の支払いをうけないで自分の労働を資本家に贈呈しなければならない部分が長くなる。
そして、労働者階級だけがいっさいの価値を生産するということ、これが、今日のわれわれの全社会の経済制度である。というのは、価値とは、労働ということをべつのことばでいいあらわしたものにすぎず、今日のわれわれの資本主義社会で、一定の商品のうちにふくまれている社会的必要労働の分量をさすのにもちいられる表現にすぎないからである。しかし、労働者が生産したこれらの価値は、労働者のものではない。それらは、原料や機械や道具を所有し、かつ労働者階級の労働力を買う可能性をその所有者に与える前払い手段を所有する人のものである。だから、労働者階級は、自分の作りだした生産物の全量のうち、一部分を自分の分として返してもらうだけである。そして、残りの部分は資本家階級が自分の分としてとり、せいぜいなお地主階級とわければよいのであるが、われわれがたったいまみたように、この部分は新しい発明や発見がなされるたびに大きくなっていくのに、労働者階級のわりまえとなる部分は、(頭わりで計算すると)ごくゆっくりと、わずかばかり増加するだけであるか、あるいは全然増加せず、ばあいによっては減少さえしかねないのである。
だが、ますます急速につぎつぎにとってかわっていくこれらの発明や発見、前代未聞の程度で日々にたかまっていく人間労働のこの生産性は、ついには一つの衝突をうみ、この衝突のなかで、今日の資本主義経済は没落せざるをえなくなる。一方には、はかりしれない富と、購買者につかいこなせないありあまった生産物がある。他方では、社会の膨大な大衆はプロレタリア化され、賃金労働者にかえられ、まさにその結果として、このありあまった生産物を手にいれる力をうしなっている。少数の、法外に富んだ階級と、多数の、無産の賃金労働者の階級とへ社会が分裂した結果、この社会はそれ自身のありあまった富のなかで窒息しているのに、この社会の大多数の成員は、ほとんどあるいはまったく保護されずに極度の欠乏におちいるままにまかされている。この状態は日ましにいよいよ不合理に、そして不必要になる。この状態はとりのぞかなければならないし、またとりのぞくことができる。一つの新しい社会制度が可能である。それは、今日の階級差別が消えうせており、「「おそらく、いくらか不足がちな、だがいずれにせよ道徳的にはなはだ有益な、短い過渡期を経て「「すでに存在している巨大な生産力を計画的に利用しさらに発展させることによって、すべての社会成員〔4〕が、平等の労働義務を負いながら、生活のため、生活享楽のため、いっさいの肉体的・精神的能力を発達させ発揮するための手段をも、平等に、ますますゆたかに利用できる、そういう社会制度である。そして、労働者がこういう新しい社会制度をたたかいとる決意をますますかためていることは、大洋の両側で、明五月一日と五月三日の日曜日〔5〕とが証明するであろう。
ロンドン 一八九一年四月三〇日
フリードリヒ・エンゲルス
一八九一年ベルリン発行のマルクスの著作
『賃労働と資本』単行版のために執筆
一八九一年版のテキストによる
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