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国際革命文庫  20

国際革命文庫編集委員会

1

電子化:TAMO2
●参考文献
「共産党宣言」
「基礎学習文献解説」

「なにを いかに学習すべきか」
――マルクス主義の基礎的理解のために 上巻――


刊行にあたって

 御都合主義的なマルクス主義の歪曲が氾濫している。
 数多くの改良主義者達が、自らに都合の良いようにマルクス主義を歪曲し、自己流の「マルクス主義」を創作している。社会主義協会派において然り、日本共産党において然り、新左翼においてまた然りである。
 最大の歪曲は、スターリニスト官僚の手によっておこなわれてきた。彼らの歪曲は、マルクスやレーニンの著作から都合の良いところのみを引用するという常とう手段に加えて、しゅくせいと暗殺、歴史の偽造をともなった。マルクス主義を自己の官僚的保身の手段にかえてしまうこと、労働者階級を従順な羊にかえてしまうことに、スターリニスト達の全身全霊がそそがれている。
 歪曲者の矛先は、主要に二つのことにむけられている。ひとつは、マルクス主義の革命的国家学説に対してであり、ふたつは、その国際主義に対してである。
 国家とは、階級対立の非和解的産物であり、一方の階級が他方の階級を支配するための暴力的手段であり、装置である。ブルジョア国家は、ブルジョアジーが支配を維持するための暴力的手段であり、装置である。プロレタリアートは、できあいの国家機構を打ち砕いて、自己の権力を樹立しなければならない。ところが、改良主義者達によって、こうした必要はなきものとされた。日本共産党によれば、日本帝国主義国家を粉砕する必要はなく、国会内で多数派をとることによって、プロレタリアートは執権をおこなうものとされた。
 また、マルクス主義を民族主義的に堕落させ、労働者階級をブルジョア民族主義的利害に従属させることは、スターリニストの官僚的自己保身と一体であった。
 レーニンの死後、スターリニストによるマルクス主義、レーニン主義の歪曲は、第三インターナショナルの堕落、官僚的纂奪として進行した。こうした堕落と最も果烈に闘い、マルクス・レーニン主義の革命的伝統を継承発展させてきたのが、トロツキーを中心とする左翼反対派であり、第四インターナショナル、トロツキズムである。
 今日、時代は、帝国主義の危機の時代。社会党、共産党から労働組合の官僚達まで、おしなべて、労働者階級を帝国主義の救済者にしたてあげ、犠牲に供しようとしている。マルクス主義の革命的真髄が、労働者階級の最深部に息づかねばならない。闘いの武器とすることがもとめられている。マルクス主義の古典文献の数々は、日本共産党などが主張するように「古い、時代おくれの、今日の情勢に適合しないもの」では決してない。それらは、今なお新しく、情勢に見事に適合している。普遍的である。
 第四インターナショナル日本支部は、マルクス、エンゲルス、レーニン、トロツキ−の諸著作のなかから、一六の文献を厳選し、同盟指定文献としている。マルクス、エンゲルス、レーニン、トロツキーと発展継承されてきたマルクス主義の真髄である。本書は、これら工ハの文献について、平明な解説を試みたものである。

 16の指定文献を列記する。
  共産党宣言(マルクス・エンゲルス)
  賃労働と資本(マルクス)
  空想から科学への社会主義の発展(エンゲルス)
  家族・私有財産および国家の起源(エンゲルス)
  国家と革命(レーニン)
  帝国主義論(レーニン)
  社会主義と戦争(レーニン)
  帝国主義と民族・植民地問題(レーニン)
  なにをなすべきか(レーニン)
  共産主義における「左翼」小児病(レーニン)
  レーニン死後の第三インターナショナル(トロツキー)
  社会ファシズム論批判(トロツキー)
  裏切られた革命(トロツキー)
  労勧組合論(トロツキー)
  過渡的綱領(トロツキー)

 上巻には、マルクス、エンゲルス、レーニンの著作10冊を収録し、『レーニン死後の第三インターナショナル』以降のトロツキーの著作については、下巻に収録された。
 尚、収録された解説は、いずれも、一九七三年四月から一九七五年六月にかけて「世界革命」紙上に掲載されたものである。
  一九七九年一一月
    国際革命文庫編集委員会


目次

刊行にあたって

共産党宣言
 一 ヨーロッパ革命のただなかで起草
 二 歴史を画する内容と役割
 三 宣言を歪曲する社民とスターリニスト
 四 永久革命の最初の綱領

賃労働と資本
 一 労働者のための著作
 二 賃労働とは何か
 三 資本とは何か
 四 賃労働と資本との関係
 五 労働者は、この著作で自己を知ることができる

空想から科学への社会主義の発展
 一 社会主義思想の歴史と発展
 二 空想的社会主義に対する闘い
 三「空想的社会主義」とその特徴
 四 マルクス主義の源泉
 五 資本主義の没落の必然性

家族・私有財産および国家の起源
 一 エンゲルスの問題意識
 二 ヨーロッパ革命と国家論の実践的役割
 三 レーニンによるエンゲルスの防衛
 四 曲解されたエンゲルスのテーゼ
 五 「国家」と「家族」の関連を統一的に説明

国家と革命
 一 ロシア革命の業火のなかで成立
 二 革命的国家論の最高著作
 三 ブルジョア国家機構の破壊とプロレタリア革命
 四 スターリニズムによるレーニン主義の歪曲 
 五 チリの悲劇の教訓

帝国主義論
 一 第一次帝国主義戦争と第二インターナショナルの崩壊
 二 イソップの言葉で書かれた時代的背景
 三 帝国主義と闘うために
 四 帝国主義はプロレタリア革命の前夜である
 五 現代の帝国主義と「帝国主義論」

社会主義と戦争
 一 第一次帝国主義戦争と第二インターナショナルの崩壊
 二 帝国主義戦争を内乱へ
 三 現代における革命的国際主義とは何か

帝国主義と民族・植民地問題
 一 帝国主義段階における民族問題
 二 排外主義的大国主義と民族自決権
 三 プロレタリア革命と民族自決権
 四 いまこそレーニンの原則が要求されている

なにをなすべきか
 一 経済主義との闘争
 二 経済主義の背景
 三 「歴史的危機」の時代と革命党の建設
 四 レーニン主義的党の再建――第四インターの任務

共産主義における「左翼」小児病
 一 「左翼」共産主義とレーニン・トロツキー
 二 党と大衆の結合
 三 ボルシェビキの経験から学べ
 四 日和見主義と小ブル的革命性との闘い
 五 反議会主義の誤り


@ 共産党宣言(マルクス・エンゲルス)
     ―岩波文庫、国民文庫、角川文庫等に収録―

1 ヨーロッパ革命のただなかで起草

 「宣言」は周知のように共産主義者同盟の綱領として書かれたものてある。だがこの共産主義者同盟は、はじめからマルクス主義者の組織であったわけではない。その前身である「義人同盟」は、バブーフ主義者の思い出につながるフランスの労働者共産主義が一八三六年にドイツにつくり出した労働者組織であった。それがドイツの同盟から国際的同盟に発展してゆく過程で生想的社会主義の幻想かち抜け出していったのである。もちろんその過程そのものにマルクスとエンゲルスの積極的な介入と働きかけがあった。そして「義人同盟」ロンドン委員会のモルをとおして、「同盟」の指導部がその再組織を断行し、その綱領の基礎に、科学的共産主義の諸原理をすえる用意があるという確認をえて、マルクスとエンゲルスが加盟したのである。こうして一八四七年六月のはじめの大会(第一回大会)で、名称を共産主義者同盟と変更し、「あらゆる人間は兄弟」であるという従来のスローガンを、「万国のプロレタリア団結せよ!」というスローガンにおきかえた。
 つづいて、一八四七年十一月二十九日から十二月八日まで開かれた共産主義者同盟第二回大会が「公表を目的とする詳細な理論的・実践的な党綱領の起草」をマルクスとエンゲルスに依頼した。二人はそれを一八四八年一月下旬に書きあげ、二月にロンドンで発行された。それはフランスの二月革命が起るほんの数週間前であった。革命が起ると同時に同盟は中央委員会をパリに移し、そこにロンドンから発行されたばかりの「宣言」が一〇〇〇部送付されたといわれている。
 それがフランスの二月革命そのものに、直接にどのていどの影響を与えることができたかどうかはともかく、この「宣言」に書かれた内容は、まさしくこの歴史上はじめてブルジョアジーとフロレタリアートという二大階級のあいだで闘われた内乱を予見し、その歴史的事件によるテストに完全に合格したばかりか、その後の一〇〇年以上の歴史的事件によるテストに耐えてきたのである。
 実際それが書かれてから一〇〇年=一世紀以上たつということか信じられないほど、その内容の基本的部分は、まるで昨日書かれたもののように新鮮であり、かつて生きている。
 それだけにまた、その内容が歴史にたいするどんなに鋭い洞察と未来を展望する視野の大きさに貫かれたものであるかをも示しているのである。ところがそれを理解しえない多くの社会民主主義者スターリニストは、「宣言」をたんなる古典として、ぎょうぎょうしく賛美する裏で、それが書かれた「古典」的時代の特徴を強調することによって、もはやその時代とともに「そこに書かれてある内容も古くさくなった」と公言する。そして「トロツキストは、一〇〇年も前に書かれた『古典』を持出して『暴力革命』を語る」という。だが一〇〇年たとうが二〇〇年たとうが、資本主義に対する根底からの批判の矢は、地球上からこの体制が一掃されないかぎり、その鋭さを欠くことはないのである。むしろ「平和革命」を合理化するために「宣言」の根本命題を修正した彼らこそ、資本主義に対する根底からの批判の立場を「修正」したのである。一〇〇年たってもブルジョア秩序が存在するかぎり、ブルジョア的「社会主義」はなくならないものである!「共産党宣言」が生きつづけ、広く読まれつづけなければならない理由があろうというものである。

 たしかに、これが書かれた当時のマルクスとエンゲルスをとりまいていた世界は、今日の段階からふりかえってみれば、まるで箱庭みたいな世界であった。
 一方で一八三一年のリヨンの労働者蜂起、四四年のシレジアの工場労働者の蜂起やチャーティストの運動があったとはいえまだ彼らの眼前では、「ブルジョアジーが革命的役割りを果していた時代」であった。その状況は、たとえば、「宣言」とほとんど同じ頃に書かれたエンゲルスの『一八四七年の運動』につぶさに描かれている。「プロイセンを支配するものはだれか、王を先頭とする貴族・官僚・坊主の同盟か、それともブルジョアジーかという問題は、いまやいずれかの側に、ただちに決定すべき問題として特出されている」と。また、共産主義者同盟の第一回大会でその名称を変更した「義人同盟」に結集していたのは靴工、裁縫師、家具指物師といった、今日の巨大企業の近代的工業労働者にくらべたら「ほとんど本来の手工業者ばかりであった」 (エンゲルス『共産主義者同盟の歴史』)
 もちろんイギリスでは、産業革命によってつくり出された近代的工業生産様式と近代的生活条件が確立され、そのうえに階級分化が進み、組織された労働者階級の本格的闘争が展開されはじめていた。だがイギリスで資本主義的基礎をきずいたその産業革命(一七六〇〜一八三〇年)も、ようやく大陸の内部に浸透し、波及しはじめたばかりであった。(フランス産業革命―一八三〇〜六〇年。ドイツ一八四八〜七〇年)そして、資本主義の矛盾の集中的表現としての恐慌もそれが本格的産業循環の中で起ったのは、イギリスを中心として発生した一八二五年恐慌が最初のものだとされている。(それ以降一八三七年、四七年と一〇年周期で発生している)
 このようにヨーロッパ規模でみたとき、そこではまだ、国民的統一と工業の自由な発展を妨げている封建的専制や細分化された連邦制の桎梏との闘いが展開されなければならなかったのである。そのような時代において、資本主義世界のほぼ完全な解剖図を与え、その生成と没落の歴史的必然性を見通し、さらに「こんにちの被抑圧階級であるプロレタリアートは、自らを搾取し圧迫する階級(ブルジョアジー)から解放しうるためには同時に全社会を永久に、搾取、圧迫、および階級闘争から解放しなければならない」という形でプロレタリアートの歴史的役わりをとらえきっていたということは実に驚嘆すべきことである。そしてそれを可能にしたものこそ、彼らの真に国際主義的な視野と、プロレタリアートと全人類の解放の課題を永久革命としてとらえた歴史性、思想性の深さにほかならない。

2 歴史を画する内容と役割

 「宣言」の果した役割りはいうまでもなく、科学としての社会主義の理論的体系を与えたと同時に、それをプロレタリアートの解放へむけた、運動の実践的綱領としてまとめあげたという点にある。
 エンゲルスは一八九〇年のドイツ語版への序文で、「『共産党宣言』の課題は、近代ブルジョア的所有の不可避的に迫りつつある崩壊(没落)を布告することであった」とのべている。つまり「宣言」の果した第一の役割は、それ以前の空想的社会主義者たちがやったように、「できるだけ完全な社会制度を考案すること」ではなく、社会的諸階級の対立と闘争が必然的に生まれてきた歴史的・経済的過程を分析し、それによってつくり出された社会・経済的状態のうちに、この衝突を解決すべき手段とにない手を発見することであった。
 このように資本主義的生産方法を、その歴史的関連において示し、一定の歴史的時期におけるその生成の必然性、従ってまたその没落の必然性を示すこと、ここにその課題があった。この点は主要に、第一章《ブルジョアとプロレタリア》のところで簡潔に述べられている。ここでは、「宣言」の直前に書かれた『ドイツ・イデオロギー』で確立された「唯物論的歴史観」にもとづいて、現実に彼らの眼前に展開した歴史的世界が体系化されている。
 さらにまたそこでは、資本主義体制のひじょうに見事な解剖図が提示され、資本主義秩序の多面的分析の一切が集約されている。《労働者の労働が自分の身を切り売りしなければならない一個の商品であり、機械装置の拡張や分業によって、その労働は独立的性格を失って、機械のたんなる附属物となること、こうして資本家による剰余価値の横領、都市のプチブルジョアジーと農民の破滅が進展すること。競争をとおして富がますます小数者の手に集中していく一方で、プロレタリアートの数的増大と社会主義体制のための物的・政治的基礎が成熟していくこと》等。将来の(『資本論』等の)分析によって深められ確証されていく内容の全体が、ここに凝縮して展開されている。
 「宣言」の果した第二の役割は、こうした科学的理論を基礎にして、プロレタリアートの明確な実践的綱領として宣言されたことである。これによって「プロレタリアートをプロレタリアートにしている狭い条件の範囲内で、私的に自分の救済をなしとげようと試みる運動」から、圧倒的多数のプロレタリアートを、旧い世界がもつすべての手段を武器に変えて、旧い世界を覆えす壮大にして根底的な闘いへとかりたてていったのである。そして、「あらゆる階級闘争は政治闘争である」こと、従ってプロレタリアートは革命的な党に組織されなければならないことを鮮明にし、そのうえで、共産主義者は労働者階級全体にたいしてどういう位置をしめるかを明らかにした。
 すなわち「共産主義者は、プロレタリアの種々な国民的闘争において、国籍とは無関係な、共通の、全プロレタリア階級の利益を強調し、それを貫徹する。他方では共産主義者は、プロレタリア階級とブルジョア階級のあいだの闘争が経過する種々の発展段階において、常に運動全体の利益を代表する」(第二章冒頭)と。また「実践的には、すべての国々の労働者党のもっとも断固とした、常に推進的な部分であり、理論的には、プロレタリア階級の他の集団にまさって、プロレタリア運動の条件、進行、および一般的結果への洞察力をもっている」(同)と。
 これは新左翼のなかにある最後通牒主義、セクト主義、内ゲバの論理に対する原則的批判を含んではいないだろうか?
 さらに、「労働者革命の第一歩は、プロレタリア階級を支配階級にまで高めること、民主主義を闘いとることである」と、一〇項にもわたる具体的方策とともにプロレタリアートの任務を鮮明に提起している。その独自の立場と任務を明確にしたうえで、さらに第四章《種々の反対党に対する共産主義者の立場》すなわち、統一戦線の原則にわたるまで、その基本的な点が網羅されている。

 こうして「共産党宣言」は、「科学的社会主義」の立場からの実践的綱領として宣言され、第三章の反動的あるいは、小市民的「社会主義」に対する批判において完全に明らかにされているように、「宣言」以前のすべての空想的社会主義を完ぷなきまでに批判しつくしたのである。
 それ以後、「宣言」は文字通りすべての国の言語で翻訳され世界中の労働者・人民の心をとらえ、あらゆる国々の労働者階級の前衛的部分の綱領的基本原理として承認されてきた。

3 宣言を歪曲する社民とスターリニスト

 われわれが今日、「共産党宣言」を読んでまず第一に感じることは、「宣言」が書かれてから一〇〇年以上もたつというのにその内容の基本的部分がいささかも時代遅れになっていないばかりか、実に驚くべき新しさを保持しつづけているということである。
 だが皮肉なことに、その新しさは(そしてわれわれすべての労働者・人民にとっては不幸なことに)、「宣言」の中の「ブルジョア社会主義」への批判(第三章U)が、今日、深くブルジョア的堕落をとげてしまった日本共産党(だけでなく世界のすべての共産党=スターリニスト党)に対する批判として、そっくりそのままあてはまるという点にまで、みられるのである。
 日本共産党の提案・「いのちとくらしをまもり住みよい国土をつくる総合計画」のなかの 《根本的転換だけが解決の道》という項で提案されている「根本的」解決策は、「独占資本に対する民主的規制」である。
 そして「独占資本にたいする民主的規制は……一つは、独占資本の独占価格つり上げや、土地投機や、……公害の発生あるいは災害をひきおこす乱開発など、国民の生活と権利にたいする侵害にたいして、これらを国民の監視のもとにおき、有効に取り締まれる民主的な制度をつくりだすこと」であり、「もう一つは、独占資本の設備投資や産業立地、事業活動を……民主的な国土づくりの計画にしたがわせることです」という! 驚くべきことに、そこには「ブルジョア的所有の廃棄」や「私有財産の廃止」という思想性はひとカケラもないのである。
 「共産主義者は、これまでの一切の社会秩序を暴力的に顛覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する」(P87)そして、「現代社会の最下層であるプロレタリア階級が起きあがり、立ちあがることができるためには、公的社会を形成する諸層の全上部構造が空中にけし飛ばされねばならない」(p55)と――「宣言」は明確に述べている。
 ところが今日、日本共産党の提案では、「全上部構造が空中にけし飛ばされ」るのでなく、その「上部構造」をそっくりそのまま残しておいて、それを「民主的」に運営しさえすれば、すべての「矛盾と災害と労働者にたいする抑圧」が消えてなくなるというのである。
 「宣言」の著者たちは、一〇〇年も前に「ブルジョア社会主義」を批判してつぎのようにいっている。「社会主義的ブルジョアは、それから必然に生ずべき闘争や危険をともなわない近代社会の生活条件を欲する」(P97)
 「この社会主義(ブルジョア社会主義)の理解する物質的生活諸関係の変化とは、決して革命的な方途でのみ可能なブルジョア的生活諸関係の廃棄ではなく、この生産諸関係の土台の上に行われる行政的改善、したがって、資本と賃労働の関係にはまったく変化を加えず、せいぜいでブルジョア階級にその支配の費用を減少させ、国家財政を簡単にする行政的(共産党の得意な民主的!)改善である」(P80)
 「労働階級の利益のための自由貿易! 労働階級の利益のための保護関税!」(同)
 これはまたなんという「新しさ」で、今日の堕落した「ブルジョア社会主義=日本共産党」にぴったり当てはまる批判であることか!(傍点と()は引用者)
 どんな党派でも、その思想的堕落は、決して高度な思想的次元で生じているものではない。堕落は常にそのイロハの段階からはじまるのである。
 「宣言」は冒頭で「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」とのべる。
 ところが破産した第二インターナショナルのカウツキー主義の流れを汲む社会民主主義の党と、ロシア革命の成果を纂奪しマルクス主義の偉大な栄光をとりかえしのつかない危機にまで追いこんだスターリニストの党は、ともにこれを全く理解しえない点で、反動的偽善家やブルジョア的空論家と同じ立場に後退してしまった。彼らが口先でどのように言いのがれようとも彼らの立場を突きつめていくと結局「階級的協調」と「階級的融和」の精神でマルクス主義を修正していることがわかる。
 「歴史が階級闘争の歴史である」というとき、それはつぎのような内容を含んでいわれている。相対立する階級――今日ではブルジョアジーとプロレタリアート――の利害が非和解的に対立しているということ。すなわち、現存する社会は一階級の他の階級に対する支配によって、――今日ではブルジョアジーの独裁によってなりたっていること。
 その「秩序」は、ブルジョアジーが完全に武装し、労働者が武装していないときに最もよく保証されていること。また国家はこうした階級支配のための暴力的手段であり、「単に、全ブルジョア階級の共通の事務をつかさどる委員会にすぎない」(P42)こと。
 従ってブルジョアジーを武装解除し、その支配を顛覆するためには労働者は自ら武装し、「プロレタリア独裁」を樹立しなければならないこと。こうした内容のすべてがそこに含まれているのである。
 ところが共産党は、とっくにその手から棄て去っていた「プロレタリア独裁」の概念を、最近になって、マルクス主義の体系そのものから「抹殺」すべきだと主張しはじめた。一〇年ほどまえ彼らは「時代が変化したから、その命題は古くなった」といっていた。ところがいまや、マルクス主義の体系そのものからそれを放逐せよという。こうして、彼らは「『プロレタリア独裁』の旗をかかげる革命的マルクス主義」を放逐したのである。
 一八七二年のドイツ語版への序文でマルクスとエンゲルスは「最近二五年間の大工業のはかり知れない進歩」や「パリ・コンミューンの実践的諸経験」を考えれば、「宣言」の中味がところどころ時代遅れとなっていると述べている。そして、「特にパリ・コンミューンは『労働者階級は、既成の国家機関をそのまま奪いとってそれを自分自身の目的のために動かすことはできない』という証明を提供した」(P8)と述べている。ところが奇妙なことに、今日の共産党は、逆に労働者階級は「既成の国家機関をそのまま奪いとって、それを自分自身の目的のために動かすこと」ができると主張するのである!
 彼らは現在の(ブルジョア)「憲法」のもとで、「議会」をつうじて、社会体制を変えることができるという立場をとっている。
 この社会党・共産党の「階級協調」路線のメダルの裏側にあるのが「ブルジョア民族主義=一国主義・平和主義」である。

4 永久革命の最初の綱領

 「宣言」の内容は、徹底した国際主義の思想性に貫かれている。《労働者階級の解放の事業は国境の枠を越えた、国際的な共同の事業である》 ことが鮮明に述べられている。第一章において見事に分析されているように、そもそもブルジョアジー自身が「産業の足もとからその民族的な土台を切りくずし」(P44)「世界市場の搾取を通して、あらゆる国々の生産と消費とを世界主義的なものに作りあげた」(同)のでであった。すなわち、「資本の近代的制圧は、イギリスでもフランスでも、アメリカでもドイツでも同一であり、プロレタリアからすべての国民的性格をはぎとってしまった(P54)」。従って、「労働者は祖国をもたない」(P65)のである。
 このように歴史というものが国際的な規模で展開される二つの階級の闘いである以上、革命的な階級の党は最初から、直接に世界的な実在でなければならない。従ってマルクス以来、革命の党=労働者階級の前衛は、民族的な党のモザイク的連合ではなく、はじめから世界革命をめざす、単一の指導部をもった、「インターナショナル」であり各国の党はその支部でしかなかったのである。
 ところが、資本主義的国民経済のもとで、巨大な生産力が国境の枠と激しく衝突し、世界経済と政治が文字通り有機的にからみあった一全体として動いているこの帝国主義の時代に、各国共産党、とくに日本共産党は民族的基盤の上に立つ「自主独立の党」を誇らしげに宣言するのである。
 この立場からは、ベトナム革命がもつ永久革命としての性格を絶対に理解することができない。「宣言」の終りの方で、マルクスとエンゲルスは、彼らが直面するヨーロッパ革命の展望についてつぎのように述べている。
 「共産主義者は、その主要な注意をドイツに向けている。それは、ドイツがブルジョア革命の前夜にあるからであり、またドイツは、一七世紀のイギリスや一八世紀のフランスよりも、ヨーロッパ文明全般のより進歩した諸条件のもとに、そしてはるかに発展したプロレタリア階級をもって、この変革を遂行するからであり、したがってドイツのブルジョア革命は、プロレタリア革命の直接の前奏曲たりうるものと見なくてはならないからである」と。(P86〜P87)
 ここに明確に述べられている永久革命の思想は、トロツキーの「結果と展望」の予測した線に沿って一九一七年のロシア革命において見事に再現された。そしていま、より成熟した(成熟しすぎて腐りかけている)帝国主義の没落の時代におけるベトナム革命のうちに、複合的な構造をもった社会主義革命としての永久革命が勝利し、さらに世界革命の勝利にむけて前進をとげつつある。
 このように革命的マルクス主義は、はじめから「国際主義」とその別の表現である「永久革命」の思想性に貫かれているのである。
 だからマルクス主義から出発したすべての党派が、ブルジョア的堕落をこうむる度合に応じて、民族主義的性格を強くおびていったのは当然である。
 その際、ブルジョア民族主義への堕落を深めつつもなおマルクス主義の権威によって自己の立場をカモフラージュしようとして、しばしば「宣言」から引用されているのはつぎの個所である。「ブルジョア階級に対するプロレタリア階級の闘争は内容上ではないが、形式上は、何よりも第一に国民的闘争である。」(P55)と。「宣言」からのこの引用――「何よりも第一に国民的闘争である」――が、唯一、彼らの「民族民主革命の綱領」にマルクス主義的根拠を与えているかのように強調する。だが「宣言」の簡潔な文章は、厳密な規定を与えているのであって、「宣言」はどこまでも、彼らの日和見主義に何の根拠も与えはしない。ここでも、「内容上ではないが、形式上は……」と明確にことわってある。さらにそれにつづけて「おのおのの国のプロレタリア階級は、当然まず自分自身のブルジョア階級を片付けねばならない」(P55)とのべられている。ところが「国民的闘争」を強調する日本共産党は、けっして、「自分自身のブルジョア階級を片付けよう」とはしない。
 一八四八年のフランスの二月革命を総括したマルクスは、当時のプロレタリアートの未成熟について、「労働者階級はブルジョアジーと肩を並べて自らを解放し得ると信じた」(『フランスにおける階級闘争』)彼らの幻想を指摘し、批判した。今日、日本共産党は、全く同様の幼稚な幻想に浸っているのである。そして、骨の髄までブルジョア民族主義に汚がされた「中立」や「祖国防衛」のスローガンを恥しげもなく掲げている。
 かくして、彼らはまた今日の経済危機の原因を資本主義制度そのものに求めないで、ブルジョアジーの「政策上の誤り」に帰して、全くブルジョア民族主義的な立場から「国民経済の救済」にかけつけている。
 結局、彼らは歴史の弁証法を理解しえないが故に、労働者階級の革命的力を確信しえないのである。
 「宣言」の第三章V《空想的社会主義および共産主義》を批判して著者たちはつぎのように言っている。「かれらは……主としてもっとも苦しむ階級としての労働者階級の利益を代表すべきことを意識している。もっとも苦しむ階級というこの見地のもとにのみ、プロレタリア階級は、かれらのために存在する」(P82)
 「かれらは一切の社会成員の生活状態を、もっともよい境遇にある社会成員のそれをも、改善しようとする。だからかれらは、たえず、無差別に全社会にいや特に支配階級に訴える」(同)と。
 なるほど労働者階級の歴史的な力に依拠しようとするのでなく、選挙の際の一票に数えるだけの立場からは、労働者階級は単に「もっとも苦しむ階級」として把握されるだけで終るだろう。だが、「宣言」の第一章でも明白に述べられているように、「現在ブルジョア階級に対立しているすべての階級のうちで、プロレタリア階級のみが実際に革命的な階級である」(P53)のは、ただ単に「もっとも苦しむ階級」であるからだけではなく「プロレタリア階級は大工業のもっとも独自な生産物である」(P53)という点にある。すなわちプロレタリアートこそが、この社会のすべての生産と輸送の体系を事実上その掌中に握っているのである。いいかえればプロレタリアートが革命的な階級であるのは彼らこそ潜在的に「武装」している唯一の階級だからである。
 改良主義的議会主義者や一切の日和見主義者は、全くこの点を理解したことがなかったのである。
――(頁数と引用は、岩波文庫版)
          (藤原次郎)


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